【4835】彼は措置入院になりました(【4406】のその後)

Q: 【4406】統合失調症の認知機能障害に対するアプローチについて で、質問した40代後半の男です。

1、残念ながら質問させていただいたAさん(50代前半の男性)は、「自傷他害のおそれ」を理由とした措置入院となりました。

2、まず統合失調症という病気(障害)であることはAさんも「知っていた」のですが、統合失調症という病気(症状)は「理解できていなかった」ようです。
幻覚や妄想といった陽性症状は、Aさん自身に当てはまるので理解できていたようですが、陰性症状や思考障害、認知機能障害についてはまったく知識がなく、もちろん理解していませんでした。
認知機能や思考障害については、「ある程度は自分で努力もしないと、薬だけでは改善しない部分です」 と繰り返し諭していましたが、私たちが支援を開始した当初から、病院、医師、支援者、そして薬に「頼る」というよりも「寄り掛かる」傾向が強く、「主体的責任感が乏しい」と思っていましたが、今回の件で、責任感以前に症状由来で「責任を感じる能力」が著しく低下していたのだろうと考えるに至りました。

3、Aさんは、医師に「物忘れ」について相談したことがあのですが、「認知症になったのでしょうか?」と尋ねたそうで、その診察の際に医師から「自分もメモ帳を持ち歩いているから、メモをしてみては?」と言われたそうです。
医師が症状の説明をしなかったのか、Aさんが医師から症状の説明をされたことを理解できなかったのか、説明内容を覚えていなかったのかが定かでありませんが、助言があったにも関わらず本人が物忘れ対策としてメモをすることはありませんでした。

3、さて、Aさんの希望は、社会復帰(仕事をする)だったのですが、自己評価も不適切で、求人情報誌などで「ここは給料が高い」と、医師からも止められている機械操作を伴う仕事を見つけてきては「働きたい」と言われていました。
意欲が高いことは良いことなのですが、仕事をするというよりお金が欲しい一心なので、私たちから「先生に止められていますよね?」、「簡単な仕事ではありませんよ?」、「8時間の仕事ができますか?」と確認すると、「できます」と言われます。
「現在、障害者支援サービスの利用も休みがちなのに、なぜできると思うのですか?」と率直に指摘すると、「就職したら頑張ります」と言われるので、「今は頑張っていないのですか? 今できていないのに、これからできるとは思えません」と言っても、「大丈夫」の一点張りでした。
話をしていても通常の会話にない違和感があり、直感的に“おかしいな?”と思ったので、質問内容を少し考えてから私が「私たちがいま言っていることを、どう理解しているか、説明してください」と頼んだところ、沈黙してしまいました。
おそらく、言いたいことを言っていただけで、私たちの声がまったく届いていおらず、「会話」ができていなかったのだと思います。

4、また、しばしば、「薬のせいで頭がぼーっとして、睡眠薬が残って、昼間も眠たい」と言われるので、「それは、先生に相談しましたか?」などと詳しく尋ねたところ、「睡眠薬を服薬してから、深夜放送のテレビを観ていた(起きていた)」、「一昨日は眠れなかったので、昨夜は睡眠薬を倍錠飲んだ。眠れたけど、まだ(昼間も)眠い」と処方を守らず、生活リズムも、食事もいい加減だったことがわかりました。
「昼間の生活のクオリティ(質)が安定しないと、仕事はできません」、「そのためにはきちんと服薬して、きちんと眠ることなど、大切なことがあります」と繰り返し助言しましたが、改善しませんでした。

5、ところがある日、眠い眠いと繰り返していたAさんが、朝から元気になりました。眠いという訴えがなくなりました。なぜ眠くないのか、私たちはわからなかったのですが、とにかく訴えがなくなりました。
しかし、元気におしゃべりはするのですが、話がかみ合わず、関係のない話に飛んでいって支離滅裂になり、主語抜きで発言をして、全体として「喋っているだけ」で、会話が成立しなくなってきました。

6、おしゃべりはしていても、作業は信じられないぐらいできなくなりました。「わからなくなったので、もう一度教えてください」と言うことが、一日に何度も繰り返されるようになりました。
質問内容(わからないというところ)は繰り返し教えていることで、何度教えても「忘れた」、「わからない」を繰り返すようになりました。

7、「朝から元気だが、作業ができない。話が支離滅裂で、話の意味も意図もわからない」という状態があまりに酷くなったので、「再発の可能性がある。次回の出席の際にAさんの様子を見て、早めに受診(職員同行付き)をしよう」ということになり、Aさんが受診している病院の精神科ソーシャルワーカーさんとも連絡を取って準備をしていたのですが、「次回の出席」の当日に、自宅で暴れて、暴行・傷害・器物損壊など大きな騒ぎになってしまいました。

