京都アニメーション放火殺人事件

1 被告人Aを擁護も非難もしない。本稿はこの方針を堅持して書き進める。

2 京都アニメーション放火殺人事件は2019年7月18日に京都市伏見区で発生した事件である。36人が亡くなり、34人が重軽傷を負われている。放火した41歳(当時)の男性=被告人Aの公判が2023年9月5日から京都地裁で開始された。本稿は報道によって公開された情報を事実であると仮定して論じるものである。公判の内容については、私の把握している限りにおいて、産経新聞が最も具体的に報じているので、原則として同紙の記事を情報源とする。以下、この事件を「京アニ事件」と略称し、この裁判を「京アニ1審裁判」と呼ぶ。

3 (9月6日公判:  41歳、「パクられた」)
6日の公判では、A被告が救急搬送される前に警察官とやりとりした動画の音声が再生された。その中で「パクられた、小説」「お前らが知っているだろ」などと発言していた。
(緑文字は産経新聞からの引用。以下も同様。但し引用にあたって実名は伏せてある)

4 被告人Aは過去において統合失調症と診断されている。精神科で治療を受けたことはあるが、治療は自己中断し、薬も飲んでいなかった。

5 統合失調症の妄想の一つに、自分の作品を盗作されたというものがある。それは統合失調症の妄想の中で、典型的とまでは言えないが、特別に稀なものでもない。精神科Q&A【2195】統合失調症と思われる知り合いから、定期的に手紙などが届きます はその実例である。【2195】のケースは、自分のネタを友人がパクってシナリオを製作したとして、その友人を非難している。

6 【2196】自分が作詞したヒット曲のお金が口座に振り込まれているはずだと言い張る兄 のケースは、実家の家族に「振り込まれた通帳はどこへやった? 捨てただろ」という電話を毎日のようにかけている。また、一人で大声を出しているなど異様な言動も見られるようになっている。

7 すると京アニ事件の被告人Aは、【2195】や【2196】のような妄想が嵩じた結果、あの犯行に出たのか。そうだとすれば統合失調症が適切に治療されていれば京アニ事件は起こらなかったのか。

8  以下、裁判についての報道から得られた情報に基づいて、この点について考察する。その前に本稿1に記した基本方針を再確認しておく。本稿は、Aを、たくさんの人々の命を奪った犯人として非難することもしないし、治療を受けられずに病状が悪化した患者として擁護することもしない。ただ事実を考察するのみである。

9 (9月6日公判: 14歳ころ、不登校)
「中学2年以降、学校に行かなくなった」「何となく、ずるずると」
一般に、不登校の理由は様々であるが、その一つに、統合失調症の潜在発症、もしくは特有の病前状態という場合がある。たとえば【1417】中学で抑うつ状態、今は統合失調症と診断されている私の、統合失調症の発症はいつだったのでしょうか のケースは、中学2年で不登校になり、22歳になって統合失調症と診断されている。

10 (9月6日公判: 14歳ころ、人を避ける)
弁護側は冒頭陳述で中学時代、被告は人のいない道を選んで通学しており、理由は「人がいるとその人が話しかけたり、寄ってきたりすることがあったから」と説明していた。
弁護人「人が寄ってくるとは」
A「人混みの中だと、寄ってきて何かを言おうとしているのが感じられた」
弁護人「悪いこと、攻撃してくる感じ」
A「そうなります。主要道路を避け、遠回りして通学していた」
弁護人「医者や保健の先生などに相談は」
A「ない」
弁護人「どれぐらい続いた」
A「(定時制)高校の初期ぐらい。自然になくなっていった」

統合失調症の初期または前駆期として典型的な症状である。すなわち、客観的には、理由不明の人を避ける行動。主観的には、他人から攻撃を受けるという漠然とした感覚。このような状態に続いて顕在発症、すなわち、幻聴や被害妄想がはっきりしてくるのが最も典型的な統合失調症の経過だが、そのようにはならず、一過性でおさまることもある。【3626】私は統合失調症だったのでしょうか、 【3281】軽い精神病が自然に治ったようなのですが などがその例である。
他方、統合失調症の方に過去のことをよく聞くと、このような体験、すなわち、幻覚や妄想と解釈できないこともないが、曖昧な体験のため幻覚や妄想であると確定的には言いにくい体験が一過性にあったことがわかることも少なからずある。こうした体験はMicropsychosis (マイクロサイコーシス。日本語では「軽い精神病症状」などと訳されている)とも呼ばれ、いわゆるARMS (At Risk Mental State)、すなわち、統合失調症を将来発症する可能性を示唆する体験の一つであることが統計的に実証されている。ARMSの段階での対処については倫理的な面を含め複雑な問題がある。【2007】統合失調症らしい症状が私にはあるのですが、悪化のおそれがないのなら病院には行きたくありません のケースにそれを垣間見ることができる。

11 (9月6日公判: 28歳、下着泥棒と暴行)
平成18年、28歳だった被告は下着の窃盗や女性への暴行容疑で逮捕される (そして執行猶予付きの有罪判決となった)
弁護人「下着泥棒を何件もやったのはなぜ」
A「性欲に困っていたというのがある」
弁護人「一番幻覚がひどかったと」
A「人には会いたくなくなるし、仕事をするにしても体とか重いし、コンビニの時にはパニック障害でいきなり動悸(どうき)がして。2分ぐらい動悸がしている時期もあった」
弁護人「その延長線上に事件があった」
A「そうです」

この28歳ころの「人には会いたくなくなる」については、その理由が10のように「人から攻撃される」という漠然とした感覚に基づくものなのか否か、この記載からは不明であるが、もしそのような感覚に基づくものなのであれば、統合失調症の初期または前駆期の症状と見ることができる。統合失調症のその時期には、身体の不調や、うつ状態や、いわゆる神経症(現代でいうパニック障害はその一つに分類することができる)が見られ、この時期の症状を指して「汎神経症」と呼ぶこともある。
「仕事をするにしても体とか重いし、コンビニの時にはパニック障害でいきなり動悸(どうき)がして。2分ぐらい動悸がしている時期もあった」
ということからは、当時のAがその状態であったと見て矛盾はない。

12 (9月6日公判: 幻覚と無治療)
上の11には
弁護人「一番幻覚がひどかったと」
と記されており、後の文脈からみるとAはそれを肯定したようだが、ここでの「幻覚」がどのようなものであったかは不明である。
次の問答にも幻覚への言及がある:
弁護人「母親や兄から精神科の受診を勧められたことは」
A「中学2年のころにも幻覚的な症状があったが、兄は『根性で治せ』といっていたので、根性で治すと思っていた。『いかない』と突っぱねた」

ここから読み取れるのは、14歳頃と28歳頃に幻覚らしきものがあったことである。家族がそれについてAに治療を勧めたのか勧めなかったのかは不詳である。「兄は『根性で治せ』といっていた」という記載からは勧めなかったと読めるが(統合失調症の徴候があっても、家族が精神科受診をむしろ禁ずることはよくある。たとえば【4528】精神科にかかりたいのですが親が納得してくれないので逮捕されたいです【1807】統合失調症で治療中ですが、母・祖母の反対により通院も服薬もできなくなりました)、他方、「『いかない』と突っぱねた」という記載からは、勧められたがA自身が拒否したと読める。あるいは当初は「根性で治せ」だったが、Aの症状が悪化したのを見て精神科受診を勧めたのかもしれない。家族が精神科受診を強く望んでいても、本人が頑なに拒否するのは統合失調症ではよくあることである(たとえば、【1832】統合失調症と思われる姉が病気ではない!!!と言い張ります【1661】統合失調症と思われる暴力的な弟を受診させるには【0280】治療を促すと激怒する弟)。

13 (9月11日公判: 30歳、リーマン・ショックの予言 )
30歳だった20年、リーマン・ショックが起きる
弁護人「(栃木県内の工場での)派遣の仕事を辞めた理由は」
A「派遣切りがくるのが分かったから」
弁護人「確信していたのか」
A「間違いなくこれは派遣切りにつながると分かった」
弁護人「なぜ」
A「リーマン・ショックが来ることがわかっていたからです」
《インターネットの情報やテレビ番組を基にリーマン・ショックを予期したと身ぶり手ぶりを交えて主張する被告。「日本は財政破綻する」と危機感を抱いたという》

自分はリーマン・ショックを予言していた。統合失調症の症状の一つにmagical thinking (正式な訳語は「魔術的思考」。実際は「神秘的・超自然的な考え」と呼んだ方が適切と思われる)というものがある。【2005】宇宙の真理に気づいた 【4665】私は超能力者なのに統合失調症と決めつけられています  がその例である。Aのリーマン・ショックの予言は、【2005】、【4665】に比べると異様感は薄いが、magical thinkingを思わせるものであるとまでは言える。もしこの発言が精神科の診察場面で発せられたものであれば、なぜ予言できたのかをさらに詳しく本人に問うところである。それによって思考障害や妄想の具体的内容がより明らかになることがしばしばある。

14 (9月11日公判: 30歳、政治家への言及)
《当時の経済財政担当相にメールを送ったり、2ちゃんねるに関連の書き込みをしたりした被告。担当相がそれを読んでいると感じていたという。ほかにも日本の政治家が米中央情報局(CIA)に暗殺されたなどとする持論を展開する》

これは上記13に続く記述である。ここには実際の問答が記されていないこともあって詳細不明であるが、「経済財政担当相にメールを送った」「2ちゃんねるに関連の書き込みをした・・・担当相がそれを読んでいると感じていた」「日本の政治家が米中央情報局(CIA)に暗殺された」は、「持論」という言葉で描写できる範囲を超えた、「妄想」と呼ぶべき言動である。ここはAの精神状態を評価するうえでかなり重要な事項であるが、その割には記載が簡単にすぎる。
このように、統合失調症ないしはその近縁の精神病性疾患の症状については、真に精神病的で診断価値の高い異常なレベルの言動については、当事者の周囲の人々からはあまり具体的に報告されず、正常心理としても理解できそうなレベルの言動が中心に報告されることが多いものである。その結果は異常性が過小評価され、正常性が過大評価されることにつながる。非常に異常な言動はしばしば「意味不明のことを言っている」「わけのわからないことを言っている」などと片付けられてしまうが、その「意味不明」「わけのわからないこと」の具体的内容、つまり、どのように意味不明なのか、どのようにわけがわからないのかという情報こそが、精神科的診断では重要なのである。そこには、それをどのような言葉で表現したか・どのような態度で表現したかということも含まれる。(13の「リーマン・ショックを予期したと身ぶり手ぶりを交えて主張する」という描写から、Aの妄想の確信度の高さを読み取ることは可能であろう)
この14のように、Aの発言内容がごく簡単にしか引用されず、しかも「持論」という正常心理的な言葉で表現されているのは、異常性が過小評価されるときの典型的なパターンである。

15 (9月11日公判: 30歳、自分に関する情報の漏洩)
《平成20年12月からは茨城県内の雇用促進住宅に入居する》
弁護人「仕事は」
A「郵便局で働き始めた。兄から『そこでやれ(働け)』といわれて」
弁護人「どのくらい」
A「3カ月くらい」
《辞職した理由を、自身の前科が職場や配達先に知られたからと説明する被告。兄が情報を漏らしたと考えたという》

自分についての情報がばらされ知れ渡っているというのは、統合失調症に非常によく見られる妄想の一つである。【2004】監視されている。盗聴されている。みんなが私に関する情報を共有しあっている 、【0305】インターネットなどで私の情報が流されているとか考えてしまいます などがその例である。本人は、情報がばらされていることがわかる根拠として、多くの人々が、自分について知っているという素振りをするとか、言葉の端々に自分のことを知っていることがほのめかされている、などということを挙げるのが常である。そうした「ほのめかし」あるいはそれに関連した内容が、幻聴として体験されることもよくある。【4737】統合失調症を発症し退学になった友人について、私たちはどうすればよかったのでしょうか などがその例である。
そして、ばらされている情報は、事実無根の中傷の場合もあるし、事実である場合もある。事実である場合には、自分が人に隠したいと思っている内容のことが多い。Aのいう前科はまさにそれにあたると言える。

上の「兄が情報を漏らしたと考えたという」については、9月14日の記事に追加説明が記されている:
兄のつてで働き始めた郵便局も、3カ月ほどで退職。理由は兄が職場で被告の犯罪歴について話し、「おしゃべりで有名なおばちゃん」に知られたため。
もっとも、兄がばらしたというのも「おばちゃん」が知ったというのも全て被告の推測。本人に確認はしていない。「暗ににおわせるのは、知っていると思うべきだ。直接確認するまでもない」

9月14日の記事の記述はここまでで、最後の「暗ににおわせるのは、知っていると思うべきだ。直接確認するまでもない」という発言は、Aによるただの一方的な決めつけないし「推測」にすぎないからAを批判する根拠になると感じられるかもしれないが、このように「暗ににおわせる」と主張して、その「におわされた」内容を確信するのは、統合失調症に典型的な妄想で、後述24のAKB48の歌詞の中に自分との関係を読み取るのとかなり同質の症状である。精神科の診察場面でAからこの話が出たら、その「推測」とは、誰の(おそらくこの「おしゃべりで有名なおばちゃん」の、と思われるが)どのような言葉や態度からそう考えたのかを詳しく聞くところである。それによって、これが通常の「推測」という言葉で表現である思考とは質の違う病的な思考(妄想と呼ぶに値する思考)であることが明らかになることがほぼ確実だからである。

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上の14と15は Aが統合失調症であることを示すかなり強い根拠であると言える。それに対し、12の「幻覚」という記述だけでは根拠にはなりにくい。幻覚は確かに統合失調症によく見られる症状であるが、その幻覚の具体的内容についての情報がなければ、それが統合失調症らしい幻覚かとそうでないかはわからない。また、13のリーマン・ショックについての予言についても、「自分はリーマン・ショックが来ることを予想していた」と主張する人は健常者の中にも一定程度存在するであろうから、このこと単独では統合失調症らしいとは言えない。もっとも、10の「人を避ける」(中学生ころ)もあわせて総合的に考えれば、統合失調症の兆候があったと言うことはできるが、それは後から振り返ってみれば言えることであって、リアルタイムで彼を見た場合には、まだ正常範囲とみる余地は十分にあったであろう。統合失調症の初期や前駆期というのはそういうものであって、統合失調症の早期発見は容易でないのである。

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しかしそのあと14の 「経済財政担当相にメールを送った」「2ちゃんねるに関連の書き込みをした・・・担当相がそれを読んでいると感じていた」「日本の政治家が米中央情報局(CIA)に暗殺された」、そして15の、自分についての情報(前科)がばらされ知れ渡っているという段階になると、統合失調症らしさは非常に濃厚である。この時点で精神科を受診すれば、統合失調症であろうという推定のもとに診療が開始されていたはずである。

18 (9月11日公判: 30歳、小説家を志望)
A「犯罪(前科)をばらされると生活がその都度、不安定になる。実力さえあれば暮らしていける何かに就かないといけないと思った。小説に全力を尽くせば、暮らしていけるのではないかと書き始めた」

「自分についての(よくない)情報がばらされている」という妄想(=統合失調症に典型的な妄想) が小説家志望につながっている。これがこの後の、2009年に発足した『京都アニメーション大賞』への応募、さらには2019年の京アニ事件につながることになる。

19 (9月11日公判: 30歳、恋愛妄想)
弁護人「いつ、京アニに作品を送ろうと」
A「まずは様子見で、2ちゃんねるで京アニのことを調べ始めました」
弁護人「分かったことは」
A「京アニ所属の女性監督が書き込みをしていた」
弁護人「本人だと」
A「本人だと思った」
そして2ちゃんねるでこの女性監督とやりとりをするようになったとAは主張している。おそらくその具体的な内容も裁判の証拠になっていると思われるが(つまり、その女性監督とのやりとりであると考える根拠が客観的には全くない内容を、Aはその女性監督とのやりとりであると確信していた、すなわち妄想を持っていたことが示される証拠)、報道はされていないので詳細は不明である。しかしいずれにせよ、著名人と自分が恋愛関係にあるというのは、統合失調症には少なからず見られる妄想の一つである。【1193】芸能人と恋愛関係にあると言い張る友人【1194】プロ野球選手と恋愛関係にあると言い張る友人 【2254】著名な芸能人への恋愛妄想  などがその例である。

20 (9月11日公判、「レイプ魔」)
《その後、関係が悪化し、女性監督から「レイプ魔」といわれたと語る被告。「京アニが探偵を雇って前科を調べた」とも訴える》

これだけの記載しかないので推定する以外にないが、2ちゃんねるの何らかの記載を見て、それが「女性監督から「レイプ魔」といわれた」ことを示しているとAは確信したのであろう。自分には関係のないはずのことを自分に関係づけるのは統合失調症に非常によくある症状である。そしてその関係づけは被害妄想的なものであるのが典型的である。「女性監督から「レイプ魔」といわれた」はまさに被害妄想的であるし、そのように言われた理由として「京アニが探偵を雇って前科を調べた」と言っているのだとすれば、それは先の「自分についての情報漏洩」と結びついている。このように、妄想同士を関連づけて新たなストーリーを構築していくのは、統合失調症や妄想性障害で典型的に見られるパターンである。

21 (9月11日公判: 34歳、闇の人物ナンバー2の暗躍)
《平成24年、34歳だった被告は茨城県内でコンビニ強盗を起こし、懲役3年6月の実刑判決を受ける》
《刑務所で同部屋になった人物が自身の過去を把握していると感じ、「警察の公安部」に尾行されたとの認識を持つ》
弁護人「公安部には誰の指示が」
A「闇の人物でナンバー2と呼ばれる人」
弁護人「ナンバー2とは」
A「詳しくは分からないが海外や官僚レベルにも人脈がある」

「刑務所で同部屋になった人物が自身の過去を把握している」も、自分の情報が漏洩しているという妄想の一つの現れである。このように、たまたま自分の近くにいる人物(または、いるようになった人物)が自分の情報を知っている、と感じるというのは、統合失調症に典型的な体験で、ここには書かれていないが、そのように感じる根拠として、その人物のちょっとした言葉や態度を挙げ、それが動かぬ証拠だと強く主張するのは統合失調症では非常によくあることである。
そして次の段階として、自分がそのような被害ないしは嫌がらせにあっていることの背後には大きな組織や陰謀がある、という形に発展するのもまた、統合失調症として典型的なパターンの一つである。このときの「組織」は、【1719】大きな組織に監視されているという母 のように、特定されない漠然とした「大きな組織」ということもあれば、本人の知識や体験などによって特定されることもある(たとえば【3668】朝鮮総連に嫌がらせをされている感じが拭えません)。Aの場合はそれは「公安部」であった。そこには黒幕にあたる人物がいるというのも比較的よくある妄想で、【4352】姉の被害妄想に困惑しています では「黒幕」という言葉が出てきている。Aではそれは「闇の人物」と表現され、さらには「ナンバー2」という正体不明の特定の人物になっている。

