【4776】発達障害ではないと精神科で診断され、絶望しています
Q: 28歳女性です。発達障害の疑いをもち、いくつかの精神科に行きましたが、医師からは「発達障害ではないと思う」あるいは「仮に障害があったとしても軽度だと思う」と言われました。
私の生育歴と現状を以下に述べるので、林先生はどのように思われるか見解を伺いたいです。長文になりますがご容赦ください。
小学校入学以前までは、人見知りの激しい性格だったものの友人もおり、比較的普通の生活を送っていました。
しかし小学校入学後からいじめを受けるようになり、収まらないいじめに耐えかねて黙って学校を飛び出すことが何度もありました。脱走は4年生になりいじめが収まるまで繰り返しました。
いじめが激化したのは2年から3年生の時で、
・クラスのいじめっ子を中心に日常的に陰口・悪口を言われる
・顔に唾を吐きかけられる
・クラスに迷惑をかけたからと土下座を強要される
また、自分の一挙手一投足をやり玉に挙げられ、それが笑いの種にされ嘲笑されるといったことが日常的なり、私は周囲の視線にひどく怯えるようになりました。
この前後の時期から場面緘黙の症状が強く出始めました。
・家以外の場所では殆ど何も喋れなくなる(返事や簡単な質問に答えることはできたが、自分の意見や要望を伝える・伝達事項を他者に伝える等は不可能だった)。
・学校では緘動の症状があり、他人に笑われるという恐怖感から石のように身動きがとれないでいた。何か大きな物音がして皆が振り返る場面でも、私は首を動かすことができず一人固まっていた。
・ある時他の生徒の連絡袋を間違えて持って帰ったことがあり、それを誰にも言い出せず何ヶ月も放置していた(最後は誰も見ていない時を見計らいこっそりその子の机に連絡袋を置いた)。
・他人がいる場所での緊張があまりに強く、小・中学校では一度も学校でトイレに行ったことがない(検査で必要な時は仕方なくしていたが、毎回苦労していた)。
場面緘黙については大学時代まで苦しめられ、現在も完治はしていません。
一方で、空気が読めなかったり人の気持ちを汲み取れない面もありました。
・友人からゲームソフトを借りたが、勝手にセーブデータを全部消して自分のデータを上書きする(全く悪意はなく、そんなことをしたら友人が悲しむといった発想が思いつかなかった)小学校6年時。
・人から物を借りた時「返さなくてもいいよ」といった発言を間に受け本当に返さない。
・何か忘れ物をした時など、無断で他人の持ち物を使う。ある時、絵が描きたくなり人のスケッチブックに勝手に落書きし注意される(悪意は全く無し)中学生時。
中学では少数の友人もできましたが、いじめも相変わらずあり、三年生から卒業までの間は頻繁に早退をしていました。
「分からないことが聞けない」という難点があり、それが理由で出席できなくなった授業がありました。
中学生から塾に通いだし、低調だった成績は向上しましたが、その塾でもいじめが起こりました。
悪口陰口が長期間続き、受験期の中、精神的にも限界でした。塾に行くと原因不明の激しい咳が出て止まらなくなりました(塾の外に出るとピタッと治まる)。この頃自殺未遂もありました。
何とか耐えながら地元の進学校に合格しましたが、塾の人間も大勢その学校に来ており、いじめの主犯格が同じクラスで私の隣席になりました。
あれだけ辛い思いをして耐えてきたのは何だったのか、全ての努力が無意味に感じ、結局高校は一ヶ月ほどで退学しました。
この頃は特に精神的に追い詰められており、
・バイクの排気音が自分を嘲笑する声に聞こえる。
・電話で話している際、自分の呼吸音が通話相手に聞こえるのが怖くて息を止めたまま話す。
・バスに乗車中、見知らぬ女子2人組が私を嘲笑していると思い、必死に抵抗しようと携帯のメモ機能で「うざい、黙れ」と書き込み女子達に見せつける
等の出来事がありました。
高卒認定を取得し大学進学するまでの間は、昼夜逆転の生活でネット依存の無意味な時間を過ごしていました。
高校退学した直後に親同伴で精神科に行き、そこで統合失調症ではないかと言われ別の大きな病院の紹介状を渡されました(この話は私ではなく親と医師のやり取りによるもの)。
しかし紹介された病院には行かず、その後も特に通院しませんでした。
