【4524】ただの自意識過剰か統合失調症の初期症状か
Q: 20代女性です。
最近、高校生の頃のことを振り返って、「果たしてあれは病気(統合失調症?)の前触れだったのか、それとも単に思春期特有の不安定な精神状態だったのか」と気になることがあるので、長くなりますが相談します。
高校生の頃、私はとても自意識過剰なところがありました。具体的な例を挙げます。
1.すれ違う人が皆自分を見ていると思い込む
当時は自転車通学をしていたのですが、風で制服のスカートが翻ることがよくあり、それをすれ違う人が皆下着を覗いていたり、自分の顔を見ていると思い込んでいました。本当に見ているかどうかを確かめるために、わざと速度を落としてすれ違う人の顔をよく観察したりしていました。そうすると、当たり前ですが、実際には誰もそんなことはしていません。それでも、「たまたま見ていなかっただけで本当は見ているのでは?」と疑いが止まらず、いつも嫌な思いをしながら通学をしていました。
2.インターネットに自分の情報が晒されていると思い込む
1と少し関係があるのですが、「こんなにも他人が自分を見てくるのは、きっとネットに自分の写真や情報が晒されているからかもしれない」と考えていました。それを調べるために、メールアドレスや本名でネット検索をしたりしていました。もちろん、そんな情報などどこにも出てきませんが、「検索できないような裏サイトにあるのかも」と思って、知らない人が怖くてたまりませんでした。
3.○○をしないと悪いことが起きると思い込む
ゲン担ぎみたいな感じなのですが、嫌なことがあった日にしていたこと(例えば、特定のアーティストの曲を聞いていたなど)を、そんなことをしていたから悪いことが起きたんだと思い込んで、そのアーティストの曲を一切聞かなくなったりしました。反対に、いいことがあった日にしていたこと(家の神棚に手を合わせるなど)は毎日やって、これを絶対にやらないと不幸になると強迫的に考えていました。
4.家で勉強しているときに後ろから誰かが覗いていると思い込む
自室で机に向かって勉強しているとき、机の反対側にあるドアから誰かが見てると思って、しきりに後ろを振り返っていました。(これは精神的なものというより、単に私が怖がりなだけかもしれませんが……)
3については、その後、思い込みを断ち切るためにわざとゲン担ぎを破ってみました。すると、特に良いことも悪いことも起きなかったので、「ただの思い込みに過ぎないんだ」と自分でも納得できて、そこから抜け出すことができました。
しかし、1、2、4のような「他者の視線」への恐怖感や不信感はなかなか消えず、大学入学後しばらくすると大教室での講義を受けることが怖くなりました。(教室の全員が自分を見ている、自分の噂話をしていると思い込んでいました)
そこから、授業を受けることが困難になり、次第に、虚無感や自己嫌悪でいっぱいになりました。大学4年生の時、精神科を受診して「うつ病と社会不安障害」と診断されました。
診断後、投薬治療(レクサプロ)を受け、それらの症状は緩和されました。
1年留年の後卒業、その後アルバイト生活をしばらくして、3年前から社会人として働き始めました。
現在、投薬、通院は終わっています。今でも若干、他者の視線が気になるときはありますが、学生時代のように生活に支障をきたす程度ではないので、問題はないのかなと思っています。
なぜ今になってこんなことを心配するようになったのかというと、「社会不安障害の症状は統合失調症の初期症状と似ている」との情報を知ったからです。(おそらくこのサイトでだったような……違っていたらすみません)
もしかして、高校生の頃の思い込みの数々は、思春期によくある自意識過剰さが原因だったのか?それとも、治療が必要なものだったのだろうか、今後統合失調症になるのではないかと、ふと考えてしまったのです。
でも、幻覚や幻聴はないし、今は普通に過ごしているので、やっぱりただ自意識過剰すぎただけなのかもとも思います。
文章だけでの判断は非常に難しいかもしれませんが、先生の考えをお聞かせいただければと思います。
林: 質問者の高校時代の体験は、統合失調症の前駆症状または初期症状に一致しています。ただし結果としては質問者は統合失調症の明確な発症には至らなかったわけですから、論理的には次の3つのいずれかということになります。
(1) 統合失調症の前駆症状でも初期症状でもなかった。
(2) 統合失調症の前駆症状または初期症状だったが、明確な発症に至る前に自然軽快した。
(3)実は統合失調症を発症したが、質問者に病識がないため発症していないと信じている。
