美少女L、その他、の虚言
本稿タイトルの「美少女L」とは、 「ノルウェイの森」の「7」に出てくる美少女である。
「その他」とは、精神科Q&Aにある病的な虚言の実例(2014.4.5.回答分まで。すなわち【2636】まで)を指す。
本稿は【2614】自分は外科医であると言い張るなど虚言癖をもつ夫の正式な病名は何でしょうか への回答の補足という形を取ってみる。
【2614】の問いのポイントは、「正式な病名」である。
現代の精神医学における「正式な病名」は、DSM-5またはICD-10に基づく病名ということになる。DSM-5は米国精神医学会が作成した診断基準、ICD-10はWHOが作成した診断基準である。
今回はDSM-5に基づいて回答する。ICD-10に基づいても、ほぼ同じ回答になる。もちろん細部においては異なっているが、煩雑になるので本稿では言及しない。
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虚言。嘘つき。人をだます人。このような言葉からまず連想されるDSM-5の病名は
虚偽性障害 Factitious Disorder
である。だがこれは、症状(精神症状または身体症状)についての虚偽であり、虚言一般を示すものではない。診断基準の項目Aにそれが明記されている。(以下、引用した英文はDSM-5の原書のものである)
A. Falsification of physical or psychological signs or symptoms, or induction of injury or disease, associated with identified deception.
そして、ここで「障害」と診断するうえの重要な条件は、項目Cで、この虚偽(病気でないのに病気を装うこと。または障害でないのに障害を装うこと)による利益が本人にないことである。
C. The deceptive behavior is evident even in the absence of obvious external rewards.
逆に、何らかの利益があれば、それは虚偽性障害ではない。すなわち、病気や障害を装うことによって、仕事から逃れたり、年金を受け取ったり、人からの同情を買ったり、売名行為をしたり、その他の金銭的等の利益を得ていれば、そういう人は虚偽性障害という診断にはならない。詐病か、または単なる嘘つき と呼ばれる。
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反社会性パーソナリティ障害でも、虚言が見られることがある。以前 林の奥 に書いた 「まず間違いなく虚言者」がその例である。また、 【2566】嘘を繰り返し、刑務所にも3回入った父、 【1245】行為障害から反社会性人格障害になったと思われる30代の弟 も同様である。この障害の人には、人に本来なら備わっていると思われる道徳観・倫理観が欠如(または、著しく減退)しており、嘘をつくことに罪悪感がないため、虚言を繰り返すと考えられる。
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【2543】13歳知的障害者の息子の虚言
に解説したとおり、虚言の背景として知的障害がある場合もある。
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演技性パーソナリティ障害でも虚言がしばしば見られる。【2613】美容整形依存で演技ばかりの私は人格障害でしょうか は、この障害の可能性濃厚である。また、【2616】職場で非現実的な話を毎日毎日する同僚 もそうかもしれない。しかし【2616】の回答にも記した通り、【2616】は妄想があるため結果として虚言(事実とは異なる確信を語る)が出ているとも考えられる。虚言に限らず、パーソナリティ障害の症状とされているものは、実はその人が他の精神障害に罹患していて、それがパーソナリティ障害であると誤認されていることも少なからずある。DSM-5のパーソナリティ障害全般の診断基準にも、次のように明記されている。
