統合失調症についての本の理想とは —– 『統合失調症という事実 電子増補版』をめぐって

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「不都合な事実」という言葉がある。
確かに事実としてそこにあっても、誰かにとって不都合なために公開されない事実。公開されにくい事実。「無い」ことになっている事実。そんな意味だ。

「不都合な事実」の存在は不健全だ。事実である以上、隠さず公開すべきだ。
そう言い切れればすっきりするのだが、そんなふうに単純に物事は片付かない。考慮しなければならない問題が、少なくとも二つある。
第一、「誰かにとって不都合」というとき、その「誰か」とは誰か。
第二、その事実が公開されたとき、さしあたって何が起こるか。

まず第一の点について。
事実を隠したいという意図を持つ「誰か」。その「誰か」が悪意を持った人物やグループで、かつ、一定の権力を持っており、その権力を利用して自らの権益を守り拡大しようとしており、その目的のために不都合な事実を隠蔽しようとしているのであれば、「事実である以上、隠さずに公開すべきだ」という論は正当なものとして成り立つであろう。
だがそうではなく、「誰か」が病者や弱者や被差別者であった場合はどうか。

統合失調症は、病者である。多くの場合、弱者である。被差別者であることもしばしばある。
弱者としての立場がさらに弱い者になる事実。被差別者としての立場がさらに悪化する事実。
それらは不都合な事実である。統合失調症の当事者にとって、不都合な事実である。
たとえば発症した直後や再発の時期に見られる混乱や興奮、あるいは奇妙な言動。
たとえば慢性に経過した結果、人格が荒廃した悲惨な状態。
たとえば妄想に基づく他者への攻撃。そして犯罪。
これらは不都合な事実である。いや、不都合な事実になり得る事実と言うべきか。統合失調症を貶めようと潜在的に考えている人にとって、悪用しやすい事実である。すると不都合な事実になり得る。統合失調症の本人だけにとってではない。本人の家族。本人を支える人々。統合失調症という病にかかわるすべての人にとって、不都合な事実になり得る。
そんな事実は、隠蔽しておいたほうがいい。
というのが従来から大勢を占めていた考え方であった。

 

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しかし、この考え方は、現代には通用しなくなっている。少なくとも私はそう考えている。
私がそう考える一つの大きな理由は、インターネットだ。世界中の誰もが閲覧できる。誰もが発信できる。

誰もが発信できる以上、あらゆる事実が公開されることになる。
統合失調症に関していえば、それが100人に1人という高率に発症する病気である以上、社会全体ではとても多くの人が統合失調症の暗い側面を実際に目にしている。目にすればそのうちの何人かはネットに発信する。統合失調症の当事者が、症状が悪化している時期に自分の状態を発信することもしばしばある。
従来なら隠蔽され続けてきた面がネット上に公開され、それが興味深いものであれば短時間のうちに増幅されて流布する。
不都合だからといって事実を隠蔽することはもはや不可能な状況になっている。

統合失調症は病気である。病気である以上、暗い事実や悪い事実が存在する。暗い事実や悪い事実が存在しなければ、そもそもそれは病気とは言えない。

いわゆる「心ある人」は、暗い事実や悪い事実の隠蔽に努力してきた。たとえば「統合失調症は、危険な人ではない」という主張。この主張は概ねは正しい。統合失調症の大部分は危険な人ではない。だが危険な人もいるという事実は否定できない。それを隠蔽して「危険な人ではない」と躍起になって主張する人を誰が信用するだろうか。
 他方、悪意ある人は、統合失調症の中の危険な人の実例だけを公開する。悪意を含んだコメントとともに公開する。危険な人も存在することが事実である以上、それを隠蔽する人より公開する人が信用されるであろう。公開とセットになったコメントも信用されやすいであろう。少なくとも、事実を否定する人のコメントよりは信頼度が高いことは否めない。

だから精神科Q&Aでは、暗い事実も明るい事実も分け隔てなく公開している。「だから」とはすなわち、暗い事実や悪い事実を公開しないのはもはや時代遅れだということだ。

だがここには一つ問題がある。サイトとは、全ページが読まれることはまずあり得ず、拾い読みされるものであるという宿命である。
個人に拾い読みされるだけではない。一部だけがコピーされ増幅されて流布することもしばしばある。そしてそんな場合の「一部」とは、明るい事実であることはまずない。(この一文、私がサイトの無断転載を容認していると読まないでいただきたい)