22 (9月13日公判: 34歳、闇の人物ナンバー2からのメッセージ)
《刑務所では『闇の人物・ナンバー2』からさまざまなメッセージが送られ、それにあらがうような状態だったと振り返った》
弁護人「刑務所で繰り返し聞いた言葉は」
A「『結婚』という言葉がやたらと出てきた」
弁護人「どういう場面で」
A「テレビで福山雅治さんが結婚したという話や(芸人の)あばれる君が結婚したりとか」
弁護人「それを見聞きしてどう思った」
A「結婚させたがっているのかなと」
弁護人「Aさんを」
A「はい」
弁護人「誰と」
A「京アニ所属の女性監督(※発言は実名)になるのではないか」

テレビ番組などに「結婚」という言葉が出てくるのはごく普通のことであるが、そのように、自分に関係あるはずのないことを自分に関係していると確信して妄想を発展させるのは、統合失調症に典型的な症状である。【0863】偶然の一致にすべて意味があると強く言い張るがその一例である。この症状は犯行動機、すなわち自分の作品をパクられたという妄想にも密接にかかわってくるので、後の29でもあらためて述べる。

23 (9月13日公判: 34歳、闇の人物ナンバー2からの干渉)
(上記22からの続き)
弁護人「誰が結婚させたがっていたのか」
A「おそらく闇の人物ナンバー2」
弁護人「どうしてそう思った」
A「結婚させてしまえば守りに入ることになる。自分勝手なことができなくなる。自分がやんちゃやっていたので見かねた部分があるのではないか」

「闇の人物ナンバー2」は、Aを支配する全知全能に近い存在であることが窺われる。
このように、何らかの大きな力によって自分が、そして世界が、コントロールされているというのも、統合失調症に典型的な妄想である。

24 (9月13日公判: 34歳、闇の人物ナンバー2の影響力)
刑務所内で耳にした、アイドルグループAKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」のいくつかの歌詞を引用しながら、自分と自分を付け狙う「闇の人物でナンバー2と呼ばれる人」との関係をうまく表現していると述べた。「ナンバー2の存在をまだ知らなかったが、向こうは(自分に)何らかの興味を持っていたようだ」。

ヒット曲の歌詞が、Aのような個人について描写する内容であることなどありえないが、このように、自分に関係したことをその中に読み取るのは統合失調症の典型的な症状の一つである。なぜそのように読み取れるかということを本人は「ほのめかされている」「間接的に示されている」「うまく表現されている」などと説明するのが常である。さらに説明を求めると、それが歌詞であれば、歌詞の中の一つの単語とか、一つの表現などを取り上げて、それが自分に関係したものであることは明らかであると主張する。先の22のテレビで見た「結婚」という言葉についてのAの説明がそれにあたる。
妄想は、世の中の現実的な出来事を自分に関係づけることで、強化され発展していくことがしばしばあるが、「恋するフォーチュンクッキー」の歌詞との関係づけはその典型的な一例であると言える。Aにおいては、この歌詞が、「闇の人物ナンバー2」についての妄想の強化・発展の一つの因子になっている。
(この24は 9月14日の記事からの引用だが、内容からみて9月13日公判についての記事であると推察し「24 ( 9月13日公判)」と記した)

25 (9月13日公判: 34歳、闇の人物ナンバー2と京アニ事件の接点)
《刑務官への反抗的な言動などで13回の懲罰を受けたA。こうした受刑態度を改めさせるためにナンバー2が『結婚』というメッセージで関与してきたと述べた。またIoT(モノのインターネット)についてAが持っていた独自のアイデアを、ナンバー2がつぶそうとしていたと『陰謀論』めいた持論も展開。この点は作品コンクール『京アニ大賞』への自作小説の応募と落選、そして京アニ放火という動機にもつながっていく》

弁護人「刑務所では13回も懲罰を受けたが、どうしてそんなに反抗した」
A「いろんな圧力にあらがうために反抗を繰り返した。『結婚』という言葉もそうだし、圧力を受けていた」
弁護人「出所後に長編小説と短編を応募しているが、結果は」
A「落選になります」
弁護人「どう思った」
A「がっかりした。裏切られた気持ち。頑張って書いた小説だから、なんで通らなかったのかという気持ちがあった」
弁護人「誰が落選させたと思う」
A「(少し言いよどみ)ナンバー2という人だと思う」
弁護人「どうしてナンバー2が関わっていたのか」
A「落選の圧力がかかったのでは」
弁護人「どうして圧力をかけた」
A「IoT。自分の言うことに、発言力を持たせたくなかったのではないか。IoTの進化は海外から良い視点で見られていない。海外の雇用を破壊することになる」
弁護人「ナンバー2の狙いは」
A「世界のバランスを取っていると思う」

統合失調症の妄想は、「自分は〇〇につけ狙われていて、いつか殺される」のように具体的かつ明確なものもある一方、もっと漠然と、「何となく人から見られている」といったもの、さらには「何だか理由はわからないが恐ろしいことが起きている気がする。恐ろしいことが起きそうな気がする」といったもっと漠然として無形的なものまで様々なものがある。このうち、「妄想」という言葉の定義に厳密にあてはまるためには具体的かつ明確であることが必要だが、実際の統合失調症においては、非常に漠然としたものから始まり、徐々に具体化し、さらには具体化した内容が相互に関連づけられてさらに体系化したものに発展するというのが一つの典型的なパターンである。【3477】地球の破滅が徐々に迫りつつあるような漠然とした、しかし逃げ場のない大きな不安を最近感じます は、この体系化・発展の経過が生き生きと描写されている貴重な例である。
そうした経過の中、統合失調症の人の訴えの典型的な表現というものがいくつかある。「見られている」「見張られている」「つけられている」「噂されている」「悪口を言われている」などが最も典型的だが、そこまで典型的ではないが比較的よくあるものとして、「圧力」という表現がある。この意味でAが(闇の人物ナンバー2から) 「圧力を受けていた」と述べていることは注目される。どのような圧力を受けていたとAが語っているかが精神科の診断的には重要だが、記事にはそれについての記載がないので不明である(語った内容が記事になっていないのか、それとも弁護人が「圧力」についてさらに質問しなかったためそもそもAが「圧力」について法廷で詳しく語っていないのかは不明である。24の「恋するフォーチュンクッキー」の歌詞は、何らかの圧力であるとAが認識していた可能性はあるが、記事にはそこまでは明記されていない)。
そんな中でひとつだけ具体的に語っているのは、応募した自作小説がナンバー2からの「圧力」によって落選したという思いである。このときAが「(少し言いよどみ)ナンバー2という人だと思う」と、言いよどんでから答えた理由はいくつか考えられる。たとえばこのときは確信度が低かった、すなわち、落選させたのはナンバー2の力によるものかもしれないが他の理由かもしれないと考えたとか、あるいは逆に確信度が高く、そしてナンバー2の力が桁外れに強大であると考え、法廷という公の場でナンバー2を批判すると強烈な報復が来ることをおそれた、などである。
そのほかにどのような圧力を感じていたかは不明だが、「いろんな圧力にあらがうために反抗を繰り返した。」という言葉からは、多くの圧力を様々な形で感じ取っていたことが窺われる。

26 (9月11日公判: 35歳ころ、統合失調症と診断)
《たびたび身辺調査をされていると感じたとする被告。刑務所内で13回懲罰を受け、統合失調症と診断される》

何らかの形で自分は監視されているというのも統合失調症に典型的な被害妄想である。統合失調症の前駆症状として、なんとなく「見られている」という漠然とした感覚の場合もあれば(【4617】「誰かに見られている」という感覚について【4575】常に誰かに見られてる気がする【4524】ただの自意識過剰か統合失調症の初期症状か など)、よりはっきりと監視されているというケースもある。【1975】「見張るな」と言ってくる隣家の女性 【2092】隣のマンションの住人が盗撮しているとのことで毎日のように怒鳴りちらされ最近では恐怖を感じています【4493】カメラや虫による監視【1167】集団で監視され嘘の噂を流されているという姉  などにその例を見ることができる。Aの「たびたび身辺調査をされている」もそのような被害妄想の一つの現れであると見ることができる。ここまでの経過とこの時の症状を総合すれば、Aが統合失調症と診断されたのはごく自然のことである。(注 この26は9月11日公判の記事からであるが、22-25は9月13日公判の記事からである。Aが統合失調症と診断された理由が、「たびたび身辺調査をされている」という訴えが中心であったのか、それとも22-25のナンバー2からの圧力が中心ないしそのこととあわせてであったのかは、記事からは不明である。)

27 (9月11日公判: 37歳ころ、服薬不規則)
出所後、Aはメンタルクリニックに通院を始める。薬をちゃんと飲んでいたかという弁護人からの質問に対するAの答え:
A「たまに飲んでいた。何かに対して怒り散らして、上の階の人がうるさいとか、そういうことがあるたびに飲まなくなった」 

Aが答えたとされるこの記述は、Aの言葉をかなり圧縮したものと思われ、Aが実際にどのように話したのかが不明で、解釈が困難であるが、この記述から推定できる範囲で考察すると、少なくとも確実に言えることは、医師から処方された薬をAはきちんと飲んでいなかったということである。統合失調症の多くは、きちんと服薬していれば症状はよくなり安定しているが、薬をやめたり減らしたりするとてきめんに悪化するものである。そのような例は、【3896】統合失調症の姉は、薬をさぼる癖があり、再発して入院しました【3881】統合失調症の妻が私は病気ではないと突然言いだして薬をやめ、症状が悪化して医療保護入院になりました【3761】何回も薬をやめ再発している統合失調症の息子【2670】7年間安定していた統合失調症の妻が、薬をやめて4カ月で大変な状態になってしまいました【2265】統合失調症と診断されましたが、通院をやめました。攻撃性と被害妄想が肥大化してきました。【2179】症状がなくなったので病院に行くのをやめたら妄想が出てきました【1791】統合失調症の姉が薬を飲まなくなり、敵意とともに暴力も出てきた【1624】服薬をやめたら、「男性とお付合いすれば治る」などと言い出した統合失調症の従妹【1308】退院後、薬を飲まない統合失調症の姉【1211】統合失調症の妻が再発し、治療を拒否している【1140】薬を飲まず再発し、自分の世界だけに生きている妻【1074】統合失調症の姉が再発し困り果てています  、【0157】統合失調症患者の薬の拒否について のように多数あげることができる。

28 (9月11日公判: 37歳ころ、服薬と症状)
上の27のAの言葉の中の、「たまに飲んでいた。」の後の部分、すなわち、「何かに対して怒り散らして、上の階の人がうるさいとか、そういうことがあるたびに飲まなくなった」については、Aがどのように話したのか、Aの言葉通りの内容を知りたいところである。なぜなら、統合失調症においては、上下左右などの部屋などからの音がうるさいという訴えは、統合失調症の症状そのものに基づく訴えとして非常に典型的なものであるから、「音がうるさいから薬を飲まなくなった」ではなく「薬を飲まなくなったら音がうるさくなった」という方が統合失調症の臨床ではむしろ普通だからである。

上で述べた「統合失調症においては、上下左右などの部屋などからの音がうるさいという訴えは、統合失調症の症状そのものに基づく訴えとして非常に典型的」ということの背景には、実際の音に過敏という場合 / 幻聴として音を体験している場合 / 音は嫌がらせ等であると認識している場合 / 単なる音ではなく嫌味や悪口などの声が聞こえるという幻聴の場合 など様々なケースがある。たとえば 【4710】隣の部屋の人が被害妄想がひどくとても困っています【4102】嫌がらせのように物音が聞こえるのは統合失調症の症状でしょうか【2080】上下の階の音を異常に気にする母【1975】「見張るな」と言ってくる隣家の女性【1858】いわれのない非難を続ける隣人は人格障害でしょうか【1853】精神障害だと思われる隣人がしょっちゅう怒鳴りこんでくる【1840】階下の統合失調症と思われる奥様が怖いのですが、ご主人が動いてくださらない【1809】隣家の咳払いが気になる【1311】隣人が毎年夏になるとひどい嫌がらせをしてきます【1261】隣人が仕返しに音を出していると訴える妻【1106】近隣の住人の方から音がうるさいと言われとても困っています【1084】両隣からの嫌がらせに悩んでおりますが私は統合失調症でしょうか、 【1070】以前より音や陰口で悩んでいる私は統合失調症でしょうか【1046】隣人からの嫌がらせばかり受けている私は統合失調症でしょうか【1027】30歳の息子が周囲を気にするようになりました。統合失調症でしょうか。【0979】2年前から嫌がらせが続いています【0396】一人暮らしの隣人に被害妄想の矛先を向けられ恐怖でいっぱいです など。これらの例からわかるように、「監視されている」「(音以外にも)嫌がらせをされている」「盗聴・盗撮されている」などの被害妄想を伴うことも多い。なお、どの場合も、統合失調症の本人は「音がうるさい」としか訴えてこないことがあるので、精神科的診断のためにはさらに詳しい問診が必要である。
そしてこうした「音がうるさい・気になる」という言葉に集約される体験が統合失調症の症状である以上、薬を飲むことによって症状が軽くなる・消滅するのが常である。もしAが「何かに対して怒り散らして、上の階の人がうるさいとか、そういうことがあるたびに飲まなくなった」のだとすれば、薬によってよくなるチャンスが失われ、統合失調症はさらに悪化していったと考えるのが普通である。

29 (9月11日公判: 38歳ころ、「Free !」にパクりがあると疑う)
《被告は平成28年9月、京アニ大賞の短編部門に「仲野智美の事件簿」を、同年11月には長編部門に「リアリスティックウェポン」を応募するも落選。検察側は「金字塔を落選させられた上、アイデアを盗用された」との妄想を募らせたと言及している》
《京アニ側も盗用を否定しており、証拠調べでは、「Free!」「ツルネ―風舞高校弓道部―」「けいおん!」の一部シーンが、被告の小説と対比される形でモニターに映し出されていた》
弁護人「『Free!』を見てどう思った」
A「また盗っているのかと。垂れ幕が下ろされるところ。自分の小説では、削除した」
弁護人「応募作品にそのシーンはなかった」
A「はい」
弁護人「ではどこからパクったと」
A「流出した原稿からパクったと。そう考えざるを得ない」
(中略)
《改めて「Free!」のシーンが法廷に流される。校舎から垂れ幕が下ろされ、風でめくれる》
A「垂れ幕が下がっている部分を盗用されたと思いました」

本稿冒頭近く3に引用した通りAは、放火直後に「パクられた、小説」と発言している。本項目29からはそれに直接関連する事項、すなわち京アニ事件の動機にかかわると思われる部分についての被告人質問になる。
「Free !」についてのAの上の発言は、

「Free !」の「垂れ幕が下がっているところ」が自分が京アニに応募した小説からの盗用であると思った。

と要約できる。
普通に考えただけでも、単に「垂れ幕が下がっているところ」があっただけで、それを盗用であると思うというのはおかしいと感じられるであろう。
そしてこのように、普通に考えれば無関係のものを、自分に関係するなんらかの事実(事実であると本人が信じているものを指す。すなわち実際には事実ではなく妄想である)に結びつけるのは、統合失調症における一つの典型的な思考パターンである。このことは先の22で【0863】偶然の一致にすべて意味があると強く言い張るを例として挙げた。その【0863】の「映画も好きで、セリフを詳しく自分なりに解説し、ノートに記しています。その自分で記した言葉をテレビで他の人が発すると、真似している、又パクッテるよ~と言っています。」「たまたま読んだ本、観た映画、聞いた音楽、その内容が偶然に自分の身の回りで起きたことと少しでも一致すると、必要以上に説明してきます。」「唯の偶然じゃなく、意味のあること…。と。名前が一緒というだけで一喜一憂しています。」という内容と、先の22のAの「『結婚』という言葉がやたらと出てきた」「テレビで福山雅治さんが結婚したという話や(芸人の)あばれる君が結婚したりとか」「結婚させたがっているのかなと」「京アニ所属の女性監督(※発言は実名)になるのではないか」という言葉に共通点を見出すことは容易であろう。また、先の5で言及した【2195】統合失調症と思われる知り合いから、定期的に手紙などが届きます  の「彼女が触れたものに関して、自分で何か共通点をみつけるとそれ=私が書いた(パクッた)、となるようです。椅子の形が似ていると、「これは私の部屋ですね」というような…。」についても同様のこと(普通に考えれば無関係のものを、自分に関係するなんらかの事実(事実であると本人が信じているものを指す。すなわち実際には事実ではなく妄想である)に結びつける)が指摘できる。

30 (9月11日公判: 38歳ころ、「けいおん !」にパクりがあると疑う)
《『けいおん!』のシーンも流れる。登場人物が「これからは同級生なんだよ」と後輩に伝える》
A「『留年しちゃった』という場所。(自身の小説の)はじめの方にあります」
弁護人「それ以外は」
A「ない」
弁護人「『間違いなくパクられた』なのか、『パクられたかな』というものか」
A「当時は『パクられたかな』のレベル」
弁護人「確信はなかった」
A「当時はなかった」
裁判長「当時とは初めて映像を見たときか、事件の日のことか」
A「初めて見たときです」

前記29の「Free !」は「垂れ幕が下がっている部分」、本項目30の「けいおん!」は「留年しちゃった」が自分の作品のパクりであるというのがAの主張である。29の説明の通り、どちらも普通に考えれば無関係で、パクり(盗作)の疑いなどいささかでも発生するような場面ではない。それなのにパクりだと考えるのがまさに「妄想」であって、健常者に見られるいわゆる「思い込み」とは質が異なる精神病症状である。ただこの段階ではAは、パクりであるという「確信」まではなかったと述べている。このことからは、妄想の単純な定義、すなわち、「訂正不能の誤った確信」とは異なるようにみえるかもしれないが、統合失調症や妄想性障害の病状が十分に進行していない時期においては、確固不動の確信ではなく、半信半疑的というレベルであることもしばしばある。Aの「当時は『パクられたかな』のレベル」という言葉は、この時点のAの病状はまだそうした時期であったことを示唆している。統合失調症の病識(自分が病気であるという認識)は、ある・ないの二分法で割り切れないことがむしろ多いのであって、自分の体験(症状としての体験)が事実なのかそうでないのか迷いがあることは少なくない。【4192】私は統合失調症を発症しているのか、あるいは今後発症したとき気づくことができるか【4173】統合失調症と診断されていますが、いまだに半信半疑で、薬を飲むことに抵抗があります【4166】訳の分からない思い込み【2003】みんなが陰口を言っている。車も人も私を邪魔だと思っている。自意識過剰でしょうか。【2018】「皆に嫌われている、笑われている」と思う自分と「そんなわけない」と思う自分がいます。などにその例を見ることができる。【4567】純粋な被害についての相談を林先生にする方がいるのはなぜでしょうか【3158】病識の無さのレベルについて などもこれに関連した内容である。