E. The enduring pattern is not better explained as a manifestation or consequence of another mental disorder.
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境界性パーソナリティ障害で見られる虚言は、しばしば非常に巧妙で、他人を操作し、周囲を振り回すという結果を招いていることが多い。
【0486】同期のうつ病女性の異常な嘘、 【1113】一人の女性のために職場が崩壊しそうです
などがその例である。
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自己愛性パーソナリティ障害でも虚言が見られることがある。 【1490】パワハラだという事実無根の密告 は、おそらく自己愛性パーソナリティ障害だと思われる。
ここまで挙げてきた四つのパーソナリティ障害、すなわち、反社会性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害は、DSM-5では「B群パーソナリティ障害 Cluster B Personality Disorder」としてまとめられている。DSM-5のパーソナリティ障害の「群 Cluster」 とは、「症状が似ていることに基づく based on descriptive similarities」のみで、それ以上の意味は公式には付与されていない。だが実際にはおそらくこれらパーソナリティ障害は、生物学的に(脳科学的に、といってもよい)何らかの共通基盤があると思われる。現に、相互に移行したり(たとえば、境界性パーソナリティと診断されていた人が、ある時期にはむしろ自己愛性パーソナリティ障害の特徴が前面に出る)、どちらとも区別がつきにくかったり(たとえば、自己愛性パーソナリティ障害と診断すべきか演技性パーソナリティ障害と診断すべきかはっきりしない)するケースはしばしばある。
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解離性障害も、虚言を比較的伴いやすい。但しその中には、ここまで挙げてきたパーソナリティ障害等に見られるものと同様の雰囲気を持った虚言のほかに、 「偽の記憶」とされるものもある。
いま言った「雰囲気を持った」とか「されるものもある」は、いかにも曖昧で不正確な表現だが、このような言い方が解離性障害の現実を最もよく反映していると私は思う。結局のところ虚言とは、そもそもそれが虚言であるかどうかの確認も難しく、ましてや意図的に嘘をついているのか、それとも最初は嘘をついていたのに途中から本人もそれが事実だと信じ込むようになってしまったのか、それとも当初から「偽の記憶」の内容を語っているのか、証明する方法がない。すると厳密な立場を取れば虚言とは、「事実とは違うことを述べている」とまでしか言えず(それもまた、「事実と違う」ことが確認された場合に限られるが)、すると臨床的に見られるいかなる虚言も区別がつけられないということになる。だがそれは実際の感覚からはかなり違和感がある。 「ノルウェイの森」の少女Lと緑を、同じ種類の虚言者とみなすことには無理があろう。解離性障害にみられる虚言についても、他のパーソナリティ障害等に見られるものと同様の雰囲気を持った虚言のほかに、「偽の記憶」とされるものもあるのだ。というわけで先の文章の続きになる。
解離性障害でみられる、他のパーソナリティ障害等に見られるものと同様の雰囲気を持った虚言の例としては、 【2516】 嘘の多い彼女は本当にうつ病でしょうかなどがある。
「偽の記憶」のほうは、虐待についての記憶がよく例として挙げられる。
解離性障害の人は、過去に虐待された記憶を語ることが多い。それははっきりした記憶であったり、本人にとってもはっきりしない記憶であったりする。たとえば 【0276】私は本当に虐待されたのでしょうか
【1161】いじめられていたのは確かですが、はっきり思い出せません
【1307】幼いころ父親から虐待を受けていましたがほとんど記憶にありません。過食嘔吐が長年続いています。
【1926】母からの暴行、義父からの性的虐待、どちらも記憶が曖昧
【1933】両親から虐待をされていたような気がします
【1948】 7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえった
など、枚挙に暇がない。これらを読む限りでは、虐待は事実であったように思える。しかし、「虐待された結果、今の症状が生まれた」という訴訟がアメリカで繰り返された結果(たとえば、親を訴える)、実は虐待の記憶の中には、偽の記憶がかなりあることが明らかになっている。もちろんすべてが偽の記憶ということではない。現に虐待された過去があり、現在の解離性障害はその虐待と関連性ありとかなり確実に判断できるケースもある。しかし個々のケースについて、その虐待の記憶内容が事実に基づいているかどうかを判断するのはかなり難しい。というより不可能に近い。
なお、境界性パーソナリティ障害でも、解離の症状が出ることがある。(他のパーソナリティ障害でも出ることがある) そして境界性パーソナリティ障害も、虐待との関連があると判断できるケースもあれば、本人の述べる虐待の記憶は偽の記憶か、または(意図的な)虚言と思われるケースもある。 【1111】訴訟になりそうなのですが、妹は本当にPTSDでしょうか は後者の例である。但しこのケースでも、本人がそれを事実と確信しているのか(つまり、偽の記憶なのか)、それとも意図的に嘘をついているのかは謎である。
本セクションの冒頭に、「解離性障害も、虚言を比較的伴いやすい。」と書いたが、それ以前の問題として、解離そのものが虚言ではないかと思わせるケースも少なからず存在する。一部の医師の中には、「解離とはすなわち詐病である」という極論を主張する人もおられる。特に解離性同一性障害 (多重人格) については、すべてが詐病であるという考え方もある。但しその考え方は現代において優勢ではなく、解離性同一性障害は公式に認められている病名である。 【1069】私以外に15の人格があるのですが
【1920】私の中に10人以上は人格がいます。過去に虐待の経験があります。
【2124】私は多重人格だったのでしょうか
などが、解離性同一性障害の例である。
多くの場合、初めて解離性同一性障害(多重人格)を見た人は、こんなのは演技(詐病)に決まっている、と思うようである。しかしある程度の期間接してみると、どうも演技(詐病)ではなく、信じ難いことだが多重人格というものは実在すると実感してくる。だがそう実感せず、演技(詐病)という第一印象を維持する人もいる。事実、解離性同一性障害の人と密接にかかわっていると、実は演技なのではないかと思わせる言動の片鱗が見られることもよくある。解離性同一性障害が、そして解離性障害が、詐病か詐病でないかという論争は尽きることはない。
