【3482】アスペルガー症候群、解離性障害と診断されるまで
Q: 20歳代の女性です。
現在アスペルガー症候群、解離性障害、うつ病と診断されていますが、
今までの経緯をここで綴らせてもらうことで、先生や同じような立場の方達にとっての参考になればと思います。
幾つか質問も織り交ぜるところがありますが、回答頂ければ幸いです。
私の両親は二人共不倫という状態で、互いに前夫、妻と離婚することにより半ば逃げるように元いた地方から離れました。
その過程で私の妊娠が発覚し、私は誕生しました。
私は生まれてすぐにベビーシッターに預けられ続ける生活でした。
実際、幼少期は自宅にいた記憶よりベビーシッターの家にいた記憶の方が多いです。
なぜこうなったかというと、両親はパチンコや違法賭博に依存していて、私にかまう暇が一切なかったからです。
家族旅行も行きましたし、母はよく遊園地に(私がそこが好きかどうかは関係なく)私を連れ出していたのですが、それとは裏腹に家庭には不穏な空気が漂い続けていました。
父も母も、自分の機嫌の良いときは私の相手をしますが、そうでないときはよく分からないことで怒り狂って私にものを投げつけたり、髪の毛を引っ張るという性格でした。
喧嘩も日常茶飯事で、父は自分の意見が通らないとなると途端に何度も自殺未遂のパフォーマンスをしていましたし、母も似たようなことをしていました。
自宅にいる時は、父が主夫をしていたのですが、父はアダルトビデオを私の見えるところに平気で置きっぱなしにしたり、その内容が「児童を性虐待する」ものだったことに心のどこかで違和感があったことがあり、父の逆鱗に触れてしまうと手がつけられなくなり、何度も風呂場に閉じ込められたり、大声で怒鳴られながら物を投げられたりしました。
これの影響なのか、今でも風呂場に入ると過呼吸発作に陥りやすく、その前には必ず安定剤を服用しています。
ただ、これらのことは両親が私にお前が嘘をついている、妄想しているとという主張をしているので、私も確信が薄れてきているというか、何年かに一年ぐらいはどこかの記憶がすっぽり抜け落ちたりするので年々訳が分からなくなってきています。
覚えていることに関しては、音、映像、臭いまではっきり思い出せるのですが、思い出せない時は異物がつっかえたように分からなくなってしまうのです。
私が年齢を重ねていくとともに、両親の私に対する暴言も増えていきました。
最初はテストの点数が少しでも落ちると「なんでこんなことも出来ないのか」と責められるぐらいでしたが、高校時代には「死ね」や「糞娘」が最もよく聞く言葉になりました。
しかし、この言動にも未だに「人として、親として間違ったことをした両親」を見て情けなくて落ち込むというような状態で、深く考えると、私は人として基本的な「自分が他人に酷いことをされて悲しく思う」という感情に未だ達していないような気がしてなりません。
ここで一つ質問です。
この一連の「感情や記憶の整合性のなさ」はアスペルガー故のものなのでしょうか?それとも、解離性障害やうつ病故のものなのでしょうか?
この点においてどちらかの病が起因しているのならば、それで治療方針が大きく変わるということはあるのでしょうか?
さて、私の発達に関してですが、保育園とベビーシッターの家を行き来するような生活のうちに、私に全く発語がないことを私の両親以外は心配して、今で言う療育を勧めましたが、両親は口が堅いだけで耳も聞こえてるし心配ないという判断をしました。
(これが、後に大きな過ちであることを私が知ったのは私自身が大人になった時でした。)
結局私が話し始めたのは五歳になる少し前でした。
そして、話し始めると今度は大人が話すような口調になるので(やたら難しい言葉遣い等)、周りにあまり上手くコミュニケーションがとれていなかったかもしれません。
友達というのも保育園でも学校でも一人いたかいなかったかというぐらいです。
何より、私自身も一人にしてほしいとよく言っていた記憶があります。
このころから自覚していた頭の中の声というのが今でもあるのですが、これに構っているだけで人との関わりに関して満足してしまう傾向がありました。
興味も人には向かわず、専ら動植物を眺めてそれを描くことが楽しみでした。
小学校に入学した後も、生徒どころか教師にすら嫌われ、机と椅子で囲いを作られ閉じ込められるということもありました。
これについては不思議と腹が立たなかったというか、悲しくともなんとも思わなかったようです。
寧ろ、私は帽子や机に悪口を書き連ねられた時ですら「汚したから教師や親に怒られる」だとか「どうして人はこんな下らないことをするのだろう」という見当違いな悲しみに襲われていました。
今でもこれらの出来事について、本当の感情を得られているのか甚だ疑問です。
たまに、頭の声の人物が、学校という柵から開放された子供となって、実際に校舎の中にいるような気がして探し歩いたりした記憶もあります。
私は元々あまりものを話さない子供でしたが、特にこのことは誰にも口外せずに過ごしました。
高学年になると、両親も私の身の回りの世話をしなくなり、元々服飾に無関心だった私は不潔なまま学校に行かざるを得なくなり、それを教師に何度も叱られていました。
