治療中断が招いた射殺

海軍施設の事件(2013.9.16.)からわずかに17日後の10月3日、またワシントンDCで精神障害者の悲劇が発生した。34歳の女性が、精神症状の悪化のためにとった行動がもとで、警官に射殺されたのである。
場所はワシントンDCの中心部、キャピトル(国会議事堂)、ホワイトハウスなどがあるモールと呼ばれている地域である。
第一報は銃声だった。
直後、議事堂やホワイトハウス前の道路は閉鎖された。
この時点では誰が何のために射った銃声かはわからなかった。テロも警戒された。だがまもなく、銃声は警官が発射したものであるとわかった。

事の起こりは、黒いインフィニティが、ホワイトハウス付近のセキュリティバリケードに衝突したことだった。2013年10月3日 14:12である。以下、時系列はワシントンポストのCar chase preceded shooting at the U.S. Capitolという記事に基づいている。
その後インフィニティは、警備警官の制止を無視して走り去り、国会議事堂前で警備にあたっていた車に衝突する。直後、警官達がピストルを構えてインフィニティを取り囲んだが、ここでもインフィニティは制止を無視して走り出す。パトカーが追走する。この一連の緊迫した様子の動画がCar chase preceded shooting at the U.S. Capitolに公開されている。銃声はこの時発進を制止しようとした警官の発砲によるものだった。
その後、インフィニティは国会議事堂の北側の道を暴走、ユニオンステーション(ワシントンDCの鉄道駅)付近のバリケード(2001.9.11のテロ以来常設されている)に衝突し、Uターンしてまた走り出したが道沿いの家に衝突して止まり、ここで警官はインフィニティを運転していた女性を射殺した。14:20。8分間のカーチェイス。その距離はホワイトハウスからユニオンステーションに至る約2.5kmだった。
射殺されたのはミリアム・キャリーMiriam Carey、34歳女性、歯科衛生士である。インフィニティの後部座席には1歳の子供(ミリアム・キャリーの子供であることが後に判明)がいたが、子供は無事だった。

ミリアム・キャリーが精神疾患に罹患していたことが、事件の直後、アメリカのマスコミによって一斉に報道された。

現時点での報道内容を総合すると、ミリアム・キャリーは統合失調症で、服薬を中断したために症状が悪化、妄想の影響を強く受けた結果、何らかの目的を持ってワシントンDC中心部に乗り入れ、そこで症状がさらに急性増悪し車を暴走させ、警官に射殺されるという結末になったと推定される。

もちろんこれは推定である。最も可能性の高いストーリーを推定すればこうなるということである。以下、この推定の根拠を挙げる。まず、ワシントンポストのMiriam Carey, driver shot near U.S. Capitol, likely struggled with mental illness, police say(警察発表: 国会議事堂付近で射殺されたミリアム・キャリーは精神疾患と戦っていた)、CNNのWho was Miriam Carey?(ミリアム・キャリーとは何者か?) からの抜粋を記す。

 
(1) ある国会議員の談話: ミリアム・キャリーは統合失調症の治療を受けていた。
Rep. Michael McCaul (R-Tex.), chairman of the Homeland Security Committee, said the investigation has uncovered “a picture of a mentally disturbed woman.” Carey had been treated for schizophrenia, he said,

(2) (国会議員の談話の続き) 彼女は最近、頭部に外傷を負い、症状が悪化した。
McCaul said her condition may have been exacerbated by a recent head injury

(3) (国会議員の談話の続き) 彼女のボーイフレンドの話では、ミリアム・キャリーは、自分の部屋は盗聴されており、それはオバマ大統領の陰謀だと信じていた。
and that her boyfriend had called police to say she believed her apartment was bugged and Obama was behind it.

(4) ミリアム・キャリーの姉妹は、ミリアムはそんなこと(上記(2)(3)は言っていない、ボーイフレンドの話は疑わしい、と言っている。
Carey’s sisters, however, said in their CNN interview that they had never heard her say anything of that nature. Valarie Carey called the boyfriend’s account “very questionable.”

(5) ミリアム・キャリーは精神疾患に罹患しており、オバマ大統領に監視されていると信じていた。
had grappled with mental illness and may have believed she was surreptitiously being monitored by President Obama.

(6)ミリアム・キャリーのボーイフレンドは、去年の冬に、警察官に、彼女は妄想があるようだと伝えていた。
A law enforcement source involved in the investigation said Thursday that Carey’s boyfriend had told police last winter that she appeared to be delusional.

(7) (ボーイフレンドの話の続き)ミリアム・キャリーは、オバマ大統領が彼女の家の地域を封鎖してしまい、彼女の家は何らかの電子機器で監視されていると訴えていた。
The boyfriend said she claimed President Barack Obama had placed Stamford, Connecticut, where she lived, under lockdown and that her house was under electronic surveillance, the source said.

(8) (ボーイフレンドの話の続き)、ミリアム・キャリーは、産後うつ病に罹患しており、不眠があり、薬を飲んでいた。
He told police that she was suffering from postpartum depression, was having trouble sleeping and was on medication.

