精神科Q&A
【1948】7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえった
Q: 22歳女性です。約7年前に父から受けた虐待の事が今になって記憶の片隅よりよみがえり、家族への接し方が分からなくなってしまいました。
私は高校卒業後、父の勤める地元の企業に就職していますが、精神的にもかなりの限界を感じてきています。
私の家庭は中学の頃から母が亡くなり、父子家庭でした。母は私が中学2年の終わりに亡くなりました。私に兄弟・姉妹はおらず、母が居なくなってから数年間は父と2人暮らしの生活で、その間に性的な虐待を受けました。
しつけには厳しい父でしたので、私は物心のついた頃からずっと父の顔色を見ながらの生活でした。母が亡くなってから間もなく私は父の言いつけで夜には一緒に寝る事と一緒にお風呂に入る事を強要されました。
言うことを聞かなければすぐ機嫌を損ねてしまい、口をきかない・用意した食事に手を付けないなんてことになるのは日常茶飯事で、そういった事態になるのを恐れ、言うことをきいてきました。
母の生前より父がふざけて私や母の体に触れるなどのちょっかいを出す行為はしょっちゅうで、父としてはただのスキンシップのつもりだったのでしょう。
しかし、私が中学3年生のある夜、一緒に寝ていた父は私の下着の中に手を入れたり、自分の性器を握らせたりしてきたのです。私の膣の中にまで指を入れられ、陰毛のカットもされた夜もありました。当時の私でもどういうことか理解は出来ていましたが、ただただ怖くてずっと寝たふりをして、父からの行為を拒否することができませんでした。
勿論友達にも相談できないし、親戚もたまにしか帰省してこなくて、相談して父にやめさせるよう言って貰ったとしても、親戚が帰ってしまった後、何かされるのかもしれないと思うと怖くて何も言えませんでした。暫くして、一人暮らしだった祖父との同居話が持ち上がり、同居と同時に親戚に助けを求め、解決したかのようにみえたのですが、その時は性的な行為を受けていたことは言えず、「あれは母がいなくて身代わりにされたのだ・もう一緒に寝る事はないから、あれ以上のことはもうされないだろう」と自分に言い聞かせ、無理矢理納得させ、いつしか自分の記憶の片隅にその事実をしまいこみました。
それから数年、父と喧嘩することも多々ありました。私の弱みにつけ込んでくるような態度は相変わらずでしたし、多少のボディータッチはあるにしろ、性的な行為を受けることなく過ごしてきたのです。周りの人達からは、今時無いくらいの仲の良さだともよく言われました。
ただ、普段から干渉もひどかった父でしたので、私が就職して自分で稼いだお給料の管理も父で、メールや電話の相手チェック、門限の徹底、外出時の同行者の把握をしておかないと気がすまないようでした。私としてはそれがとてもけむたく感じていましたが。
そんな私にも1年前、恋人が出来たのです。同じ職場の21歳年上の彼でしたので、あっという間に父の耳にも入り、年のことや結婚経験がある彼にけちをつけ、別れてくれないと自分は自殺するとか、親戚中に話すとか、ありとあらゆる方法で最終的に無理矢理に別れさせられました。
その彼は今でも私のことを大切に思ってくれていますし、彼にだけは虐待があったことも全て相談をしています。
父からの虐待が記憶の片隅で蘇ってきたのは、彼との別れを強要された時です。
それから一気に父への嫌悪感、怒りがこみ上げてきていままで執拗に干渉されてきたこともあり、父の事を許せなくなってしまいました。
口をきかないとメールで執拗に仲の良い家族に戻るようにと送ってきましたし、それでも返事をしないと今まで私にかけてきた金を返せとも言われ、それに耐えかねた私はとうとう父から受けていた性的虐待の事を言いました。でも、父は「覚えていない。本当なのか?もし本当なら謝るから許してほしい。前のような家族に戻るようにお互い努力しよう」そんな内容のメールを毎晩よこしてきました。
今年の夏ごろから仕事もうまくいかず、ストレスは溜まる一方。とうとう体調にも変化が出始め、自分の存在意義が分からなくなりました。