31
病識が、ある・ないの二分法で割り切れないという点に限らず、統合失調症においては、その症状や体験の、いわば輪郭が明瞭でないことがしばしばあって、健常者から見るとなかなか理解しにくい、不思議なものになっている。それは統合失調症のあらゆる症状・体験の特徴だが、たとえば幻聴について言えば、「幻聴」というからには、何かが聞こえているという体験なのであろうと健常者は推定するのが当然であるし、統合失調症の本人も、「声が聞こえる」のように表現するのがごく普通である。しかし、その「声が聞こえる」という体験について、統合失調症の本人によくお聞きすると、それは健常者が想像するような「声が聞こえる」という体験とはかなり異なっていることがわかることが少なくない。すなわち、幻聴について正確に把握するために、具体的にどのような言葉が聞こえるのか、と尋ねると、明確に答えられる場合もあるものの、逆に明確には答えられず、「そういう意味のことが聞こえる」とか、時には「意味が聞こえる」という答えしか得られない場合もある。つまり統合失調症の幻聴は、普通の意味での「(音声が)聞こえる」という体験とは異なるのである。

32
また、統合失調症の症状の一つに「独語」があるが、これも単なる「ひとりごと」とは異なっている。独語は幻聴と密接に関連した症状なのである。このように書くと、「聞こえている幻聴に対して何か答えているのが統合失調症の独語」というように理解されやすいが、そのような独語もあるものの、統合失調症の独語はそういう単純なものではない。この点については幻聴か独語か  にも記してある。

33 (妄想としての闇の人物ナンバー2)
統合失調症の妄想もまた、単に「事実ではないことを事実だと思い込んでいる」という単純ものではない。被告人Aは「闇の人物ナンバー2」についてしばしば語っている:

「警察の公安部につけられていた。指示したのは闇の人物でナンバー2と呼ばれる人だ」「おそらくハリウッド、シリコンバレーに人脈があり世界で動いている…官僚のレベルでも人脈がある」「政治的な考えを通せる闇の世界のフィクサーだ」

闇の人物ナンバー2は、Aの説明からは、世界を、そしてAを、支配する全知全能に近い人物像が浮かび上がる。そして犯行動機にも密接に関係している。裁判官・裁判員がこの「人物」について詳しく聞き出そうとするのは当然であろう。法廷では次のような問答もなされている:

裁判員「ナンバー2は1人なんですか」
A「そこまで考えたことはない」「実際の話、何者なのかは分からない」
裁判員「どういう人なのか分からないということか」
A「分からない」

この問答からは裁判員に困惑が発生したことが推定できる。Aはさんざん「闇の人物ナンバー2」について語っておきながら、それが1人かどうかもわからないのだという。そして何者なのかもわからないのだという。「闇の人物ナンバー2」が、Aの妄想であることは確実であるが、この説明からは、その妄想は輪郭不明瞭で、したがってAはそれほど強く確信しているわけではないのではないかという推定も生まれかねない。だがこれがまさに統合失調症の妄想の特徴なのである。「何かの強大な力によって自分が、あるいはまた世界が、コントロールされている」というのがその妄想の本質で、揺るぎないのはそこまでであって、その「強大な力」が具体的に何であるかは本質ではない。それは統合失調症の当事者ひとりひとりによって様々である。Aの場合はたまたま「闇の人物ナンバー2」と名づけられているにすぎない。

34
本稿14で「統合失調症ないしはその近縁の精神病性疾患の症状については、真に精神病的で診断価値の高い異常なレベルの言動については、当事者の周囲の人々からはあまり具体的に報告されず、正常心理としても理解できそうなレベルの言動が中心に報告されることが多い」と指摘した。この指摘は、統合失調症当事者のご家族・友人からの報告について、そして、報道される内容について言えることで、その結果、しばしば、真の症状がなかなか知られにくいという結果を生んでいるが、裁判においてはもっと深刻な問題を生んでいることがよくある。それは、「真に精神病的で診断価値の高い異常なレベルの言動」が、その理解しにくさのために、症状の重さが理解されないことにとどまらず、症状が軽いことの証拠であるとみなされたり、さらには、被告人の供述が信用できない=被告人がいい加減なことを言っているとか、嘘をついているなどとみなされるという結果につながりがちであるという問題である。

35
上の33の裁判員の質問「ナンバー2は1人なんですか」は、報道されている情報から読み取れる限りにおいては、かなり奇妙に感じられる質問である。Aは「闇の人物ナンバー2」と言っているのであるから、それは1人の人物を指しているとみるのがごく自然であって、普通はどこからも、「1人なんですか」という疑問は生まれない。にもかかわらずこのような質問が出たということは、その裁判員が特に洞察力に富んだ人物であったという可能性も否定はできないものの、Aの発言の中に、「闇の人物ナンバー2」が1人の人物を指すにしてはどうもおかしいという内容があって、その部分は報道されていないことが推察される。そうだとすれば、それも、本稿14の「統合失調症ないしはその近縁の精神病性疾患の症状については、真に精神病的で診断価値の高い異常なレベルの言動については、当事者の周囲の人々からはあまり具体的に報告されず」の一例ということになるが、このようにして、統合失調症の異常性は記録上は希薄化されるものである。そして裁判においては、被告人による自らの症状の説明の曖昧さが、症状が軽いことの証拠であるとみなされたり、さらには、被告人の供述が信用できない=被告人がいい加減なことを言っているとか、嘘をついているなどとみなされるという結果にもつながるものである。

36
法廷での裁判員からの質問は、素朴な疑問に基づくものであって、それはそれで価値の高いものであるが、他方、裁判官からの質問は、責任能力判断を意識したものであることがありありと読み取れる。本稿30の、

弁護人「『間違いなくパクられた』なのか、『パクられたかな』というものか」
A「当時は『パクられたかな』のレベル」
弁護人「確信はなかった」
A「当時はなかった」

という弁護人とAのやり取りについて、裁判長が

裁判長「当時とは初めて映像を見たときか、事件の日のことか」
A「初めて見たときです」

と「当時」がいつであるかを明確化する質問をしたのは、犯行当時の妄想の確信度を確認したもので、これは責任能力を判断するうえでの重要な要素になるものである。

37
私はこの文章を2023年10月22日に書いている。明日10月23日からは法廷で鑑定人尋問が開始される。鑑定人尋問は、検察官と弁護人からの質問が主で、さらに裁判官・裁判員が補充の質問をするという形で進行する。本件の争点がほぼ責任能力に絞られている以上、検察官は、本件はAの性格によるところが大きいことを引き出す質問をし、弁護人はAの精神病症状によるところが大きいことを引き出す質問をすることになる。それらに対する被告人の答えを、裁判官・裁判員がどう判断するかによって判決は決定される。

38
出廷を予定されている鑑定人(精神科医)は二人で、一人はAを妄想性障害と診断している。もう一人は別の診断名をつけているようである。二人とも統合失調症とは診断していない。

39
現代の精神医学において、妄想性障害という診断名は、非常に幅広いものを含んでいる。その中には統合失調症にかなり近いものから、人格の発展とみなしうるものまでの幅があり、京アニ事件の被告人Aは、仮に妄想性障害と診断されるとしたら、統合失調症にかなり近いものにあたる。というより、Aは30代半ばに統合失調症と診断され治療も始められているのであるし(その後に治療は中断しているが)、また、京アニ事件後に報道されている内容からみて、統合失調症と診断する方が妥当であると考えられるが、妄想性障害という診断を正しいとする立場も考えられるであろう。そのように診断が曖昧にならざるを得ないのは、現代の精神医学において、妄想性障害という診断名は、非常に幅広いものを含んでいるからである。

40
精神科の臨床においては、妄想性障害と診断した場合、それが統合失調症にかなり近いものとしての診断名であれば、統合失調症と診断した場合と実質的にはあまりかわるところはない。治療法としてはほぼ同じになるからである。

41
だが刑事裁判においては、統合失調症と診断されるか妄想性障害と診断されるかは、非常に大きな違いを生むことになりうる。

42
なぜなら、妄想性障害には、性格の影響が強いという考え方が精神医学界にはあるからである(それは現代の精神医学界の定説ではない。「そういう考え方がある」というレベルである)。

43
検察官はそうした考え方が正当であるという印象を裁判所に持たせるようにし、さらには、動機の形成から放火の実行に至るまでの経過に、Aの性格(人格とかパーソナリティと言っても事実上同じである)の影響が大きかったという印象を持たせるように尽力するであろう。

44
それに対して弁護人は、動機の形成から放火の実行に至るまでの経過に、Aの精神病症状の影響が大きかったという印象を持たせるように尽力するであろう。

45
京アニ事件の判決は2024年1月25日に下されることが予定されている。現時点までの裁判の経過から予想される判決書を示してみよう。現時点とは2023年10月22日で、鑑定人尋問開始の前日である。

46
念のため本稿冒頭で述べたことを繰り返す。被告人Aを擁護も非難もしない。本稿はこの方針を堅持して書き進めている。47もまたこの方針を堅持して作文したものであって、判決書がこうなるであろうという予測を事実として記したものである。判決がどうあるべきであるとか、どうあるべきでないとかいう要素は一切いれていない。

47 (判決予測; 2023年10月22日現在)

.
京アニ事件  1審判決書 (2023年10月22日現在の予測)

主文
被告人を死刑に処する。

(判決書の結論部分)
 被告人が犯行に及んだ動機は、被告人の作品を盗作した被害会社に報復するとともに、自分に数々の陰湿な干渉を行なってきた闇の人物へのメッセージを送るためというものであるが、そもそも盗作されたというのは被告人の思い込みにすぎず、その一方的な思い込みに基づき何の落ち度もない被害会社社屋に放火したものであって、身勝手というほかない。もっとも,被害会社から盗作されたという思い込みや、闇の人物にかかわる点などは、被告人が罹患していた妄想性障害の影響があり、そのような考えを前提にすれば、被害会社とその関係者に悪感情を抱くのもやむを得ない面がある。しかしながら、被告人は、被害会社から何ら現実に危害を加えられていたわけではなく、また危害を加えられるという恐怖を感じていたわけでもなく、闇の人物からの干渉も被告人に切迫した恐怖をもたらす性質のものではなかったのであるから、主な動機は報復である。そうすると、他に様々な選択肢がある中、放火という手段を選んだその意思決定には病気の影響は乏しく、被告人の性格によるところが大きいといわざるを得ないから、酌むべき余地はほとんどない。また被告人は、放火により多数の尊い人命が失われる可能性を考慮していなかったことも窺われ、あまりに短絡的な行動というほかはない。一方、被告人は、当時に至るまでの生活史上、いくつもの不幸な経験をしてきており、心身ともに疲弊し、高いストレスを感じていたと考えられるが、それは犯行を正当化する事情とはならない。
 本件は我が国の犯罪史上最多の犠牲者を出した未曾有ともいえる大事件である。にもかかわらず被告人は、法廷において、被害会社に対して、未だに盗作されたとして強く批判するなど侮辱し、自己の犯行を正当化し続けるなど、全く反省していない。被告人には前科があり、刑務所内で受けてきた矯正教育の効果が認められていないこともあわせると、被告人に更生可能性は乏しいといわざるを得ない。そして、このような被告人の態度に加え、前記のような凄惨な犯行態様によって家族や社員の命が奪われたことからすれば、被害者遺族らの悲しみ、怒りは察するに余りあり、極めて峻烈な処罰感情をもって、被告人に対して極刑を求めているのも当然といえる。
 よって、主文の通り判決する。

 

48 (冒頭陳述)
この48からは2023年10月23日以後、すなわち、鑑定人尋問初日の記事が出てから以後に書いている。予定では、48では直ちに鑑定人尋問の内容について論ずるつもりだったが、10月23日の新聞には冒頭陳述が初めてかなり詳しく掲載されたので、その内容について先に論ずることにする。

49
冒頭陳述は、公判の初日に、検察官・弁護人それぞれが、この裁判で証明しようとすることを発表するものである。京アニ1審裁判では被告人Aの責任能力が最大の争点である以上、冒頭陳述の内容を証明するためには、鑑定人尋問が公判最大のヤマ場で、検察官・弁護人それぞれ、自らの冒頭陳述の内容が正しいことを裁判官・裁判員に印象づける証言を、鑑定人から引き出そうとするのが鑑定人尋問である。したがって、鑑定人尋問内容の理解のためには、冒頭陳述の理解が前提として必要である。

50
繰り返しになるが重要なことなのであらためて記す。この文章は、報道されている内容が正しいと仮定して書いている。冒頭陳述も鑑定人尋問も、文言の細部まで正確に報道されているとは限らず、というより、大筋では正しく報道されているとしても、細部までは正確に報道されていないと思われ、すると、責任能力という繊細な事項については、報道のわずかな不正確さが大きな誤解に増幅される可能性が十分あるが、情報が報道内容しかない以上は、そうしたリスクがあることは承知のうえで論を進めている。

51 (検察官 冒頭陳述)
まず検察官の冒頭陳述を、報道に記載されている一つ一つについて論じていく。検察官の冒頭陳述は、報道ではこのように始まっている:

責任能力とは、良いことと悪いことを区別する能力や、良いことと悪いことの区別に従って犯行を思いとどまる能力。それらがない場合は無罪、著しく低下する場合には刑が軽くなる。

52
「責任能力とは」で始まる51は、責任能力の概念についての説明である。刑法39条には次のように記されている:
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

刑法の記述はこれだけの単純なもので、そこには心神喪失とは何か、心神耗弱とは何かということは一切書かれていない。これについては、1931年(昭和6年)の大審院の判決がある:
心神喪失ハ精神ノ障碍ニ因リ事物ノ理非善悪ヲ弁識スルノ能力ナク又ハ此ノ弁識ニ従テ行動スル能力ナキ状態ヲ指称シ心神耗弱ハ精神ノ障碍未タ上叙ノ能力ヲ欠如スル程度ニ達セサルモ其ノ能力著シク減退セル状態ヲ指称スルモノトス

これが現代でも、心神喪失・心神耗弱それぞれの事実上の定義として用いられている。この判決によれば、心神喪失とは、「精神障害により理非善悪を弁識する能力が完全に失われている状態、あるいはまた、その弁識に従って行動する能力が完全に失われている状態」を指し、「完全に失われている」までは至らず「著しく減退している状態」が心神耗弱である。

53
51の検察官冒頭陳述の「良いことと悪いことを区別する能力」は「理非善悪を弁識する能力」のことで、「良いことと悪いことの区別に従って犯行を思いとどまる能力」は「その弁識に従って行動する能力」を指す。「それらがない場合は無罪」は心神喪失、「著しく低下する場合には刑が軽くなる」は心神耗弱を指す。但しここで「それらがない場合」は不正確な表現で(検察官がそう言ったとは限らない。報道の段階で検察官が言った内容が不正確に引用された可能性がある)、この表現だと、「理非善悪を弁識する能力」と「その弁識に従って行動する能力」の「両方が失われている場合」なのか、「どちらか一方でも失われている場合」なのかが不明である。正しいのは「どちらか一方でも失われている場合」である。これは細かいことのようだが、どちらが正しいかによって責任能力判断が全く異なることになるから、重大な違いである。責任能力判断によって、判決は死刑から無罪まで大きく変わりうるのである。

54
弁護側は、妄想性障害という精神障害によって妄想が犯行に影響しており、心神喪失状態または著しく低下した心神耗弱状態であったと主張。一方、検察側は妄想性パーソナリティー障害または妄想性障害という精神障害があり、その症状として妄想はあったが、犯行はパーソナリティーが表れたもので完全責任能力が認められると主張する。

京アニ1審裁判では、二人の鑑定人(精神科医)が出廷することになっている。精神科医Pによる被告人Aの診断は妄想性パーソナリティ障害である。精神科医Qによる診断は妄想性障害である。診断名と責任能力は直結しないが、ある程度の対応関係はあり、パーソナリティ障害という診断の場合は、それはパーソナリティ(性格・人格)の偏りであって精神病とは異なるとするのが優勢な考え方であることから、完全責任能力になる可能性が非常に高い。それに対して妄想性障害では、完全責任能力・心神耗弱・心神喪失のいずれもありうる。したがって弁護人が精神科医Qの診断=妄想性障害が正しいと主張し、検察官が精神科医Pの診断=妄想性パーソナリティ障害が正しいと主張するのは、刑事裁判が形式上弁護人vs検察官という構造を取る以上は当然である。

55
54の説明は次の通り整理できる:

精神科医Pの診断: 妄想性パーソナリティ障害 → 完全責任能力
精神科医Qの診断: 妄想性障害 → 完全責任能力または心神耗弱または心神喪失

上の矢印から右の部分は法的判断であって、精神医学とは直接は関係しない。だが事実上は、診断名によって、法的判断はこのようにある程度までは絞られるのである。

56
するとこの時点で、この裁判は検察官が圧倒的に有利であることがわかる。なぜなら、精神科医Pの診断が正しいと裁判所が認めれば、その時点でAは完全責任能力確定で、検察官の勝ちである。精神科医Qの診断が正しいと裁判所が認めた場合でも、検察官には十分な勝算がある。

57
この構造を弁護人の側から見れば、裁判所が精神科医Pの診断が正しいと認めればその時点で敗北確定である。裁判所が精神科医Qの診断が正しいと認めた場合に、ようやく互角の戦いが始まる。

58
このように、最初から検察官が圧倒的有利というのは、この種の裁判としては異様な事態である。通常の事態であれば、一方の精神科医が正しいと裁判所が認めれば検察官が勝ち、他方の精神科医が正しいと裁判所が認めれば弁護人が勝つというパターンになっているところ、この京アニ1審裁判は、どちらの精神科医が正しくても検察官に勝算があり、Pが正しいということになればその時点で早々と勝負がついて検察官が勝つというパターンになっているのである。

59
検察官の冒頭陳述の引用に戻ろう。検察官は犯行動機を次のように説明している:
事件の動機は、京アニ大賞の落選や何をしてもうまくいかないという被告の人生歴、そして自己愛が強くて他人のせいにするというパーソナリティーによって「自分は全て失ったのに、京アニは成功していて許せない」という筋違いの恨みを募らせ、復讐(ふくしゅう)を決意したことが基盤となっている。

60
この説明は一見すると正しいようにも思える。しかし重要な点を検察官は故意に削除している。それは、そもそもこの動機の発生には妄想の影響があるということである。被告人Aが京アニに対し「筋違いの恨みを募らせ」たのは確かな事実である。しかしその「筋違いの恨み」は、自分の作品をパクられたという妄想が主であって、「京アニは成功していて許せない」という思いは従にすぎない。従にすぎないこの思いを前面に出し、さらにそれを「自己愛が強くて他人のせいにするというパーソナリティー」「人生歴」から発生したとすることによって、京アニ事件は精神障害の影響ではなくパーソナリティの影響であるというストーリーを構築しようとしている。Aの「人生歴」として検察官がここに要約しているのは「京アニ大賞の落選や何をしてもうまくいかない」であるが、「京アニ大賞の落選」も「何をしてもうまくいかない」も、元をただせばAの精神障害に起因するということから目をそむけさせるように検察官が主張しているのは明白である。検察官が描いているのは本稿47に示した判決文で、裁判所に京アニ事件がAのパーソナリティ(性格)によってなされた事件であるという結論を導かせて最高刑を獲得することが検察官が目指すゴールなのである。

61
だがAの法廷での一連の供述を聞けば、妄想の影響がなかったと主張するのはさすがに無理がある。しかしながら検察官としては妄想の影響は小さかったというストーリーを作る必要がある。そこで次のように主張している。

