教祖の精神鑑定
「私は神だ」という発言は、時として「狂」の象徴とされる。しかし他方、「私は神だ」という発言に周囲の人が納得し、教祖誕生となってしまうことがある。では「狂」と「教祖」を峻別するものは何か。【3416】すべての神秘的体験は精神病ですか は、実に自然な疑問である。
対する私の答は【3416】に記した通り、
わかりません。私にわかるはずがありません。
である。「すべての神秘的体験」がどうであるかなど、私にわかるはずがない。
だが神秘的体験が精神の病の症状であることがしばしばあるのは事実である。この事実からいかに論考を進めたとしても、「すべての神秘的体験は精神病ですか」の答には永遠にたどり着けないし、接近できるかどうかさえわからないが、「精神病の神秘体験が教祖誕生に繋がるのはどのような場合か」を論ずることは、【3416】の問いに対する示唆くらいにはなるかもしれない。そこで本稿、「教祖の精神鑑定」と題し、「【3416】の回答にそえて」という副題を含みとして意識しつつ書き進めてみる。
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大本教(おおもときょう)を例に取る。大本教といってもそれは一体なんだと言う人が多いであろうが、大本教は、昭和10年ころの日本において信者が800万人を擁した宗教である。当時の日本の人口が7千万人だから、大変な勢力・影響力を持っていた巨大な宗教であることがわかる。この大本教は、初老の女性、出口ナオの神秘的体験から始まった。以下ゴシックは1976年に発表された論文 佐木秋夫: 新興宗教の教祖たち. 臨床精神医学5巻8号 (本稿末の文献1)からの引用である。
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出口ナオ(1837〜1918)は京都府下の綾部の貧しい大工の未亡人で八人の子を抱えて糸繰り賃労働、雑役、ボロ買いなどで天皇制日本の底辺を必死で生き抜いてきた。憲法発布、国会開設という政治的変動期に娘たちのうち結婚していた二人までが相次いで発狂するという悲境におちいってそのころ京都府下でもさかんにのびていた金光教に救いを求めるうちに、みずからも激しい神がかり状態になったのだった。
二人の娘が発狂したとき夜中に急にとび起きて、末娘たちにたいしてすさまじい見幕でこわい眼をむきながら、「姉のところへ行ってロウソクを立てて神を祭れ」ときびしく命令した。そのときからたびたび発作を起こした。その状態は信者の記録によると次のようだった。正座して「ウーム、ウーム」とうなり出す。やがてその姿勢でピョンピョンとびあがり、すさまじい雄叫びを発するが、その間に「艮(うしとら)の金神(こんじん)」とナオ自身との対話の形でしゃべる。つまりいくら信心して救いを求めても助けてくれない既存の神仏に愛想をつかして、「本当の神」の新たな出現を迎えたというのである。
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娘二人の「発狂」は、統合失調症の罹患であったと推定するのが妥当であろう。すると、遺伝歴と合わせて、このときの出口ナオの急性の精神病状態は、統合失調症の急性発症であったとみることができる。
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周囲はもちろん気違いあつかいで、はては組内で座敷牢を設けてとじこめた。このとき、釘で柱などに何か書きつけはじめた。それが「大本教論」、すなわち「お筆先」のはじまりだという。その後、牢を出てから、自動書記的にさかんに紙に「神論」を書きまくった。
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このころの日本は、精神病を発症すると、家の中に檻を作ったり、物置を牢屋のように改造するなどしてそこに監禁するのが普通だった。その実態は呉秀三が1918年に発刊した本に写真とともに詳細に記されている(本稿末の文献2)。出口ナオもそんな座敷牢にとじこめられたが、その中で「釘で柱などに何か書きつけはじめた」のが、後の大本教の聖典の基になる。「自動書記的に」と表現されるといかにも神がかっているが、精神病状態においては時に活動性が異様に昂進し、その活動性が物を書くという行動に具体化することがある。そのような行動を「自動書記的に」とするのは、観察者の主観や解釈や願望の色がついた表現にすぎない。彼女の「お筆先」は現存するが、本人以外による加筆・改変もかなりなされており、オリジナルがどのようなものであったかはもはやわからない。彼女の発症時の状態も、詳細まではよくわからない。信者等による美化もかなりなされているであろうし、そうでなくても精神病症状の描写は、周囲からみて理解・解釈できる部分だけが記録され、それ以外の部分は「訳がわからない」として記録されないことが大部分である。精神医学的にはその「訳がわからない」部分のほうが診断上は重要である。出口ナオの発症時(と精神科医は表現する)の状態については、いくつも伝えられているものがあり、どれが真実であるかは厳密には不明だが、本稿の引用部分は信頼度が高いと思われる描写を選んだものである。