自分がいない方が周りの人は助かるんじゃないか、風邪でもないのに頭痛が酷く、貧血でもないのに立ちくらみや目眩が発作的に起こり、夜は眠っていても悪夢にうなされるか、夜中に目が覚めるし、家族の歩く足音一つに敏感になり、朝起きるのが辛い。集中力が続かず、忘れっぽくなって情緒不安定な状態が慢性的に続く状態で、家族のために食事を作る事も嫌になり、仕事に行くのも嫌になり、仕事以外で人に会うことも嫌になり、出かけるのも億劫になり、頭痛の症状だけでも長く続いていたのが不安で、心療内科を受診したところ「緊張性頭痛」「自律神経失調症」「軽度のうつ」の様々な症状があるとして、現在トリプタノール錠10を朝夕に各1錠服用中です。(ただ、うつ病だときっぱり診断されてはいません。)
頭痛、立ちくらみ、めまいの症状は治まってきたのですが、他の症状はまだ続いています。父への嫌悪感や、怒りは増す一方で、父に何か(御飯のおかずを作れとか、お前が言っているのはただのいいわけだ、など)を言われるたびに、自分が存在していることが嫌になります。食事を作ったり、そのために買い物をしたりしなくてはいけないと分かっていても、体がそれについてきてくれないのです。
私はうつ病なのでしょうか?それとも現実から逃れるためにただ怠けているだけなのでしょうか?
それから、私は父の事を許すべきなんでしょうか? 許せる日が来るのでしょうか? 今の私では、許すことなんて不可能に近いのですが。
父に対してあまりきつい事を言うと、自殺するなど言葉での圧力がいつ襲ってくるか怖くて何も言えなくなります。
虐待の事と他に自分がうつ病であるか疑問がありましたので、質問させていただきました。まとまりの無い事を長々とかいてすみません。
父との親子関係・自分の体のこと、私はどうしたら少しでも楽になれるでしょうか。
林: 父親からの性的虐待。現在の症状。両者は関連する可能性があります。
私はうつ病なのでしょうか?
違うと思います。
それとも現実から逃れるためにただ怠けているだけなのでしょうか?
違います。
それから、私は父の事を許すべきなんでしょうか?
道徳的な意味では、許す必要はないと思います。一方、自分自身の症状の回復のためには、気持ちの中で何らかの形で整理することは必要でしょう。それを「許す」と呼ぶという考え方もあるかもしれません。
許せる日が来るのでしょうか?
上記の通りです。
今の私では、許すことなんて不可能に近いのですが。
上記の通りです。「許す」という言葉にどこまで意味を持たせるか。
父との親子関係・自分の体のこと、私はどうしたら少しでも楽になれるでしょうか。
上記の通りです。さらに、【1901】からこのページの最後までの内容もご参照ください。
◇ ◇ ◇
【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。
さて、その順にお読みいただけたでしょうか。この【1948】が、2011.1.5.更新最後のページです。これからまとめに入るのですが、いま私はここまでを振り返ってみて、【1901】から【1948】までの文字数は、本一冊分にほぼ相当することに気づきました。私としては是非【1901】、【1902】、・・・と順に読んでいただきたいのですが、この長さですとなかなかそうもいかず、途中で見切りをつけて、おそらくここに結論があるだろうと見込んで、この【1948】にジャンプしてきた読者もいらっしゃると推定しています。あるいはいきなりこの【1948】を訪れた読者もいらっしゃるでしょう。そのような場合、ここから下をお読みになる前に、【1901】だけはお読みください。なぜなら、【1901】から【1948】までは、【1901】の問いをきっかけとするものであり、この【1948】ではこれからその問いへの回答を試みるからです。
律儀に【1901】からすべてをお読みいただいた読者も、今一度【1901】の内容をご確認ください。記憶が曖昧になってしまっていると思われますので。
それはそうと、【1901】から順にすべてをお読みになった場合、もう深夜をかなり過ぎているのではないでしょうか。この後の部分には、少々ですが専門的な内容も含まれています。眠い頭ではなかなか入りにくいですし、明日にも差し支えますので、いったんお休みになってからお読みになることをお勧めします。
◇ ◇ ◇
6歳から12歳まで性的虐待を受けていた【1901】の方の問いは次のようなものでした。
問1: 性的虐待は今の私の精神に何か影響を及ぼしているのでしょうか?