妄想が怒りを大きくしたものの、動機形成の過程は正常心理として十分に了解できる。

このように検察官は、「怒りを大きくした」という部分に妄想の影響を限定し、動機への妄想の影響を否定するという工夫をしているのである。妄想が動機に影響していないというのはどう見ても事実に反する主張だが、59の主張を強調することによって、「動機形成の過程は正常心理として十分に了解できる」という印象を裁判官・裁判員に持たせようしているのである。

62
犯行でも、被告は何度もためらった上、自らの意思で実行した。

犯罪を分析するとき、その出発点の動機の段階と同等かそれ以上に重要とされているのは、最終部分である犯行の意思決定の段階である。また、責任能力の事実上の定義の中の重要部分が、本稿51-53に記した通り、理非善悪の弁識に従って行動する能力 = 良いことと悪いことの区別に従って犯行を思いとどまる能力 である以上、「犯行を思いとどまることができたか否か」は重要なポイントになる。62はこの部分についての検察官の指摘・主張である。実際には、「犯行を思いとどまることができたか否か」は、回答不可能な問いである。なぜなら、現に犯行をしてしまった人物について、それは、犯行を「思いとどまることができたのにしなかった」のか「思いとどまることができなかった」のかを知る方法は存在しないからである。

63
そこで検察官の立場としては、「思いとどまることができたのにしなかった」と推定できる論拠を主張することになる。その一つが62の「被告は何度もためらった」である。これはこの種の事件における検察官主張の定番である。Aが「ためらった」ことを示す記事がある:
事件当日、京アニ第1スタジオに放火する直前の約13分間、被告はなお実行をためらっていた。「自分のような悪党にも小さな良心がある」。その13分間で自身の半生を振り返った、という。

これは2023年9月18日の記事である。すなわち被告人質問のライブ的記事が終了した後で追加的に掲載されたもので、実際にAがどのような質問に対してどのように述べたかは記事には記されていない。したがってそれについては推定する以外にないのであるが、通常、このような被告人の供述は、検察官から誘導されて引き出されたものである。検察官としては、上述の通り、被告人が「犯行をためらった」という事実を引き出し、それをもって「責任能力があった」と主張するという戦略を立て、被告人質問はその戦略にそって組み立てられるのである。上の記事の中にはAが「自分のような悪党にも」と述べたという記載もあり、これは、Aが、自分がしていることは悪いことだとわかっていたという論拠になりうるから、上に引用した部分は、責任能力としての「理非善悪を弁識する能力」「その弁識に従って行動する能力」の両方をAが有していたと検察官が主張する有力な論拠になりうる。検察官はこの供述を引き出したとき、ポイントを上げたと感じたであろう。

64
記事は、63の「その13分間で自身の半生を振り返った、という。」の後に続けて下のように記されている:
検察官「自分の半生はどうだったと考えた」
A「あまりにも暗いんじゃないかと。京アニは光の階段を上っているように思え、自分の半生は暗い。それで、ここまで来たら、やろうと思った」

このことから読み取れる重要な点の一つは、この部分の被告人質問は検察官からの質問によるものであるということである。これは非常に重要な点で、被告人質問とは、検察官・弁護人それぞれが、自らの主張を支持する供述を被告人から引き出すために行われるものであるから、検察官・弁護人どちらの質問であるかということが確認できなければ、記録されている供述の真の意味を読み取ることはできない。63の引用部分は、その内容からみて、検察官からの質問であろうと推定はできるがあくまで推定にすぎなかったところ、64の記載が記事にあることから、やはり検察官の質問であったという推定はかなり強化される。また、供述は、本人の言葉通りに記録されていなければ、真の意味からは大きく逸脱する危険があることにも注意しなければならない。ここには「その13分間で自身の半生を振り返った、という。」と書かれているが、Aが犯行前に「自身の半生を振り返った」が事実であったとしても、その時間をAが計測していたとは到底考えられないから、「13分間」という数字がAの口から自発的に出たということはまずありえない。あるいは何らかの証拠事実から、Aが犯行現場に到着してから犯行に着手するまでの時間が13分間であることが証明されており、その時間内に何を考えていたのかと問われたAが「自身の半生を振り返った」と答えたとしても、それをもって彼がその13分間のすべてにわたって自分の半生を振り返っていたということにはならないし、そうしていたと推定するのも不合理である。その13分間の中の一部の時間に、Aの脳裏を半生がよぎっただけかもしれない。いずれにせよ「その13分間で自身の半生を振り返った」という部分の記載は、検察官からの何らかの誘導によって引き出され、裁判の記録として残されたものであろう。検察官としては、「犯行に踏み切るかどうか、13分間も考えたのであるから、思いとどまる機会は十分にあった」と主張する予定なのかもしれない。

65
検察官の冒頭陳述に戻ろう。先の62の引用、すなわち、

犯行でも、被告は何度もためらった上、自らの意思で実行した。

には、2つのポイントがある。一つはここまで示してきたとおり「何度もためらった」であるが、もう一つは「自らの意思で実行した」である。これはこの裁判における検察官の主張を支える非常に重要な点である。少なくとも検察官はこれが非常に重要であると裁判官・裁判員に思わせようとする意図を持っている。すなわち検察官は、「自らの意思で実行した」以上は、妄想の影響ではない(ということは必然的にパーソナリティの影響ということになる)と主張しているのである。Aが京アニに放火したのは、その出発点である動機形成にも、最終点である実行にも、妄想の影響はなく、怒りを増大させたこと以外はすべてAのパーソナリティの影響である(下の図1)というのが検察官の主張である。

図1
12261-fig1

66
検察官のこの主張には重大な誤魔化しがある。

67
なぜなら、人が何かの行為をしたとき、それは「自らの意思で実行した」に決まっているからである。たとえ妄想の影響であっても、そのほかいかなる精神病症状であっても、最終的な行為におよんだのは「自らの意思」であるのは当然である。ではなぜ検察官はこのような当然のことを殊更に強調するのか。裁判所を幻惑するためである。精神病についての非常によくある誤解・錯覚に基づいて、検察に有利な誤った判断をするように裁判所を誘導しているのである。

68
すなわちここには、「妄想」と「その妄想を持っている人」を截然と分割する錯覚がある。

69
身体の病気であればこの分割は正当である。たとえば「インフルエンザ」と「そのインフルエンザに罹患した人」は截然と分割できる。したがってインフルエンザに罹患したとき人は、自分がインフルエンザに罹患したことを自覚し、その自覚に基づいて、自分の行動を考え、決めることができる。(たとえば、他人に感染させないよう外出を控えるなど)

70
精神の病気であってもこの分割は正当な場合がある。たとえば「パニック障害」と「そのパニック障害に罹患した人」は截然と分割できる。したがってパニック障害に罹患したとき人は、自分がパニック障害に罹患したことを自覚し、その自覚に基づいて、自分の行動を考え、決めることができる。(たとえば、パニック発作が起こりやすい場面を避けるなど)

71
ところがある種の精神病ではそうはいかない。たとえば妄想という症状では、自分が妄想という症状を持っていることを自覚して、その自覚に基づいて自分の行動を考え決めることは困難であり、一定以上に妄想が重ければ(妄想の確信度が高ければ)不可能である。「自分が妄想という症状を持っていることを自覚」すること自体が不可能だからである。

72
被告人Aの妄想の確信度はきわめて高く、全く揺らぐことはない。したがって被告人Aが「自分が妄想という症状を持っていることを自覚」することは不可能であるから(治療を受ければ別である)、被告人Aがある行為に出るときの彼の意思決定は、妄想に著しく強く影響されたものである。妄想に完全に支配されたものであるということもできる。

73
したがって検察官が主張するところの「自らの意思で実行した」は、本来的には、何ら検察官に有利な結果をもたらすものではない。人が行為に出るとき、最終的には自分の意思によるのは当然であるし、被告人Aにおいてはその自分の意思とは妄想に完全に支配されたものか、少なくとも著しく強く影響されたものであるからである(下の図2)。

図2
12261-fig2

74
こんなあたり前のことを検察官が理解していないはずはないが、実際には裁判所はしばしば精神病について大きく誤解しており、いかに精神病症状が重篤でも、「最終的に犯行に及んだのは自分の意思による」と判断して重い刑罰を科すことが稀ではない。検察官はそのことをよく知っているから、「自らの意思で実行した」という、実際には全く当然であって、殊更に言い立てても無意味なことをあえて強調して、裁判所から検察に有利な判決を引き出そうとしているのである。

75
検察官は本件犯行が「自らの意思」であるという指摘に続けて、次の通り、(自らの)「判断」ということも指摘している。また、「計画や行動は合理的」であったことを根拠に、妄想の影響はないと主張している。

計画や行動は合理的で妄想の影響はなく、被告の判断で行われた。

76
意思」と「判断」を検察官がどう使い分けているかは必ずしも明確でないが(実際は検察官は明確に使い分けて表現したのかもしれないが、新聞記事は冒頭陳述の要約なのでそこまでは読み取ることはできない)、「意思」は最終的な放火という行為に、「判断」は最終的な行為に至るまでの計画や行動にあてはめていると解することができる。しかし、犯行は「最終的には自分の意思によるものだ」という主張が無意味である(74)のと同様に、「犯行に至るまでの計画や行動は自分の判断によるものだ」という主張も無意味である。いかなるものであれ、「計画や行動」は「自分の判断」であるのは当然だからである。したがって「計画や行動は・・・被告の判断で行われた」という描写は常に真であるから、聞く者を納得させる力がある。この描写の中に「合理的で、妄想の影響はなく」という文言を挿入したところに検察官の巧妙さ(奸智さと言ってもよい)がある。すなわち「本人の判断で行われた」ことをもって「妄想の影響がない」ことには全くならないのであるが、あたかも「本人の判断」が「妄想の影響」を考えるうえでのポイントになるかのような印象を与えるレトリックが使われているのである。

77
そして、計画や行動が「合理的」であることも、いささかも妄想の影響を否定するものではない。妄想に基づく計画や行動は、最終的な行為が客観的にみて不合理なものであっても(たとえば放火は不合理な行為である)、その最終的な行為の達成に向けての計画や行動は、その行為達成という目的のためという面に限定してみれば、合理的であるのがごく普通である。

78
たとえば本稿5にも示した精神科Q&Aの【2195】統合失調症と思われる知り合いから、定期的に手紙などが届きます  のケースは、「自分のネタを友人がパクってシナリオを製作した」という妄想に基づいて、自分の判断で、その友人を非難するべきであると考え、自分の意思でその友人に手紙などを出している。また、本稿6にも示した【2196】自分が作詞したヒット曲のお金が口座に振り込まれているはずだと言い張る兄 のケースは、「自分が作詞したヒット曲のお金が口座に振り込まれているはず」という妄想に基づいて、自分の判断で、実家の家族がそのお金のことを知っているはずだと考え、自分の意思で家族に「振り込まれた通帳はどこへやった? 捨てただろ」という電話を毎日のようにかけている。

79
【4321】大阪女子大生殺人事件の犯人は統合失調症に間違いないと思うのですが のケースは、女子大生に何らかの妄想を持っていたことは確実で、その妄想に基づいて、自分の判断で、女子大生を殺害しようと考え、その目的を達成するため、自分の判断で、女子大生が逃げられないようにするなどの準備をしたうえで、自分の意思で犯行を実行している。
【3870】大阪の警察官襲撃事件について感じたこと のケースは、かなり荒唐無稽な妄想を持っており、その妄想に関連した目的を達成するためには拳銃が必要であると自分で判断し、さらに自分の判断で交番襲撃の周到な方法を考え出し、自分の意思で交番を襲撃している。

80
このように、妄想に基づく行動であれいかなる行動であれ、その行動そのものは「自分の判断」「自分の意思」である。したがって「自分の判断」「自分の意思」であることによって、妄想の影響がないとか小さいなどということはできない(下の図3)。

図3
12261-fig3

81
78と79に挙げた【2195】、【2196】、【4321】、【3870】はいずれも、妄想を前提とすれば、正常な思考といえないこともない。

82
但し、その「正常」にはかなりの幅がある。【2195】統合失調症と思われる知り合いから、定期的に手紙などが届きます【2196】自分が作詞したヒット曲のお金が口座に振り込まれているはずだと言い張る兄 の二つのケースはいずれも、妄想を前提とすれば「正常」といっていいであろう。妄想の対象となる人物を、あるいは妄想に関連した人物を「非難する」というのは正常心理として十分に理解できるからである。

83
他方、【4321】大阪女子大生殺人事件の犯人は統合失調症に間違いないと思うのですが のケースは、妄想に関連した人物を「非難する」にとどまらず、「殺害」しており、それは非難の延長線上にあるという意味では正常でも、日常感覚を超えた攻撃性の発露であり、「正常」と呼ぶことはできにくい。したがって、妄想に基づいて極端な攻撃性に出た場合には二つの理由が考えられることになる。一つは、妄想がきわめて強固だったからだとするものである。もう一つは、もともときわめて粗暴で攻撃的な性格だったとするものである。

84
【3870】大阪の警察官襲撃事件について感じたこと のケースは、妄想とは直接関係のない警察官を襲っており、さらに複雑である。なぜ彼はあのような発想に至ったのかは、妄想を前提としても、正常心理で説明することには無理がある。何らかの思考障害を併せ持っていたと考えるのが妥当であろう。

85
【2443】息子が公共機関に自家用車で突入し逮捕され、鑑定留置となりました  も同様で、妄想と犯行は、関連性はあるとまでは言えるが、直接的に結びつけるのは困難で、やはり何らかの思考障害を併せ持っていたと考えるのが妥当であろう。

86
すなわち、妄想に基づく激しい攻撃行動の説明としては、(1)妄想がきわめて強固 (2)もともとの性格 (3)妄想以外の思考障害の関与 を考える必要がある(下の図4)。事例によって、この三つのどれか一つでほぼ説明できる場合もあれば、3つのうちの2つまたは3つすべてが関与したと考えないと説明できにくい場合もある。

図4
12261-fig4

87
では京アニ事件はどうか。「京都アニメーションへの妄想」があったことは確かである。したがって京都アニメーションを被告人Aが「非難する」のは、妄想を前提とすれば、正常心理で理解できる。では放火はどうか。86の通り、(1)妄想がきわめて強固 (2)もともとの性格 (3)妄想以外の思考障害の関与 の三つを考える必要がある。京アニ裁判では、弁護人は(1)であると主張し、検察官は(2)であると主張している。これはこの種の裁判では弁護側・検察側双方の主張の典型的なパターンである。

88
事実としては、妄想は、出発点としての動機形成から犯行に至るまでの心理の発展(恨み・怒りの増大)、そして犯行の決意と実行のすべてに関与している。検察官はこのうち、妄想の影響は恨み・怒りの増大のみであると主張することで、犯行への妄想への影響を矮小化し、犯行の大部分はパーソナリティ(性格)の影響であると裁判所に判断させようとしているのである。そして、本稿47の予測判決文に示した通り、裁判所はまず間違いなく検察官の思惑通りに判断すると私は見ている。

89
さらに深く言えば、そもそも妄想の影響とパーソナリティの影響を截然と分離することに無理があり、したがってどのように作図しても正確とは言えないのだが、この点については後述する。

90
ここであらためて確認しておく。本稿は、冒頭に明記した通り、被告人Aを擁護も非難もしないという方針を堅持して書き進めている。検察官の冒頭陳述についての上の88までの記述が、検察官の主張が事実に反していることを指摘していることから、本稿がアンチ検察=被告人の擁護 を目指しているという印象を与えるかもしれないが、決してそうではなく、ただ事実を淡々と記述しているにすぎない。

91(弁護人 冒頭陳述)
ここから弁護人の冒頭陳述に入る。検察官の冒頭陳述が上の87までに示した通り、京アニ事件の具体的内容にかなり踏み込んだものであるのに対し、弁護人冒頭陳述は一般論にとどまったものになっている。その一般論として弁護人は3点を指摘している。

92
京アニ裁判の争点はほぼ責任能力のみである。したがって法廷でのメインは鑑定人尋問、すなわちAの精神鑑定を行った二人の精神科医に対する法廷での質疑応答である。冒頭陳述で弁護人が指摘した3点のうち2点はこの精神鑑定にかかわるもので、第1点として、最高裁所判例を引用し、精神障害の有無や程度、犯行への影響については精神科医の意見を十分に尊重しなければいけないことを指摘している。第2点は、検察側が鑑定を依頼した医師は、捜査機関(警察、検察)が集めた証拠のみに基づいて意見を述べていることを指摘している。そして第3点として、「疑わしきは被告人の有利に」という刑事裁判のルールの確認を求めている。

93 (鑑定人尋問)
被告人Aについては二人の精神科医による精神鑑定がそれぞれ行われた。精神障害者を被告人とする重大事件においては、二人(時には三人以上)の精神科医による精神鑑定が行われることは稀ではない。そしてほぼどの事件でも、「二人の精神科医の意見が(全く)異なっていた」と精神鑑定の結果が報道される。意見の相違の背景として、「その被告人の精神状態の複雑さ」「精神鑑定の難しさ」「精神医学というものの曖昧さ・いい加減さ」があると報道されるのもまた常であるが、そうした指摘はほとんどの場合まったくの的外れで、検察側と弁護側が、それぞれ、何とかして自分の側に有利な意見を述べる精神科医を見つけ出して精神鑑定を依頼するというのが真の背景である。被告人が精神障害者であれば裁判所は精神鑑定の結果を尊重するのは当然で、すると、検察側も弁護側も、精神鑑定の結果が自分の側に不利であればその時点でその裁判は勝ち目がない。だから反対の鑑定結果を出す精神科医を起用しようとする。つまり鑑定結果が正しいかどうかなどはどうでもいいことで、とにかく自分の側に有利な鑑定意見がほしいのである。こうして二つの全く異なる精神鑑定結果が裁判所に提出されることになる。すなわち、一方の精神鑑定は検察に有利な結果、他方の精神鑑定は弁護側に有利な結果となる。

94
但し京アニ事件はこの典型的なパターンとはやや異なっており、一方の精神鑑定が検察に圧倒的に有利な結果であることについては典型的だが、他方の精神鑑定は弁護側に有利ではなく、検察側にやや有利な結果になっている。すなわちこの時点でもはや弁護側には全く勝ち目がない裁判であるといっても過言ではない。

95
以下本稿では、起訴前に行われた精神鑑定(検察官の依頼によって行われた精神鑑定)をP鑑定、P鑑定を行った医師をP医師と表記する。起訴後に行われた精神鑑定(裁判所の依頼によって行われた精神鑑定)をQ鑑定、Q鑑定を行った医師をQ医師と標記する。
P, Qは実名が報道されているが、本稿ではP, Qとするのは、それぞれの精神科医の意見として報道されている内容が正しいとは限らないからである。概要としては正しいと思われるが(報道されている内容は正しいと推定して進めるというのが本稿の基本方針である)、細部はむしろ正しくないと考えるほうが妥当である。なぜなら専門家であるP, Q医師の意見を、非専門家である記者が正しく要約できるはずはないからである。報道では法廷でのP, Q医師の証言も多数引用されているが、証言は逐語的に精密に引用されているわけではないから、証言の重要な点が誤った形で引用されている可能性がきわめて高い。したがって報道の内容をそれぞれの医師の実名を示して彼らの証言であるとすることは、それぞれの医師の名誉を毀損することになる。