大学でも相変わらず対人能力の低さから様々な問題がありました。
・グループワーク等人と関わる学習がとにかく苦手で、そういった要素がある授業は極力避けていた
・教職課程を履修し教員免許取得を試みたが、上記のような授業について行けず、最後は恐怖で教室に入ることができなくなり取得を諦めざるをえなかった。
・皆の前で意見発表する時は、あらかじめメモを用意しそれを見ながら話していたが、緊張と恐怖でメモを持つ手が震えて止まらなくなった。
・作業の手順等の説明を聞いても頭に入らず、皆が理解できているのに私だけ理解できていないことが何度もあった。
特に以前からあった「分からないことが人に聞けない」点が深刻で、あらゆる学習活動に大きな支障を及ぼしていました。
こうしたことが重なり、大学3年に不登校になる等しましたが何とか卒業できました。
その後、ピアノを師事していた先生の紹介で別の音楽系の大学へ入らないかとお話がありました。
就職活動もままならず将来の展望もなかった私はその話を受け、言われた大学へ編入しました。
二度目の大学生活では対人能力は多少改善され、教職課程も履修し、苦労を重ねながら教員免許取得することができました。
教育実習では対人能力に難のある私の様子を見て精神系の病気・もしくは障害を疑われており、特別支援学級の教室を指導教諭と少し見学した際、教室にいた生徒と私を比べ「あの子も人がいると全く喋れなくなる、あんたとそっくりや」と言われました。
普通の実習生と比べて相当周囲から手助けを受けたうえで実習を終了しました。
それから一年後教員採用試験を受けましたが、二次面接で落とされました。
集団討論では他の受験生の話が全く頭に入ってきませんでした。
物理的に聞こえてはいるのですが、声が右から左へと脳内を通過して行く感じで全く記憶に残らないのです。
聞くことに集中しようとすると、他の動作が一切できませんでした。頷いたり、笑顔をつくるという僅かな動作をするだけでも聞いた内容が頭から抜け落ちます。
メモを取ろうとしましたが、他の受験生は誰一人メモを取っていませんでした。また、私は(対面時だと)要点だけ書くという普通のメモのとり方ができず、聞いた内容を速記のように丸写しにしないと書けません。
そんなことをしていたらかなり目立ってしまうので、それが恐くてメモは取れませんでした。
結果笑顔もつくれず、硬直したままろくに意見も言えず討論終了しました。
後で身内が教育委員会の人に話を聞いた所によると「筆記試験の成績は良いが、面接でかなり問題がある」「教員志望するのはやめた方が良いのではないか」と言われたそうです。
そして現在はアルバイトを探しています。
音楽の勉強をしていたので、(音楽教室など)音楽講師の仕事を見つけることを周囲から望まれています。しかし講師の仕事は人との関わりが強く、イレギュラーが多い仕事です。保護者対応もあり、笑顔と愛想の良さが求められます。とてもできる気がしません。
コミュニケーション能力が求められないバイト、若しくは支援所に通うことも考えていますが言い出せません。
アルバイト探しの時も、面接でコミュニケーション能力の低さを指摘されその場で不採用を言い渡されたこともあります。
以下、上記以外の困っていること・特徴について。
・人の話(特に口頭)の内容が殆ど頭に入らない。一応内容を記憶している場合でも「どんな話をしてきたの」と人に聞かれると言葉で説明できない。上手くまとめられず、言葉に詰まってしまう。そのためちゃんと話を聞いていないと見做され責められる。
・(上記と関連しますが)人に「〇〇はどういう意味ですか」と質問することはできるが、説明されても
大抵その内容が理解できない(もしくは記憶に残らない)。しかし対人恐怖から、もう一度質問することができない。
・物忘れが激しくなる。忘れ物等は日常的にある。何か用事を済ませるため行動しようとしても、別のことに気を取られると本来の用事を忘れてしまう。
・物事に対して自分の意見を持てない。昔から読書感想文や授業のミニレポート・意見発表が非常に苦手だった。国語の成績は良く、読書も好きで読解力の面で問題があった訳ではないが、「自分の考えを」要求される場面では途端に何も書けなくなる。