問2: また、それを私は自分で乗り越えられるのでしょうか? それとも何か特別な治療が必要なのでしょうか?
どちらに対する回答も、【1901】から【1948】までの中の各所に書かれています。ここではそれらをまとめてみましょう。
まず問1に関して。
【1901】の回答の冒頭で私は
「思い出したくない性的虐待の記憶。現在の自分。両者には関係があると思います。」
とお答えしました。つまり「影響あり」が答です。【1901】では、性的虐待があったことは確実な事実と判断できます。そしてこのような性的虐待が、後のパーソナリティに大きな影響を及ぼすことは、臨床的な事実といえます。したがって、問1の答はイエスになります。
古くはフロイトが、神経症の原因を虐待などの幼児体験の中に求めたことは有名です。(フロイトのいう「神経症」とは、心因性とされる疾患のすべてを指すと考えてほぼ間違いありません。【1901】から【1948】はほぼすべてそれにあたるでしょう)
問1の答えは、【1901】のケースでは明快なのですが、幼少期の虐待と、大人になってからのパーソナリティなどの精神状態の関連については、そもそもその虐待があったというのが事実かどうかが重大な問題であるのは、繰り返し述べてきたとおりです。
以下、この問題にかかわる歴史から現代の状況までをまとめてみます。
(1) 虐待は事実か否か
先に少し触れたように、フロイトが心因性疾患の原因として幼少時の虐待などのトラウマを重視していたことはよく知られています。
ところがフロイト自身の著作の中に、トラウマが事実であるという前提を揺るがす、次のような記載があります。
フロイト: 自己を語る
フロイト著作集4 懸田克躬訳 人文書院
性愛の抑圧が起こっており、そこから抑圧されたものの、代償形成としての症状が由来してくる病因的な状況について探究をすすめると、われわれはいよいよ患者のより以前の生活期へとさかのぼって導かれてゆくが、遂には、最初の児童期にまでたどりつくことになったのである。
(中略)
この人生の早い時期における印象は、多くは健忘の中におちこんでしまいはするけれども、その個体の発達にとってぬぐうべからざる痕跡をのこすということと、とくに後年の神経症性の疾患の素質をかためるものとなるということは明らかとなってしまった。
忘れ去られた幼児期の体験が、大人になってからの精神症状を形成する。この説に従えば、【1947】うつ病がなかなか治らないのは過去が関係しているのでしょうか の答えはイエスになります。
・・・私の仕事全体について禍となったと思われる誤りについて述べておかなければならない。その当時の私の技術的な操作の圧力の下におかれて、私の患者の大部分のものは、小児期における成人による性的な誘惑を内容とするような光景を再現したのであった。
精神療法の過程において、それまで忘れ去られていた記憶がよみがえる。【1932】で紹介した論文のケースや【1945】カウンセリングの過程で、幼い日の記憶が蘇ったなどがこれにあたります。
女性の場合には誘惑者の役割はいつも父親に帰せられた。私は、この報告に信をおいた。
つまり【1945】のようなケースでフロイトは、質問者の訴えの内容が事実であると信じるということです。
そして、この児童期における性的誘惑の体験にこそ後来の神経症の源泉が見出されたのだと仮定したのであった。
つまり【1944】、【1945】のようなケースで、大人になった現在の症状が、幼少時の虐待に関連していると仮定するということです。
父親、叔父、あるいは兄などとのこのような関係がはっきりした記憶ののこる年までつづいていたった若干の症例が、私のこの信頼をつよめたのであった。
ここでいう「若干の症例」とは、【1901】、【1902】実父からの性的虐待と、不安・摂食障害・リストカット、【1903】兄からの性的虐待と、ひきこもり・過食嘔吐・ODなどのように虐待の記憶がずっと持続しているケースを指しています。このようなケースの実在を目の当たりにすれば、【1924】子ども時代の記憶が曖昧です。父に暴力を受けていたらしいのですが。、【1925】昔の記憶は「心の中の写真」としか説明できません。その中には「義父と私が裸」写真もあります、【1926】母からの暴行、義父からの性的虐待、どちらも記憶が曖昧などのように虐待の記憶が曖昧なケースについても、それは単に記憶が曖昧になっているだけで、虐待は事実だと推定したくなるのは自然でしょう。