8、今思えば、5、の段階で異変には気がついていましたから、「判断が甘く、対応が遅かった」と反省しているのですが、その後、措置入院になる際に、Aさんが服薬を中止していたことがわかりました。
薬を飲んでいないのですから、薬で眠たくなるはずがありません。発言の内容についても、作業ができなくなったことも説明がつきます。
何か原因はあるだろうとは思っていましたが、服薬中断は、さすがに、まったく想定しておらず、「これは気がつけない…」と悔しい思いが残っています。
Aさんとしては「眠たくならない」ことが良かったらしく、服薬を止めたようです。

9、最後になりますが、【4406】でいただいた回答は、まさに私が求めていたものでした。

支援は支援で行いますが、医学的に医師がどう考えていて、医師が私たち支援者に何を求めているかわからないと、支援者としても方針が定まらず、本人の希望にも沿えないことになります。
そういう意味で、医師の見立て、あるいは狙い(向上を目指すのか、現状維持で良いのか)がはっきりすると、私たちも関わり方を定めやすくなります。
とはいえ、どんな見立てであっても、本人の希望に沿うのは支援者の基本であり、原則ですから、本人が望む方向に進むための課題はしっかり示します。そこでできる支援をしっかり行うのが支援者の姿勢だと思っています。
残念な報告になってしまいましたが、先生の回答はとてもありがたいもので、参考になりました。
重ねて御礼申し上げます。

 

林: その後の経過のご報告をいただきありがとうございました。前回【4406】のご質問からも、今回【4835】のご質問からも、質問者が、統合失調症当事者のことを真摯にお考えになり、当事者のために日々お力を尽くしておられることが読み取れます。質問者の姿勢に深く敬意を表します。

今回は措置入院というある意味残念な結果になってしまいましたが、経過についての詳細なご報告からは、統合失調症についての非常に重要な事実が読み取れるかと思います。
それは、統合失調症においては、

(1)一定以上病気が進行するとこうなりうる
(2)薬を中断するとこうなりうる

という事実です。

まず(1)一定以上病気が進行するとこうなりうる について。

「こうなりうる」とはすなわち、【4406】で回答したように、「認知機能トレーニングをいくら行っても無効なケースが存在する」ということです。質問者はこのAさんに対して、考えられるできる限りの支援策を講じてこられたことと思いますが、おそらく質問者としては、厚い壁を相手にしているようで、何をしても実質的な効果がないと感じられたのではないでしょうか。そのようなときに、「決してあきらめずに支援を続ける」という姿勢が、一方では推奨されることですが、他方では、「実質的な効果はない」という現実を認識し、その認識のうえで、では何ができるかということを考えるべきでしょう。そしてその解は、「本人の意思を尊重することは必要だが、ある程度の強制力を持って介入しなければならない」であるという苦しい事実を認めなければならないでしょう。そういえる理由のひとつは、「ある程度の強制力をもって介入しない限り、こうした帰結になるのは目に見えている」からです。「こうした帰結」とは、この【4835】という実例でいえば措置入院です。措置入院は「自傷他害のおそれ」がその要件ですが、現実には、何らかの他害行為が現に発生しない限り、なかなか適用されないものです。この【4835】のAさんがどのような行動に基づき措置入院になったかは不明ですが、「暴行・傷害・器物損壊」と書かれていますので、人を傷つけた(他害の「おそれ」でなく、現に他害行為が発生した)と推定するのが妥当でしょう。ということはその行為で身体的に傷を負わされるという被害を受けた方が存在したということで、そしてそれは、Aさんの統合失調症の症状の結果であり、ということは、医療者や支援者が何らかの適切な介入をすれば、その方が被害を受けることを未然に防止することができたはずです。そうであれば、その被害について、医療者・支援者に一定の責任があるとするのが論理的帰結ですが、普通はそのような論理によって医療者・支援者の責任が問われることはない。なぜなら、医療者・支援者はあくまでも当事者本人のために仕事をしているのであって、決して治安のために仕事をしているのではないからです。その事実に対して、しかし、【0309】精神科に相談に行ったら、「ここは警察じゃない」と一蹴された  というような強い不満を持つ方も存在し、その不満は【0309】の回答の通り筋違いではあるものの、「(1)一定以上病気が進行すればこうなりうる」ことは医学的には常識である以上、【4406】のようなステージに達してしまった統合失調症の方に対して、どのようにアプローチするのが適切か、医療者・支援者は熟慮し、最善の解を求める努力を惜しんではならないと思います。そしてこのとき、「本人の意思を尊重することは必要だが、ある程度の強制力を持って介入しなければならない」が事実であるとすれば、ではどのような場合に強制的な介入が許容されるかということは、法律にかかわることでもありますので、医療者・支援者だけで決定できることではなく、広く多くの人々のご意見を聴く必要がありますが、そのためには、多くの人々の間に、「統合失調症では一定以上に病気が進行するとこのようになりうる」という共通認識がもっと広まる必要がありますが、まだそこまで広まるまでに達していないというのが現状です。その意味でも今回、【4406】【4835】という事実をご報告いただいたことは、統合失調症に苦しむ人々(それは当事者と当事者をめぐるたくさんの人々を含みます)にとって大いに有意義であったと思います。ご報告にあらためて感謝いたします。