しかし、どうすればいいのか全く見当もつきませんでした。
今思うと「おかしな子」だったと思うのですが、当時は人付き合いにおいては特に未熟だったように思えます(集団に入ろうとしない、一人でも気にならない)。
中学校に入学してから高校に入る直前までのことは、今は全くと言っていいほど思い出せません。
たまに校舎を見ても、そこに通っていたとは到底思えません。
高校に通い出すと、嘘のように勉強が出来るようになった(そう周りから見えた)らしく、そこは四年間通わなければ単位を取り切れないのですが、私は学校という空間が嫌という理由で三年でなんとか単位をすべて取得して卒業したそうです。
高校時代からのしばらく(今から2年くらい前まで)のこともはっきりとは思い出せません。
事実として覚えていることはいくつかはあります。
自殺未遂をして、両親が帰宅すると足を血だらけにして倒れていたようです。
ふと気づくと病室で拘束されていました。
就職はしたみたいですが辞めたようです。
たしか、高校時代のバイトの給料や就職後の給料等を殆ど母のパチンコ代に当てていたことがありました。
「入院していたような」映像と、「自殺未遂をしたことを叱咤されたような」映像等はあるにはあるのですが、
それでもふと、「突然こんな所にいる」という感覚に駆られます。
記憶に関してですが、数年前は幼年期の記憶が全くない状態だったらしく、これは数年来の友人が教えてくれました。
曰く、当時、高校時代や中学時代の話は聞いたけど、その前のことを聞いても分からないと言われたと言うことでした。
このようにして、何かを境に記憶のどこかに穴があき、違うところにあった穴が埋められるというような状態を今でも繰り返しているようです。
現在の私の様子ですが、両親とは別居しました。
両親と同居していることは治療上好ましくないと言われたためです。
病院ではカウンセリングと、投薬治療(セロクエル、リボトリール等)をしています。
非常に憂鬱な状態で何も手につかない時もあり、時々ものを失くすだとか、絶対にないはずの場所にあるだとか、衣服がいつもと違うことに困惑することも多いですが、調子がいい時は家事を一通りこなしています。
ただし、恋人や友人達が、私に「明らかに違う人のようだった」「子供のような振る舞いだった」と後に知らせてくれることもあります。
自傷や経緯不明な傷(痣、切り傷)の跡も続いています。
やはり、幼少期からある頭の声とこちらも頭の声で話してしまうと、時間の進みがおかしくなるということが多いです。
関わらないようにしなくても、「このままじゃつまんないよ」だとか、「死んじゃえばいいのにね」だとか、「みんな君のことを死んでほしいとか思ってるよ、さっき聞いてきたもん」だとか、大体自分と同年代〜より幼い女性の声が止まらないので、結局気力を無駄遣いしてしまいます。
自転車に乗ると途端に自分の足が別人になる感覚が発生するので事故のリスクを考えて乗るのは辞めました。
自動車も、今の知らぬ間に何時間も経過している状態を見ると、とても無理なので諦めざるを得ないです。
診断についてですが、高校時代に行き始めたという精神科では、「統合失調症疑い」、「解離性障害疑い」と診断されていました。
これはテレビの音が痛いだとか、頭の上に小型の人間がいるだとか言ったことが元になっているようです。
それから数年経って病院、医師が変わったのですが、そこで行われた知能検査 (WAIS-㈽)の結果が、言語理解と知覚統合の数値が平均以上で、作動記憶と処理速度の数値が知的障害境界域というもので、恵まれた学校生活(学習環境)ではなかった可能性があるという所見でした。
その医師は現在の主治医でもありますが、見解は、私に「発達障害」があることは間違いないが、アスペルガーの典型的な例かというとそうではなくて、生育環境等の後天的な要素も大きいということでした。
しかしそれでも、コミュニケーションに関しての障害は見逃せないとしてアスペルガー症候群と言われました。
私の記憶に関する不条理さには、解離性障害があり、自殺願望や何もする気が起きない症状はうつ病だという診断がおりました。
ただ、自分にはまだ甘えがあるのではないかという考えが消えず、本当は甘えか甘えでないかに関係なく出来ることを増やすことが道の一つであることは当然なのに、私にはまるでそういう根気がないというか、過去に言い訳して楽をしているように思われてるような、実際そうであるとも時々思ってしまうのです。
極めて無駄な思考だとは思っているのですが、体の感覚が薄く全く動かない時の後などに、どうしても止まらなくなってしまうのです。
そこでもういくつか質問なのですが、
私の「アスペルガー症候群」、「解離性障害」、「うつ病」という今の診断は、林先生からは妥当性のあるものでしょうか。
もちろん診断はしかねるはずなので、林先生の思った通りに回答頂ければと思います。
もう一つ、私の人生の中で両親からされたことは、「虐待」に値するのでしょうか。
そして、もし「虐待」に値するとしても、私は本当に両親から「虐待」されていたのでしょうか。
ここまで読んでくださり、心から感謝しています。
