【3731】自閉スペクトラム症のパニック(メルトダウン)について(【3288】のその後)
Q: 【3288】自分の発達障害を受け容れ、何とか生きていこうとしていますでお世話になりました二十代女性です。取り上げていただき、またあたたかな言葉をかけていただき、ありがとうございました。今もしばしばこちらのサイトを拝見しています。また、今回筆を執るにあたって、かなり過去の記事もまた拝見したのですが、改めて学ぶことも多かったです。ありがとうございます。
【3288】の頃までは外国と日本を行ったり来たりしていましたが、その後外国で雇用されることになり、昨年初めに外国に住居を移しました。それにあたり、それまでお世話になっていた日本の心理士の先生から現地の先生を探していただき、紹介状のようなものを書いていただきました。長くかかっていて信頼していた心理士の先生を変更するにあたり、少なからず不安がありました。しかし、幸いにして現地の心理士の先生も丁寧で思慮深く、見識も深い方であることが、お会いする前のメールの文面からわかり、安心してお目にかかることができました。それから一年以上、その先生に見ていただいています。外国語での面談になっていますが、大きな問題はありません。とても込み入ったことをお伝えしたい時は、気分の落ち着いている時に事前に文章で用意するなどしています。もともと口頭の説明が不得手なので、この方法は日本にいた際にもとても役に立ちました。
さて、今回お伝えしたいことなのですが、かなり幼い頃からしばしば私を襲っていた、非常に不愉快なパニック状態が、偶然ネットニュースで目にした「メルトダウン」と呼ばれるものに近いようだということを見出しました。その状態は、大勢の人と長時間過ごしたあと(人の声がいつまでも耳に残っているような気がして不快になります)、あるいは腹の立つことが続いた時などに起きます。全身が薄っすらと痺れたように感じ、同時にその不快感を拭い去ろうとするような、極めて暴力的な衝動に襲われ、その破壊衝動を解消する、あるいは失敗をした自分に罰を与えるという気持ちで、自分を叩いたり、噛んだり、あるいは物を投げたり、頭を激しく振ったり泣き叫んだりします。内側から衝動が吹き出て、せざるを得ない、という感じです。いい大人がこんなことをしてしまうとお伝えするのは、正直なところ恥ずかしいのですが、これが自閉症の症状だとすると、恥ずかしいと思うこと自体差別的で不適切、あるいは別の言い方をすると、恥ずかしいと思う必要はないのかもしれません。ともかく、似たような症状に悩んでいる人がいるかも知れないので、一助になればと思い書きます。
「メルトダウン」という語を知った時私は大きな衝撃を受け、同時に希望も見出しました。もっと範囲の広い「パニック」「癇癪」とは少し違う、自閉症特異的な状態を指す言葉があるということで、不思議に安心しました。私の苦しいこの状態が「メルトダウン」だとすると、それを回避したり軽減する方法が検討されているのではないかと思ったのです。しかし私は精神医学や心理学の専門家ではありませんので、私のケースに合う正しい情報を確実に得るのはそう容易ではなく、心理士の先生に教わりながら、一緒に方策を考えました。
心理士の先生からは、五感に訴えて嫌な気分を締め出す方法をいくつか紹介していただきました。美しいものを見たり、好きな音楽を聞いたり、気に入った匂いをかいだり、いい味のものを食べたり、ふかふかした手触りのものをさわる、などでした。また、なにが「メルトダウン」の引き金になるかを自己観察し、なにがそこからの回復に効果的かを試すことを薦められました。これらはもしかしたらいわゆる「パニック」全般の対処法にも通じるのかもしれないですが。ただ、この「メルトダウン」という語はまだ日本に浸透していないような印象があり(私は知りませんでした)、この語をほかの日本の自閉スペクトラム症の方にご紹介できると、その方たちが調べたり安心したりする一助になれば幸いに思います。
なお、当地での生活についてですが、こちらでは少々変わった振る舞いをする人がいても非難されることもなく、精神的な不調で通院等することも、ことさら隠し立てするようなことでもなく、そういった面では暮らしやすいように感じます。仕事においては、以前は、目に見えない「やるべきこと、やってはならないこと」の判断がつかず失敗ばかりだったり、言動のせいで周囲に変人だと思われることが多かったり、またそれらに対して深く悩んだりと人間関係に非常に心を砕いていましたが、こちらではさほどそうした事を気にすることもなく、理解のある上司や心理士の先生の助けも大きく、仕事の成果や技術の習得も、客観的にとてもうまくいっていると判断しています。勿論これは国が違うからという単純な問題ではないでしょうが。
ところでこれを書きながら思い出したのですが、私は専門的な統計を用いる職業についており、仕事の対象については、「0か1かに分けられるものばかりではない」「相関は因果ではない」「目に見えるものが全体ではない」などといったことを理解しています。ところが、自分自身のことや、自分と、ほど近い周囲の人間関係のことになると、「0か1かの思考」から抜け出すのが極めて困難であり、自分が不合理な思考にはまっているということにも気づけません。
たとえば他人が少し無愛想な対応をすると、「もうすっかり嫌われたに違いない」と思い込んだり、なにか失敗をすると、「集団の中であらゆる面で自分が劣っているに違いない」と思い込みます。【1498】曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうかの部下の方が、自身の論理で動いたり、他人を敵と味方に分類するような思考パターンには非常に共感できます。一方でこの上司の方のおっしゃることも「理論的には」理解できます(この上司の方は、まだ発達障害の理解が進んでいない当時でありながら、素晴らしい対応をされたと感じました)。しかし、自分自身のこととなると、夢の中で「自分が夢を見ている」ということがわからないときのように、かなりの努力を継続的に払っても、どうしても自分が奇妙な思考にとらわれていることを認識できないのです。そして、どうやら、私の極端な思考が、しばしば実際以上に状況を悪く感じさせて、精神状態を悪くしているようなのです。この思考パターンは、もう先天的にどうしようもないのか、あるいは習慣のようになっているだけで努力で克服できるものなのか、ということをしばしば考えます。当事者としては大変困っているわけですが、一方で脳の中でなにが起きているのか興味深いようにも思います。
林: その後の経過、および、自閉スペクトラム症当事者の方としての、自閉スペクトラム症についての深い洞察に溢れたご記載をいただきありがとうございました。当事者の方々、そして当事者をサポートする方々、周辺の方々にとって、大変貴重な情報だと思います。
症状について、新たな言葉をあてることは、時には人を混乱させるデメリットもありますが、「メルトダウン」については、普通にいうところのパニックや癇癪とは質が違った症状であることを示すという意味で、メリットのほうが大きい用語だと私は考えています。この症状に限らず、健常者にも似た体験がある症状の場合は、当事者の苦しみが理解されにくいものですが、「メルトダウン」のように新たな言葉で表現することで、ある程度までは状況を変えることができると思います。
ただいずれにせよ、当事者ご本人からご自分の体験についての精密なご説明があって初めて、その体験は健常者の類似の体験とは異質のものであることが理解されるものです。この【3731】のようにも豊かな言葉による精密なご説明はその意味で大変貴重なものです。また機会がありましたらご報告をいただければ嬉しく思います。
(2018.10.5.)