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地元には、すさまじい発揚ぶりを見てナオを「神さま」として病気なおしなどを頼みにくる人がぼつぼつ現れてきた。金光教会がそれに目をつけて、ナオを中心にした小さな教会を作った。
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当時はこのようなことがありがちだったようである。「狂」に対する畏敬は人の中に常に存在するが、科学や医学が未発達で迷信が跋扈する時代には、「狂」は比較的容易に「神」に転じたのであろう。
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城下町で武家を見習わされて育ってきたのがいまやすさまじい老巫女のいかつさとして、人目を引くようになった。とはいえ、しょせんは、田舎町にそう珍しくはない小さな「神さま」でいるほかはなかった。ところが
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田舎町にそう珍しくない小さな「神さま」。それにとどまっている限り、教祖への昇格は期待できない。ところがここに、出口ナオの運命を変え、大本教を大成させる人物が登場する。「ところが」以下が 2 である。
2
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ところがそこに風変わりな稲荷行者が舞いこんできて末娘のスミのムコに納まって新興宗教の土台を作ることになった。その風来の行者が、のちに一世の怪物といわれた出口王仁三郎(1871〜1948)だった。京都に近い亀岡の在の貧しい農家に生まれ神童といわれた。青年になって牛乳店を開き弁舌、ダジャレ、ワイ談に長じ冠句のサークルを作るなど、若い衆のリーダー格となったが、ケンカ出入りで頭にも重傷を負い、数日間も山に姿を消し、人事不省におちいり、その間に幻視、幻聴を経験したなどと語っている。家人は稲荷行者を招いて祈禱してもらったが彼は自分も行者になろうと決心し、三保(静岡)の長沢雄楯についてその法を学んだ。
(中略)
まだそのころは、巨大な新興宗教の出現する条件は生まれていなかった。そこへ後で述べるように、第一次大戦にともなう日本の急激な変動がはじまり、そのなかで、世人の関心が集まりはじめた。その非常の事態のなかで、王仁三郎の非凡な人心をとらえる演出や経営の才などで存分に「怪物」の鬼才が発揮されたのだった。
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そして大本教は信者800万人の一大宗教に成長したのである。
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出口ナオと出口王仁三郎。この二人の絶妙のタッグが、大本教を大成長させた。その過程も興味深いものではあるが、本稿のテーマからは逸れるので割愛し(本稿末の文献3,4,5,6にも詳しい。但し、人物像は美化されていると思われ、どこまでが事実かは不詳である)、ここで、教祖誕生と宗教の成立について、極力シンプルに一般化を試みてみる。
大本教を一つの手本として考えると、このような宗教の大成のためには、「霊能力」と「広告力」が必要だと思われる。
大本教では結果的にこの二つが出口ナオと出口王仁三郎に分業された。「霊能力」担当は言うまでもなく出口ナオである。彼女は神秘的な能力を持っているとみなされた。ここでの一つのポイントは「みなされた」という点である。「霊能力」とは、それを「持っているとみなされる」ことが重要なのであって、実際に霊能力を持っているか持っていないかは重要ではない。つまり実力は必要ない。虚力でいい。
それに対して「広告力」は実力でなければならない。「広く告げる」実力。「啓蒙力」と言ってもいい。出口王仁三郎はこの実力を持っていた。大本教を昭和初期の一世を風靡する宗教に成長させたのは出口王仁三郎の実力によるところが非常に大きかった。