(9) ミリアム・キャリーは精神科にかかっていた。
Carey underwent a mental health evaluation, the source said.

(10) 姉妹の話では、出産の2,3ヵ月後、ミリアム・キャリーは産後うつ病(精神病症状を伴う)と診断されていた。
A few months after her daughter was born, Miriam Carey was diagnosed with postpartum depression with psychosis, her sister told CNN’s AC360.

(11) キャリー-ジョーンズ(ミリアム・キャリーの姉か妹。以下「姉妹」と記す)の談話: 「ミリアムはストレスが多かった。妄想なんかなかった」
There was a lot of stress.
“There was not moments of her walking around with delusions. That was not what was going on.”

(11)ミリアム・キャリーの姉妹の談話: ミリアム・キャリーの主治医は最近、もう薬をやめていいと言った。彼女は薬をやめ、「具合が良くなった」と言っていた。
Carey-Jones said her sister recently told her that the doctors told her she didn’t need the medication anymore. “They tapered her off the medications, and she said she felt fine,” Carey-Jones said.

(12)今回の事件後の調査で、ミリアム・キャリーの家から、2012年の精神科からの退院記録が発見された。処方内容の記載もあり、うつ病・統合失調症・双極性障害の治療薬だった。
During the search, authorities found discharge papers from a 2012 mental health evaluation that listed prescriptions for medications to treat depression, schizophrenia and bipolar disorder — a law enforcement source briefed on the investigation said Friday.

抜粋は一応ここまでにする。錯綜した情報もあるが、ミリアム・キャリーが精神疾患に罹患し、少なくともある時期は薬を飲んでいたことは確実である。診断名としては統合失調症産後うつ病が挙げられている。症状として、ボーイフレンドは「妄想があった」と述べ、姉妹は「妄想なんかなかった」と述べている。

マスコミの記事のうちどの部分が信頼でき、どの部分が信頼できないかは、もちろんわからない。だがそういう限界があることを承知したうえで、ここまでの情報を総合すれば、
・ 彼女には妄想があった。
・ 彼女の病名は、産後うつ病より統合失調症の可能性が高い。
と言える。

まず、妄想があったかどうかについて:
いかなる場合でも、ある事象が「あった」という判断のほうが、「なかった」という判断より確実にできるものである。「なかった」という判断の場合には、「本当はあったのだが、わからなかった」という可能性は常に残る。ミリアム・キャリーに妄想があったとして、しかし家族はそれに気づかなかったということは十分あり得る。また、家族は、身内の精神病症状を人に知られるのを嫌うこともしばしばあるから、妄想があることを知っていても、「妄想なんかなかった」と語ることは十分に考えられる。(私はそれが悪いとか良いとか言っているのではない。事実を指摘しているにすぎない)
したがって、「妄想なんかなかった」という姉妹の談話の信頼性は低い。
一方、ボーイフレンドが、「彼女に妄想があった」とあえて嘘を言わなければならない理由は見あたらない。それに、去年にはそれを警察官に訴えているのである。彼の話の信頼性は高いとみるべきであろう。
そして妄想の内容は、

(3)(国会議員の談話の続き) 彼女のボーイフレンドの話では、ミリアム・キャリーは、自分の部屋は盗聴されており、それはオバマ大統領の陰謀だと信じていた。

など。典型的な被害妄想である。このページ左のサイト内検索に「盗聴」と入力していただければ、「盗聴されている」というのは被害妄想の典型であることがすぐにおわかりになると思う。 【1866】被害妄想に対し、盗聴器発見業者として何ができるか という、盗聴器発見業者の方からのご経験の報告もある。
彼女の妄想の対象はオバマ大統領である。このように、政府やその他、権力ある機関や人物が被害妄想の対象となるのも非常によくあることである。
さらには今回の事件である。彼女は元々は歯科衛生士としてきちんと働いていたのである。そんな彼女が、警戒の厳しい首都で、警官の制止を振り切って暴走した。しかも後部座席には1歳の子どもを乗せていたのである。幻覚や妄想を伴う精神病症状なしに、このような行動を取るとは通常は考えられない。
先に私は「妄想の影響を強く受けた結果、何らかの目的を持ってワシントンDC中心部に乗り入れ」と記した。目的は抗議か、復讐か。2013.9.30.の「林の奥」に紹介したワシントン海軍施設乱射事件の犯人の目的は復讐だった。抗議のために押しかけるというのも比較的よくある行動である。( 【2443】息子が公共機関に自家用車で突入し逮捕され、鑑定留置となりました のケースは抗議が目的かもしれない)
いずれにせよ、ワシントンDC中心部であのような行動を取ったことと、ボーイフレンドが語るところの彼女の妄想内容には高い整合性がある。