私は次のように考えている。
ある言動が意図的か、意図的でないか、この二つは、実は私たちが通常考えるほど、明確に区別できるものではないのではないか。意図的・意図的でないという二分法は、実は幻想なのではないか。そして解離性障害は、この幻想が表面化する独特の病態なのではないか。
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本稿は病的な虚言がテーマだが、病的でないとみなされる虚言も、世の中にはたくさんある。誰でも嘘はつくものであり、その多くはいわば罪のない嘘である。他方、他人に対して一定以上の迷惑をかければ、罪のある嘘ということになろう。その「迷惑」は、しばしば破滅的でさえあり、時には病的な虚言よりも重大な結末を招くものである。病的か病的でないかの一応の基準としては、「本人が何らかの利益を得ようという意図がある嘘は、病的でない嘘」ということになる。たとえば名声を得るため。たとえば金銭を得るため。たとえば地位を得るため。こうした目的のための嘘は、病的とはみなさず、単なる嘘つきとして非難されるのが普通である。
但し、虚言に限らず、病的か病的でないかの区別は、確定的なものではない。
たとえば、ストレスで落ち込んだ場合、それを病気と呼ぶか否か。
ストレスで落ち込むのは、人間としての正常な心理的反応であって、病的ではない。したがって、ストレスで落ち込んだからといって、自分は病気だ、うつ病だ、と主張すればそれは擬態うつ病である。
だが、擬態うつ病であっても、落ち込みの程度が強ければ、当然ながら治療の対象になり得る。すると、病的か病的でないかは、質ではなく量によって決められるとみることもできる。そうであれば、自己の利益のために嘘をつき、周囲に多大な迷惑をかけた場合も、それを病的な虚言と呼ぶことも不合理とは限らない。
するとそれは治療の対象になるのか、ならないのか。難しい問いである。
さらには、それは非難の対象になるのか、ならないのか。さらに難しい問いである。
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病的な虚言が、少なくともまだ一種類残っている。
【2614】自分は外科医であると言い張るなど虚言癖をもつ夫の正式な病名は何でしょうか で回答した、
他の特定のパーソナリティ障害 Other Specified Personality Disorder
である。
「他の特定の」とは何か。
・パーソナリティ障害であること。
・しかしDSM-5に収載されている、どのパーソナリティ障害の基準も満たさないこと。
・しかし診断についてそれなりの明確な理由があること。
これらが条件である。「病的な虚言」は、これら条件を満たすといえる。
とはいえ、この診断(他の特定のパーソナリティ障害)をつけたからといって、そこから先には進まない。症状の原因について何かがわかっているわけでもない。治療法について何かがわかっているわけではない。ただ診断をつけただけである。しばしば「診断のつけ捨て」と批判される状況である。
だが、わからないことについては、わかったふりはしない。データがないものについては、推定でいい加減なことを言わない。それがDSM-5の基本姿勢であり、現代の精神医学でかなり支持されている基本姿勢でもある。病的な虚言については、「他の特定のパーソナリティ障害」として、それ以上は語らないのが正しい態度といえるだろう。
但し、精神医学界で、病的な虚言は昔から認知されている病態である。クレペリンの教科書にも次のような記述がある。
記憶錯誤 精神的人格の病的変化によって、過去のことも追想もあとから非常にしばしば改竄される。それが特に高度に起こるのは情緒的影響、特に自己愛の動揺によってである。活発な想像力と著明な自負心を持つ人では、以前の出来事は全く気付かぬままに非常に深達的な変化を蒙り、次第にその人自身を徐々に前景に押し出すような具合になる。欠点の影は消え、自分のすぐれた部分の光はどんどん明るく照るようになる。この何気ない自己賛美傾向の場合は、事情によってはまさしく、影響の多い虚言の捏造や非常に恣意的な潤色にまで至ることがあり、しまいにはミュンヒハウゼン男爵の物語や狩猟者のほら話のように、語り手自身にもほとんど真実と思えるようになる。
(エミール・クレペリン 精神医学総論 西丸・遠藤訳 みすず書房 p.66)
原文はこうだ。
(Psychiatrie. Emil Kraepelin, Johannes Lange. Band 1 Allgemeine Psychiatrie. 1927)
p.364
Durch krankhafte Veränderungen der psychischen Persönlichkeit werden sehr häufig nachträglich auch die Erinnerungen aus der Vergangenhait verfälscht. In besonders hohem Maße gechieht das, ganz wie beim Normalen, durch gemütliche Einflüsse, namentlich durch die Regungen der Eigenliebe. Bei Menchen mit lebhafter Einbildungskraft und ausgeprägtem Selbstgefühl erfahren die früheren Erlebnisse ganz unvermerkt sehr tiefgreifende Wanglungen in dem Sinne, das allmählich die eigene Person immer merh in den Vordergrund rückt. Die Schatten verwiscehn sich, und das Licht der eigene Vortrefflichkeit strahlt heller und heller. Unter Umständen kann es bie diesem unwillkürlichen Bestreben nach Selbst-Ausschmückung wirkungsvoller Geschichten kommen, die am Ende vom Erzähler slbst nahezu für wahr gehaten werden, wie bei den Munchhausiaden und dem Jägerlatein.