出口ナオと出口王仁三郎の関係は(大本教では、出口ナオは「開祖」、出口王仁三郎は「聖師」と呼ばれていた)、現代でいえばスターとマネージャーの関係に似ている。スターは必ずしも実力を持っている必要はない。もちろん持っていたほうが望ましいが、それは必須ではなく、実力を持っているように見えれば十分である。他方、マネージャーには実力が強く求められる。そしてマネージャーは個人である必要はなく、マスコミがマネージャーの役割を務めることもしばしばある。さらにはスターも個人である必要はなく、物であってもいい。世紀末から新世紀にかけての時期の日本でSSRIというスターが一躍メジャーになったのはマスコミというマネージャーの力によるところが大きい。SSRIはもちろん抗うつ薬として実力ある物であるが、従来の抗うつ薬に比して格段に優れているかというと決してそんなことはなく、一部は虚力に過ぎない。にもかかわらず実際以上に実力があるような印象を人々に植え付けたのはマスコミの実力発揮によるものである。結果として社会におよぼした影響は、プラスの方が大きかったか、マイナスの方が大きかったか。現時点ではプラスの方が大きいと思われるが、このままうつ病概念がバブルのように膨張を続け、抗うつ薬の市場が拡大し続ければ、マイナスの方が大きくなるであろう。それを阻止するのは現代の精神科医の大きな責務の一つである。この阻止が成功すれば、SSRIは社会に対して大きく貢献した薬としての地位を確立できる。それはSSRIに(決して抜群でないにせよ、それなりの)実力があるからである。他方、実力がないどころか害しか持っていないようなエセ医療・エセ医学の提唱者が、マスコミなどのマネージャーの力によって世に広がり、害悪をもたらしていることが現代ではしばしばある。【1533】脳の傷を治療すれば統合失調症は治るのでしょうか の「ある国立大学の先生」などはその典型であろう。
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つい話が逸れてしまった。宗教の話に戻そう。
精神医学の専門誌に宗教と精神障害についての論文が発表されることは、決して多いとは言えないが、あることはある。実際の臨床で遭遇することが多いのはむしろ信者としての精神障害者で(教祖と信者の実数の関係から言えば当然であるが)、1979年には「新興宗教に関連した症例を提示し、宗教にからんだ”狂気”を、信者型(追従型)と教祖型(創造型)に分類することを提唱する」という文章から始まる論文が発表されている(本稿末の文献7)。以下、ゴシックはその論文からの引用である。
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教祖型のほうは、もともと独自の宗教体験を経験しており、それが最大限にいかされる場として信仰を選んでいる。1症状としての宗教体験も、信者型と違って、いわば主体的である。つまり人格の中から信仰がふきだしてきたもの、すなわち内なるシャーマンによってひきおこされたものということができる。こうした症例を教祖型と名付ける。
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先に用いた表現に従えば、教祖型は「霊能力」を持つ人物である。上記論文ではあくまで「症例」として見ている以上、その霊能力は精神疾患の症状であり、虚力とみなしている。病を治療する立場にある精神科医が精神医学の専門誌に投稿した論文である以上はそれが当然であるが、本稿のテーマは「教祖の精神鑑定」であるから、治療という観点は度外視し、「私は神だ」という宣言が、「狂」とみなされるだけに終わるのか、それとも周囲がその宣言を受け入れて教祖誕生に繋がるかを考えたい。
おそらくそれを規定するのは、時代背景と、「広告力」を持つ人物の存在と、本人の実力(霊能力以外の実力)であろう。
「狂」に対する一種の畏敬や憧憬は、どの時代にもある程度はある。現代にもある。【3816】すべての神秘体験は精神病ですか も、どこかでそうした畏敬と接点を持つ問いであるし、【3421】この文章の統合失調症らしさどのような点でしょうか や【2418】頭の中で考えている事をそのまま(口調も)書き起こしてみました。統合失調症の傾向がありますでしょうかで示されている文章は、精神病に憧憬を持つ人物が作文し、自らの中に精神病らしさがあることを精神科医に認めてほしくて投稿したものであろう。
そしてこの畏敬の質や量は時代背景によって異なる。本稿1の引用文中に「田舎町にそう珍しくはない小さな「神さま」」という記載があったように、日本でも20世紀初頭ころまでは、「狂」は不可思議な現象とみなされ、時には疎まれ、時には畏敬の対象となり、それが「神」という概念に繋がることもしばしばあったのであろう。そうした時代であれば、【2022】「神は自分の世界を見るための目としての役割を自分に与えた」と語る友人 、【2233】退院から3年後、急にハイテンションになり、激しい幻覚や妄想が出てきた 、【3418】私は神であると言い出した友人、【1824】統合失調症の妄想を利用して薬物治療につなげるべきか、【o414】法学部の友達が挫折してから変なことを言うようになりました、などのケースが預言者とみなされたり、また、【3420】優越と超越の反転世界 = ∞→ 0 →? = 祝謂乃口兄 、【0869】大司令症候群のテレパシー などの中にも神秘的なものを見出して理解する人が多かったかもしれないが、さすがに現代ではこのレベルの症状を有する人が教祖にまつり上げられることは、たとえ「広告力」の実力を持つマネージャーがついたとしても、まずないと思われる。
