ケースファイルで知る
統合失調症という事実
   
    林 公一 著  村松 太郎 監修
  2013年1月31日

電子増補版 2014年1月

統合失調症についての事実を、一冊の本に凝縮して示したい。
私は何年も前からそう考えていました。それがようやく形になったのが本書、「ケースファイルで知る統合失調症という事実」です。これがその目次です。

事実を示す。わかりやすく示す。本書を執筆しながら、私が常に考えていたのはこの二つです。どの一行、どの一語を書くときも、この二つを常に意識していました。そうして完成したこの本には、従来の統合失調症の本にはなかった数々の特長があります。

その一つは、ただ実例を示すのではなく、本人の目から、家族の目から、同僚の目から、医師の目から、統合失調症がどのように見えているか、感じられているか、考えられているか、を示しているということです。統合失調症という非常に複雑な多面体を、色々な角度から見た場合の見え方を示している、と言ってもいいかもしれません。

たとえば「症状」という章題である第1章のcase1-4は、会社に途中入社した男性から、身に覚えのない激しい非難のメールを受け取って困惑する同僚の思いが示されています。この同僚の方は、自分がそれと気付かないうちに、彼を傷つける言動をしてしまったのだろうかと苦悩しています。これは、統合失調症の人が職場の同僚に対して被害妄想を持った場合に起こる、ひとつの典型的なパターンです。
 そしてcase1-5として、この男性が受診した病院の精神科医のカルテが示されています。これにより、職場の人々を困惑させた彼に、実は統合失調症の症状がいくつも現れていたことがわかります。さらにはそれに対する医師の見解や接し方、治療方針も開示されています。
 このような統合失調症の全体像は、本人、同僚、医師など、複数の視点からの描写があって初めて明らかになるものです。統合失調症に見られる症状は、現代では本やネットに多数示されていますが、現実に身近に統合失調症の人がいた場合、直接にわかるのは症状のごく一部にすぎませんから、統合失調症についての一般的な知識を持っているだけでは、なかなか統合失調症であることに思い当たらず、仮に思い当たったとしても、どう対応していいかわからないのが常です。本書では、様々な視点からの描写により、こうした状況から脱することを目指しています。

(2013.4.5.)

第2章は「治療」です。統合失調症の治療といえば、抗精神病薬が医学的に確立していますが、治療は薬を飲んでいればいいというわけではなく、「薬による治療」と「薬プラスの治療」の両方があって初めて良好な経過が得られるものです。
 しかし現実には、そもそも治療そのものが始められていない統合失調症の人がとてもたくさんいらっしゃることは、精神科Q&Aをお読みになれば明らかでしょう。ですからこの本の「治療」と題した第2章ではまず、治療を始めることがいかに大切か、そして、最初の症状がいかに重症に見えても、あるいは不思議なものに見えても、あるいは病気ではない何かのように見えても、適切な治療を受ければいかにきれいに改善するかを、実例を通して示しました。第2章には、「最初の症状は、薬でおさまります」という副題をつけました。最初の症状を、まずおさめる。そのために必要なことは次の三つです。
1. 統合失調症ではないかと気づき
2. 精神科を受診して診断を受け
3. 処方された通りに薬を飲む。
この三つ、実に単純です。ところが、この単純なことが実行されないために、悲しい経過となっている統合失調症の方が驚くほど多いのです。

(2013.5.5)

第3章は「無治療」です。
単純な治療さえ実行されないためにもたらされた悲しい経過。そういう実例の紹介です。
悲しい経過のひとつのパターン、とても多いパターンは、幻聴や被害妄想のような陽性症状の悪化が続くというものです。この第3章では、「家族の目から(case3-1)」、「隣人の目から(case3-2)」の2例を中心に紹介しています。もうひとつのパターンは陰性症状の悪化と固定化で、家にひきこもり、生産的な行動ができないばかりか、衛生状態なども低下してしまいます(case3-3)。さらに、最悪の帰結ともいえるケースとして、刑事事件につながった例も紹介してあります(case3-4)。林の奥の2013.9.30.にも、アメリカで起きた重大事件について記してありますが、統合失調症のこうした面が、現在まで、あまりに隠蔽されてきていることは否めません。それは、表面に出すことで病気への偏見を高めてしまうことが危惧されていたためでもありますが、どんなことであれ、事実から目をそむけ続ければ、いつかは破綻が訪れるものです。
 精神医学の古典的な本には、慢性化して悲惨な状態になった統合失調症の描写がたくさん記されています。本書第3章の章末には、そうした描写の一部を引用しました。治療を受けなければ、統合失調症は悲惨な病気です。