ところが、ここからが問題です。
しかし後になって、このような誘惑の光景などは、けっして現実にあったものではなく、私の患者たちが創作した、あるいは私が彼らに無理じいして創作させさえしたところの空想にすぎないということを認識せざるをえなかったときには、私はしばらくどうしてよいか分からなくなってしまったのであった。
つまり、患者たちの語る虐待体験は、患者自身の創作であったり、フロイトによって誘導された創作であったりすることがわかったということです。
この文脈でいえば、【1945】でよみがえった記憶内容も、創作かもしれない。また、【1932】でご紹介した論文のケースでよみがえった記憶内容も、創作かもしれません。
このように、患者の語る記憶内容が事実でないことを知った時。フロイトは「しばらくどうしてよいか分からなくなってしまった」と言っています。自己の築き上げた理論が根本から瓦解したのですから、当然の反応でしょう。しかし、フロイトが「どうしてよいか分からなくなってしまった」のは、あくまで「しばらく」にすぎませんでした。ここからがフロイトの真骨頂ともいえます。
・・・神経症の症状は直接的な実際の体験から発するものではなくて、願望による空想から発するものであること、また神経症にとっては、物質的な実在よりも心的な実在のほうがより大きい意味をもつのであるのだという正しい結論をひき出していたのである。
「症状」の原因は「トラウマ」
というのが当初のフロイトの理論でしたが、その「トラウマ」が、事実ではないとわかったとき。普通の人ならここでそれまでの理論を捨てるところでしょう。ところがフロイトは、「トラウマ」が事実でないなら、「空想上のトラウマ」が原因になるのだというように自己の理論を修正したのです。すなわち
「症状」の原因は「空想上のトラウマ」
ということです。これが「物質的な実在よりも心的な実在のほうがより大きい意味をもつ」ということで、フロイトはそれを「正しい結論」と高らかに言い切っています。
これを非凡な天才の発想とみるか。それとも単なる負け惜しみのこじつけとみるか。それはともかくとして、この後は有名なエディプス・コンプレックスに結びつけられていくのですが、それは今回のテーマから逸れますので省略します。
時代は飛んで、現代になります。
いくら素晴らしいように見える理論でも、実証されなければ価値がないとされる現代。そして何より、【1945】などでご紹介したように、幼少期の虐待が大人になった現在の症状の原因であるとして子が親を訴訟するという事態が80年代に起きてから。こうなるとトラウマが空想でもいいのだなどと言っているわけにはいかなくなります。
【1901】から何回も繰り返してきたように、幼少期の虐待などのトラウマが事実かどうかを確認することは非常に難しく、いくら記憶内容と過去の記録を照らし合わせても、限界があります。
しかしここに、信頼できる全く別の研究方法があります。
それは、実際に虐待を受けた人の記憶を、その何年後かの時点で調べる。つまり、何年か前の虐待の記憶があるかどうかを調べるという方法です。
これは大変な時間と努力を要する研究方法で、そのような方法で行なわれた研究の数は非常に少ないものです。しかし少ないといっても論文が複数存在します。代表的なものがこれです。
Williams LM: Recall of childhood trauma: a prospective study of women’s memories of child sexual abuse.
Journal of Consulting and Clinical Psychology 62: 1167-1176, 1994.