一方、現代でも教祖になり得るのは、一時的に強烈な恍惚感を伴う神秘体験という形の急性精神病状態を呈し、その後きれいに症状が消失するケースである。診断としては非定型精神病か、または解離性障害あるいはてんかんがそれにあたる(非定型精神病は現代の診断基準では統合失調感情障害の中に解消されているが、ここでいう非定型精神病は、統合失調感情障害という包括的概念ではなく、古典的な非定型精神病を指している。【1323】統合失調症である私は結婚し子どもを持つことができるでしょうかも参照)。精神医学の論文にも「著しい人格のくずれがなく偏執的傾向を持続する種類のものでなく、迷信的宗教に惑溺して急性あるいは亜急性に精神障害を起こすものがある。」という記載を見出すことができる(文献8)。
このようなケースは、本人の主観の中では確かに神と交信するなどの神秘体験をしており、かつ、症状消失後はその時の記憶内容を冷静かつ客観的に語ることができるので、非常に説得力がある。本人に広告力の実力があれば、単独で開祖し教祖となることも不可能ではないであろう。
しかしながら、非定型精神病や解離性障害やてんかん自体は稀ではない精神障害であっても、そこから教祖誕生にまで発展できる条件を満たすケースは希有である。一つは上記の広告力を有するとともに、教祖になりたいという意志を持たなければならない。また、「一時的に強烈な恍惚感を伴う神秘体験という形の急性精神病状態を呈し、その後きれいに症状が消失する」という理想的な経過は現実にはなかなかなく、同じような精神病状態の再発を繰返したり、神秘体験の後に急転直下で別の症状が出たりすることが多いものである(たとえば【3417】神秘体験の後、正常になったのですが、その後、地獄に落ちると感じ、自殺したくなりました など)。
もっとも、これは専ら精神医学の立場からの考察である。つまり「一時的に強烈な恍惚感を伴う神秘体験という形の急性精神病状態」という表現は、「一時的に強烈な恍惚感を伴う神秘体験」が病気の症状であることを前提としている。しかし人生でただ一度「強烈な恍惚感を伴う神秘体験」が見られるようなケースでは、それは症状ではなく実際に神とコンタクトしたのだという主張が成立し、厳密にはそれを否定する論理は存在しない。また、「きれいに症状が消失するという理想的な経過は現実にはなかなかない」というのは、精神科医療の場面に患者として登場する人だけをみているからであって、世の中には実はそうした理想的な経過をたどる人はたくさんいて、しかしそういう人は精神科を受診することはないので、精神科医は知らないだけだという主張もまた、厳密には否定する根拠がない。解決し難いサンプリングバイアスの問題がここにはある。
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文献7のもうひとつの分類は「信者型(追従型)」である。次のように記されている。
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医療不信や、家族内葛藤から、宗教にすがった。つまり溺れるものの藁として、宗教がたまたまそこに浮いていた、そして信仰におぼれこみ発病したといった症例を、信者型と名付ける。
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出口ナオの発病は本稿1の引用の通り、「そのころ京都府下でもさかんにのびていた金光教に救いを求めるうちに、みずからも激しい神がかり状態になった」という経緯であるから、そのまま行けば「信者型」に分類されたはずである。だが出口ナオのあまりに神がかり的な症状、そして出口王仁三郎との出会いが、彼女を「教祖型」に変えたとするのが、精神医学的な解釈ということになろう。
精神科Q&Aでは信者型に近いケースとしては 【3424】新興宗教にのめりこんでからおかしくなった母 や【0938】心霊スポットに行ってから言動が変になったを挙げることができる。【0938】は「信仰におぼれこみ」とまでは言えないかもしれないが、少なくとも私の臨床経験上は、「おぼれこむ」というよりこの【0938】のように、宗教や自己啓発セミナーなどある一回の(または何回かの)強い情緒的体験で急性発症するケースのほうが多い。他方、「信仰におぼれこみ発病した」かのように見えるケースは、むしろ新興宗教に関心を持った時点ですでに精神病の兆候が見られていて、信仰に頼るという行動自体が広い意味では病気の症状とみなし得るケースが大部分である。
それよりはるかに多いのは、逆に発病してから信仰に傾倒するケースで、【0624】精神的に不安定で、恋愛・結婚を繰り返す妹 、【0913】霊視をしてもらい先祖供養をしてほしいと言う娘 などがその例である。また、【2175】統合失調症の父親のように、私もなるのでしょうかの父親も、おそらくは発病してから宗教に傾倒したものと思われる。