(2013.10.5.)

第4章は「再発」です。
統合失調症は、治療を受ければ最初の症状はまずおさまります。最初の症状(多くは幻聴や被害妄想です)がかなり重くても、適切な治療を受ければあっさりおさまることが多いので、本人も家族も安心されるものですが、統合失調症の本当の治療はそれから後に始まるといっても過言ではありません。それは、いかにして再発を防止するかということです。次の第5章に示すように、再発が防止できていれば、健康な人と全く変わらない生活を続けられることも数多いものです。ところが残念ながら、再発を繰り返すケースが非常に多いという現実があります。再発の最も大きな原因は、薬を飲むのをやめてしまうことです。薬をやめた場合の再発率は100%に近いというデータも本章には示してあります。
再発した場合の状態は、第3章の無治療の状態に似て、悲惨なことがしばしばあります。この悲惨な状態も、従来の本などにはあまり明記されていなかった事実です。この状態を目の当たりにすれば、統合失調症の人に対して安易に薬をやめることを勧めるという行為がいかにその人を苦しめることになるかということを実感していただけると思います。

                                                                                        (2013.12.5.)

第5章は「生活」です。
第4章まで、統合失調症の事実のうち、主に暗い面を開示してきましたが、本章「生活」では明るい面を紹介しています。特にCase5-1は、公私ともに健康な人と全く変わらない充実した生活を送っておられる例です。このような経過が統合失調症では多数あることも、逆に悲惨な経過があることと同様、あまり知られていない事実といえるでしょう。そのほか、症状が完全にはゼロではない場合、本人や周囲の人が生活上どのようなことに注意すべきかについても、実例とともに解説してあります。
                                                                                     (2013.12.5.)


第6章は「予防」です。
この章には次のようなサブタイトルを付けました:
「予防のためには、統合失調症の正しい知識が広まることが必要です」
このサブタイトルの意味するところは、ひとつはもちろん、統合失調症の徴候が見られたとき、なるべく早く精神科を受診して発症を予防するためには、統合失調症の初期や前駆期の症状についての知識が広まることが必要であるということです。
けれどももうひとつ、さらに重要なことは、統合失調症についての誤解や偏見が解消され、正しい知識が広まる必要があるということです。すなわち、いかに早期の段階で、もしかしたら統合失調症かもしれないと気づかれても、誤解や偏見のために受診が遅れれば、また、仮に受診してもその後の通院などが誤解や偏見のために積極的になされないことになれば、結局は予防することはできません。
第6章の最後の部分の記述です:
統合失調症の発症を予防する。前駆症状の段階で、早期発見・早期治療する。もし発症してしまったら、適切な治療を受ける。統合失調症は、治療を受けなければ、悲惨な経過になる病気です。しかし治療を受ければ、最初の症状はまずおさまります。その後も適切な治療を続ければ、安定した状態が、さらにはごくごく普通の生活を送れるようになることまでが期待できます。早期発見・早期治療が実現できれば、さらに良い経過が期待できます。これらすべてが、統合失調症という事実です。事実を知って初めて、適切な対応が可能になります。事実とは、明るい面、暗い面、すべての事実です。
 統合失調症という事実の存在を、一人でも多くの人に、体感として知っていただきたい。そして、一人でも多くの統合失調症の人に良い経過をたどっていただきたい。
 実例を豊富に取り入れた本書を私が執筆した意図はそこにあります。

(2013.12.5.)