精神科Q&A
【1944】ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました
Q: 26歳女性です。五年ほど前から、全般性不安障害、うつ病、PTSD、不眠症の診断を受けて月に一度の受診を受けています。発症のきっかけは、うつ病(自称なのか真実なのかは判断が尽きませんが)の友人と、それを取り巻く周囲の人間関係の仲を取り持つことに苦労していたことや、就職活動、両親とのかねあいなどの人間関係の軋轢などのストレスだったと思います。
少しずつ体調を崩しはじめ、倦怠感や動悸、不安、気分の落ち込みから始まり、しまいには道で通り過ぎる人が自分を殺しに来るのだという今思えば全く妙な妄想に取り憑かれたりという状態に悩まされた頃、ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました。それは、幼稚園で自分に覚えがない悪さの後始末を追われて疑問符を浮かべていたり、ある日、突然自分に気付いて慌てて、それ以前の私が何をしていたのかとか、置かれてる状況を確かめたり(「ここはどこ?私は誰?」と言った感じ)を繰り返しているもの。(↑上記は幼稚園、保育園にいる時の限定もの)家では、父に部屋中を引きずり回され体罰を受けて半裸のまま外に出される自分の様子を天井から見ているもの、トイレや押し入れにこもって、人さらいが来るのだと、自分が自分でなくなってしまうのだなどと、動悸を足音と勘違いして恐怖に震えてるものなどです。
後日、母親に確認した所、体罰や押入やトイレにこもるなどの事は確かにあったそうで、ついでに夜叫びだしたり、眠り始めて2、3日起きない、激しい夫婦喧嘩で目前で家具が破壊され散乱して怪我をしてもぼ〜っと他人事のようにゲームをし始めたり、全く笑わなかったりなどがよくあったそうです。
このような記憶などを思いだして以来、まとまりのない複雑な両極端な感情が、ことあるごとに湧き上がり、意思表示がなかなか困難になってきました。お医者様には通院が始まった初期の頃に、戻った記憶と意思表示の困難さを伝え、PTSDということで初診時からの処方(トフラニールday30mg、レキソタンday3mg)で変わらずに続けました。現在は症状が軽快したものとされ、トフラニールday10mg、レキソタンday1mg、ゼストロミン0、25mgになりました。 確かに不安発作やうつ症状は軽減したように思いますが、自殺願望や両極端な感情による葛藤による意思決定の困難さは変わらず続いています。
最近は、アルバイトから帰ってきた瞬間に、その日の仕事をどうこなしてきたかを断片的にしか記憶にない状態に陥ったり、少し前までの自分が自分でないような感覚になったり。リラックスした状態や寝始めなどになると、頭の中でいろんな人間の話し声が聞こえてきている気がします。(特別、うるさくも耳障りでもなく自分が水の中に潜っている感覚なので、心地悪くはないのですが…)友人には一人称と口調やテンションがコロコロ変わる頻度が増えたと言われたり(僕、私、俺。ちなみに私の性は女性です。子供の頃に男言葉を使っていた延長で時に今も一人称が変わるのですが、最近は酷いらしい)。
お医者様には症状を伝えるのですが、あまり取り合ってくれる様子がなく五分診療になっています。一人称の変わりぶりや、ちょっとした記憶の混乱は、空想癖が昔から少しあるのと神経質になって勝手に自分でそのような思いこみをしており、過去の記憶の主観も或いは自分で捏造した可能性もあり、現実逃避に自分を甘やかしているかもしれません。しかし、身体的な倦怠感の辛さや自殺願望は自分の思いこみだけで片付けてしまい、今のお医者様の言うままに減薬を続け治療を終えるのには不安を感じます。(治療は、ほぼ改善したとされ薬を絶つ方針で進められています)
最大の悩みは、初診で受けた病名が五年経っても一つも全快していないように思えることで、かかっている医療方針に疑問をもちはじめています。セカンドオピニオンを受けるべきでしょうか?また、その際は思いこみや一人遊びともとれる幼少期の記憶や友人から指摘された一人称の混乱、ちょっとした記憶の欠落や曖昧さなども、全て伝えるべきでしょうか?伝えたら、今のお医者のように取り合ってもらえなさそうで、ちょっと不安です。多忙極まり、私よりも悩み深い方々の質問が多く寄せられる中、長文となってしまいました。よろしければ、ご意見をいただきたいと思います。
林: 質問者の現在の症状は解離を中心とするものです。そのきっかけは、
友人と、それを取り巻く周囲の人間関係の仲を取り持つことに苦労していたことや、就職活動、両親とのかねあいなどの人間関係の軋轢などのストレス
であっても、遠因としては幼少期の体験、すなわち、
幼稚園で自分に覚えがない悪さの後始末を追われて疑問符を浮かべていたり
家では、父に部屋中を引きずり回され体罰を受けて半裸のまま外に出される
などが影響していると考えられます。
そして、
このような記憶などを思いだして以来、まとまりのない複雑な両極端な感情が、ことあるごとに湧き上がり、意思表示がなかなか困難になってきました。
このように、抑圧されていた記憶がよみがえると精神状態が不安定になるのは、【1934】などでもお話したとおり、かなり典型的な経過です。
もちろん質問者が
過去の記憶の主観も或いは自分で捏造した可能性もあり、
とおっしゃるように、また、【1943】まででお話してきたように、そのような体験は実はなかったという可能性も否定できません。
しかし、この【1944】は、【1935】などのように暗示があってよみがえった記憶ではなく、
ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました。
という形ですので、事実であった可能性がより高いという解釈が可能になると思います。