これらのケースが示すように、新興宗教に関与するようになると、ご家族はとても困窮し苦悩されるのが常である。【2121】霊能者にあなたは統合失調症でないと言われて薬をやめてから姉の病状がおかしくなりましたのように、犯罪的とも言うべき自称「霊能者」も存在する。家族でなく本人が困窮・苦悩した【0784】パニック障害か、霊の仕業かのような例もある。
さらに悲惨なのは、親が新興宗教に傾倒していたため、幼少時に強い影響を受けて育ったケースである。【3202】解離性障害、PMS、鬱、統合失調症、醜形恐怖症、他、併発しているようなのです。がその例である。また、【3423】新興宗教に傾倒している両親が医療を拒否し、状態が著しく悪化しています の質問者もそうした環境で成育されているが、少なくとも目に見える大きな影響は受けずに成人できたのは幸運であった。多くの例では「新興宗教に傾倒した親に育てられた子」の問題は深刻で、成人となった時点で精神的な根深い問題を抱えることになったり、さらに不幸な場合は小児期に重篤な病気に罹患し、救命に必要な輸血等の医療を両親が拒否するケースである。それはしばしば法的な論争になっている(文献 9)。
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大本教の顛末について簡潔に記しておく(主として文献10に基づく)。
前述の通り大本教は、当時人口7千万人の日本において、800万人の信者を獲得するという巨大な宗教に成長した。それが現在では跡形もなく消えているのは、政府の大弾圧を受けた結果である。
第一回の弾圧は大正10年。そして昭和10年に第二回の大弾圧が行われた。亀岡、綾部の本部、施設は爆薬で破壊されたというから、現代日本からはとても考えられない暴力的な大弾圧である。教団の財産は徹底的に収奪され、300人近い信者が検挙された。その中には出口王仁三郎も含まれていた。拷問を含む過酷な取り調べが行われ、起訴された61人のうち、10年間に16名が、拷問死、自殺などで死亡した。
出口王仁三郎は治安維持法違反、不敬罪、出版法新聞法違反で起訴され、獄中で精神病状態に陥った。文献9に京都大学教授の三浦百重医師の精神鑑定書が公表されている。(三浦教授は金閣寺放火犯の精神鑑定も行った医師である)
精神鑑定の結論は「統合失調症(当時の病名では精神分裂病)の可能性が最も高い。が、拘禁精神病も考えられる。」と記されている。当時の出口王仁三郎の状態は、症状的には統合失調症か拘禁精神病かの区別はつけられなかったが、三浦医師は彼が刑務所で「神経衰弱」と診断されたことがあること、及び、彼の従兄弟に統合失調症が確認できていることを根拠に統合失調症の可能性の方が高いとしている。これらは確定診断の根拠としては強いとは言えないから、どちらかであるかは不明(統合失調症であるか拘禁反応であるかは不明)というのが真実であろう。
それはそうと、開祖の頃の出口王仁三郎は精神障害に罹患していたかのだろうか。本稿 2 にも記したように、彼は精神病症状と解し得る体験をしたとされている。引用部分を再掲する。
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ケンカ出入りで頭にも重傷を負い、数日間も山に姿を消し、人事不省におちいり、その間に幻視、幻聴を経験したなどと語っている。
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これをどう解釈すべきか。精神科Q&Aの回答にしばしば記しているように、「幻視、幻聴」という具体性のない描写では、精神医学的診断は不可能である。また、彼が幻視・幻聴を経験したのは山に一人でこもっている時で誰も見ていないのであるから、その経験が事実かどうかもわからない。自己の神秘性を演出するために幻視・幻聴を経験したと主張しているだけではないかと推定することも十分な合理性があろう。「頭にも重傷」とはどの程度のものであるかも診断上は重要である。
そうした不確定要素をいったん度外視して、上記引用部分の描写がすべて事実であると仮定した場合には、最も考えられるのは頭部外傷後のせん妄である(せん妄については【1080】交通事故の後、認知症のような症状が出ているが、退院を促されている、【1079】背骨の手術後の幻覚などを参照)。せん妄の時の記憶は失われることが多いが、それでも部分的には記憶に残っていることも多いから、「頭に重傷を負い、人事不省に陥り、幻視・幻聴を経験した」というのは、頭部外傷による意識障害とその回復過程のせん妄とみるのは医学的に合理的な推定である。そうした体験が宗教的信念に結びついた【3251】クモ膜下出血後フィクションを信じるようになった のような例も存在する。