次に(2)薬を中断するとこうなりうる について。

Aさんは、薬で眠くなると訴えていた。そしてあるときから急に元気になった。この2点だけで、Aさんが服薬を自己中断したことはほぼ明白です。なぜならこれは、統合失調症の当事者が服薬を自己中断するときに見られる典型的な経過だからです。そのような実例は膨大に存在します。中には【4276】5年通院していますが、減薬したらすごく気分がよくなりました。統合失調症が治ったのでしょうか。 のように、これはどうもおかしいと本人が気づく場合もありますが、それはむしろ例外的で、本人は「やっぱり自分に薬は必要なかった」と思い込み、悪化の一途をたどるのが典型的です。【2444】私は自然治癒力で統合失調症を治しました  とその後の経過【2482】やはり統合失調症は自然治癒力では治せませんでした  もご参照ください。この【2444】のメールの文章は実に生き生きとしており躍動感が読み取れるかと思います。しかしその一方で突き抜けたような奇妙な爽快感もあり、これが統合失調症再発の時の一つの典型的な症状です。(【2444】の「奇妙な爽快感」が読み取れるかどうかは統合失調症についての臨床経験にかかっています。十分な臨床経験があれば、この躍動感から統合失調症の再発を読み取ることは容易です。そして【2444】のように非常にシンプルな回答が生まれます)

その後、措置入院になる際に、Aさんが服薬を中止していたことがわかりました。

と書かれていますが、それは措置入院になるより前の段階で明白であったと言わなければなりません。ということは、「薬で眠くなると訴えていた。そしてあるときから急に元気になった」時点で、これは服薬中断による再発であり、放置すれば最悪の場合には他人に危害を加える可能性があることが十分に予想できたということです。

何か原因はあるだろうとは思っていましたが、服薬中断は、さすがに、まったく想定しておらず、

率直に申し上げて、それは統合失調症にかかわるプロとしては、あまりに甘かったとご指摘せざるを得ません。この経過からは、服薬中断は真っ先に想定できる原因です。

さてそうしますと、Aさんが服薬を続けていれば、今回の措置入院に至った事件でAさんから傷を負わされた被害者の方は、そのような被害を受けることはなかったということです(京都アニメーション放火殺人事件も、被害の規模が大きく異なることを除けば、全く同じパターンです)。また、その被害者の方はAさんに対し怒りの感情を当然にお持ちになったでしょう。つまりAさんは、統合失調症という病の結果、他人を不幸にし、自らも不幸になったということです。では医療者・支援者は、強制的にでもAさんに服薬を続けさせたほうがよかったのか。続けさせるべきだったのか。続けさせる責任があったのか。かくして問いは先の(1)に回帰します。【3862】4年間安定していた統合失調症の姉は自己判断で断薬し再発、入院となりました  の質問者は次のように言っておられます:

断薬を試みることも病気の一部だとすれば、「患者の意思の尊重」とは違うのではないか? その後の人生の大切な時間を犠牲にしてまで本人の意思を尊重すべきなのか? など考えてしまいます。

 

【4406】の回答で私は

直截な答えが絶望的なものであるとき、人はその質問には直截には答えないものです。

と述べました。それは【4406】のケースが絶望的であると私が判断したわけではありません。本人(この場合は主治医)がおそらく絶望的と認識していたのであろうという意味です。

【4406】【4835】は、残念な経過でありますが、絶望的=希望がない ということはありません。
しかし、
非現実的に楽観的な希望はマイナスにしかなりません。
Aさんのようなレベルの統合失調症の方にも、認知機能トレーニングは効果があると主張される立場もあると思います。それは、効果がゼロでないという意味ではその通りですが、それも服薬するというベースラインがあって初めて言えることです。それなしに効果があるはずと考えるのは願望であって事実ではありません。
「願望どおりの希望」は、あるとは限りません。ないことも多々あります。それを絶望と呼ぶか呼ばないかは、呼ぶ人の側にかかっています。

(2024.5.5.)

05. 5月 2024 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A, 統合失調症, 薬の副作用 タグ: , , , |