96
この意味で、京アニ事件についての精神鑑定の報道は、鑑定医の名誉を毀損する不適切なものであると私は考える。また、鑑定内容が正確に報道されていないことが明らかである以上、報道をもとに精神鑑定について論ずることの意味は小さいということになるが、そうした限界があることは認識したうえで進めるのが本稿の基本方針である。本稿冒頭2に「本稿は報道によって公開された情報を事実であると仮定して論じる」と記した通りである。

97
精神鑑定の結果は精神鑑定書という文書の形で提出されるが、現代の裁判員裁判においては、裁判官も裁判員もこの精神鑑定書は読まない。読むのは検察官と弁護人だけである。したがって、法廷で鑑定医が証言した内容だけをもとに、裁判所は精神鑑定の内容を理解し、評価することになる。この方式には膨大な批判があるが、とにかく現代の裁判はそういうルールになっている。

98 (P鑑定)
P医師は被告人を妄想性パーソナリティ障害と診断している。本稿で示してきたとおり、報道されている情報が正しいと仮定すれば被告人Aは統合失調症か妄想性障害であるから、P医師の診断は誤診である。だがP医師の診断のほうが正しいという可能性も考えなければならない。P医師が精神鑑定によって獲得した情報は報道内容をはるかに超えており、その情報に基づく論考の結果として妄想性パーソナリティ障害という診断が導かれたのかもしれないからである。法廷でのP医師の証言からその可能性を探ってみることにする。

99
妄想性パーソナリティ障害と診断する場合の最大のポイントは、もともとの性格(パーソナリティ)である。すなわち、京アニに対するAの妄想が、もともとの性格からの延長線上にあると判断できるに足るだけの性格の偏りを、Aはもともと持っていたことが、妄想性パーソナリティ障害と診断するための必要条件である。

100
P医師はAの性格として、生活歴から次の3点の特徴を挙げている。

①極端な他責的傾向 ②誇大な自尊心を持つ ③不本意を押し殺し、対人関係を維持しようとするが、できなくなると攻撃的態度に転換する

101
.「①極端な他責的傾向」については、記事には「幼少期の両親の離婚や父親による虐待、経済的困窮などを背景事情として指摘した」とだけしか記されていない。これは背景事情の指摘にすぎないので判定は不能である。P医師がなぜAに「極端な他責的傾向」という性格特徴があるとしたのかという肝心な点は不明である。京アニ放火の理由としての京アニへの恨みについては妄想に起因することは明らかで、性格特徴ではないから、何か他の根拠が挙げられていなければならない。記事から判断する限りにおいて、P医師はそうした根拠は一つも挙げなかったようである。弁護人が「だれか人のせいにしたエピソードは出てきていない」と指摘したのに対してP医師は「極端な他責的傾向の人を目の当たりにしたとき、(その人の)成育歴をうかがって環境だったり特徴だったりが今のこういう性格につながっているんだな、と。これらのエピソードだけが根拠だと申し上げているわけではない」と答えている。するとP医師は何の根拠も示すことなくAが「極端な他責的傾向の人」であることを前提にしているということであって、これでは何も示していないのと同じである。したがって妄想性パーソナリティ障害診断根拠としての「①極端な他責的傾向」をP医師は証明していない。

102
②誇大な自尊心を持つ」の根拠としてP医師は「7歳のころ、歩いて1時間かかるおもちゃ屋に30分で行ける道を見つけて、兄の友人から『お前すごいな』と言われた」「7歳のころ、父から100円をもらってコンビニに行き、何も買わずに帰ると『お前は大物になるかもしれない』と言われた」というエピソードを挙げている。

103
報道されている通りだとすれば、P医師の論法は荒唐無稽というしかない。なぜ102のようなエピソードが「誇大な自尊心を持つ」ことの根拠になるのか。もちろんこれらのエピソードは、自尊心に繋がるとまでは言えるかもしれない。しかし論点はそんなレベルではなく、妄想性パーソナリティ障害という障害に繋がるレベルの「誇大な自尊心」なのである。102に示された程度のエピソードがそこまでの根拠になるはずがないことは常識的にみても明らかである。

104
弁護人がこの点を指摘している。「誇大な自尊心を根拠づけるエピソード(おもちゃ屋までの道のりや、100円をもらってコンビニに行った話)はなぜ、これが誇大と言えるのか」と質問している。この質問に対してP医師は「現状として誇大な自尊心がある」と答えており、すなわちこれは101と同様で、P医師は十分な根拠も示すことなくAが「誇大な自尊心を持つ」人物であることを前提にしているということであって(P医師は「現状として誇大な自尊心がある」と言っているのであるから、つまり現状から逆算してもともとの性格を判断しているのである。これが全く非論的な論法であることは言うまでもないであろう)、これでは何も示していないのと同じである。したがって妄想性パーソナリティ障害診断根拠としての「②誇大な自尊心を持つ」をP医師は示していない。

105
.「③不本意を押し殺し、対人関係を維持しようとするが、できなくなると攻撃的態度に転換する」については記事にはP医師の証言が一切示されておらず、したがって証明されたか否かは不明である。しかし①(101)と②(102)のP医師の証言からは、P医師は現在のAの状態からAのもともとの性格傾向を判断しており、それは精神医学的にも、そして精神医学を持ち出すまでもなく常識的・単純な論理的にも、まったく受け入れがたい判断手法であるから、P医師は精神鑑定医として信用性は著しく低いとみなさざるを得ず、すると「③不本意を押し殺し、対人関係を維持しようとするが、できなくなると攻撃的態度に転換する」についても、Aにもともとの性格傾向としてそうしたものがあったということは大いに疑問である。

106
実在のP医師の名誉のために再び記す。P医師についての批判はあくまでも報道されている内容のみに基づくものであり、実在のP医師(すなわち実名報道されているP医師)への批判ではない。P医師の証言が細部まで正確に報道されていないことはここまでですでに明らかであって、実際には実在のP医師はもっと精密な証言を行ったのかもしれない。本稿はあくまでも報道内容が正しいという仮定のもとに書き記しているものであるから、「P医師」は「実在のP医師」と同一ではない。

107
報道された情報に基づくことによるそうした限界を十分に認識したうえでの判断であるが(そして、しつこくて申し訳ないが、「P医師」は報道されている「P医師」であって「実在のP医師」ではないことをもう一度確認したうえで言うのであるが)、P医師の精神科医としての診断能力はかなり低いと言わざるをえない。Aが統合失調症でないと診断した理由についてもP医師は問われているが、それに対しては「生活歴や診療録を見た。幻聴もないし、統合失調症と示唆するものはない」と答えている。本稿で示してきたとおり、Aにはかなり典型的な統合失調症の症状と経過が見られるのは明白であるから(幻聴があることも明白)、一体P医師は資料のどこを見たのか、そもそも資料をろくに検討せずに印象で診断を下しているとしか思えない。

108
このように書くと、「検察庁という権威ある組織がP医師を信頼して精神鑑定を依頼したのだから、P医師の診断技術が低いはずはないのではないか」という疑問を持たれるかもしれないが、検察庁が精神鑑定を依頼するのは、決して「その医師の診断技術が高い」という評価に基づくとは限らない。「その医師が検察庁に有利な結果を出してくれる」という評価に基づくことが多々あるのである。

109
京アニ事件は未曾有ともいえる大事件である。たくさんの方が命を奪われている。関係者のみならず、国民の処罰感情はきわめて高い。Aには最高刑を科さなければならない。そうでなければもはや刑事司法など信用できない。それが日本国民の圧倒的に優勢な意見であろう。

110
一方、京アニ裁判の最大かつほとんど唯一といえる争点は責任能力である。本稿52に示した通り、現在の我が国の法律では、たとえ何十人何百人を殺害しても、裁判で心神喪失と認定されれば無罪であるし、心神耗弱と認定されれば有罪ではあっても最高刑を科すことはできない(死刑相当の場合、心神耗弱なら無期拘禁刑になる)。そして責任能力判断は精神鑑定結果に大きく左右される。ということは精神障害の犯行への影響が大きいと精神鑑定で結論されると、最高刑の判決が出されない可能性がある。そこで検察庁は、起訴前において、「精神障害の犯行への影響は小さい。または、影響はない」という結論を出してくれる可能性が高い精神科医に精神鑑定を依頼するという戦術をとることが当然に考えられる。そのためには、被告人に精神障害があることを見落としたり、精神障害の症状を過小評価する医師に依頼すればよい。それはすなわち、診断技術が低い精神科医に精神鑑定を依頼するということである。しかも起訴前鑑定では、鑑定資料は検察庁が鑑定医に提供するから、被告人の精神障害が重いことを示唆する資料は提供しないようにすれば、鑑定医が被告人に精神障害があることを見落としたり、精神障害の症状を過小評価することはさらに確実に期待できる。P医師の精神科医としての診断技術があまりに低いことからすると、P医師はこういう事件の場合における検察庁御用達の精神科医として重用されている可能性が高い。つまり検察庁は、P医師が精神科医として優れているからではなく、逆に劣っているからこそ精神鑑定を依頼している可能性が高いということである。

111
P医師はAを妄想性パーソナリティ障害と診断し、「これは精神疾患ではなく、犯行への影響は「認められない」と言い切った。」と報道されている。起訴前にP医師に精神鑑定を依頼した検察庁の思惑通りの結果を、P医師は出したのである。検察庁は起訴前にP医師に精神鑑定を依頼した時点で、この結果(=P医師の診断技術の低さに基づく誤診すなわち検察庁に有利な結論)を期待していたのであろう。検察庁の計画は大成功した。検察庁は法廷でのP医師の証言を聞いてしてやったりと大満足したに違いない。

112
法廷に開示されている事実だけからみても、Aに精神疾患がないなどということはありえない。Aのパーソナリティについての分析(前掲100-105)を含め、P鑑定は精神医学的にも常識的にも大きな欠陥があることはあまりに明白であり、とても採用できるものではないが、それはともかくとして、P医師の見解は下の図5の通りで、これは前掲65の「検察官の主張」と基本的に同一である。すなわち検察庁は、ほぼ全面的にP鑑定に基づいて主張を展開しているのである。P鑑定にとてつもない欠陥があることを検察官が認識できないはずはないが、裁判を有利に進めAに最高刑を科すために、検察官はあえてP鑑定を支持しているのである。

図5
12261-fig5

113
検察庁のこうした姿勢をどう評価するかについては議論がわかれるであろう。京アニ事件の被告人Aに対しては、国民の大多数が最高刑を科すべきであると考えているとすれば、そうした国民の意見を裁判に反映させるよう尽力するのが検察庁の職責であるという考え方もあろう。但しこのとき、事実を歪曲してでもAに最高刑を科することが検察庁の正義といえるかどうかは別の問題である。事実を歪曲とはすなわち、被告人の精神障害の誤診や、症状の過小評価を目指した戦略をとることを指している。精神医学的に論外ともいえる誤り満載のP鑑定を裁判で全面的に支持している検察庁の姿勢からは、事実を歪曲してでも最高刑を、すなわち本稿47に示したような判決を勝ち取ることが正義であると検察庁は考えていると判断せざるを得ない。

114
検察庁のそうした姿勢についての評価は保留して先に進むことにする。

.
115 (Q鑑定)
京アニ事件被告人Aの精神鑑定を行ったもう一人の精神科医Q医師は、Aを重度の妄想性障害と診断している。すなわち、二人の鑑定医のAの診断は分かれており、P医師の診断は妄想性パーソナリティ障害、Q医師の診断は妄想性障害である。

116
P医師の診断は完全な誤りでQ医師の診断が正しい。これは、私の見解としてそうだということではなく、間違いないことである。Aを妄想性パーソナリティ障害と診断するのは精神医学の常識から大きく逸脱している。P医師の診断技術はあまりに拙劣である。だからこそ検察庁がP医師に精神鑑定を依頼したと強く推定できるのは110に前述の通りである。診断技術が拙劣であればあるほど、鑑定結果は検察庁に有利になるからである。

117
もっとも、Q医師の診断が正しいというのは、P医師に比べれば正しいという意味であって、Aは妄想性障害でなはく統合失調症である可能性のほうが高い。但しこちらについては私の見解としてはそうだということであって、Aを妄想性障害と診断する精神科医も相当数存在するであろう。統合失調症と妄想性障害は、はっきりと区別できる場合もあれば、どちらともいえない場合もある。そもそも統合失調症と妄想性障害の間に明確な線を引くことはできないのである。 Aはどちらともいえないケースにあたるとする考え方は精神医学的に妥当である。ただ私なら統合失調症と診断するし、統合失調症と診断する精神科医の方が多いであろうと予想できる。とは言え、一般的には、報道されている情報に基づく診断(=私の診断)よりも、直接診察した医師の診断(=Q医師の診断)のほうが正しいと考えるべきなので、以下、一応はAの診断は妄想性障害であるとして話を進め、必要に応じて統合失調症の診断に言及する。

118
AについてのQ医師の意見を記事から引用する:

「妄想性障害があり、犯行の動機を形成している」

被告の妄想性障害は重度で、「妄想に基づく行動への強い圧力、妄想に非常に悩まされている」状態に該当する

精神障害が事件に与えた影響はどうか。京アニ大賞での落選という現実の出来事が契機とはいえ、「(闇の人物の)ナンバー2」の関与といった「妄想が関わっている」と指摘。被告の攻撃性も、妄想の世界で被害を受けていると感じたことによるいらだちが影響しているとした

119
上記118はQ医師尋問記事の冒頭に記されたQ鑑定の要約的記述だが、ここにすでに読み取れるP鑑定とQ鑑定の相違を図6に示す。

図6
12261-fig6

120
何度も繰り返し示した通り、P医師はAを妄想性パーソナリティ障害と診断し、Q医師は妄想性障害と診断している。診断名の違い自体、P医師とQ医師の判断は全く異なっているが、P医師は妄想性パーソナリティ障害は「精神疾患ではない」(111)と述べているのであるから、これは単なる診断名の違いを超えた決定的な意味を持っている。すなわち、もし裁判所がP鑑定を正しいと認めれば、「精神障害の犯行への影響」を検討する必要はゼロで、犯行にかかわるすべてはAのパーソナリティの影響ということになる。上の図6のP鑑定のエリアに「パーソナリティ」と記したのはこの理由による。Aに妄想があったとしても、P鑑定に基づけば、それはAのパーソナリティの産物ということになるから犯行への妄想の影響は結局はパーソナリティの影響ということになる。上の図6の「妄想」と「動機形成」を結ぶ矢印を破線にしたのはこの理由による。
それに対しQ医師の診断である妄想性障害では、妄想はその障害の症状であるから、「妄想性障害」と「妄想」は不可分である。そして少なくとも「動機形成」と「怒り」の増大は妄想の影響によるとQ医師は述べている。Aの妄想性障害が重症で(118の通り、Q医師は「被告人の妄想性障害は重度」と述べている)、「妄想に基づく行動への強い圧力、妄想に非常に悩まされている」のであれば、犯行全体に妄想が影響したと考えるのが当然であるが、「犯行の計画」と「犯行の決意と実行」については、本稿118に引用したQ医師の証言からはQ医師の判断は不明なのでそこは破線矢印として(?)を付してある。

121 (弁護人とQ医師の問答)
P医師はAの精神障害を誤診し、また、犯行への影響についてのP医師の考察が誤りであることも自明であるのに対し、Q鑑定は相対的に正確であると考えられるから、京アニ事件の理解のためにはQ鑑定の具体的内容が非常に貴重な情報になるが、残念ながらQ鑑定についての記事の記載はごく表面的なものにとどまっている。以下、その記事記載の範囲内で読み取れることについて論ずる。弁護人とQ医師の問答として記事に記載されているのは次の通りである:

弁護人「被告は訂正不可能なほど(妄想が)現実だと確信していた」
Q医師「そうです」
弁護人「(アイデアを)パクられたという現実がないことを(被告は)どう受け止める」
Q医師「受け止められないと思う。ここを否定されるのは被告にとって死活問題」

妄想についてのAの確信度は非常に高く、全く訂正不能であったことが確認されている。
しかしながら、本件のポイントはその先、すなわち、その強度の妄想が犯行にどのように影響したかということであって、弁護人はそれについて相当くわしくQ医師に質問したはずだが、この最も重要といえる部分は記事には一切記されていない。

122
弁護人「診断によると、平成21年ごろからは妄想性障害だったと考えられる」
Q医師「はい」
弁護人「妄想性障害でずっと妄想の世界にいたことは性格、パーソナリティーに影響を与えていると思うか」
Q医師「何をもってパーソナリティーというか。行動パターンや感情の持ち方ということで言うなら、いらだちのしやすさに妄想の影響はあったと思う。教科書的にも、被害妄想があると、いらいらしやすくなる」

「性格、パーソナリティ」を、犯行時のAについてのそれであるとみなすのであれば、妄想は当然に大きく影響している。たとえば、「猜疑心が強い」という記述は、一般的には「性格、パーソナリティ」の描写になるが、長年被害妄想を持ち続けていれば、その妄想そのものによっても、また、本人は事実であると信ずる自分が受けている被害が誰からも否定されれば、猜疑心が強くなるのは当然で、それは本人の言動にも、また心理検査にも現れる。弁護人の「妄想性障害でずっと妄想の世界にいたことは性格、パーソナリティーに影響を与えていると思うか」という質問はこの点をQ医師に確認したものである。Q医師の上の回答は、精神医学的に正確な回答であるとも言える一方で、この裁判で問題となっている重要な点についての回答を回避していると言うこともできる。

123 (検察官とQ医師の問答)
弁護人とQ医師の問答として記事に引用されているのは以上の121, 122のみであるのに対し(しかも122は検察官による尋問の後に付加的に行われたものである)、検察官とQ医師の問答は相対的に詳しく引用されている。以下の124-130の通りである(緑文字が記事からの引用; 黒文字は林による追加説明):

124
検察官「パーソナリティーと妄想の割合、どちらがメインだったか」
Q医師「割合や数字で表すことはできない」
これはやや不可解な問答で、質問と答えがかみあっていない。検察官とQ医師、どちらかの引用が誤っていると思われる。また、仮に「どちらがメインだったか」という問いだったとしても、「何に対して」を明確化しなければ回答は不可能である。よってこの記事は実際の問答を明らかに誤って引用したものであるので、Q医師の意見についての評価はできない。

125
検察官「たとえ怒りがあっても、復讐(ふくしゅう)をするかやその手段は選択肢がある。その中で、放火殺人を選んだことについてはどう考えるか」
Q医師「復讐というか、困っている状況を解決する手段については、病気と関係なく、彼自身が選んだことだと思います」
もし「彼自身が選んだこと」がQ医師の言葉を正確に引用したものであれば、前掲図6のQ鑑定部分は図7のように修正することできる。そしてQ医師は本件犯行と妄想の関係についての最も重要な部分で裁判所を誤りに導く証言をしたということになる。