もっとも、この【3251】は、その回答に記した通り、「よくわからない」とするほうが正解であるし、出口王仁三郎の幻覚体験も、仮に部分的には事実であったとしても、演出効果を狙った誇張が入っているとみるほうが妥当であろう。
出口王仁三郎についてはさらに次のような描写もある。(文献1)
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彼の肉体は並はずれてたくましく旺盛で、その頭脳からは、恥かしがるとかいうような正常な抑止状態が欠落していたらしいという人もある。彼は1日に200首もの和歌をよみ、治安維持法と不敬罪で責めたてられるいかめしい法廷で裁判官をからかったりした。大著「霊界物語」とはどめともなく口をついて出てくる文章を筆記されたものだという。
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これも誇張の香り満載で真偽不明であるが、現に大本教を大宗教に成長させているのであるから、大変なエネルギーを有する人物であったことは確かである。それは発揚型のパーソナリティ傾向ないしはパーソナリティ障害か、あるいは双極Ⅱ型障害であったとも考えられる。しかしいずれにせよ出口王仁三郎についてのポイントは、正確な診断名が何であったかということではなく、汲みつくせぬエネルギー溢れる人物であったということに尽きるであろう。
7
本稿の主題に戻る。【3416】すべての神秘的体験は精神病ですか が出発点であった。
私の回答は冒頭に記した通り「わかりません」から動かないが、【3416】には、
神のような妄想を信じるキリストなどの教祖や信者と精神疾患の患者とは何がちがうのでしょう。
という問いもあり、この問いになら今日の話をもとに何か答えられるかもしれない。現代の大宗教と大本教の対比で考えてみよう。【3416】の問いでは「キリストなどの教祖」と「精神疾患の患者」には
(1) 健常者か精神病者か。
という違いがあることが暗黙の前提とされている。
だがその他の違いとして
(2) 教えの内容
も考えられる。
さらには
(3) 弾圧
の歴史も大きな違いであろう。
確固たる事実か否かという観点からは、上記(1)は前提とすることが適切かどうか不詳、(2)は時間的変遷を含めたあまりに幅広い解釈の余地があるから不詳、すると残るのは(3)のみである。
では現代の大宗教と大本教の確実な違いは、弾圧の歴史のみなのか。逆に言えば大本教も、弾圧を受けなければ、現代日本の大宗教になっていたのか。
だが弾圧を受けた宗教は大本教だけではない。むしろ宗教が弾圧されるのは世の常で、いかなる宗教にも弾圧を受けた歴史がある。弾圧者との戦いに勝利した宗教が生き残っているのである。
戦争については、「勝てば官軍、負ければ賊軍」というよく知られた箴言がある。
宗教の場合、勝った宗教を何と呼ぶべきかよくわからないが、
「負ければ邪教」
とは言えそうだ。
もし大本教が弾圧に打ち勝っていたか、または、政治権力と巧妙にまたは幸運に結びついていたら現代日本の風景はおそらく変わっていたであろう。宗教の成長のために重要なのは、優れた広告力を持つマネージャーの存在と、政治権力との協力であって、教祖が精神の病であったか否かは、些細なことに過ぎないと言えるかもしれない。
紀元前ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは次のように言っている。「戦いは万物の父であり王である。それはある者を神々と列し、ある者を人間と列した。ある者を奴隷とし、ある者を自由人とした。」
そう言えば関ヶ原の戦いに勝った徳川家康も「東照大権現」と神格化され日光に祀られている。
参考文献
1) 佐木秋夫: 新興宗教の教祖たち. 臨床精神医学5巻8号 1976年8月 1001-1012.
2) 呉秀三、樫田五郎: 精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察. 創造出版 東京 2000年. (復刻版。原版は大正八年)
3) 伊藤栄蔵: 大本 出口なお・出口王仁三郎の生涯. 講談社 東京 1985年.
4) 安丸良夫: 出口なお. 朝日新聞社 東京 1987年
5) 川村邦光: 幻視する近代空間 迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶. 青弓社 東京 1999年.
6) 津島佑子: 女という経験. 平凡社 東京 2006年.
7) 石川元、里村淳、鈴木康夫: 新興宗教と精神障害 — 信者型、教祖型分類の試み — 臨床精神医学8巻10号 1979年10月 1231-1240.
8) 高良武久: 宗教と精神医学. 臨床精神医学5巻8号 1976年8月 931-935.
9) 桑原博道: 小児と医療トラブル 親の宗教的理由による子どもの輸血拒否について. 日本小児科医会会報 37号 138-140 2009年.
10) 吉益脩夫、内村祐之監修 日本の精神鑑定. みすず書房 東京 1973年.