たとえば発症した直後や再発の時期に見られる混乱や興奮、あるいは奇妙な言動としての
【2444】私は自然治癒力で統合失調症を治しました
【1200】姉から「TVであなたの事が流れてしまったのは、私のせいなの」と突然電話がかかってきました
【2120】ひどい状態の妹を強制入院させたい など。
たとえば慢性に経過した結果、人格が荒廃した悲惨な状態としての
【1437】55歳、統合失調症の従兄弟は自立できるか
【2384】異様な生活を続けている統合失調症の叔母は本当に治るのでしょうか など。
たとえば妄想に基づく他者への攻撃や犯罪としての
【1869】統合失調症の姉・・・結局どこにも頼れず、他人を傷つけ措置入院となりました【2443】息子が公共機関に自家用車で突入し逮捕され、鑑定留置となりました など。
これらは、一つ一つだけを読めば、たとえそれが事実を記したものであっても、かえって統合失調症への偏見を高めているという批判が成立しよう。

サイト作成の本人である私としては、サイトの一部ではなく全部読んだうえで物を考えていただきたいと言いたいところだが、精神科Q&Aだけでも現在2500以上のケースがアップされている。全部読んだうえで・・・という要請は非現実的であろう。

 

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しかし書籍であれば話は違う。
本は、よほど厚い本でない限り、すべて読むのが前提だ。
少なくとも、ある本について評価しようとすれば、全ページを読んでからでなければならない。
ネットが発達した時代に、それでも本を出版することの大きな意義の一つがここにある。

ところで、第二の点が残っている。
不都合な事実の公開をめぐる第二の点。
その事実が公開されたとき、さしあたって何が起こるか。
キーワードは下線を引いた さしあたって である。

不都合だからといって事実を隠せば、その先にあるのは自己矛盾、不信、そして破綻だ。
事実の公開こそが、究極的には望ましい結果をもたらす。

だが さしあたって はそうなるとは限らない。
絵は常に部分から描かれる。全体像が見えてくるまでには、様々な姿を取って人々の目に映る。部分だけが強調された形で映ることもしばしばある。
そうなることを予防して、最初から事実の全体を公開したとしても、その一部だけが増幅されることがしばしばある。
また増幅だ。
サイトと違って本は、コピペされて増幅されるおそれは低いが、本には別のインパクトがある。
信頼度が違う。サイトの情報とは信頼できないのが前提だが、本の情報は信頼できるのが前提だ。すると本から増幅された情報の信頼度は高い。それが一部だけを取り出した偏った情報であっても、その信頼度はサイトの比ではない。
読者層も違う。読者の構えも違う。信頼できる情報を身につけようという構えの人が、ネットに比べれば格段に多い。
すると、本に公開された事実が知られざる内容だったとき、その意外性は強いインパクトを持ち、増幅される。

では統合失調症についての暗い事実、悪い事実を本に収載するとき、どこまでなら適切といえるか。
出版するからにはそこまで考える必要が当然にあるが、実際はそんなところまで読み切れるものではない。
また、公開してから仮にまずかったと思ったとき、サイトなら削除可能だが、いったん出版した本はそう簡単には撤回できない。(とは言うものの、精神科Q&Aではこれまで削除したことはない。「いったん掲載した回答は削除しません」という方針を貫くことができている)

というふうに考えを重ねて出版したのが 統合失調症 患者・家族を支えた実例集 だ。2007年のことだった。
この本では主に 第五章 治療しなかった場合 の章に、暗い事実をある程度公表した。2007年当時、本で公開することが適切と考えられるレベルの暗い事実を収載した。

この方針は成功した。少なくとも失敗ではなかった。
「患者・家族を支えた実例集」シリーズとして私は、他に、境界性パーソナリティ障害、うつ病、躁うつ病 を出版しているが、現在までのところ、その中で最も多くの人に読んでいただいているのが 『統合失調症 患者・家族を支えた実例集』 になっている。

そして2013年に出版したのが、統合失調症という事実 (リアル版。つまり紙の本) である。ここには前著(統合失調症 患者・家族を支えた実例集) よりさらに暗い事実を加える一方、逆に明るい事実も加えた。第5章 生活 の章だ。

