テレビを見てPTSDになることがあるか? (12年前、2001年10月の回答をめぐって)

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テレビでニューヨークのテロ事件(2001.9.11.)の映像を見てから精神不安定になってしまった、人が死ぬような場面を見たという経験でもPTSD になるとのことだが、テレビで見た場合でもありうるのか、というのが 【0114】 テレビでテロ事件を見てPTSDに? (2001.10.5.)の31歳男性の質問であった。
おそらく日本では 9.11のテロをテレビで見たことでPTSDを思わせるほどの精神不安定に陥った方はそれほど多くないと思われるが、アメリカの方にとってははるかに大きなショックであったことは理解できることで、現に相当数の方々が【0114】の質問者のような状態になったことを示す論文が多数発表されている。【0114】の回答でも、


Schuster MA et al: A national survey of stress reactions after the September 11, 2001, terrorist attacks.  New England Journal of Medicine 345: 1507-1512, 2001 (Nov 15 issue)


を引用して解説した。これは2001年11月、つまり9.11から2ヶ月後の論文だから、まさにテロ直後のアメリカの人々の反応を調査したものである。結果はやはり相当数の人々に何らかの症状が出ているというものであった。
但し、それをPTSDと呼ぶかどうかはまた別の話である。少なくともこの論文ではPTSDとは呼んでいない。【0114】の私の回答から引用する:


この論文ではPTSDという言葉 はどこにも使われていません。”trauma-related symptoms of stress”という表現にとどまっています。ストレスの後に何かの症状が出ると、ついすぐにPTSDと言う人が多いようですが、PTSDという言葉はや はり厳密に診断基準を満たす場合に限るべきでしょう。そうしないとあまりにたくさんの人がPTSDということになってしまい、病名としての意味がなくなってしまいます。このNew England Journal of Medicineの論文でも、そういう立場を取っていることが、”trauma-related symptoms of stress”という表現に示されていると言えるでしょう。


それから12年が過ぎた。テレビなどで9.11テロを見た人の症状はその後どのように変わったのか、あるいは、変わらなかったのか。そもそも、PTSDになる人がいたのか、いなかったのか。この問いに回答しようとする論文はいくつも発表されている。いくつか例を挙げよう:

 

2002年
Ahern J, Galea S, Resnick H, et al. Television images and psychological symptoms after the September 11 terrorist attacks. (テレビと精神症状: 9.11テロ後) Psychiatry 2002; 65:289-300.

マンハッタンの住人1,008人を対象とした調査で、9.11テロをテレビで見た人は、その後のPTSDとうつ病の発症率が高かったという結果である。9.11テロの翌年の論文である。この論文では病名は「PTSD」と明記されている。


2003年
Galea S, Vlahov D, Resnick H, et al. Trends in probable posttraumatic stress disorder in New York City after the September 11 terrorist attacks. (9.11テロ後のPTSDの動向) Am J Epidemiol 2003; 158:514-524.


直接テロに接していない人でも(つまりメディアを通して接した人でも)PTSDになるが、その大部分は6ヶ月以内に急速に回復したという結果である。言い換えれば、「テレビを見てもPTSDになるが、その場合は回復が早い」ということになる。なおこの論文では、タイトルにもあるように、病名としてはprobable PTSDという言葉を使っているが、論文の本文内容を読むと、事実上はそれをPTSDとみなしていることがわかる。


2007年
Laughame J, Janc A, Widiger T: Posttraumatic stress disorder and terrorism: 5 years after 9/11. (PTSDとテロ: 9.11から5年後) Curr Opin Psychiatry 2007  20: 36-41.

5年間に出された研究論文をまとめたもの。結論は上記と同様、「テレビを見てもPTSDになるが、その場合は回復が早い」である。

2011年
Neria Y, Sullivan GM.:  Understanding the mental health effects of indirect exposure to mass trauma through the media. (メディアを通しての間接的なトラウマの精神状態への影響) JAMA. 2011 Sep 28;306(12):1374-5


2001年以来発表されてきた研究を2ページにまとめた論文。メディアを通してPTSDになる率は低く、回復は早い。すなわちこれも「テレビを見てもPTSDになるが、その場合は回復が早い」という結論を支持している。なおこの論文では、「PTSD symptoms」,  「PTSD-like symptoms」, 「probable PTSD」などの病名が使われている。(引用した論文の表記に従ったものと解される)

2013年
Silver RC, Holman EA, Andersen JP, Poulin M, McIntosh DN, Gil-Rivas V.:  Mental- and Physical-Health Effects of Acute Exposure to Media Images of the September 11, 2001, Attacks and the Iraq War. (メディアの心身への影響: 9.11とイラク戦争) Psychol Sci. 2013 Aug 1.