さらに
後日、母親に確認した所、体罰や押入やトイレにこもるなどの事は確かにあったそうで、ついでに夜叫びだしたり、眠り始めて2、3日起きない、激しい夫婦喧嘩で目前で家具が破壊され散乱して怪我をしてもぼ〜っと他人事のようにゲームをしはじたり、全く笑わなかったりなどがよくあったそうです。
という記載も、記憶内容が事実であったという判断に傾かせるものといえます。(上記の幼少時のエピソードそのものも解離の症状といえます)
なお、
しまいには道で通り過ぎる人が自分を殺しに来るのだという今思えば全く妙な妄想に取り憑かれたりという状態に悩まされた
頭の中でいろんな人間の話し声が聞こえてきている気がします。
は、これだけを取り出してみれば統合失調症の始まりの可能性も考えなければならないことですが、質問者の全体像を見れば、解離の一症状とみるのが合理的です。
また、
友人には一人称と口調やテンションがコロコロ変わる頻度が増えたと言われたり(僕、私、俺。ちなみに私の性は女性です。子供の頃に男言葉を使っていた延長で時に今も一人称が変わるのですが、最近は酷いらしい)。
は、【1932】などと共通点がある症状で、今後、解離性同一性障害(多重人格)に発展する可能性を考慮すべきといえるでしょう。
質問者は
初診で受けた病名が五年経っても一つも全快していないように思えることで、かかっている医療方針に疑問をもちはじめています。
とおっしゃっていますが、このメールからは、「一つも全快していない」どころか、むしろ悪化してきているという印象を受けます。今の医師の治療を受け続けても、おそらくよくならないでしょう。したがって、別の医師にかかるべきといえますが、この【1944】の回復のためには精神療法が必要と思われ、この【1944】のようなケースに適切な精神療法が行なえる治療者(医師あるいはカウンセラーなど)は限られているという現実があります。
セカンドオピニオンを受けるべきでしょうか?また、その際は思いこみや一人遊びともとれる幼少期の記憶や友人から指摘された一人称の混乱、ちょっとした記憶の欠落や曖昧さなども、全て伝えるべきでしょうか?
伝えるべきです。ただし、時間的制約がありますので、初診時に全てとは限りませんが。
伝えたら、今のお医者のように取り合ってもらえなさそうで、
その場合は別の医師にかかったほうがいいでしょう。
ただし、「取り合ってくれない」と初診時に感じたとしても、それは取り合ってくれないのか、最初はあまり深い問題に触れないほうがいいとその医師が判断しているのかは難しいところですが。
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【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。
【1901】から、虐待とめぐるケースをご紹介してきました。
虐待(あるいは、虐待を含む幼少時のトラウマ)の記憶について、どのようなパターンがあるか、ここまででいったん大まかにまとめてみましょう。次の三つに分類できます。(分類困難なものも、一応分類に入れてあります。)
(1) 幼少時のトラウマの記憶あり。本人はその記憶をひきずっており、記憶内容は事実であると確信している。 【1901】〜【1903】、【1905】から【1910】、【1915】から【1920】
(2) 曖昧だが幼少時のトラウマの記憶あり。記憶内容のうち、どこまでが事実なのか、本人もよくわからない。【1924】〜【1936】
(3) 幼少時のトラウマの記憶はなかったが、あるときその記憶がよみがえった。【1924】。さらに、この後の【1945】以下。
上記のようなパターンがあるのは、臨床で出会う実例とも一致しています。
また、論文もあります:
Harvey MR, Herman JL: Amnesia, partial amnesia, and delayed recall among adult survivors of childhood trauma.
Consciousness and Cognition 3: 295-306, 1994.
この論文は、幼少時の虐待に関連する症状の精神療法を受けている臨床例を検討したもので、まさに上記の(1)(2)(3)のケースに分類されるという結論になっています。
なお、この論文の著者の一人のHermanは、PTSDの図書室に紹介した「心的外傷と回復」の著者のハーマンで、「複雑性PTSD」という概念の強力な支持者です。
この論文は実証的で信頼できるものですが、どんな論文にも著者のカラーが出ることは避けられません。本人が幼少時の虐待などのトラウマを語る場合、それが事実かどうかの判断が非常に難しいことは【1901】以来指摘し続けていることです。これについては大変な論争があり、単純化すれば、「虐待は事実」組と、「虐待は空想、捏造」組に分かれています。ハーマンは「虐待は事実」組の代表ですので、この論文はそれを前提に読む必要があります。
関連してもうひとつ注意すべき点は、この論文は精神療法を受けている患者を対象とした研究だということです。そして精神療法を行なっているのがハーマンとそのグループであるということは、「幼少時に虐待があったのではないか?」という問いが、【1945】のように精神療法の過程の中で治療者から繰り返し発せられていると考えられ、するとその暗示によって、実際にはなかった虐待が記憶としてよみがえったという可能性を考える必要が出てきます。
それに対して、この【1944】では、
ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました。
とのことですので、暗示によって偽りの記憶が作られた可能性は低いということになるでしょう。
(2011.1.5.)