ミリアム・キャリーは、妄想を持っていたのである。今回の事件はその妄想と密接に関連したものである。

診断名としてマスコミが報じている「産後うつ病」と「統合失調症」はどちらが正しいか。どちらの可能性もある。上記のような被害妄想は、どちらの病気でも発生し得るものである。
だが、産後うつ病の中で、強い被害妄想が出るケースはかなり少ない。産後に気分が落ち込むこと自体はしばしばあるが、妄想のような精神病症状は稀である。少なくとも発生率という観点からは、統合失調症による妄想のほうがはるかに高い。
ミリアム・キャリーの精神症状が、産後に悪化したことは事実かもしれない。産後に気分が落ち込んだのも事実かもしれない。だがそうした経過だけで、診断名が産後うつ病であるとはいえない。 【0740】産後うつについて を参照していただきたい。また、出産をきっかけに、昔の病気が再燃することも、( 【0430】産褥期精神障害?それとも昔の病気が出産をきっかけに再燃した? )、出産をきっかけに統合失調症を発症することも( 【2368】出産後、妻の様子がおかしい)ある。

ミリアム・キャリーの診断名として、最も可能性が高いのは統合失調症である。彼女が統合失調症の治療を適切に受けていれば、今回の事件は起きなかった。そうすれば、彼女は死なずにすんだ。今ごろは1歳の子育てを生き生きと行っていたはずである。

彼女は、少なくともある時期は薬をきちんと飲んでいた。
精神科からの退院記録があるということは、入院していたわけで、その期間には薬をきちんと飲んでいたことはまず疑いない。
だが、ある時点で薬をやめたため、精神症状が再燃・悪化した。そういう例は枚挙に暇がない。(たとえば 【1624】服薬をやめたら、「男性とお付合いすれば治る」などと言い出した統合失調症の従妹 など)

ミリアム・キャリーの姉妹は

(11)ミリアム・キャリーの姉妹の談話: ミリアム・キャリーの主治医は最近、もう薬をやめていいと言った。彼女は薬をやめ、「具合が良くなった」と言っていた。

と語っている。この短い談話の中に、統合失調症の治療中断・再発・悪化の、かなり典型的なパターンが見える。
まず
ミリアム・キャリーの主治医は最近、もう薬をやめていいと言った。
という点。主治医がはたして本当にそう言ったかどうかは疑わしい。統合失調症の本人が薬をやめたいと思っている場合、「先生がもうやめていいと言った」と家族に語ることは非常に多いのである。( 【1813】薬をやめて妄想が再発した母に、また治療を受けさせたいのですがはその一例かもしれない)
(もちろん、医師の見解が甘く、軽率に薬の中断が勧められるというケースもある。 【2338】統合失調症ですが、医者から服薬中断できると言われています
を参照していただきたい)

また、姉妹はこれを聞いて賛成もしくは安心したとも読める。これもよくあることで、 【0635】統合失調症の息子に早く薬をやめさせたい に見られるように、家族も早く薬をやめさせたいと考えることは稀ではない。もちろんそうやって再発を繰り返せば、いくら症状がよくなっているように見えても薬を続けることがいかに大切かが理解されるのだが、今回のミリアム・キャリーのケースでは、それが理解される前に本人が射殺されてしまうという悲劇になってしまった。
なお、薬をやめたことと、産後であることが関係していたことも考えられる。授乳の関係で、出産後の母親は薬をやめたいと考えることが多いものである。ミリアム・キャリーもそう考えて、「先生はもう薬を飲まなくていいと言った」と家族に嘘を言い、家族はそれを聞いて、授乳のこともあるし、それはよかった、と素直に喜んだのかもしれない。

そして、薬をやめたミリアム・キャリーは

彼女は薬をやめ、「具合が良くなった」と言っていた

という。これも非常に典型的な経過で、統合失調症の人が薬をやめると、本人はいったんはよくなったかのように感じ、周囲からもそのように見えるものである。そうしているうちに  【2444】私は自然治癒力で統合失調症を治しました に見られるように、再発・悪化が明らかになってくる。こういう経過は実に多い。ミリアム・キャリーが命を落としたのはこの結果であった。

最初に述べたように、これはマスコミの情報を総合した結果としての推認であり、すべてがこの通りとは限らない。情報そのものの信頼性も疑う必要があり、私の推定も疑う必要があろう。だが、断片的な情報とはいえ、そこから抽出できる最も可能性の高いストーリーは先の記載の通り、

ミリアム・キャリーは統合失調症で、服薬を中断したために症状が悪化、妄想の影響を強く受けた結果、何らかの目的を持ってワシントンDC中心部に乗り入れ、そこで症状がさらに急性増悪し車を暴走させ、警官に射殺されるという結末になった

である。

2013.9.30.林の奥に紹介した海軍施設の事件の犯人は未治療の統合失調症、今回のミリアム・キャリーは治療中断した統合失調症であった(という可能性が最も高い)。
統合失調症についての正しい知識が十分に普及していれば、どちらの悲劇も防止できたのだ。
いや、100%防止できたとはもちろん言えない。
だが逆に、統合失調症についての正しい知識が普及しない限り、同じような悲劇が繰り返されることは100%間違いない。

06. 10月 2013 by Hayashi
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