・幼少時から物の整理整頓が苦手。鞄の中は常にグチャグチャ。小学生の時は道具箱が常に汚く荒れており、衝動的に切った自分の髪の毛を入れていたこともあった(そのことで余計周囲に気味悪がられる)。
現在も明らかにゴミと分かるものでも捨てられず、何ヶ月もゴミが床に散乱していることも珍しくない。綺麗な部屋でもあっという間に汚くしてしまう(旅行でホテルの部屋に入ってから数時間で、部屋が空き巣が入ったかのように荒れ果てた状態になった。なぜそんな風になるのか自分でも分からなかった)。
バイト探しと並行して精神科に2つ行きました。
1件目では40分ほどの診察で、過去や現状について話しました。大きな出来事(いじめ、高校中退、コミュニケーション不全)は伝えましたが、ここに書いてあるように詳細には伝えていません。
「発達障害的な傾向があるかもしれないが、あったとしても軽度だと思う、今こうして話していても会話も成立しているので(重い発達障害だと会話が成立しないから)」と言われました。
また、AQ検査を行い、WAISの検査を予約しました。
2件目では母親同伴で行きました。そこで母が発達障害だと思いますかと先生に訊くと「いや、違うと思います。発達障害ではないです」と答えが返ってきました。
どちらの病院でも、私が発達障害である可能性は低いと考えているようでした。
母親は、まともに社会生活できないなら障害者手帳を取得した方が良いと考えています。
「手帳もらえる見込みがないなら精神科に通うのを止めろ」と言われています。
私自身も、お金に余裕もないし、何の問題もないと思われているなら通う意味はないんじゃないかと思います。
しかし、現状私は困難を感じており、普通の人と同じようにできないためアルバイトもままならない状態です。
今まで色々な人から(発達)障害ではないかと疑われてきました。極端な言い方をすると、精神科医以外の殆どの人間から私は何らかの問題を抱えた人間と見做されてきたのです。
私は発達障害ではないのでしょうか。 そうすると私は無能力で努力不足なだけの普通の人間であり、これから先も自助努力のみで何とかしていくしかなのでしょうか。
自身の将来に希望がもてず、人との関わりが上手くいかず周囲から責められる一方で、本当に辛い状況です。
発達障害か否か、林先生の御回答願います。
最後に、参考にはならないかもしれませんが、AQ検査結果を記しておきます。
AQ総合得点 36点
下位尺度得点
社会的スキル 10点
注意への切り替え 7点
細部への関心 5点
コミュニケーション 9点
想像力 4点
林: 大変詳細なメールをいただきありがとうございました。
まず一般論として、次のことをお伝えしたいと思います:
(1) 発達障害かそうでないかは、クロかシロかで答えられず、グレーとしか言えないことがしばしばあります。
(2) 発達障害かそうでないかということと、精神科的な治療ないしサポートの必要性の有無とは無関係です。
(3) 生育歴上、トラウマと思われる事実(以下、便宜上「トラウマ」とします)がある場合、成人してから見られる精神的問題が、そのトラウマを原因とするものか、もともと本人が持って生まれたものを原因とするものかの区別は、しばしば困難ないし不可能です。
以下、上の(1)(2)(3)にそって、【4776】について回答いたします:
(1) 発達障害かそうでないかは、クロかシロかで答えられず、グレーとしか言えないことがしばしばあります。
「しばしばあります」ということは、そうでない場合、すなわち、はっきりとクロかシロかで答えられるケースも多々あるということです。 (ここで クロ、シロという表現は、わかりやすくするための便宜上のもので、クロ、シロのそれぞれに何らかの価値観を対応させるものではありません)
たとえば、次のようなケースは発達障害であるとはっきり診断できる例と言えます。
【4317】弟は発達障害でしょうか? 病院に連れてゆくべきでしょうか?、 【3803】いくら注意しても全く改善が見られない後輩、 【1677】自閉症の息子に毎日「お母さん死んで1!」といわれ耐えられません、 【1676】アスペルガーの息子が、母親である私を「エロイ」と言って譲りません、 【1592】成績は最低だが記憶力は抜群の弟
こうした例と比べれば、【4776】は、発達障害かどうかはグレイで、仮に発達障害と診断できるとしても軽いと言えることは明らかです。
