精神科Q&A

【1926】母からの暴行、義父からの性的虐待、どちらも記憶が曖昧


Q: 私は24歳の女性です。私は今から七年程前の高校生の時から21歳まで精神科に通っていました。二十歳の時に境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)と診断されました。今は医者からもう大丈夫と言われ、通院・服薬はしていません。

私の家族構成は少し複雑です。私は六歳になるまで女手一つで育てられました。そこで母は再婚したのですが、それから母はストレスが溜まるようになってしまったのか、私に手をあげる様になりました。勉強が解らなくて教えて貰うことがよくあったのですが、何回か説明されても解らないと、手当たり次第に物を投げつけられたり、拳骨で殴られたりしました。また小さい頃母とお風呂に入っていたのですが、その時に浴槽に頭を沈められました。髪を持って引きずられ「お前なんか何処へでも行け。出て行け。」と言われ、真冬に外に出されたり背中や腹を痣が出来る程殴られたり、ストーブの金具の焼け跡がつく程の火傷をしても大した事はないと言われ病院に連れて行って貰えませんでした。
義父は義父で私に性的な悪戯をしていました。家の廊下ですれ違いざまに胸や性器、お尻を撫でられました。ここに座れと言われ父の膝の上に座らされ、服の中に手を入れられ胸や性器を触られました。お風呂を覗かれたり、食事中に全裸で私の前に現れたりもしていました。

母や父からそういう事を日常的にされていたのは8歳から14歳頃の間で、この二つに共通するのが、された行為は何となく又は一部は鮮明に(例えば怒鳴られた言葉だったり、怒った顔だったり、不快感等)記憶しているのですが、どれも事の発端やその行為後の事は全く覚えていないのです。恐怖感等の感情も覚えていません。父親に関しては前後だけではなく曖昧過ぎて事実なのか判らない記憶もあります。また家族旅行をしたり、自分の生活の中の重大な行事(卒業式等)では写真もあるのに殆ど又は全く覚えていません。思い出話をする機会があってもそれを思い出す事が出来ません。逆に何かの拍子に母親にされた事を思い出して怖くなったり気分が落ち込む事もあります。生活する上で常にベールがかかっているような非現実感や離人感を持っていて思い出す記憶ももう一人の自分が離れた所から虐待されている自分を見ているものだったりします。昔の記憶は穴だらけですが、現在はそれ程困った事はなく知らぬ間に時間が過ぎている等もありません。ただ後々思い返すと数日前や一年前の事でも殆ど又は少ししか覚えてないなと気づく事はあります。

これを元に質問させて頂きます。
(1)虐待の最中の事は覚えているのにその前後の記憶が全くないという事や後になって記憶の欠落に気づくのは解離性健忘の症状なのか。
(2)私の症状で複雑性PTSDや解離性障害の診断はつくのか。という点です。
判断されるには色々と材料が不足している上に読みにくい文章で大変だと思いますが、どうかご回答の程宜しくお願い致します。


林:
(1)虐待の最中の事は覚えているのにその前後の記憶が全くないという事や後になって記憶の欠落に気づくのは解離性健忘の症状なのか。

解離性健忘と考えるのが適切でしょう。

(2)私の症状で複雑性PTSDや解離性障害の診断はつくのか。

どんな病気であれ、直接診察することなしに、診断をつけることは出来ません。
精神科Q&Aでの回答は、その表現がいかに断定的であっても、診断名は推定にすぎず、直接の診察に比べればはるかに精度が劣ることは精神科Q&Aに質問される方へに明記した通りです。
 なお、複雑性PTSDというのは、正式な診断名ではありませんので、どれだけの条件を満たせば複雑性PTSDといえるかは、医師によって考え方が異なります。そもそも複雑性PTSDという概念を認めないという立場もあり、それも十分に合理的な立場です。逆に、成長過程の一定以上の苦しい体験と、大人になってからのパーソナリティ障害や解離などの症状をすべて結びつけ、複雑性PTSDをとても広く解釈する立場もあります。その立場を取れば、かなりたくさんの人が複雑性PTSDということになります。

◇ ◇ ◇

【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。

この【1926】の、

生活する上で常にベールがかかっているような非現実感や離人感を持っていて思い出す記憶ももう一人の自分が離れた所から虐待されている自分を見ているものだったりします。

という体験は、ひとつ前の【1925】の、

私は過去や思い出、昔の記憶を「1枚の写真が心の中にいくつかある。」としか説明できません。絵にしか書けない。といった感じです。他人の写真を今でも覚えている。というのか画像としての感覚しかありません。

と共通する色彩があります。すなわち、出来事の記憶はあることはあるものの、それに伴う感情が希薄で、他人事のようだという点です。
ただしこの【1926】では、「もう一人の自分が離れた所から虐待されている自分を見ている」という体験がある点が【1925】とは違っています。このような体験は、別の人格が現れるという解離性同一性障害につながると考えることもできます。【1920】で、

私は、別人格を作ることで自分を守って来ました。

という解釈に対し、そのように解釈することも可能で、それは解離性同一性障害の成因についてのかなり有力な仮説であること、しかし「仮説」ということは、「定説」ではなく、まだまだ不明な点も多いと説明しました。
仮説とはいえ、この【1926】もあわせると、虐待のようなトラウマと解離性同一性障害(多重人格)の因果関係を、症状の意味づけという観点から理解できるようにも思われます。すなわち、自分に起きた出来事であるとは受け入れがたいために、それは他人に起きたことであると思いたいという気持ちが生まれ、そこから発展してそれは他人に起きたことであると信じる人格が現れるという解釈です。ただし【1920】でもお書きしたとおり、このような因果関係の解釈には慎重な態度が必要です。


(2011.1.5.)


精神科Q&Aに戻る

ホームページに戻る