【3526】薬を飲むのをやめて本来の自分を取り戻すつもりです
Q: 私は26歳になる発達障害と診断された男です。初診は9歳です。初代の主治医が「病気なのか性格なのか分からない」と曖昧な態度だったので、実際は発達障害ではなく、人格障害かも知れないし、統合失調症かもしれないし、双極性障害かも知れません。
小学生の頃は低学年だと裸になったり授業をサボって図書室で読書して時間潰したりしましたが、中学年から大声と暴力がひどくなり、高学年からはセクハラも行うようになりました。児童精神科に通い始めた直後はリーマスやタスモリン、リントンなどを与えられましたが、副作用がひどくて眠気が出て、薬を1日怠っただけで問題行動が再燃しました。眠気はかなりひどく、小学校の最後の方では眠くて始業から終業まで保健室で寝ることがざらになりました。女性化乳房や口渇、疲労感はこの頃からありました。
中学生になると真面目に勉強しないと将来困るという強迫観念から大声と暴力以外は自分の意志で止めました。中学3年生になると受験ノイローゼのようになり、その余波なのか高校進学が決まった直後に校舎内のドアを蹴飛ばして外すという問題行為で10日間の謹慎処分を受け、あわや合格取り消しでした。
高校に入学した直後、必死に勉強して進学したのに周りが勉強をしない不良ばかりのようであると絶望し(これは私の決めつけでした)、勉強をしない生徒を見下す気持ちが強くなり、学校でも孤立しました。高校2年生になったばかりの頃、情緒不安定からほぼ何の意味もなく反射的に養護教員を叩き、度重なる暴力行為もあって無期限停学になりました。困り果てた担任教師から通信制高校や高卒認定を勧められ、そのまま退学しました。
通信制時代は人生のレールに外れたことから強烈な劣等感にさいなまれ、どうにもならないことに関して駄々をこねるようになり、両親から叱責をたびたび受けました。通常の高校2年生にあたる年齢になると、3時間も堂々巡りの話をすることが日常茶飯事になりました。このころは遅刻して出席を認められないことにより留年するのではないかというプレッシャーから睡眠が不順になり、通学日前日は寝過ごさないように一睡もせずにすごし、家族が「起こしてあげるから」と言っても信用しませんでした。これは中学時代まで続けていた投薬を高校進学を機に怠ったことによるとされています。
普通の高校3年生に当たる時期に、レポートが遅れたことによりやる気が無くなり不登校になり、その頃から午前6時に寝て午後9時に起きる、夜中に足がガクガクになるまで歩いたり自転車を漕いだりする、「ヒットマンに狙われている」という自覚的な妄想にふけって何十kmもの距離を自転車を漕いで往復する、などしました。
大学入学から6か月前ごろになると呼吸をするように涙を出す、体が鉛のように重くなり短時間の散歩も億劫になる、狂ったように熱中していたゲームをやる意欲が無くなるなどの症状に襲われました。
大学入学から4ヶ月前の18歳の頃に1度目の医療保護入院を経験しております。脱走を試みたので手足を拘束されたところ、その扱いを嫌がった両親が退院させました。言い換えると医療保護入院の4ヶ月後に大学に入学したということです。せっかく高卒認定の資格を得て滑り込みのタイミングで大学入試を受けて進学に漕ぎ着けましたが、偏差値の低い大学に入った現実が受け入れられず、また学校の悪口などの訴えが起こりました。うつ病みたいな症状は1年生の途中で治まりましたが、」病気は最悪の状態で、学生時代は学校内で大声を挙げたり訳のわからないことを言って職員に絡んだりしました。家族は私のわがままを聞き入れる形で病気のまま大学進学させましたが、後には「あの状態での大学入学は間違いだった。病気治療をさせるべきであった」と父が後悔していました。
実際私は大学時代に学生課で暴れて無期限停学になり、就職どころではなく、卒業はしましたが大学へ行ったとによる利益は得られず退学同然でした。
卒業後、だいたい週に1度、これ以上興奮したら脳の血管が破裂して死ぬと自分で感じるほど荒れた時だけリスパダールの頓服0.5mlを飲む以外は完全に怠薬し、上司を怒鳴って辞めたり、仕事用具を隠されたと被害妄想を起こし怒って無断退勤した挙句辞めたりと、かなり問題のある辞め方をしました。そうでない場合でも、仕事を覚えることを最初からあきらめて勝手な働き方をしたりと、デタラメな勤務態度でした。
そうこうしているうちに誇大妄想や衝動性、易怒性が亢進し、23歳の冬に父に対して「俺は暴力性を活かして自衛官か警官になる」と電話で誇大な発言をして凄んでいるところを電話を受けた父に通報され、2度目の医療保護入院となりました。リスペリドン2mlの錠剤を朝夕2回を投与され、入院後最初の投薬から著しい興奮や妄想がピタリと治まりました。