説明をシンプルにするため、いったん(3)の可能性を除外して、(1)または(2)であるとしますと、「前駆症状または初期症状」という言葉の定義が実は問題になります。つまり、統合失調症においては(この下線部分は重要です。理由は後述します。)、「前駆症状または初期症状」という言葉は、あくまでも、明確に発症したときに、その時点から振り返ってはじめてそういえるものであるからです。ということは、「前駆症状または初期症状はあったが、明確に発症しなかった」という表現は論理矛盾ということになりますので、(2)の「統合失調症の前駆症状でも初期症状でもなかった」という表現も論理矛盾ということになり、すると(1)だけが残るということになります。したがってこの【4524】の高校時代の体験は、
統合失調症の前駆症状または初期症状に一致していたが、統合失調症の前駆症状または初期症状ではなかった
ということになります。これはまわりくどい表現ですが、厳密にはこのようになります。
すると、では、質問者がお書きになっているように、「ただの自意識過剰」だったと言えるかとなると、それは別の話になります。なぜなら、高校時代の質問者の脳内には、統合失調症の前駆症状または初期症状と同じ病的過程が発生していた可能性があるからです。
先に下線を引いた部分、すなわち、
統合失調症においては、「前駆症状または初期症状」という言葉は、あくまでも、明確に発症したときに、その時点から振り返ってはじめてそういえるものである
という表現の理由はここにあります。別の病気、たとえば新型コロナウィルス肺炎で考えますと、発熱しただけの時点ではそれが新型コロナウィルス肺炎の前駆症状または初期症状であるかは検査してみなければわかりません。検査しないまま経過した場合、明確な発症に至れば、前駆症状または初期症状だったということがわかりますが、明確な発症に至らなかった場合は、「新型コロナウィルス肺炎の前駆症状または初期症状に一致した症状だったが、そうではなかった」と判断することになるでしょう。しかし事実はわからないわけで、実は新型コロナウィルスに感染していたけれども、軽症ですんで自然軽快した可能性も十分にあります。ですから、「明確な発症に至らなかった」ことは、それが前駆症状や初期症状であったことを否定する理由には本当はなりません。
けれども統合失調症の場合は、検査によって診断を確定することができませんから、明確な発症に至らなかった場合は「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致していたが、統合失調症の前駆症状または初期症状ではなかった」と判断する以外にないわけです。
もし統合失調症の発症前の前駆症状や初期症状が出ている時期の脳内過程が特定できれば、「統合失調症の前駆症状または初期症状だったが、明確な発症に至る前に自然軽快した」という表現が論理矛盾ではなくなることになるでしょう。しかし今はそれは特定できませんから、明確な発症に至らなかった場合は「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致していたが、統合失調症の前駆症状または初期症状ではなかった」のみが正しい説明ということになります。
しかしその説明(「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致していたが、統合失調症の前駆症状または初期症状ではなかった」という説明)は、統合失調症を確定診断する検査がない時代の(つまり今という時代の)暫定的な説明にすぎません。ですから「ただの自意識過剰」と片付けることは非常に危険です。そのため「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致した症状」については、現代の精神医学では、ARMS(At Risk Mental State)と呼ぶことが適切であるというのが標準的な考え方です。(厳密にはARMS イコール「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致した症状」ではありませんが、それは論理的な問題であって、事実上は ARMS イコール「統合失調症の前駆症状または初期症状に一致した症状」 と考えて差し支えありません。【2007】統合失調症らしい症状が私にはあるのですが、悪化のおそれがないのなら病院には行きたくありません、【2872】ARMSかもしれない入院中の息子の復学について などもご参照ください)
実際には、ARMSを一過性にせよ体験した方は、その後に統合失調症を発症するリスクは相対的に高いと考えるべきでしょう。
その観点からしますと、この【4524】の質問者の、
今でも若干、他者の視線が気になるときはあります
という記載が気になるところです。ただしこれだけをもって統合失調症の要素がある症状であるとまでは言えません。今後、発症の可能性を考え、もしその兆しがあった場合は早めに精神科を受診することをお勧めします。
(2022.7.5.)