【2463】母の病気について教えて下さい の回答にも記した通り、精神科Q&Aに、明るい経過をたどった統合失調症の本人や家族からのメールをいただくことはとても少ない。
だから精神科Q&Aには明るいケースはほとんどない。
だが実際の臨床場面には、つまり現実世界には、明るいケースは暗いケースの何十倍も存在する。その事実もまた、隠蔽されている。自分が、自分の家族が、統合失調症であるとカミングアウトすることは、現代ではまだまだ躊躇されるからである。
『統合失調症という事実』には「生活」という章を設け、回復して安定した生活を送っておられる統合失調症の実例をご紹介した。とても明るいケース、かなり明るいケース、まあ明るいケース、それなりに明るいケース・・・いや、「どのくらい」明るいと見るかは、読者が判断されることであろう。

 

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ようやく本題に入る。統合失調症という事実 電子増補版 についてである。ここまでは前置きだ。
実は本書『統合失調症という事実』は、その企画段階から、リアル版(紙の本)と電子版の両方を出すことを前提としていた。企画段階とはいつか。覚えていない。そこで今メールボックスを確認してみたところ、2011年9月7日、編集者の方に「統合失調症という事実」というタイトルで本を執筆したいと私が書いているメールを発見した。この時が実質的なスタートだったようだ。それから1年4ヵ月後の2013年1月にリアル版出版、さらに1年後の2014年1月に電子版が配信され、本書の当初からの計画は達成された。本稿(2014.2.5.アップ) はその宣伝として書き始めたのだが、前置きがこんなに長くては、途中で投げ出されて本題は読まれぬままになり、宣伝としての目的を達成できないということにもなりそうだがまあそれはそれで仕方がない。

えーとどこまで書いたかというと・・
サイトとは違って、本には明るい実例も紹介したというところまでだった。
電子版は、「電子増補版」である。リアル版に、さらに実例と解説を追加した構成だ。
追加した実例は、リアル版よりさらに重いケースが多い。ということは暗いケースが多いということだ。
精神科Q&Aに寄せられるメールには、明るいケースはとても少ないとさっき言ったが、とても少ないのはそれだけではない。極端に暗いケースもとても少ない。
質問メールを出す方は、何らかの答えを求めて寄せられるわけだから、どう考えても有効な答えがなさそうなケースについてのメールがとても少ないのは自然である。
それでも稀にはそういうケースについての質問メールもいただくことがある。藁にもすがる気持ちがこめられている悲しい内容だ。
だが対するサイトでの私の答えは
「これは絶望です」
だ。事実を答える以上、絶望的なケースにはそう答えざるを得ない。藁にすがっても、藁は藁でしかないのだ。
だがこのような答えは、同種のケースに悩む人々の、質問メールを出してみようという意欲をそぐであろう。そして、他の偽りの希望を答える人にすがろうという方向に動かすであろう。それは質問者をさらなる悲劇に導く可能性がある。
では精神科Q&Aでは、絶望の中にも一筋の光を見出す回答をすべきか。
いや、そんなことを理由に、事実を伝えるという本サイトの方針を曲げるわけにはいかない。絶望しかないケースは、絶望なのである。そして統合失調症という病気が、あるいはその他のどんな心の病にしても、すべてが解明されすべてに有効な対応策があるわけではない以上、一定の割合で絶望のケースがあるのは当然だ。

今回の電子書籍には、とても暗いケースも収載した。サイトにはまず出てこないケースである。だが日常には厳然と存在するケース。知れば暗澹たる気持ちになるのを禁じ得ないケース。たとえば第4章 再発 の Case 4-5 殺人未遂の簡易鑑定書 は、安定していた統合失調症の男性が、薬をやめていいという安易なアドバイスに従ったため症状が急激に悪化し、妄想にかられて妻の殺害に及んだという悲惨なケースである。そのケースの解説は一行しか書けなかった:
「一日一回、たった一錠の服薬を続けていれば、こんな事件は起きなかった。」

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本稿のタイトルは 統合失調症についての本の理想とは だった。サイトの運営から始まった一連の出版、『統合失調症 患者・家族を支えた実例集』『統合失調症という事実(リアル版すなわち紙の本) 』 『統合失調症という事実 電子増補版』 は、理想の本を目指しての過程である。では最終的な理想の本とは何か。100人に1人という高い発症率から考えると、誰もがこの病気の事実を常識として知り、本などなくてもいいというのが理想だという考えに、本稿を書くうちに私は傾いてきた。