図7
12261-fig7

126
そういえる理由は本稿65-80に詳述した通りであるので詳細は省くが、要点は、「彼自身が選んだこと」という説明には何の意味もないということである。しかしそれでも検察官がQ医師からこの証言を引き出したことは非常に大きな意味があり、検察官としては尋問は大成功したと判断したであろうし、判決書でもこの証言が重視されて完全責任能力・最高刑判決が導かれると強く推定できる。

127
検察官「妄想の内容は犯行を命じるものではない?」
Q医師「ないと思う」
これもおそらく記事記述は問答を正確に引用したものではないと思われ、したがって評価困難であるが、一般に我が国の裁判では、幻覚や妄想が犯行を命じるものであったか否かが重視される傾向があるので、検察官はこの点をQ医師に確認することで、裁判を有利に進めようとしたと推定することまではできる。

128
検察官「精神障害で興奮して、訳が分からなくなることもある」
Q医師「大暴れしてしまうこともあります」
検察官「本件にはないですね」
Q医師「ないと思います」
重症の精神障害というものに対する一般の人々のナイーブなイメージは「興奮して、訳が分からなくなる。暴れる。」であろう。検察官はこの点を強調することで、Aは重症の精神障害ではないと主張しようとしていることがありありと読み取れる。
その重症度についても次の129の通り明示的に質問している。

129
検察官「重症度について」
Q医師「言葉が独り歩きしやすい。すぐさま責任能力の有無を意味しない。特定の診断名があっても、機能低下や能力低下については大きな幅がある」
検察官「重症でもただちに責任能力がないと決まるわけではない」
Q医師「はい」
検察官は冒頭陳述で、精神鑑定を行った精神科医の役割は責任能力判断ではないと言っておきながら、ここでは、責任能力についてのQ医師の意見を尋ねている。責任能力は京アニ裁判における最重要事項であるところ、その責任能力について検察官の態度は一貫性がないと言わざるを得ないが、これは責任能力についての精神科医の意見が、明に暗に、裁判所の責任能力判断に影響するという現実があるためであって、検察官の態度に一貫性がないのは検察官の責ではなく、刑事裁判そのものに内在する矛盾を反映している。

130
《A被告は被告人質問で犯行直前の心境について、「私のような悪党でも小さな良心があり、良いのか悪いのか考える部分もある」と述べていた》
検察官「一般論として、妄想性障害では『殺人は犯罪』という認識は損なわれない」
Q医師「はい」
検察官「被告は犯罪と分かっていたということでいいか」
Q医師「いいと思います」
本稿52-53に示した通り、責任能力は「理非善悪を弁識する能力」と「その弁識に従って行動する能力」から構成されている。上の質問は、Aが「理非善悪を弁識する能力」を有していることをQ医師に確認したものであって、ここでも結局検察官は責任能力判断を精神科医に求めており、法律判断を医学者に頼るとはなさけないことであるが、129に記した通りこれが刑事裁判の現実である。

131
京アニ裁判の最大の争点が責任能力であり、二つの精神鑑定のうちQ鑑定がはるかに正確である以上、Q医師の法廷での証言はこの裁判で最も重要な部分であるが、記事では、弁護人とQ医師の問答の引用はごくわずかであるのに対し、検察官とQ医師の問答の引用は相対的に豊富である。こうした問答(証人尋問)は、弁護人・検察官それぞれが、自らの主張を強化するために行うという意味が強いのであるから、公平を期するためにはそれぞれの問答が同等に引用されていなければならないところ、このような引用の仕方は、記事の作りが検察官寄りになっていることを象徴するものである。そもそも京アニ事件は、「被告人Aに厳罰を」というのが日本社会の多数意見であると思われるので、検察官の主張を強調するこのような記事の作りは多数の読者の納得を得やすいであろう。それが報道機関の姿勢として正しいと言えるかどうかは議論があると思われるが、とにかく本稿で基礎資料としている産経新聞の記事はそのような作りになっている。私が見た範囲では、京アニ裁判に関する他の新聞社の記事も基本的には同様である。

132 (裁判官とP医師の問答)
《弁護側は「事件は被告にとって、人生をもてあそぶ『闇の人物』への反撃だった」と主張。A被告も被告人質問で、「闇の人物のナンバー2」が自身の人生に関与したと何度も訴えていた。妄想の影響を否定するP氏に裁判官が「ナンバー2」の解釈を尋ねる》
被告人Aのいう「闇の人物ナンバー2」は明らかな妄想であるが、P医師は次のように答えている。

裁判官「『ナンバー2』の妄想も、通常心理に近いといえるのか」
P医師「はい」
信じられない答えである。P医師は本当に精神科医だろうかと疑いたくなる。

裁判官「通常の心理ではなかなか起きにくい妄想に思えるが」
裁判官、つまり精神医学の専門家でない人物でも当然にそう考えるであろう。

P医師「すごい人物が自分のところに現れる、励ましてくれる、働きかけてくれる。京アニに関する妄想でも、同じような質のものと考えている。さほどかけ離れているわけではない。それが一番の根拠」
まったく信じ難い答えである。P医師が本気でこのように考えているとすれば、P医師が妄想と診断するのは、荒唐無稽で全くあり得ないレベルのもの、たとえば一夜にして周囲の人がすべて宇宙人に入れ替わったとか、そういうものに限定されるということになろう。いったいP医師はどのような精神科診療をしているのか。それを知る方法はないが、検察官がP医師に精神鑑定を依頼したのは、P医師の診断能力が著しく低い(したがって被告人の精神障害を見落とすか、仮に見落とさなくても著しく軽いものであると診断する)ことが理由であることは確かと言えるであろう。

133 (裁判官とQ医師の問答)
もし裁判所がP鑑定が正しいと判断するようなことがあれば、この京アニ1審裁判は茶番というしかないが、まさかそんなことにはならないであろう。上の132のP医師に対する裁判官の質問は、裁判官が京アニ事件の動機がAの妄想から発生したことを正しく理解していることを窺わせるものである。そしてQ医師に対しては裁判長は、次の通り非常に重要な質問をしている。Q医師の答えはAの責任能力についての裁判所の判断を強く左右するものである。

裁判長「Q医師の鑑定主文について。妄想が動機を形成したというのは、犯行の意思決定とイコールか」
Q医師「意思決定とは」
裁判長「京アニに対して攻撃するという意思決定についてです」
《Q医師は無言で首をひねり、しばらく沈黙する》
裁判長「ガソリンで火をまいて殺害すると決意したことをさしているのか」
Q医師「主文は簡潔に書く。あえて一言でいうなら、妄想は動機形成に影響している。ただ複雑な形で妄想が関係している」

134
裁判長のこの質問は、Q医師の次の証言の意味を明確化しようとするものである:

A. 「妄想性障害があり、犯行の動機を形成している」 (本稿118に引用)
B. 「復讐というか、困っている状況を解決する手段については、病気と関係なく、彼自身が選んだことだと思います」(検察官からの「たとえ怒りがあっても、復讐(ふくしゅう)をするかやその手段は選択肢がある。その中で、放火殺人を選んだことについてはどう考えるか」に対するQ医師の回答。本稿125に引用)

上記A, Bに基づけば、Q鑑定の内容のうち、Aの責任能力について最も重要な部分は下の図8のように示すことができる。

図8
12261-fig8

135
すなわち妄想の影響は動機形成部分に限定されるというのがQ医師の意見ということになるが、Q医師は次のようにも証言している (本稿118に引用)
被告の妄想性障害は重度で、「妄想に基づく行動への強い圧力、妄想に非常に悩まされている」状態に該当する
ここで「妄想に基づく行動」とQ医師が言うとき、その「行動」とは何を指しているのか。京アニ放火も指しているのか。そうであれば、134に上記のA, Bとは論理的に矛盾したことCをQ医師は言っていることになる。要約すれば次の通り:

A. 動機形成には妄想が影響した
B. 犯行には妄想は影響していない
C. 行動には妄想に基づく圧力があった (=「行動」という語が犯行を含むのであれば、犯行にも妄想が影響したことになる。したがってB.と矛盾する)

136
この矛盾を解消しなければ、責任能力判断はできない。裁判長の「妄想が動機を形成したというのは、犯行の意思決定とイコールか」(本稿133)という質問は、したがって、きわめて重要なものである。Q医師はこの質問を明確化するために裁判長に「意思決定とは」と問い返し、裁判長は「京アニに対して攻撃するという意思決定についてです」と明確化している。

137
この最も重要な点についてのQ医師の回答は不可解である。「主文は簡潔に書く。あえて一言でいうなら、妄想は動機形成に影響している。ただ複雑な形で妄想が関係している」(本稿133)は、答えになっていないというべきであろう。しかしQ医師の実際の回答がこのように不可解なものであった可能性は低く、記者が記事として引用する段階で不正確な引用にしてしまったのだと思われる。そのようなことになった理由は不明である裁判長のこの質問がきわめて重要であることをQ医師は当然に理解していたはずであるから、Q医師は最大限慎重を期してできる限り正確に答えようとし、結果としてわかりにくい曖昧な回答になっていたのかもしれない。あるいはQ医師は明確に回答したが、記者がQ医師の回答のポイントを理解できなかったために不正確な引用になったのかもれない。いずれにせよこの最も重要な事項についてのQ医師の回答が不明であるのは残念であるが、本稿が報道のみに基づいて論じている以上、限界であると考える以外にない。

138 (被害感情の立証)
2023年12月4日からは、検察による被害者感情の立証として、ご遺族や関係者の意見陳述がなされた。被害に遭われた方々のやりきれない気持ちは痛いほどよく理解できる。しかし、その方々がAを非難する内容の、少なくとも一部は、Aの精神障害の症状を非難していることにほかならないのは厳然たる事実である。たとえば次の点。

139
被告が盗作を主張する作品に関する打ち合わせに参加し、事件で負傷した男性社員が「あなた(被告)の名前は一度も出たことがない」と述べ、盗作の事実を重ねて否定した。
この日は遺族らに加え、一連の公判で初めて負傷者も意見陳述した。男性社員は陳述の中で、打ち合わせで被告の名前が挙がったことはなく「(会議の)参加者の中にあなたの小説を読んだ人はいない」と証言。その上で被告の主張は「思い込みだ」と強調した。
この男性がAの理不尽な思考を非難する気持ちはよく理解できる。盗作など一切なかった。その通りであろう。 盗作はAの思い込みにすぎない。そう非難する気持ちも理解できる。しかしあれは「思い込み」という言葉で表現できる性質のものではない。「妄想」である。つまりこの男性は、Aの精神障害の症状を非難している。

140 (Aの変化)
被告は4年前の事件で負ったやけどのリハビリのために、現在拘置所で受けている介助の内容を明かし、「感謝の念しかない」「早く大拘(大阪拘置所)に来ていれば事件は起こさなかったのでは」と述べた。
弁護側の被告人質問に答えた。被告は拘置所での食事や排泄(はいせつ)、入浴などの状況を説明した上で、「ちょっとしたことでも『ありがとうございます』と言うようにしている」「昔ほど(相手を)徹底的にやり返したいという考えは減ってきた」などと説明。拘置所での生活で価値観が大きく変化したと明らかにした。
Aの現在の心理状態について、「拘置所での生活で価値観が大きく変化した」とする弁護人の指摘は、部分的には正しい。しかしAは逮捕後に薬物療法を受けているのであって、精神医学的には、 Aの心理状態の変化は、Aのこれまでの経過からみて、薬物による効果の方が大きいとみるほうが妥当である。それはすなわち、京アニに対するAの妄想と、それに関連する怨恨の気持ちや攻撃性が、精神障害の症状であったことの証であるということができる。Aは京アニ以外に対してもこれまでの人生で怨恨や攻撃性を発露しているが、いずれも精神障害の症状であった可能性が高いか、少なくとも否定はできない。
Aはそのほかにも、この段階では、京アニ事件の被害者・関係者への謝罪の気持ちや共感性を吐露している。この事実も、Aの怨恨・攻撃性等は精神障害の症状であったという解釈と(そしてそれが薬物療法によって回復しつつあるという解釈と)矛盾しない。

141
但し、患者本人が薬の効果であると自認できるとは限らない。むしろ薬以外の要因によって自分が変化したと解釈することがしばしばある。Aも次のように述べている:

検察官「先ほどあなたは『もっと早く大阪拘置所に行っていれば、こんな事件を起こすことはなかった』と述べた。人からこんなに親切にされていたら、こんな事件は起こしていなかったということか?」
A「それはその通り受け取ってもらえたら」
このように、人からの親切が要因であるとAは述べている。

142
検察官「裁判で遺族の方の気持ちが読み上げられたのは最近ですよね。それまでの間、どう考えていたのか」
A「怒りが先行していて、深い配慮が欠けていた」
その怒りには実際には妄想が先行しているが、Aはこのように「怒り」という正常心理で説明している。そして精神障害の症状というものに理解が乏しい人々は、このような正常心理による説明に納得し、妄想の影響は無視したり過小評価するのが常である。

143
検察官「裁判では(遺族や被害者が)それぞれの言葉で語られた。『家族全員の心が死んだ』『胸が張り裂けそうだ』『心がまひした』『不条理』。絞り出すように語られた方々への感情はどのようなものか」
A「やはり申し訳ありませんでしたという形にしかなりえないと思います」
《公判で初めて明確な謝罪意思を示した被告。その感情がいつ生まれたのかと聞かれると、深く沈黙し、しばし考え込んだ》
A「弁護人と面会しているとき、裁判が始まる前あたりに、だんだんそういった感情が芽生えるようになったというのがあります」
検察官「遺族や被害者に申し訳ないという気持ちが確かにあなたの中にあるということか」
A「はい」
検察官「なぜ今までその気持ちを吐露しなかったのか」 
A「いや、まあ、あの、『やり過ぎた』ということで、そういう形のことは言っていると思います」
検察官「『やり過ぎた』という言葉は『申し訳ない』という意味を含んでいるということか」
A「そういう風に自分はとらえています」
ここでも正常心理による解釈に大きく傾いている。「なぜ今までその気持ちを吐露しなかったのか」という検察官の質問は、もっと早くAから謝罪の言葉がなかったことを非難するものであるが、薬物療法を受ける前の段階では自分の行為が、いかに激しく理不尽なものであっても、当然の行為であって、被害者には被害を受けるだけの理由があったと信じているのは決して稀ではない。Aが「今までその気持ちを吐露しなかった」のは、無治療の状態であったために「その気持ち」が発生し得なかったというのが真実とみるべきであろう。

144
遺族「あなたは京アニを今も許せない?」
A「今の感情で述べるなら、やはりだいぶ、そういう感情は薄れてきた」
妄想から回復してきている。
但しAは次のようにも述べているから、十分に回復しているとまでは言えない。

代理人「本日(2023年12月6日)時点でも京アニが悪いことをしたという気持ちがあるのか」
A「そういう気持ちが消える方が楽で、消えないままだからこそ考えるものがあると思います」

145
遺族「これから事件に向き合い、自分の行ったことを反省、猛省して、できれば再発防止に協力する?」
A「分かりました。それは分かりました」
峻烈な被害感情があるのは当然である。他方、ここで述べられているように「再発防止」が大きなテーマであるのもまた当然である。再発防止のためには、精神障害というものの実態を、妄想という精神病症状の実態を、正確に人々に認識されるようになることがきわめて重要である。この凄惨な事件への妄想の影響を過小評価すれば、その機会は失われる。

146 (論告求刑)
2023年12月7日、検察官は死刑を求刑した。死刑求刑の理由として検察官が挙げたのは次の諸点である:
(1) 結果の重大性
(2) 犯行動機
(3) 計画性
(4) 処罰感情
(5) 社会的影響

147 (結果の重大性)
論告求刑での検察官の主張(1): 36人死亡、34人傷害という被害結果は極めて重大である。

148 (犯行動機)
論告求刑での検察官の主張(2): 自分の人生がうまくいかないことの責任を京都アニメーションに転嫁したのが動機で、Aの他責的・攻撃的なパーソナリティに基づいている。妄想の影響は限定的である。

149 (計画性)
論告求刑での検察官の主張(3): Aは確実に多数の人を殺せるように計画して行った。

150(処罰感情)
論告求刑での検察官の主張(4): 遺族らのAへの処罰感情は峻烈である。

151 (社会的影響)
論告求刑での検察官の主張(5): 京アニ事件は大きく報道され、社会を震撼させた。

152 (最終弁論)
2023年12月7日、弁護人は、心神喪失による無罪か、心神耗弱による刑の減軽を主張した。その理由として弁護人が挙げたのは次の諸点である:
(1) 死刑の残虐性
(2) 責任能力
(3) 建物の構造による影響
(4) 死刑選択の是非

153 (死刑の残虐性)
最終弁論での弁護人の主張(1): 国際的に死刑は廃止の方向に進んでいるし、絞首刑は残虐な刑である。

154 (責任能力)
最終弁論での弁護人の主張(2): Aは妄想の影響により心神喪失または心神耗弱の状態だった。Aは長期間妄想性障害に罹患しており、事件前4カ月間は服薬もせず、妄想や幻聴に苦しんでいる状態だった。

155 (建物の構造による影響)
最終弁論での弁護人の主張(3): 建物にいた人の数、そして建物の構造上、火があれほどまでに燃え広がることをAは予期していなかった。

156 (死刑選択の是非)
最終弁論での弁護人の主張(4): 処罰感情が峻烈だというだけで死刑を選択してはならない。Aには改善の可能性がある。現に、逮捕後、服薬と周囲のサポートにより改善している。

157
論告求刑と最終弁論はすなわち検察官と弁護人のそれぞれの京アニ1審裁判における主張の要約である。2023.10.22.に記した判決予測(本稿47)の内容に、論告求刑・最終弁論を対応させたのが下の図9である。

図9
12261-fig9

158 (図9左)
検察官の主張のうち、(1)結果の重大性、(4)処罰感情、(5)社会的影響は、いずれも、「Aの行為の結果」としてまとめることができる。すなわち検察官は「結果」を前面に出している。(2)犯行動機については、 パーソナリティの影響が大きいというのが検察官の一貫した主張である。(3)計画性は、精神医学的には重要でないため(妄想が動機の犯行では、計画的に行われるのはごく自然であり、精神障害の影響を否定する根拠にはならないし、被告人の正常性を支持する根拠にもならない)、本稿47判決予測の中には取り入れなかったが(そのため上の図9では (3)計画性 はラインから外した位置に記してある)、検察官は計画的犯行であることを強い非難の根拠としている。