2013年8月、最も最近の論文である。2002, 2003, 2004年の三年間にわたり1年毎に調査を行い、メディアを通してのトラウマによっても、予想以上に心身に悪影響が現れるという結果が出されている。この「悪影響」は、”PTSD symptoms” と表現されている。

 

以上から、①テレビなどのメディアを通してテロに接した人にもPTSD症状が出る。②ただしそれはテロに直接に接した人に比べて回復しやすい というのがおおむね一致した結果であるといえよう。
【0114】の質問者のその後の経過は不明だが、上記論文の結果からは、比較的速やかに回復されたと推測できることになる。
だが、「メディアを通した体験からPTSDの症状が出た場合は回復しやすい」というのは統計的にそうだというのにとどまるのであって、【0114】の質問者という個人がその統計データ通りになるとは限らない。集団を対象にした場合にはそのデータは真実であっても、個人にそのまま適用できるはずはない。上記「【0114】の質問者のその後の経過は不明だが、上記論文の結果からは、比較的速やかに回復されたと推測できることになる」は、あくまで統計的な推測にすぎず、実際にはどうであったかは今も心配されるところである。

 

2

ところで、このコラムのタイトルは、 テレビを見てPTSDになることがあるか である。
ここまでの文章の流れからは、「ある。但し、回復しやすい」というのが答えのようだが、そうではない。
「テレビを見ても、決してPTSDにはならない」
が、現在、すなわち2013年10月の時点での答えである。
理由は単純で、PTSDの診断基準に
「トラウマがメディア、写真、テレビ、動画を通しての場合は除く not through media, pictures, television or movies unless work-related」
と明記されているからだ。
その診断基準とは、2013年6月にリリースされたDSM-5である。DSM-Ⅳ-TRにはこの記載はなかった。つまり2013年6月からは、「メディア、写真、テレビ、動画を通してのトラウマによる場合はPTSDとは診断しない」ということが公式に決められたのである。
実は私は、DSM-5を読んでいてふと【0114】を思い出し、このコラムを書いている。

PTSDは、1980年以前の精神医学には存在しなかった病名である。
それは、PTSDそのものが存在しなかったということではない。存在はしたが、病気とは認められていなかったということである。
戦争のトラウマを体験した人々に、様々な精神症状が出ることは、歴史的にも古くから知られていた。それが、アメリカではベトナム戦争によって大きな社会問題となり、PVS (Post Viet Nam Syndrome)という言葉が生まれた。このPVSに加え、虐待のトラウマなども含めて作られた病名が、PTSDとして1980年出版のDSM-Ⅲに収載されたのがPTSDという病名誕生の経緯である(「病名」誕生である。「病気」誕生ではない)。
このように、それまでは病気として認められていなかったものが、ある時から病気と認められるようになることを、医療化medicalizationという。(「医学化」と訳されることもある)
医療化による当事者への恩恵は大きい。
保険医療を受けられるようになる。補償を受けられるようになる。医療化の前には、たとえば「病気ではない、弱さである」などと非難を浴びせられることさえあった状態が、一転するということもある。
だが医療化には副作用もある。
その中でおそらく最大のものは、病気の範囲が際限なく広がっていくことである。際限なく広がれば、医療も補償も手が回らなくなる。真に医療や補償が必要な人にも届かなくなるという事態も発生する。
人が苦しんでいる。人が悩んでいる。その苦しみや悩みを、その程度にかかわらず病気と認めることは現実にはできないのである。

2013年のDSM-5で、メディアを通してのトラウマによる症状をPTSDから明確に外したのは、こうした事情があると推定できる。先に紹介した複数の論文に見られるように、医学的研究からはむしろメディアを通してのトラウマでもPTSDになるという結果が続々と出ているのであるから、DSM-5での修正は医学的知見に逆行しているわけで、だからこの修正は医学的というより、政治的・社会的理由によるものである。

APA(アメリカ精神医学会)は、DSM-5におけるPTSD診断基準の変化についての説明をサイトなど各所に発表しているが、ポイントとしては、PTSDがDSM-Ⅳ-TRではAnxiety Disorderに分類されていたがDSM-5ではTrauma- and Stressor-related Disorderに分類されることになったということばかりが前面に出ている。これまでPTSDで必須とされていた「不安」は、必ずしも必須ではないことが明らかになったことが強調されている。
それは確かに重要な医学的知見であり、診断基準に反映されるべき事項であるが、疫学的には、メディアを通してのトラウマによる症状はPTSDから外すということの方がはるかに大きなインパクトがある変更であろう。(つまり、この変更によって、統計上の患者数は激減する)

それはそうと、PTSDは元々が政治的・社会的色彩の強い診断名であったから(私はそれが悪いとか良いとか言っているのではない。事実を述べているにすぎない)、今回のDSM-5がそうしたように、病気か病気でないかの線引きは比較的あっさりと行うことができる。(もちろん「比較的」である。今後、メディアPTSDについての論争が起きないとも限らない)

だがそれはPTSDのようにある意味人工的な診断名にのみ通用する例外的な事態であって、これがたとえばうつ病となると、問題ははるかに複雑化する。
擬態うつ病を病気と認めるのか。どこまでを医療の対象とするのか。どこまでを補償の対象とするのか。これらもPTSDについての本稿の論と同じ平面上にあって、しかしあっさりと線を引くことができない問題である。

22. 10月 2013 by Hayashi
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