(2) 発達障害かそうでないかということと、精神科的な治療ないしサポートの必要性の有無とは無関係です。
つまり、発達障害でないとしても、精神科的な治療ないしサポートの必要がないということにはなりません。したがって質問者のおっしゃる次のような考え方は誤っています。
私は発達障害ではないのでしょうか。 そうすると私は無能力で努力不足なだけの普通の人間であり、これから先も自助努力のみで何とかしていくしかなのでしょうか。
なお、他方で、発達障害であるとはっきり診断できても、逆に治療を受けることに懐疑的な方々もいらっしゃいます。次のような例をご参照ください: 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある
(3) 生育歴上、トラウマと思われる事実(以下、便宜上「トラウマ」とします)がある場合、成人してから見られる精神的問題が、そのトラウマを原因とするものか、もともと本人が持って生まれたものを原因とするものかの区別は、しばしば困難ないし不可能です。
この【4776】のケースは、小学生のころからいじめを受け続けるというトラウマを体験しており、それが成人期である現在の状態に影響している(現在の人格の、少なくともある部分を形成している)と推定することができます。すると、現在みられる、発達障害に類似した状態は、トラウマによるものであって、もともと持って生まれたもの(=発達障害)とは異なるという推定も成り立ちます。しかし現実には、「トラウマによるもの」と「もともと持って生まれたもの」を厳密に区別する方法はありません。そもそもいじめを受けた原因が、発達障害のために他の子供たちとは違う点があることによるという場合もしばしばあります。また、人の人生は一回だけのものであって、「仮にトラウマがなかったらその人はどういう人になっていたか」という問いには、誰も答えることはできないからです。【3482】アスペルガー症候群、解離性障害と診断されるまで もご参照ください。
そうはいっても、トラウマによって発生しうる状態と、トラウマによっては発生しえないと思われる状態を分けることはできます。たとえば典型的な統合失調症の幻覚妄想は、トラウマによるものではありません。仮にその統合失調症の人にトラウマ体験があっても、その人の幻覚妄想はトラウマとは無関係です。と今「無関係です」と断定しましたが、このことでさえ、「その人においてはトラウマと関係があるのではないか」という問いに対して、「絶対にそうではない」と明言することは不可能です。統合失調症の症状がトラウマと無関係というのは、統計的にはそうだといえるだけであって、ある特定の個人において絶対に無関係であるとは言えないからです。幼少時のいじめと統合失調症の発症に関連性があるとする医学研究も存在します。(「医学研究が存在する」ということだけで、実際に関連性があるとは言えません)
以上の通りですから、
発達障害か否か、林先生の御回答願います。
回答は「わかりません」ということになります。それが唯一の正しい回答です。
このようなケースでありがちなのは、回答に納得できず、次々に別の医師の診察を受け、何人目かの医師から、「あなたは発達障害です」と言われ、その診断に納得し、「やっと正しい診断をしてくれる医師に出会えた」と考えるというパターンです。このような考え方が誤りであることはここまでお読みになれば明白だと思います。それでもこのような誤りが犯されがちなことの大きな理由の一つは、
私は発達障害ではないのでしょうか。 そうすると私は無能力で努力不足なだけの普通の人間であり、これから先も自助努力のみで何とかしていくしかなのでしょうか。
とお考えになることで、この考え自体が大きな誤りです。つまり、「発達障害ではない」ことが「無能力で努力不足なだけの普通の人間」ということにはなりません。
したがって、発達障害ではないからといって、
自身の将来に希望がもてず、
ということにはなりません。
人との関わりが上手くいかず周囲から責められる一方で、本当に辛い状況です。
そうであれば、診断が何であるかにかかわらず、精神科での治療やサポートの適応があると言えます。
(2024.1.5.)