この研究は、アメリカのある都市で、性的虐待による受傷の救急治療を受けた1973年から1975年までの女性206人を、その救急治療施設の記録に基づいて確認し、17年後に面接調査を行い、性的虐待の記憶があるかどうかを調べたというものです。
結果は、38%の人は、その性的虐待のことが記憶になかったというものでした。
すなわち、「性的虐待(それも、この研究対象は、性的虐待と同時に身体的にも受傷し救急病院を受診するくらいひどい虐待)の記憶が失われることは実際にある」というのが、この論文の第一の結論です。
さらにこの研究では貴重なデータがいくつも記されています。
たとえば、
・ 性的虐待の記憶がある62%のほうの人について、その中の16%の人は、今はその性的虐待の記憶があるが、過去には記憶から消えていた時期があり、あるとき思い出したと言っています。(ということは、【1944】、【1945】などのケースでのよみがえった記憶内容は事実ということが十分にあり得るということです。決して記憶がよみがえったというケースの全てがフロイトの言うようなファンタジーというわけではないということです)
・ 性的虐待そのものの記憶は正確であっても、その性的虐待を受けた年齢が誤って記憶されているケースがかなりある。(これは【1932】の方の質問、すなわち、自分が性的虐待を受けていたのは幼稚園の時で、幼い兄がそのような行為ができたとは思えないので、性的虐待そのものが実はファンタジーなのではないかという疑問、に関係してきます)
・家族や近親者からの性的虐待のほうが、他人からの性的虐待に比べて記憶から消えているケースが多い。(この現象の一つの解釈としては、他人よりむしろ家族から性的虐待を受けることのほうが、精神的に耐え難いということです。耐え難い記憶であるからこそ抑圧される。家族からの性的虐待のほうが耐え難いことの一つの理由は、絶対的に信頼できるはずの対象であった家族から裏切られたということです。もう一つ考えられる理由は、家族からの性的虐待は、当初は自分にとって嬉しいものだったということです。そこには幼少時には性的行為の意味がわかっていないという【1901】、【1908】のような事情も関係しています。性的虐待が特に快感だったような場合には、成長してその意味がわかったときには、その出来事やその時の自分の気持ちは受け入れ難いものになるでしょう。するとその記憶が完全に抑圧されるというのも十分に理解できることです。【1947】はそのようなケースかもしれません。逆に、虐待者が他人の場合は、虐待体験が快いものであったとしても、記憶の抑圧までには至らず、激しい怒りを伴って何度も思い出されるということも考えられ、【1901】はそれにあたるでしょう。「激しい怒り」よりも「完全な忘却」のほうが、病態としては重いという解釈も可能です。さらには、忘却のみならず、別人格を作り上げることによって、それは自分ではなかったと考えるに至るのが多重人格の原因であるという解釈も可能です。なお、近親姦とは幼少時においては快感であることがしばしばあることが、PTSDの図書室に紹介した『近親姦に別れを』にも記載されています。)
(2) 治療について
【1947】で引用した論文の記載、
「子供時代に性的虐待を受けた成人サバイバーには、低い自己評価、抑うつ、罪悪感、身体化症状、繰り返される自傷行為や性的逸脱行動が見られると言われるが、これらの症状は、その背後にある外傷体験が癒されなければ改善はみられない」
は、一面の事実だといえるでしょう。
しかし、これも【1947】でお話したことですが、何も根本的な治療だけが治療というわけではありません。薬によっても少なくとも部分的な改善は期待できます。
さらに、忘れ去られていた外傷体験の記憶をよみがえらせることは、逆に取り返しのつかない程度にまで症状を悪化させるおそれがあることもまた【1947】で述べた通りです。
では現代の日本での実際の治療状況はどうか。たとえば【1932】でこの論文を紹介しました。
永井幸代
腹痛に悩む女性の治療 ----- 性的虐待の夢と記憶 -----
精神分析研究 52 (4): 418-423, 2008年
同じように、治療を扱った論文として次のものもあります。
大波幸美: 心的外傷を背負った思春期女子の治療
----- 語られた性的外傷の背景にあったもの -----
精神分析研究 50: 67-72, 2006年.
