【4872】発達障害が先天性のものなら、私は一生コンサータを飲み続けるべきなのでしょうか

Q: 20代女性です。現在、ある大学院に在籍をしているのですが、学業で成果を出せていないため、休学をしています。休学にあたり、通院している医師には診断書を出していただきました。その診断書の診断名には、「適応障害」 とありました。

「適応障害」と診断を受けたのち、WAISを受けることを勧められ、受けました。結果、軽度のADHDが認められるとのことで、治療の手段として、コンサータの服用を検討してみるようにと言われました。
ADHDについて何となく耳にしたことはありましたが、「発達障害」のひとつであると、その時に初めて理解しました。「発達障害」は、先天性の疾患であるという認識で合ってるのでしょうか、つい後天的に発症してしまったと思ってしまいます。確かに、ADHDらしい特徴は幼少の頃からあったという自覚もあるので、であるならば、「発達障害」は生まれつきのものであると考えたほうがもっともらしく聞こえます。しかし、恥ずべきことですが、未だ「生まれつきの特徴であった」と受け入れきれていません。後天的に発症するケースというのは無いのでしょうか? やはり、一般的な「症状」のように、現れたり、消えたりするものでもなく、先天性の疾患であるから、生まれてから死ぬまで付き合い続ける必要のあるものなんでしょうか。拙い質問で申し訳ございません。おそらく、自身の覚悟が足りてないために、こんな質問をしてしまってるのかもしれません。

また、コンサータを服用することにしまして、現在で2ヶ月経ちました。【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある ./?p=7763 は、コンサータを服用する以前から、病気と薬・脳とこころ・それを取りまとめる自身、について考察する上で、全ては理解しきれていないにしても、大変示唆に富む内容で、気になった時に読み返していました。コンサータを服用してからも読みましたが、私は、まだ「自己の連続性」というものを失っていないように感じます。初めて服用してから2ヶ月しか経過していないから、というのはあるかもしれませんが、服用する前も「私」であるし、服用した後も「私」であるような気がしています。明確な違いといえば、その時にコンサータを服用したか・していないか、集中力が上がっているか・下がっているか、ぐらいしかないように感ぜられます。どちらも私であるような気がします。

服用に関して、あるいは休薬(医者には許可をいただいています)に関して、身内から様々に意見をいただきました。休日に休薬をしようとした際、母は渋った口調で、「休薬はよしたら」と言いました。実際、効果は表れているのだし、効いているのだから、コンサータは私にとって必要なものなのであって、継続的な服用が必要なのではないかという意見でした。父は、副作用があるのであれば服用は必要ではないのでは、と言います。父は外国人で、英語圏の人なのですが、”crutch”という単語を挙げながら、薬をcrutchにしてはいけないと話しました。つまり、薬を精神的な支えにして、体に悪影響を及ぼすのはまずいのでは、ということを話していました。コンサータは、「発達障害だから」服用した方がいいのでしょうか。発達障害だから、服用するべきとも限らないのでしょうか。

本来でしたら、自分で回答に辿り着くべき事柄ですのに、質問を差し上げて申し訳ございません。
自身でもきちんと服用のタイミングを見極められるよう、努めます。

 

林:
「発達障害」は、先天性の疾患であるという認識で合ってるのでしょうか、

合っています。

つい後天的に発症してしまったと思ってしまいます。

それは誤っています。

しかし、恥ずべきことですが、未だ「生まれつきの特徴であった」と受け入れきれていません。

それは恥ずべきことではありません。先天性ということについては、なかなか受け入れられないのはごく自然です。

後天的に発症するケースというのは無いのでしょうか? 

ありません。それは発達障害ではありません。

やはり、一般的な「症状」のように、現れたり、消えたりするものでもなく、先天性の疾患であるから、生まれてから死ぬまで付き合い続ける必要のあるものなんでしょうか。

その認識は部分的には正しく、部分的には誤っています。
すなわち、

生まれてから死ぬまで付き合い続ける必要のあるもの

それはその通りです。 けれどもそのことと先天性か後天性かということは無関係です。後天性でも一生付き合い続ける必要のある障害は膨大に存在します。

一般的な「症状」のように、現れたり、消えたりするものでもなく、

それは誤っています。発達障害の特性は「現れたり、消えたりするもの」ではありませんが、顕在化したりしなかったり(それを「現れたり、消えたりする」と表現することもできますが)することは環境等によってしばしばあります。

 服用に関して、あるいは休薬(医者には許可をいただいています)に関して、身内から様々に意見をいただきました。休日に休薬をしようとした際、母は渋った口調で、「休薬はよしたら」と言いました。実際、効果は表れているのだし、効いているのだから、コンサータは私にとって必要なものなのであって、継続的な服用が必要なのではないかという意見でした。

そうかもしれませんしそうでないかもしれません。どちらであるかは、質問者の発達障害によって現れている問題(症状等)がどの程度かということによります。問題が大きければ休薬はするべきではないです。但しこの【4872】のケースでは医師から休薬の許可が出ているわけですから、休薬して構わないと一応は言えます。「一応」の意味は、休薬の許可が出るまでの経緯が不明だからです。すなわち、本人が強く休薬を希望して、それが認められなければ薬の服用自体が拒否されかねないときには、妥協策として休薬を許可する場合があるからです。

父は、副作用があるのであれば服用は必要ではないのでは、と言います。

その考え方は誤っています。薬には必ず副作用があります。副作用によるマイナスより効果によるプラスの方が大きければ、その薬を服用すべきです。

父は外国人で、英語圏の人なのですが、”crutch”という単語を挙げながら、薬をcrutchにしてはいけないと話しました。

その考え方は誤っています。Crutchが必要な人は世の中には膨大に存在します。

つまり、薬を精神的な支えにして、体に悪影響を及ぼすのはまずいのでは、ということを話していました。

その考え方は正しいです。しかし、そのことと、副作用があるという事実をもって服薬中止を勧めることは誤っています。

コンサータは、「発達障害だから」服用した方がいいのでしょうか。

その考え方は誤っています。

発達障害だから、服用するべきとも限らないのでしょうか。

当然、限りません。

(2024.9.5.)

05. 9月 2024 by Hayashi
カテゴリー: ADHD, 発達障害, 精神科Q&A