乱文かつ長文でさぞ読みづらかったと思いますが、私の方も実は、書いている途中で何をしているのかわからなくなって、暫く休んでからやり直すということを繰り返しているのでどうかご容赦下さい。
宜しくお願いします。
林:
その医師は現在の主治医でもありますが、見解は、私に「発達障害」があることは間違いないが、アスペルガーの典型的な例かというとそうではなくて、生育環境等の後天的な要素も大きいということでした。
しかしそれでも、コミュニケーションに関しての障害は見逃せないとしてアスペルガー症候群と言われました。
診断に関しては主治医の先生のこの見解を尊重したいと思います。
もちろんそれは精神科Q&Aに質問される方への7に明記している通り、精神科Q&Aの回答では一般的に言えることではありますが、この【3482】では一般論を超えた意味で、主治医の先生の見解を尊重したいと思います。
と言いますのは、診断のポイントにかかわる部分において、メールからは到底読み取れないことが多いからです。それは決して質問者のメールの記載が不十分ということではなく、この【3482】のように複雑なケースでは、いかに正確・詳細に記載されていても、限界があるということです。限界は多岐にわたりますが、ポイントとしては、(1)虐待が事実か否か不詳 (2)診断名が不詳 ということです。いずれもこの【3482】のケースにおいては、仮に直接診察しても正解を得ることは困難で、しかしそれでも直接の診断による精度はメールからの判断による精度をはるかに上回りますので、「診断に関しては主治医の先生のこの見解を尊重したいと思います」ということになります。(虐待が事実か否かは、診断にも密接に関係してきます)
したがってご質問の件についても、あまりお役に立てる回答はできかねますが、可能名範囲での回答は次の通りです。
この一連の「感情や記憶の整合性のなさ」はアスペルガー故のものなのでしょうか?それとも、解離性障害やうつ病故のものなのでしょうか?
わかりません。そもそもの診断名が不詳だからです。
この点においてどちらかの病が起因しているのならば、それで治療方針が大きく変わるということはあるのでしょうか?
それはあり得ることですが、どちらの病が起因していたとしても、現実には治療によって短期間に画期的な改善が得られることは期待しにくいですので、診断名を明らかにすることよりも、いま現在直面されている問題についての対処法を、主治医と相談しつつ治療を進めていくことが適切でしょう。
私の「アスペルガー症候群」、「解離性障害」、「うつ病」という今の診断は、林先生からは妥当性のあるものでしょうか。
虐待が事実であれば、解離性障害だけで説明がつくようにも思いますが、そうした一般論を超えた判断として主治医の先生は「しかしそれでも、コミュニケーションに関しての障害は見逃せないとしてアスペルガー症候群」と診断されているとのことですので、質問者のコミュニケーションの障害は解離性障害だけでは説明のつかないレベルであろうと推定できます。したがって「アスペルガー症候群」「解離性障害」という診断は妥当なのだと思います。
「うつ病」の診断を妥当と考えるかどうかは、うつ病の定義によります。私ならこの【3482】のケースはうつ病とは診断しないでしょう。なぜならこの【3482】のうつ状態は、解離性障害ないしはアスペルガーによる二次的なものとして理解できるからです。(但し、二次的であってもそれを「うつ病」と呼ぶ場合もありますので、「うつ病の定義による」ということになります。林の奥 の うつ病の聖杯もご参照ください)
もう一つ、私の人生の中で両親からされたことは、「虐待」に値するのでしょうか。
質問者の記憶としてこのメールに書かれている内容が事実であれば、明らかに虐待です。
そして、もし「虐待」に値するとしても、私は本当に両親から「虐待」されていたのでしょうか。
これは虐待についてしばしばつきまとう避け難い問題です。この【3482】のケースのように、子どもは虐待を受けたと主張し、親は虐待の事実はないと主張した場合、どちらが正しいか検証することが多くの場合不可能だからです。子の話だけを聞くと虐待は事実で、親は罪を逃れるために嘘を言っていると考えがちですが、実際には偽記憶と呼ばれる現象があることはよく知られています。すなわち、記憶にあるとして語られる内容がいかに具体的で信憑性があるように感じられても、すべてはその人の記憶の中で作り上げられたストーリーにすぎないという現象です。虐待についてのこの問題については【1945】カウンセリングの過程で、幼い日の記憶が蘇った、【2340】子供の頃に祖父にされた情景が突然頭に浮かんだなどもご参照ください。
(一方、【3449】婚約者の祖父母から彼女に幼少期の記憶がないと聞かされましたのようなケースは虐待があったことが事実であると判断できますが、この【3449】のように第三者からの信頼できる情報が得られることは例外です)。
それでもこの【3482】のケースは、虐待以外についてのご両親の言動についての内容からみて虐待があったと考えるほうが自然であり、質問者の記憶は正しいと思えます。しかし、(質問者には失礼な言い方となり申し訳ありませんが事実として)、すべてが虚言ということもあり得ますので、断定は避けたいと思います。
(2017.7.5.)