・・・いや、この結論は不都合な事実だ。本稿は 『統合失調症という事実 電子増補版』 の宣伝なのだ。 「新発売のこの本は理想に限りなく近い本だからぜひ買いましょう!」 という結論に持っていかなければならないのだ。本がないのが理想という結論はまずい。しかしどうやらこの結論を変えることはできそうにない(理想を目指す過程での現時点での到達点であるとまでは言えると思うが)。これ以上書くと、「本がないのが理想」という結論がますます確固たるものになりそうな予感がする。だからここで強引に話を転じて広告らしくまとめてしまうことにする。最も伝えたいメッセージはもちろん太字で。

価格はリアル版と同じです。内容は豊富なのに同じ価格。お得です。honto電子書籍ストアで購入できます。扱いストアはこれから増える予定ですが、今すぐ買うのが旬というもの。ここで買えます。目次とあとがきは以下の通りです。(目次のうち、太字部分は電子増補版での追加部分です)

目次
第1章 症状
・ Case 1-1 大学生の息子が別人のようになってしまった 家族の目から
・ Case1-2  皆が悪意をもっているようでとてもつらい 本人の目から
・ Case1-3  神社で踊りながら泣き叫び、入院させられました 本人の目から
・ Case 1-4  同僚からの不可解な非難 同僚の目から
・ Case 1-5  治療開始・・・精神科外来カルテより  医師の目から
・ ワンポイント 統合失調症の診断
・ Case 1-6 皆と同じようにiPodの手術を受けたい  本人の目から
・ワンポイント 思考障害
・ Case 1-7 小鳥を飼ったほうがいいでしょうか 本人の目から
・ワンポイント トレマ

第2章 治療
・ Case 2-1 薬が効きました 家族の目から
・ Case 2-2  薬を飲んでよかった 本人の目から
・ Case 2-3  説得が裏目に出ました 家族の目から
・ Case 2-4  弟が入院しましたが、先が見えません 家族の目から
・ Case 2-5  救急で受診し、閉鎖病棟に入院 医師の目から
・ ワンポイント 統合失調症の薬物療法と経過
・Case 2-6 ついに警察沙汰になってしまいました  家族の目から
・Case 2-7  拘束して今度は電気ショックなんて  家族の目から
・ワンポイント  史上最大規模の臨床研究

第3章 無治療
・ Case 3-1  両親が精神科に偏見をもっています 家族の目から
・ Case 3-2  隣人からの執拗な非難 隣人の目から
・ Case 3-3  悲惨なひきこもり  家族の目から
・ Case 3-4  強盗致死事件の簡易鑑定書
・ ワンポイント 無治療では人格水準の低下も
・ Case 3-5   結末は自殺  家族の目から
・ Case3-6  身に覚えのない非難  隣人の目から
・ Case3-7 包丁で切り付けられるという被害が出てしまいました  隣人の目から
・ワンポイント  医療観察法

第4章 再発
・ Case 4-1  薬をやめたら再発し、困り果てています 家族の目から
・ Case 4-2  薬をやめて、かえってよくなったように見えたのですが 家族の目から
・ Case 4-3  挙式を控え、頭が冴えわたり、まったく眠くならなくなりました 本人の目から
・ Case 4-4  怠薬による再発を繰り返してきた一例 医師の目から
・ ワンポイント 薬をやめると再発し、経過が悪くなる
・Case4-5  殺人未遂の簡易鑑定書   医師の目から
・ワンポイント   その人に合った薬の量とは

第5章 生活
・ Case 5-1  公私ともに充実しています 本人の目から
・ Case 5-2  熱心に働いていますが、心配な点がいくつかあります 家族の目から
・ Case 5-3  作業所に通っています 本人の目から
・ Case 5-4  再入院決定 医師の目から
・ ワンポイント 回復期の生活とそれを支えるもの
・ Case 5-5  安定した日々  家族の目から
・ Case 5-6 十五年間、入退院を繰返している姉   家族の目から
・ ワンポイント  統合失調症の疾病費用