これらはいずれも幼少時のトラウマを扱った精神療法の過程を記述したものです。が、これら論文にあるような治療ができる精神科医やカウンセラーは限られた数しか存在しません。
それに、このような治療は大変な時間がかかります。
上記どちらも論文としては数ページの短いものですが、そこに記されている治療期間は年余に及んでいます。具体的には、
大波先生のケースは5年間、137回の面接で治療が終結しています。一回の面接時間は約45分です。
永井先生のケースは3年6ヵ月の時点の経過報告の論文で、治療はまだ継続中です。面接は週1回、50分と記されていますので、論文の時点で面接回数は150回を超えていると思われます。
さて、このような治療には、患者側の問題と、医者側(治療者側)の問題があります。
ここまで時間をかける覚悟を持って治療を受けるか。それが患者側の問題です。
そして治療者側にも現実的な問題があります。
このような治療は、膨大な労力の割に、カネにならないということです。
上記の論文の治療が保険診療だとしたら、このような集中的な精神療法を行なわず、抗うつ薬を処方すれば、その十分の一くらいの時間で、十倍くらいの収入にはなるでしょう。
精神療法を学び、実施するより、薬物療法を学び、実施するほうがはるかに収入になる。となれば、精神療法という分野が発展しないのは避けられないことです。
これに関連することですが、上記の論文は、「研修症例」として発表されたものです。
研修ということは、著者の大波先生、永井先生は、若い治療者でしょう。若いうちは、収入を度外視して患者のための営みを続けることは可能でも、彼らが一定の年齢に達したときに、このような治療を続けられるかどうか。
という事情もあって、質の高い精神療法ができる精神科医の数は非常に少ないのが現状です。
そしてこれは、心の病全体の啓発活動や出版物などにも反映しています。つまり、薬についての知識ばかりが広まりすぎているという現実です。それが本当に必要な薬についての知識ならいいのですが(うつ病に対する抗うつ薬、統合失調症に対する抗精神病薬などは、本当に必要な薬です)、あまり薬が必要でないものにまで薬が期待されるという事態が発生しています。そしてそこからの反動として、本来なら薬が必要なうつ病や統合失調症にまで、薬物療法に疑問を持つ人が出てくるという事態が生まれています。
話がそれてきましたのでこの話題は打ち切ります。このテーマについてはサイコバブル社会をお読みください。
【1947】のケースに戻ります。フロイト流に解釈すれば、父親との性的な関係の夢は、空想、ファンタジーということになるでしょう。以下のa.のような解釈です。
a
1. 性的虐待の夢は、空想の産物。
2. その空想が生まれたのは、父への願望があるから。
3. 父が大好きであると繰り返しているのは、本当に大好きだから。
4. 大好きの延長に、父と性的関係を結びたいという願望がある。
5. それが夢=空想、ファンタジーとなって現れている。
一方、【1947】の回答には、全く違う解釈を記しました。aとフォーマットをあわせるとこうなります。
b
1. 性的虐待の夢は、忘れ去られていた事実。
2. 忘れていたのは、父への嫌悪があるから。
3. 父が大好きだと繰り返しているのは、嫌悪の感情のすべてを抑圧しているから。
4. 父との性的関係は、あまりに耐え難い事実であるため、記憶から消えている。
5. それが夢となってよみがえった。
a.とb.は、上の通り、正反対です。
が、治療においては、ある意味意外なことですが、性的虐待が事実だったかどうかはあまり問題ではないというのが主流の考え方です。重要なのは、いわば「幼少時に性的虐待を受けていたことが記憶の中にある」ことと、「大人になった今の症状」の関連を見出していくことにある。それが治療につながるのであって、虐待の事実関係は治療と直接の関連はないというスタンスです。私もこの考え方は治療においては妥当であると思います。
【1901】から【1948】までの多くのケースについてもこの考え方は通用します。
回答の中で、虐待が事実かどうかはわからない、としつこいほど繰り返してきましたが、上の考え方にしたがえば、「虐待が事実かどうか、そんなことはどうでもいい。虐待の記憶がある こと、それ自体が重要であり、症状に強く関連するのだ」ということになります。
このような考え方のもつ一つの利点は、恨みの感情の処理という作業が軽減されることです。
【1948】では
私は父の事を許すべきなんでしょうか?