159 (図9右)
弁護人の主張には死刑に関するものが二つ含まれている(検察官は「死刑」という表現は避け「極刑」と表現したようである)。ひとつは(1) 死刑の残虐性で、死刑についての一般論をいうものである。もう一つは(4)死刑選択の是非で、Aは治療により改善が見られる以上は更生可能性があり、更生可能性がある者を死刑にしてはならないという主張である。それに対し本稿47判決予測では、裁判所はAに更生可能性はないと断ずるであろうと予測した。(3)建物の構造による影響は、京アニ裁判の法廷においては、「責められるべきは被告人であるのに建物の構造に責任を転嫁した」として強い批判を浴びていたが、本件のように多数の被害者が出た事件では、そのように多数の被害者が出ることを予測して行った犯行か否かは、非難の程度を考えるうえで重要な点であり、したがってAが犯行前に建物の構造の影響を意識していなかったことを重視する弁護人のこの指摘は理論的には正当である(それに対し検察官は、「多数の被害者が出た」という結果のみを前面に出してAを非難している)。(2)責任能力が京アニ事件で最も重要な論点であったはずだが、弁護人の主張は簡潔だったようであり、検察官に至っては論告求刑ではほとんど触れることさえしていない。2023.10.23.判決予測(本稿47)では、犯行の動機と意思決定のそれぞれへの妄想の影響を裁判所は別々に認定するであろうと予測し、その部分の記述が比較的長文になっているが、検察官・弁護人ともに、この点は最終的にはほとんど言及していない。

160
論告求刑と最終弁論、すなわち、検察官と弁護人の最終的な主張の特徴は、下の図10のようにまとめることができる。

図10
12261-fig10

161
検察官の主張はわかりやすい。「Aはこんな悪いことをした。だから極刑だ。」というシンプルな主張で、説得力がある。

162
一方の弁護人の主張は、161の検察官の「だから」の部分への冷静な判断を求めるものである。絞首刑は残虐であり、そもそもがしてはならない刑罰である。Aについていえば、妄想性障害に罹患していて責任能力に問題があったし(心神耗弱なら死刑にはできない)、建物の構造を理解していなかったからあそこまでの甚大な被害を発生させる意図はなかったし(結果の重大さを直ちに強い非難の根拠にはできない)、逮捕後の治療によって回復しつつあり、その結果、反省も述べている(更生可能性があることは死刑回避の理由になる)。

163
理論的には弁護人の主張には十分な説得力があるが、被害の甚大さ・処罰感情の峻烈さをいうことで結果の重大さを前面に出した検察官のわかりやすい主張の説得力の方がはるかに上回っている。本稿47 (判決予測; 2023年10月22日現在)の通り、2024年1月25日には死刑判決が下されるであろう(2024.1.24.記)。

 

164 (2024年1月25日 京都地裁判決)
被告人を死刑に処する
2024年1月25日に判決が宣告された。京都地裁の判決書はこの主文から始まるものであった。

165
以下、判決書の内容について論ずるが、あらためて本稿の方針について確認しておく。本稿は冒頭の1に記した通り、「被告人Aを擁護も非難もしない」という方針を堅持して書き進めるものである。
仮に本稿中に、Aを擁護あるいは非難しているように読める記述があったとしても、それは事実に基づく論理的な論考によって、あくまで結果としてそのように読めるようになったということであって、Aを擁護する意図によるものでも、Aを非難する意図によるものでもない。

166
ここでもう一つ念のため追加で記しておく。本稿では被告人Aだけでなく、裁判所についても擁護も非難もしない。仮に本稿中に、京アニ1審の判決書を擁護あるいは非難しているように読める記述があったとしても、それは事実に基づく論理的な論考によって、あくまで結果としてそのように読めるようになったということであって、1審裁判所を擁護する意図によるものでも、1審裁判所を非難する意図によるものでもない。

167
死刑という結論を導く裁判所の論理は、本稿で予想した通りであった。すなわち、
犯行には性格(パーソナリティ)が大きく影響した。病気の影響はほとんどなかった。
というものである。

168
判決書に示された裁判所の論理を極限まで単純化すると下の図11になる。

図11
12261-fig11

169
裁判所が「犯行にはAの性格が大きく影響した。妄想の影響はほとんどなかった」という判断によって導いたのは、より正確には、「完全責任能力」という結論までである。完全責任能力という結論を導いたうえで、この犯行によってもたらされた被害の甚大さ等をあわせて、死刑判決を下したのである。(図12)

図12

京アニ図12

170
さらに細かくいえば、裁判所のいうところの「犯行への影響」は、「放火という手段選択への影響」である。判決書には
京アニ全体に対する大量殺人ないしガソリンを使用した放火殺人という手段選択にはその影響が(林注. 「その影響」とは「妄想の影響」である)ほとんど認められず、被告人自身の性格傾向や考え方、知識等に基づいて被告人が自らの意思で選択したものである。
と記されており、これは本稿47に記した予想判決文の次の記述部分と同じ趣旨である:  他に様々な選択肢がある中、放火という手段を選んだその意思決定には病気の影響は乏しく、被告人の性格によるところが大きいといわざるを得ない(本稿47より)

171
したがって京アニ1審判決の精神医学的なポイントは、
(1) 性格 ・・・ Aの性格はどのようなものか。それは犯行にどう影響したか。
(2) 妄想 ・・・ Aの妄想はどのようなものか。それは犯行にどう影響したか。
この2点である。

172
結論を先に述べると、
(1)性格についての1審裁判所の判断は明白な誤りである。
(2)妄想の犯行への影響についての1審裁判所の判断は、私は誤りであると考えるが、正しいとする考え方もありうる。これは「影響」という言葉に内在する複雑な問題に基づく。つまり「影響」という言葉をどう解釈するかによって、誤りであるとすることも正しいとすることもできるということである。

173
このように断言すると、「裁判所がそんな誤りを犯すはずはない。報道と判決書を見ただけで林に何がわかるのか」と思われるかもしれない。そう思われるのは当然だが、裁判所の判断が正しいか誤りかは、この後の本稿の記述をお読みになって冷静にご判断いただきたい。裁判所が誤りを犯しているのは間違いないことを十分に理解していただけることと思う。「裁判所がそんな誤りを犯すはずはない」に対しては、「裁判所は、誤っていることを十分に承知で、誤った判断を下した可能性がある」ということをここに指摘しておきたい。つまり裁判所が故意に誤りを犯した可能性である。これが京アニ裁判において、そしてさらには精神障害者が被告人であるときの裁判において、しばしば発生する非常に重要な事項である。本稿の最終部分でこの点について説明する。

174(性格)
京アニ裁判では、犯行に性格が強く影響したという判断が、完全責任能力、ひいては死刑判決の決め手とさえいいうる重要なポイントになっているが、性格についての裁判所の判断は、その重要性とは著しく不均衡な粗雑なものであった。

 

175
その粗雑さは判決書のこの記述に象徴的に現れている:
性格傾向について、P鑑定とQ鑑定は、おおむね同様の判断である。

176
裁判所はAの性格傾向についての判断の前に、Aの精神障害についての判断を述べている。本稿に前述の通り、Aの精神障害の診断は、P鑑定は妄想性パーソナリティ障害、Q鑑定は妄想性障害で、P鑑定の診断が誤りであることは本稿98-107に前述の通りであるが、裁判所はこの点については正しく判断し、P医師の診断過程には問題があることを指摘し、AはQ医師の診断の通り、妄想性障害であるとしている。

177
そのように判断するのであれば、P医師によるAの性格傾向についての判断も誤りであるとしなければならないはずである。なぜなら妄想性パーソナリティ障害であるという診断には、Aの性格傾向についての判断が、決め手といえるほど大きく関係しているからである。ところが裁判所は、妄想の成り立ちについての判断のみに着目してP鑑定を否定している。本来はそれだけでは妄想性パーソナリティ障害の診断を否定することはできない。妄想性パーソナリティ障害でも妄想性障害でも、妄想の成り立ちはほとんど同じだからである。したがってP鑑定の診断を否定するのであれば、P医師によるAの性格傾向についての判断こそを否定しなければならない。

178
ところが裁判所は、P鑑定とQ鑑定の違いとして、①妄想が相互に関連しているか否か ②妄想が現実の行動に影響しているか否か の2点に着目して論考を進め、Q鑑定の方が正しいと結論している。

179
178の①と②の2点についてP鑑定とQ鑑定が違っているというのは事実であろう。しかし①と②は診断が妄想性パーソナリティ障害か妄想性障害かということには何の関係もない。すなわちP鑑定を誤りであると断じた結論については裁判所の判断は正しいが、その結論に至る論法は精神医学的には荒唐無稽ともいえるものであり、裁判所の無知には目を覆いたくなるばかりである。裁判所は偶然に正しい結論に到達したにすぎない。

180
本稿100-105で指摘した通り、P医師によるAの性格傾向についての判断は明確な誤りである。そしてそのことは弁護人によるP医師尋問で明らかにされているのも明白である。にもかかわらず裁判所は、判決書ではそのことには全く触れずに、しかもP鑑定の診断を否定しておきながら、P医師によるAの性格傾向判断は正しいとしている。

181
そしてQ医師も同じ判断をしているということを述べることで、裁判所の判断が正しいかのような印象を与える工夫をしている。判決書には次のように記されている:
Q医師は独自には心理検査等を施行しておらず、P医師が十分な心理検査等を行なっているとして、これを前提に前記性格傾向を分析し、 P医師の心理検査の評価は正当であると指摘している。

182
ここでもまた、裁判所の無知には目を覆いたくなるばかりである。精神障害を発症した後に、しかも強度の妄想を有している状態で施行した心理検査から、もともとの性格傾向について十分に信頼できる結果が得られるはずがないのは精神医学の常識である。いや、「精神医学の常識」を持ち出すまでもなく、心理検査には精神障害の影響が出るのは誰にでもわかる常識であろう。その常識さえ裁判所はそなえていないのではないかと弁護人は危惧したのであろう、弁護人は本稿122ですでに記した通り、Q医師に法廷でこの点を質問している。(122 弁護人「妄想性障害でずっと妄想の世界にいたことは性格、パーソナリティーに影響を    与えていると思うか」  Q医師「何をもってパーソナリティーというか。行動パターンや感情の持ち方ということで言うなら、いらだちのしやすさに妄想の影響はあったと思う。教科書的にも、被害妄想があると、いらいらしやすくなる」)

心理検査は「行動パターンや感情の持ち方」をみるものであるから、長年妄想を持ち続けていたAの心理検査結果に妄想の影響が色濃く出るのは当然である。つまり心理検査ではAのもともとの性格傾向を知ることはできない。ところが裁判所はQ医師のこの証言を無視し、「P医師が十分な心理検査等を行なっているとして、これを前提に前記性格傾向を分析し、 P医師の心理検査の評価は正当であると指摘している。」と判決書に記しているのである。

183
判決書の別の部分には、Q医師の見解として次のように記されている。
被告人は、独善性、猜疑心が強い、怒りやすい、攻撃行動をしやすいという性格傾向を有している。
本稿の資料とした報道の範囲内には、Q医師のこのような証言は存在しない。Aの性格傾向についてのQ医師の証言は上(181)に紹介した本稿122の弁護人からの質問への回答以外には見出せない。しかし実際には他にもQ医師がAの性格傾向について証言していて、それが報道されていない可能性は否定できないので、上の引用部分がQ医師の法廷での証言に正確に基づいている可能性はある。しかしQ医師が「医師が十分な心理検査等を行なっているとして、これを前提に前記性格傾向を分析し」たとすれば、Q医師によるAの性格傾向についての判断も誤りである。

184
この誤りについての弁護人からの指摘が判決書に記されている:
弁護人は、病気発症後の心理検査等は病気の影響を受けることから、P鑑定の指摘する攻撃的な性格傾向等は、病気発症前の被告人本来の性格傾向ではなく、妹や母による幼少期や定時制高校時代のエピソードから、被告人は本来明るく社交的な性格ではないかと主張する。

妹や母による幼少期や定時制高校時代のエピソード」の具体的内容は報道からは不明であるが、もしそのエピソードが、決して攻撃的なものではなく、明るく社交的なものであれば、弁護人のこの指摘は的確である。また、それ以前に基本的かつ重要なこととして、「病気発症後の心理検査等は病気の影響を受ける」という指摘は100%正しい。

185
弁護人のこの指摘に対する裁判所の回答は実に非論理的で、しかも欺瞞に溢れており、これもまた目を覆いたくなるものであった。

186
裁判所は判決書の中で次の通り回答している:
しかしながら、Q鑑定によれば、妄想性障害においては、統合失調症の場合とは異なり、通常、屈曲点、すなわち、人柄、物の見方や行動パターン等が病気発症後に急に変化することはないというのであって、被告人の場合も、妄想性障害の影響のみによって攻撃的な性格傾向等を有するに至ったとはいえない。

187
これは判決書によく見られる、欺瞞的な論法である。

188
186の前半部分、「妄想性障害においては、統合失調症の場合とは異なり、通常、屈曲点、すなわち、人柄、物の見方や行動パターン等が病気発症後に急に変化することはない」は正しい。しかし前半部分から論理的に後半部分を導くことができないのは、よく読めば明白である。逆に言えばよく読まないと気づきにくい工夫がなされているから、これは欺瞞である。

189
欺瞞は二つある。一つは、前半部分の「急に」を裁判所は無視していることである。被告人Aは長年にわたり妄想を持ち続けていたのであって、それによって「人柄、物の見方や行動パターン等」が変化したのではないかと弁護人は指摘しているのであるから、「病気発症後に急に変化することはない」という回答は弁護人からの指摘に対する答えになっていない。

190
もう一つは、「妄想性障害の影響のみによって攻撃的な性格傾向等を有するに至ったとはいえない」の「のみ」という言葉の部分である。いかなることであれ、「・・・のみによって・・・に至ったとはいえない」という命題は、まず間違いなく常に真である。いかなることにも、その結果に至るまでには複数の要因が関連している。中でも特に人間の「人柄、物の見方や行動パターン等」というような事象であればその複数の要因が複雑に絡み合っているのは当然である。つまり裁判所はここで、常に真である命題(恒真命題)を提示しているにすぎず、被告人Aについては何も言っていないに等しい。しかし文脈からはあたかもAについての判断を示しているような印象を与え、そして恒真命題を示すことでAについての裁判所の判断が正しいという錯覚を読者に与えているのである。

191
しかもここで問題になっているのは、Aの攻撃的な性格傾向(正しくは「性格傾向」に見えるもの。なお裁判所は「性格傾向等」と「等」をつけることで論理的な批判をかわそうとしているようにも思える)の形成に、妄想が大きく影響したか否かということであって、妄想のみが影響したか否かということではない。裁判所は問いをすりかえている。

192
なお、私は本稿117で述べた通り、被告人Aの診断は統合失調症である可能性の方が高いと考えているから、「妄想性障害においては、統合失調症の場合とは異なり」というように、 Aの診断が統合失調症でないことを前提としての論考は、前提の段階で誤っていると考えるが、裁判所がQ鑑定の診断を正しいものとして採用した以上、妄想性障害という診断が正しいという前提に立てば、論理としては誤りとはいえない。真実を明らかにすることこそが裁判の目的であるとするならば誤りであると私は考えるが、診断の誤りについては本稿ではこれ以上は追及しない。

193
判決書には186の引用部分に続けて次の通り記されている:
また、弁護人の指摘する定時制高校時代のエピソードについて、P鑑定によれば、物事が順調に進むときには人の欠点や短所などは出てこないというのであり、被告人についても、定時制高校時代は順調な生活であったため、攻撃的な性格傾向等が現れていなかったにすぎず、妹が述べる、専門学校を辞めて実家に帰ってきた頃から猜疑的、怒りっぽくなったというのも、専門学校時代に学業等がうまくいかず、欠点や短所が浮き彫りになったものと考えられる。

つまり裁判所は、定時制高校時代にAが明るかったのは、彼の本来の性格ではなかったと言っているのである。

194
これは実に呆れた判断であってあいた口が塞がらない。このような論法が成立するのであれば、いかなる被告人においても、「もともと彼/彼女は攻撃的な性格で、犯行はその性格の現れである。以前において攻撃的なところが見られなかったとしても、それは当時は本来の性格が現れていなかったというだけのことである」という理屈によって、常に犯行を性格によるものであるという判断が下せることになる。

195
そこには、何が何でも被告人Aのもともとの性格は攻撃的であったことにしたいという裁判所の意図が透けて見える。透けて見えるというよりありありと見えるというべきであろう。そしてその先には「京アニ事件は被告人Aの性格によって引き起こされたものである」という結論があり、さらにその先には「被告人Aは最大限の非難に値する」という結論があり、そしてその先の最終結論として「被告人Aは最高刑」という判決がある。

196
裁判所はこのように先を見通すことによって192のような欺瞞的論考をしていると考えられるが、193にはそれが欺瞞に見えにくい工夫がなされている。一つは「P鑑定によれば」と専門家の意見に依拠するという形を取っていることであるが、しかし、裁判所はP鑑定を誤りであると否定しているのであるから、この部分だけP医師の意見を採用するのは不合理である。

197
ただここに、裁判所の思慮深さ・深謀遠慮を読み取ることができる。裁判所は、Q鑑定が正しく、P鑑定は誤りであると判断したのであるが、その判断根拠として、本稿178に記した通り、P鑑定とQ鑑定の違いとして、①妄想が相互に関連しているか否か ②妄想が現実の行動に影響しているか否か の2点に着目して論考を進めている。しかしP鑑定の最大の誤りは、Aの性格についての論考部分なのであるが、それについては判決書には一切触れられていない。つまり裁判所は、「Aの性格は攻撃的」という判断を否定する根拠となる事実を判決書では伏せているのである。これは証拠に基づく論考としては明らかに歪んでいるが、裁判所としては、京アニ事件へのAの性格の影響を否定するあるいは弱める事実を見えにくくするという基本方針に基づいて、P鑑定否定において性格判断とは別の部分を指摘するという論法をとったのであろう。

198
また、判決書には、193の引用部分に続けて次の通り記されている:
定時制高校時代等の被告人は明るく社交的であったなどのエピソードがあるからといって、攻撃的な性格傾向等が被告人の本来の性格傾向でないとはいえない。

これも、この部分だけを読めば、恒真命題であるから、正しい記述である。「・・・のエピソードがあるからといって・・・な性格傾向等が・・・の本来の性格傾向でないとはいえない」と一般化してみればすぐわかることである。この命題は常に真である。何らかのエピソードだけを根拠に本来の性格傾向について結論を出せるはずがないからである。

199
つまり裁判所は、本稿190と同様、判断の理由としては非論理的な論法を駆使し、しかし結論は恒真命題を示すことによって、あたかも裁判所が正しい判断をしているかのような錯覚を読者に与えているのである。

200
そこまでしてでも裁判所は、194に述べた通り、何が何でも被告人Aのもともとの性格は攻撃的であったことにしたいのである。その事情を図11に追記した形で図13として下に示す。

図13
12261-fig13

201
判決書には「性格傾向について」というセクションの中で、妄想の発生時期についてもわずかだが言及している。それは弁護人からの主張、すなわち、コンビニエンスストア勤務時代から既に被害妄想が生じていた可能性に対する回答の形を取っている。下の図14に示した通り、Aの全病歴を俯瞰してみれば、コンビニ勤務時代(図でイエローで示した)には精神病性障害(この語は統合失調症と妄想性障害の両方を包括する精神医学用語である)を発症していたとみるのが当然であって、それを否定するためには相当な根拠が必要である。そして裁判所が根拠として述べている内容は、202以下に示した通り、とても根拠とは言えないお粗末なものであった。