第6章 予防
・ Case 6-1  日に日に変わってくる19歳の娘 家族の目から
・ Case 6-2  私は統合失調症かもしれないので、精神科を受診しようと思っています 本人の目から
・ Case 6-3  悪化のおそれがないなら受診したくありません 本人の目から
・ Case 6-4  治療開始 医師の目から
・ ワンポイント 早期発見・早期治療を阻むもの
・ Case 6-5   無症状で、元気です。無駄な治療を受けていたのでしょうか  本人の目から
・ Case 6-6   娘が自殺しました。治療を受けるべきだったのでしょうか  家族の目から
・ワンポイント 再び、早期発見・早期治療を阻むもの

あとがき
監修者あとがき
電子版あとがき

電子版あとがき

本書のリアル版(紙の本)が出版されてから、まだ一年に満たないが、すでに私のサイトには多くの読者からの感想や質問をお寄せいただいている。
中でも特に印象的なのは、 【2443】だ。息子さんが統合失調症にかかり、治療を受けないままに日々が過ぎる中、精神症状はどんどん悪化、ついに事件を起こし警察に逮捕されたこの母親の方は、「もっと早く、この本に出会っていたら今回の事件を阻止できたかも・・・と思うと悔やんでも悔やみきれません」と述べておられた。
一般読者向けの統合失調症の本は、本書以外にも多数発売されている。だがそれらには、この病気についての暗い事実はほとんど書かれていない。この母親の方はこうも言っておられる。
「統合失調症で治療を受けないとどういう悲劇が起こるのかということが、なぜ他の本には書かれていないのでしょうか。」
それは、書かれている。医学書には、書かれている。だが一般向けの本にはほとんど書かれていない。

事実とは、その一部を記載しただけでは事実を記載したとは言えない。明るい事実だけを記載するのは、その記載内容自体が正しくても、広い視野からすれば虚偽である。病気とは、明るい面も暗い面もあるのが当然であって、その両面が描かれていなければ病気の事実についての本とは言い難い。明るい面だけを読むほうが気持ちの安寧は得られるであろうが、病気の本とは娯楽のために読むものではない以上、そんな偽りの安寧を求めても仕方あるまい。だから私は『統合失調症という事実』を書いた。一般読者向けに、統合失調症についての明るい事実も暗い事実も分け隔てなく描いた本を書いた。

インターネットが発展しても、本というメディアの意義は大きい。本の意義とは、何よりその信頼性である。本に書かれている情報の信頼性は、様々な質の情報が乱れ飛ぶインターネットの比ではない。
だが本には欠点もある。それは、特にインターネットと比較したとき感じるのは、情報の入れ物としての大きさと形が決まっていることだ。電子書籍は、本の持つ信頼性という長所を保持しながら、この欠点をかなり解消できる新しいメディアである。
電子書籍には、大きさの制約が少ない。
電子書籍といえども、無制限の量を書き込むことはできないが、紙の本に比べれば、制約は非常に小さい。本書(電子版)の文字数は、医学書ならともかく、一般向けの本としてはいささか多すぎるのだが、電子書籍なら抵抗なくこの量を一冊の本にできる。そして統合失調症についての事実の膨大さからいえば、このくらいの量は必要なのである。
電子書籍には、形の制約が少ない。
紙の本にはページの構成という制約がある。本書の大きな特長は豊富な実例の紹介だが、その紹介ページは、紙の本では見開き2ページにおさめないと読みにくい。だがあらゆるケースを同じ長さに要約することには根本的に無理がある。必要な情報を割愛しなければならない場合が出てくる。一方、電子版ではこの制約は少ない。必要な情報は、必要なだけ書き込むことができる。

本書、「電子増補版」というタイトルだが、リアル版の執筆開始時から、私は電子版の発行を予定し意識していた。だからむしろ、本書すなわち電子版が完成版で、紙の本はそのエッセンスというのに近い。エッセンスはコンパクトで読みやすい点が大きな長所だが、完成版である電子版に搭載した情報の量と質を、ぜひ読み取っていただきたいと思う。そして質問等が発生したら、私のサイトにお送りいただければ、極力サイト内の精神科Q&A でお答えしたいと思う。本の記載と読者の質問への回答とがセットになって初めて、真の完成版になると私は考えている。
本書の出版にあたり、リアル版からお世話になった保健同人社の吉田薫さん、佐伯由紀子さん、そして電子版で担当していただいた大浦尚さんに感謝する。

2013年12月 林 公一

 

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05. 2月 2014 by Hayashi
カテゴリー: コラム