上記クレペリンの記載の中のポイント部分は、
Bei Menchen mit lebhafter Einbildungskraft und ausgeprägtem Selbstgefühl erfahren die früheren Erlebnisse ganz unvermerkt sehr tiefgreifende Wanglungen in dem Sinne, das allmählich die eigene Person immer merh in den Vordergrund rückt.
と思われる。この部分の訳文はと見ると、
活発な想像力と著明な自負心を持つ人では、以前の出来事は全く気付かぬままに非常に深達的な変化を蒙り、次第にその人自身を徐々に前景に押し出すような具合になる。
である。この最後の「その人自身を徐々に前景に押し出す」は文意不明確ではないだろうか。その原因は「die eigene Person」が「その人自身」と訳されていることにある。確かに部分的に見ればドイツ語-日本語の翻訳として間違いは認められないが、ここでの「eigene」は、ひとつ前の文の「Eigenliebe」(自己愛)を受けたものであると解釈すべきで、それを訳語に反映させて、「自己愛に修飾された自己像」とすべきであると私は考える。さらにもう一つ指摘するとすれば、「in dem Sinne」が訳されていないのも不満で、「深達的な変化を蒙り」だけでは原文の意味が十分に伝わらないと思う。改案としてこのような訳文を提唱したい。
活発な想像力と著明な自負心を持つ人では、全く無意識のうちに、記憶の中にある過去の出来事の根本的な意味の変化が生じ、自己愛に修飾された自己像が徐々に表面化するようになる。
【2614】自分は外科医であると言い張るなど虚言癖をもつ夫の正式な病名は何でしょうか のケースの虚言を、このクレペリンの論考のように解釈することも可能である。すなわち、自己愛の非常に強いこの夫では、自らの記憶を無意識のうちに変化させ、結果として虚言だらけになっているという解釈である。それはそれで一定の説得力を持つ説明だが、やはり証明する方法はない。
さらには、クレペリンよりさらに昔、スイスの精神科医アントン・デルブリュックは、空想虚言症という病態を提唱している。
アントン・デルブリュック 空想虚言者 秋元波留夫訳 創造出版
空想虚言症は、この本(1891年)に、生き生きとした実例とともに解説されている。それら実例に共通しているのは、第一はもちろん嘘をつくこと。それも巧妙に。第二は詐欺行為をなすこと(但しもちろん意図的かどうかを証明する方法はない。結果として詐欺行為であるというにすぎない)。第三は自分の嘘を真実であると信じ込んでしまうこと(但しもちろん信じ込んでいるかいないかは専ら主観に属する事柄であるから、これもまた証明する方法はない。傍からみると、信じ込んでいるとしか思えないというにすぎない)。
【2542】元々極端な性格であるばかりか、自分の嘘を真実と思い込んでいるようなのですが、妄想でしょうか は、空想虚言症といえるかもしれない例である。
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パーソナリティ障害の診断基準の中には、「社会的、臨床的等に、何らかの問題が発生している」 という項目がある。
ということは、問題が発生していなければ、障害という診断は下させない。
すると、嘘がばれなければ、障害でない。
さらにいえば、ばれなければそもそも嘘ではない。いや、もちろんそれでも嘘は嘘なのだが、嘘であることはばれてはじめてわかるのであって、最後までばれなければ、嘘かどうかは永遠にわからない。
【2614】自分は外科医であると言い張るなど虚言癖をもつ夫の正式な病名は何でしょうか の質問文の中に、
医師に酷い虚言の傾向があることを告げるとそれにはまったく気付かなかったといわれました。
と書かれていたが、このように、医師も全く気づいていない虚言者が、実際にはたくさん存在するのではないかと思われる。
そして、虚言者の虚言が、意図的なものなのか、それとも本人は真実と信じきっていて、虚言という自覚がないのか、これもまた永遠の謎である。本人が、「自分は真実と信じていた」と言ったとしても、その言葉自体が嘘かもしれないのは当然である。また逆に、本人が、「実は嘘とわかっていました」と告白したとしても、その告白自体だって嘘かもしれない。虚言は科学的分析の対象とするには、きわめて困難な現象なのである。虚言についての医学論文も、他の精神疾患や精神症状に比べると、非常に少ない。
虚言は、本来は精神科で扱わなければならない、しかし実際には精神科医の多くが見逃している、または、目をそむけている、重大な現象だと私は考えている。