という問いがありましたが、これに対しては「許す・許さないではない」
と答えることが可能になります。
たとえ【1948】の質問者の記憶としては性的虐待が事実であっても、それは空想かもしれないし、症状回復のためには事実か空想かは問題でない
とすれば【1948】の上記の問いに対しては
許す・許さないは、問題ではありません。
とお答えすべきでしょう。そのほうが【1948】の質問者の心の安寧に寄与できそうです。
しかし、精神科Q&Aは、そのような立場は取っていません。
質問者を助けることではなく、事実を呈示することが精神科Q&Aの方針です。ここでは、「虐待が事実かどうかはわからない」ということがまさに事実であって、それが【1948】の回答の背景にあります。
先に引用したようにフロイトは
神経症の症状は直接的な実際の体験から発するものではなくて、願望による空想から発するものであること、また神経症にとっては、物質的な実在よりも心的な実在のほうがより大きい意味をもつをもつのであるのだという正しい結論
と記しています。「心的な実在」とはつまり、事実ではなく空想だということです。
しかし現代では、このフロイトのいう「正しい結論」が支持されてはいないようです。
先に引用した永井先生、大波先生の論文ではいずれも、本人が語る虐待の体験を実際にあった出来事として扱っています。そこには、事実かどうかを特に検証した形跡はありません。
論文によっては、たとえ性的虐待が空想・ファンタジーであっても、それは本人にとっては「心的な実在」である以上、治療過程においては事実として扱っていいのだと主張されているものもあります。
診察室という閉鎖空間に限局するのであれば、あるいはそれも妥当な考え方ということになるのかもしれません。医師(を含めた治療者すべて)は、患者の味方であり、患者を治療し回復されることのみが責務であるということからすれば、倫理的にも正しいスタンスということになるでしょう。
けれども、虐待という、いわば「犯人」が存在する場合には、事情が違ってきます。
診察室から一歩外に出れば、【1111】訴訟になりそうなのですが、妹は本当にPTSDでしょうかの父親のように、医師もお助けおじさんにもなりかねません。
先に引用した永井先生、大波先生の論文、さらには【1947】で引用した山下先生の論文についてもそうですが、虐待についての医学論文の大部分は治療する立場の著者によって書かれたものであることに十分注意して読む必要があります。つまり、これら論文の著者は、あくまでも患者の味方であり、事実の検証は最重要事項ではないということです。
そのような状況の中では、【1947】でご紹介した2003年の本のように、反対する立場の著者による著作はある意味貴重といえます。但し、あくまで「ある意味」貴重だということです。実際にはこの2003年出版の本は、いかにもひどい内容であり、題名をここに書けばその本の宣伝になってしまうのであえて書きません。
その代わりというわけではありませんが、虐待について【1901】からここまで扱ってきた記憶との関連の問題にかかわる、質の高い論文を最後にご紹介します。
Gutheil TG and Simon RI: Clinically based risk management principles for recovered memory cases.
Psychiatric Services 48: 1403-1407, 1997.
著者のGutheil、Simon は、お二人とも現代の司法精神医学の権威ともいえる精神科医です。司法精神医学とは、犯罪など、裁判と密接に関係する精神医学の分野で、どこまでも中立的な診断が求められる領域であるといます。
この論文の結論部分は以下の通りです:
虐待が事実かどうか確定できないときは、患者の言葉が真実か虚偽かという判断は保留した状態で治療を続けなければならない。
この結論は当然といえばあまりに当然ですが、中立を追究するということは事実を追究するということであり、そうした立場の著者からの結論として、重みがあるものといえるでしょう。
さて、では精神科Q&Aの【1901】から【1948】までの結論をまとめます。
・ 記憶の中にある性的虐待は、事実のことも、事実でないこともある。その見極めは多くの場合とても難しい。
・ 性的虐待が事実の場合には、大人になってからの精神症状やパーソナリティに、その虐待が関連していると考えられる。
・ 治療としては、性的虐待についての気持ちを何らかの形で整理することが必要と考えられる一方、性的虐待についてはあえて触れないという方法も考えられる。
以上です。
・・・いや、結論はもう一つありました。これです。