図14
12261-fig14

202
鑑定を行ったQ医師は、コンビニ勤務時代に妄想があったか否かの判断を保留しているのであるが、その理由は裁判所が指摘するように、

Q医師は、コンビニエンスストア勤務時代の被告人の供述については客観的な資料がないため、妄想が生じていたか否かの判断を留保していると述べているにすぎない。

ということであった。この場合、「と述べているにすぎない」のは、Q医師の慎重な姿勢の反映であって、前述の通り、Aの病歴全体からみれば、この時期には既に被害妄想があったと推定するのが精神医学的には常識である。
ところが裁判所はとんでもない素人判断でその常識を覆している。

203
被告人は、(中略) 真面目に働けば働くほど周囲の人間が仕事をサボり、被告人に仕事を押し付けてきたことや、同僚に腹を立てて辞めさせたこと等を供述している

と判決書に記されている。精神病性障害を有する患者がこのような物の捉え方・言動であるのは非常によくあることであるから、Aの場合も当然にこれは妄想の影響であると考える必要がある。

204
ところが裁判所は次のように判断している:

当時の上司の供述から、被告人が黙々と仕事をしていたことや、同僚を怒鳴りつけて二、三人が辞めたこと等が認められ、被告人の上記供述には一定の裏付けがある。被告人なりに努力する一方で周囲がサボっていると感じ同僚を怒鳴り付けて辞めさせるなどのことは一般的にもあり得ることであり、被告人の上記供述はおおむね実際の出来事を述べたものであると認められ、これが妄想である可能性があるとはいえない。

205
欺瞞をもっともらしく見せることにおいて、裁判所の技術は大したものであると、私はこれを読んで感心してしまった。そこには190, 198, 199で指摘した、恒真命題の活用と同種のテクニックが用いられている。すなわち204引用最終部分の「被告人の上記供述はおおむね実際の出来事を述べたものである」こと自体は事実であり、その内容が妄想でないことは確かである。これは恒真命題とは異なるが、「真なる命題である」という意味では恒真命題と同種の絶対的な説得力を持っている。したがってこの部分だけ読めば裁判所は正しい判断を下しているように感じられるが、ここに欺瞞がある。

206
なぜならここで問われているのは、「被告人の上記供述」の内容自体が事実か否かではない。「被告人の上記供述」の内容に至った被告人の精神状態こそが、当時被告人Aが妄想を有していたかどうかを推定するうえでのポイントなのである。裁判所がそれを理解していないはずはないが、裁判所は露骨に論点をずらしている。その理由が「Aは妄想を有していなかった」ということにしたいためであって、そのようにしたい理由は、犯行がAの性格の影響よってなされたことにしたいためであることは明白である。本稿200で述べた通り、裁判所は、何が何でも被告人Aのもともとの性格は攻撃的であったことにしたいのである。そのためには妄想の発生時期をできるだけ遅い時期にする必要があったのである。

207
Aが同僚二、三人を怒鳴りつけて辞めさせたという事実があることを裁判所は認め、そういうことは「一般的にもあり得る」と指摘している。そういう事実が一般的にもあり得ることは当然であるが、精神病症状の影響を受けた行動の大部分は一般的にもあり得ることばかりなのであるから、「一般的にもあり得る」こと自体は、精神病症状の影響を否定する根拠にも肯定する根拠にもならない。「一般的にもあり得る」ということをもって精神病症状の影響を否定するのは思考停止でしかない。そこに精神病症状の影響があったか否かを推定するためには、全体像からの考察が必要である。その観点からAのこのエピソードを見れば、まず、繰返し指摘したように、経過全体を俯瞰すれば、この時期に精神病性障害を発症していた可能性は高いことに加え、「周囲の人間が仕事をサボり、被告人に仕事を押し付けてきた」は職場で比較的よくある被害妄想であるし、「仕事をサボり、被告人に仕事を押し付けてきた」からといって、怒鳴りつけて辞めさせるというのは、精神病性障害に伴う攻撃性として十分にあり得ることである。もちろん言えるのは「あり得る」までであって、その意味では裁判所による「一般的にもあり得る」という判断と同レベルであるが、裁判所は単に表面的な事実のみに着目して、「一般的」という判断の方を採用して妄想の可能性を棄却しているのであるから実に浅薄な論考であると言わざるを得ず、相対的には経過の全体像というAに特化した事実と、精神病症状の現れ方という精神医学的一般論をあわせたことによる判断の方がはるかに勝ることは言うまでもないであろう。つまり裁判所は、妄想の影響を極力過小評価し、性格の影響を極力大きく評価するために、なりふり構わず浅薄な判断をしているのである。

208
こうしてAの性格がもともと攻撃的であるという足場を固め、さらに妄想の発生時期を可能な限り遅い時期に設定した裁判所は、犯行への妄想についての考察に入る。

209
その前にごくごく日常的なシーンをお示ししたい:

あなたは午前中の仕事を終えて昼休みになった。空腹を満たそうと外食に出る。職場のすぐ近くには寿司屋があるが、ランチに寿司はちょっと高いかなと考える。少しだけ離れるとトンカツ屋と蕎麦屋がある。どちらも好物だが、最近運動不足だし、トンカツはちょっとカロリー過多かなと考える。今日は蕎麦屋に行くことにした。注文はカロリーを考慮してざる蕎麦にした。

210
何を突然に場違いな話をし出すのかと言われるかもしれないが、いま私がたまたまランチタイムでこんなことを持ち出したわけではない。このあとの話に繋がるので、先入観なしで209をお読みいただきたかったという意図である。

211
ざる蕎麦のことは心の片隅に置いていただくとして、本題に戻る。犯行への妄想の影響である。当然ながら裁判所は、妄想の影響を否定することによって性格の影響を確固たるものにするのであるが、その論法は本稿ですでに予想した内容そのものであった。一つの図に要約すれば下の図15の通りである。

図15
12261-fig15

212
性格の影響をできるだけ大きく評価し、妄想の影響をできるだけ小さく評価する。裁判所のこの方針は確固として揺らぐことはない。上の図15にそれがありありと見えているが、特に重要なのは図15の c すなわち犯行の決意と実行の段階が「自分の意思」によるという判断である。本稿125で述べた通り、裁判所のこの判断にはQ医師の「復讐というか、困っている状況を解決する手段については、病気と関係なく、彼自身が選んだことだと思います」という証言が決定的に影響した。判決書にもQ医師のこの証言がほぼそのまま引用されている。Q医師の論法は下の図7 (125からの再掲)の通りである。

図7 (再掲)
12261-fig7

213
ではこの論法は正しいと言えるのだろうか。あなたはざる蕎麦を選択した。それは確かにあなたの意思である。しかしあなたは空腹だったからこそランチを食べに出たのである。そして最終的にはざる蕎麦を選んだ。あなたの行動についての評価を求められた鑑定医Zが評価する:
「あなたが職場を出たのは空腹だったからだ。つまり動機形成には空腹が影響していた。しかしざる蕎麦の注文はあなた自身が選んだことだ」
この説明の妥当性をどう考えるかということが、Q医師の、そして裁判所の説明の妥当性にそのまま繋がる。

214
鑑定医Zはこう言うであろう。
「あなたは、寿司はランチとしてはちょっと高いと判断した。それはあなた自身の判断であって、空腹とは関係ない。あなたは、トンカツは高カロリーであるというあなた自身の知識に基づいてトンカツ屋を棄却した。そこにはあなたは最近運動不足だというあなた自身の事情もある。これらもまた空腹とは関係ない。あなたは蕎麦屋でカロリーのことを考えてざる蕎麦を注文した。空腹とは関係ない。以上の論考から導かれるのは、あなたがざる蕎麦を注文したことには、空腹の影響はほとんどないか、全くないということである。」

215
こんな論考は馬鹿らしすぎてギャグにもなるまい(図16)。

図16
12261-fig16

216
裁判所は判決書にこう記している。
被告人の妄想は、(中略) 動機の形成に影響しているが、攻撃の範囲や方法として京アニ全体に対する放火殺人という手段を選択するかという点には影響していないと認められる。

裁判所のこの記述自体は正しいとする余地はあろう(実際は正しくないと私は考える・・・このことは223に後述する)。しかしこれを次の記述と比べてみるとどうか。

あなたの空腹は動機の形成に影響しているが、注文する料理や方法として外食として手段を選択するかという点には影響していないと認められる。

そう言われればあなたは、「そう言われればそうだけど・・・」と認めるかもしれないし、認めないかもしれないが、「だから空腹はざる蕎麦の注文にはほとんど、または全く影響していない」という指摘はいくらなんでも認めないであろう。空腹だったからこそ外食に出てざる蕎麦を注文したのであって、そもそも空腹でなかったらそんなことはしなかった、空腹の影響は相当にあったのであって、そんなふうに一連の行動を切断して空腹の影響を切り離すなんておかしい、と言うであろう。ところが裁判所はそれを行ったのである。

217
判決書には216と同趣旨の記述が複数あり、その度に「妄想の影響はほとんどない」と結ばれている。つまりAの行為を切断し、妄想の影響を切り離すことで、妄想の影響を除外しているのである。

218
判決書には「妄想の影響は全く認められない」という記述もある:
8人程度が死亡した事件等の過去に起きたガソリンを使用した放火殺人事件を参考にして、ガソリンを使用した放火殺人を選択したのであり、具体的な攻撃手段の選択は被告人自身の知識によるもので、妄想の影響は全く認められない。

裁判官様はこうおっしゃっているのであるが、では鑑定医Zのこの記述はどうか:

あなたは過去に観察した他の客の行動を参考にして、テーブルの上の割り箸を手に取り、ワサビはそのまま蕎麦に少量つけて、その蕎麦を蕎麦つゆにさっと浸して食べることを選択したのであり、具体的な食べ方の選択はあなた自身の知識によるもので、空腹の影響は全く認められない。

人間の一連の行動を切断して、その行動の出発点にあった動機を切り離すというのはこういうことなのである。

219
比喩というものはもちろん限界がある。一つは、ざる蕎麦を食べるのは犯罪ではないが、放火殺人は犯罪であるということである。ある任意の動機に対して、実行方法が複数あるとき、人にはその中で違法でない方法を選択することが当然に求められるのであって、あえて違法のものを選択するのは非難に値する行為である。その行為を選択したことが動機との整合性があることは、非難の程度をいささかも低減するものではない。「それを選択したのは自分の意思によるのだ」という指摘自体はほとんど何の意味もないが(本稿67に記した通り、人が行為を選択するのは自分の意思に決まっている)、その「違法な行為を」選択したのは自分の意思によるのだ という指摘には大いに意味がある。その指摘はそのままその人物を非難する根拠になる。この意味で、ざる蕎麦の比喩は失当であるという批判は十分に根拠がある。

220
日常の一場面で、放火殺人にあたるような例を探すのは困難あるいは不可能である。そこで違法ではないが望ましくない行為の例を探すことになる。運動不足で体重が増加し、血液検査上も食事のカロリー制限が必須である状況にあるあなたが、先ほどの状況で、蕎麦屋でなくトンカツ屋を選択したとする。あなたは自分の意思でトンカツ屋を選択したのである。このときあなたの行為は非難に値するか。

221
非難に値するであろう。(ここで、健康管理は本人自身の問題なのだから他人が非難するとかしないとかいう問題ではないという正論は脇に措いておくことにする)
ただしこのとき、あなたの空腹の程度という要因を考慮しなければならない。あなたはここのところ激務が続き、食事をする時間さえほとんどなく、何食も抜いている状態だった。この強烈な空腹状態を解消するためには蕎麦ではとても無理であった。だからトンカツを選択した。通常の空腹状態であれば、カロリーのことを考えてもっと穏やかな選択をしたであろう。だがこのときは並はずれて強烈な空腹状態だったのである。それでも非難できるだろうか。

222
妄想の場合も同様のことがいえる。被害妄想は精神病性障害(精神病性障害は妄想性障害、統合失調症を包含した概念である)において非常に頻度が高い症状であるが、被害妄想を有している患者の中で激しい攻撃行動に出るケースはその中の一部である。すると、本稿86に述べた通り、妄想に基づく激しい攻撃行動の説明としては、(1)妄想がきわめて強固 (2)もともとの性格 (3)妄想以外の思考障害の関与 を考える必要がある。事例によって、この三つのどれか一つでほぼ説明できる場合もあれば、3つのうちの2つまたは3つすべてが関与したと考えないと説明できにくい場合もある。

223
被告人Aにおいては、(1)妄想がきわめて強固 であることは確実である。Q医師も
被告の妄想性障害は重度で、「妄想に基づく行動への強い圧力、妄想に非常に悩まされている」状態に該当する
と証言している(本稿118)。判決書から読み取れる限り、この証言を裁判所は無視したようであるが、私もQ医師のこの証言の通り、あれだけ強固な妄想を有している以上、妄想は京アニに対するAの言動すべてに強く影響するのは当然であって、それは「攻撃の範囲や方法として京アニ全体に対する放火殺人という手段を選択するかという点」にも影響したのは当然であると考える。その点には影響していないという裁判所の論考が正しくないと私が考えると言った(本稿216)のはこの理由による。

224
(2)もともとの性格 については、すでに指摘したとおり、裁判所はAの性格傾向について明らかに誤った判断をしているが、とにかく裁判所はAが「独善性、猜疑心が強い、怒りやすい、攻撃行動をしやすい」と判断している。
(3)については、Aが統合失調症であるとすれば(3)の影響があると考えるべきであるが、この裁判ではAは統合失調症ではないことになっているので、(3)の影響は除外されている。

225
かくして、妄想の影響は否定され、行為を自分の意思で選択したことのみに焦点が絞られことによって、Aには最大限の非難が向けられる。
あなたがトンカツを選択したことについて、並はずれて強烈な空腹状態の影響は否定され (「影響」の否定以前に、「並はずれて強烈な空腹状態だった」こと自体が否定され)、あなたには最大限の非難が向けられる。

226
このようにして裁判所は、性格の影響を最大限に大きく評価し、妄想の影響を最小限に小さく評価するという基本方針を、まったくブレることなく貫き、
「犯行はAの性格傾向による。精神障害の影響はほぼなし。よって完全責任能力」
という結論を確固たるものとして示した。判決書のそれ以後の部分には図12(再掲)の通り量刑の理由が詳しく述べられ、死刑判決という結論が導かれている。

図12 (再掲)

京アニ図12

227
京アニ1審裁判所が判決書に示した論理は、誤りがあまりに目立つ粗雑なものであった。間違いだらけであったと言ってもよい。

228
京アニ1審裁判所が下した結論は、しかし、正しいとみる余地がある。結論とは死刑判決である。

229
論理が間違いだらけなのに結論が正しいということは普通はあり得ない。普通そのような事態は、偶然に正しい結論に達したということにすぎない。でたらめな計算でたまたま答えだけ正しかったというようなものである。

230
しかし京アニ1審裁判所の結論が正しいとすれば、それは偶然に達したのではなく、裁判を始める前から正しい結論は決まっていたというのが真実であろう。京アニ事件は、我が国の歴史上、戦争以外では最大数の死傷者を出した未曾有の凶悪事件である。他の凶悪事件の被告人の刑罰と比べたときの公平性からいっても、死刑判決以外はあり得ないとするのはひとつの理にかなった考え方であろう。

231
少なくとも1審裁判所はそのように考えたと思われる。犯行の分析から判決に至る論理を示した図12(226)は、したがって、下の図17が正確な図である。すなわち、判決書に示された論理構造は「責任能力」→「量刑の理由」→「判決」の順に進められているが、実相は矢印の方向が逆で、判決がまずあって、そこから逆算することで判決書が成り立っているのである。

図17
京アニ図17

232
もっと厳密に表現すれば、図17は図18になる。この二つの図の最も大きな違いは、「量刑の理由:強い非難に値する」と「判決:死刑」を結ぶ矢印が、図17では右から左に向かう一方向であるのに対し、図18は両方向矢印になっていることである。つまり、図18に赤で囲んで示した通り、1審裁判所の判決の起点は、「(被告人Aは)強い非難に値する」なのである。

図18
京アニ図18

233
本稿「転」までに示してきた通り、京アニ1審裁判所の判断は、間違いだらけである。そしてその間違いは、精神医学的な論考にとどまらず、それ以前の論理の段階で多発しているのであるから、あまりに粗雑な判決書であって、文明国の裁判としては恥ずべきものであるといっていいくらいである。

234
しかしそれでも、結論としての判決は正しいとみる余地があることの理由は、図17(231)や図18(232)に示した「逆算」という論法を正しいとみる余地があるからである。

235
図18(232)の説明に記した「京アニ事件は一見しただけでも強い非難に値する」ことは、誰もが認める事実であろう。あれだけ多くの人々が理不尽に生命を奪われた、その事件を起こした被告人Aが強い非難に値しないはずがないのは当然である。そしてその非難は、法律で定められた最も強い刑罰に値すると考えるのもまた当然である。だから京アニ1審裁判所は、死刑という結論から逆算して、犯行への妄想の影響を最小限に過小評価し、性格の影響を最大限に過大評価したのである。

236
では、この過小評価・過大評価を目的として裁判所が行った事実の歪曲はどこまで正当化できるのか。

237
裁判所は京アニ事件について、私などより深く考え、また、大所高所から判断しているはずである。本稿で指摘してきたような、判決書の間違いに気づいていないはずはない。裁判所自身が事実を歪曲していることに気づいていないはずがない。ということは裁判所は、この裁判で行った程度の事実の歪曲は正当化できると考えているということである。つまり京アニ1審裁判所は、死刑判決という結論こそが最も重要なのであって、その結論を出すためには、この判決書に記された程度の事実の歪曲は、事実の歪曲とは言えないと暗に言っているのである。

238
裁判所に事実を歪曲させたのは、社会からの圧力である。

239
圧力というと不当な力のようだが、社会の大部分の人々が正しいと考えるのであれば、それは正当な圧力ということになろう。

240
報道のトーンもその圧力が強く感じられるものであった。

241
「裁判で真相解明を」
裁判開始前から判決が出されるまでの期間、報道の大部分でこのスローガンが叫ばれていた。このスローガン自体は、どこからも批判や反対が出る余地がない、一種の恒真命題的なものである。プラカードに黒々と書かれた、実質的には意味がないただの言葉である。

242
実質はプラカードの裏に書かれている。それは、「被告人に厳罰を」と「再発防止を」である。

243
このうち、「再発防止」が、表面的には強調されていたものの、現実にはお題目にすぎず、最優先されていたのは「厳罰」であったことは否めない。

244
京アニ事件においては、「真相解明」は、「厳罰」を前提としたものであって、「真相解明した結果、被告人は厳罰に値すると結論された」が、予定調和的なシナリオであった。そして厳罰とは最高刑であり、現代の我が国の最高刑は死刑である。

245
しかし逆に、「真相解明した結果、被告人は厳罰(=最高刑。死刑)には値しない」という結論もあり得たはずである。

(続きは後日書きます)

05. 10月 2023 by Hayashi
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