入院中は特に問題を起こさず退院し、その2度目の退院の後スーパーの惣菜係(パート)として1年4ヶ月レギュラーで働きました。優しくて指導熱心な周囲に守ってもらって何とかやっていきましたが、ある日偶然調子が悪くて仕事にならず先輩から「最近変だよ。これを繰り返すとクビになるし、社会保険外されるよ。反省して明日からちゃんとやって。出来なきゃ自分で辞めた方がいい」ときつい言葉を浴びせられ、その日から2日欠勤した後自己都合で辞めました。この仕事では勤務開始1か月後に辞める口実として責任者に発達障害のことを後出しで明かして障害者手帳を見せたこともあり、最後は会社もあっさり辞めさせてくれた上に残っていた有給休暇も全部使われてくれました。その直後、コンビニでバイトを始め、ここでも勤務開始1ヶ月半後に欠員のためシフトが増えてレギュラー勤務になりましたが、接客のストレスでイライラして頓服のリスペリドン液2mlに頼るようになり、次第に人が自分を不快に思っているのではないかという被害妄想に駆られ、4ヶ月半ほど働いてから急に辞めてしまいました。接客に関しては店長や先輩アルバイトに「精神的にくる」「大変」と訴えましたが、コンビニの仕事に関しては完全クローズドでした。オーナーは訳ありのバイトを散々受け持った経験があるため、何かがおかしいと見抜いて
いましたし、店長は仕方がないという感じで突然の退職を認めていました。
大学卒業から2度目の入院前までの間の1年弱では最大でも勤務時間数98時間で仕事を投げ出し、ひどいところでは4時間でクビでした。それに対して2度目の退院後は勤務時間数にして約2200時間が最高記録で、家族は「治療を受けて良かった」と言います。2代目の主治医は「奇跡に近い」と感想を述べています。かつて精神障害2級の認定を受けており、それが言い訳にならなければ2代目いわく「刑務所に行っていた」と言うので、そういう意味では助かりました。
今では病気は治りましたが、困ったこともあるのです。それは肥満、筋弛緩作用、脂肪肝、性欲減退、感情鈍麻、気力・体力の低下です。肥満と脂肪肝に関しては両親は「食べ過ぎ」と言い、4代目の主治医は「リスパダールに肥満や脂肪肝の副作用はほとんどない」と訴えを無視します。確かに3500kcal〜4000kcalの食事を1日に摂取することはありましたが、それのせいで23歳の頃の81kgから26歳になった今の89kgまで太るのは考えられません。「代謝が落ちた」「もう成長期じゃない」と医者も家族も主張しますが、20代なのにそんなに代謝が落ちるわけがありません。ましてや働いていた頃は5時間以上立ちっぱなしが週5回から6回あり、足の筋肉がモリモリになってもおかしくなかったはずです(入院前は疲労感が強かったため、そもそも5時間以上立って働くのが苦業でしたし、それ以前にそこまで働かせてもらえませんでした)。筋弛緩作用に関しては、2度目の退院後からイビキをしはじめたので訴えているわけですが、これに関しても家族は「食べ過ぎの太り過ぎ」と切り捨てます。気力・体力の低下に関しては、2度目の入院前は衝動性に任せて自動車を追い抜くほどの勢いで自転車を漕ことがあったのですが、2度目の退院後は真っ平らな道路を漕ぐのもきつくなり、そもそもそれほど疲労を感じなくてもあっさり漕ぐのをやめてしまいます。
もっとも悲しいのは性欲減退と感情鈍麻です。2度目の入院前は1日に何十mlもの精液を出すほど自慰に熱中しており、自慰の快楽はつらい時期を支えてくれた思い出の1つです。エッチなプロポーションをした男女のオリジナルキャラを妄想し、1時間以上陰茎をしごき続けてからフィニッシュに至った時、私は人生の絶頂を感じました。2度目の退院後は自慰を行っても精液は出ず、興奮もしなくなりました(徹夜明けだと人並みに出ます)。感情鈍麻に関しては、お笑いで呼吸ができなくなるほど爆笑することが無くなったこと、音楽を聞いても泣いて感動することが無くなったことなど、枚挙に暇がありません。
感情鈍麻についてもっと言えば、快楽、怒り、恐怖、不満、喜び、悲しみ、憤りなどがほとんどなくなり、人間として必要な物事に対するこだわりや攻撃性が無くなりました。おかげで私は仕事でも周りのわがままに何も怒りを覚えず、周りにいる人間の怒りや精神攻撃に反応しなくなるなど、社会に対して都合のいいだけの人間に成り下がりました。仕事でもサボって仕事を丸投げする人や自分の都合でシフトを崩す人に対して何も怒りを感じなくなり、ただ「はい、はい」と手を挙げるだけのロボットになりました。薬のせいでコミュニケーションに大切な発信能力が決定的に錆びつき、そのおかげでスーパーでもコンビニでも何も重要なことが言えないまま潰れて突然仕事をやめるようになりました。自転車を漕いで東京都内を走っただけでジェットコースターに乗ったかのような爽快感を覚えて「東京、東京、我らが東京!」と声を挙げたのも今は昔です。
そこで私は4日前から断薬を行っています。目的は活動性、性格の誇大性、性欲、感覚などのあらゆる生体反応を元に戻すことであり、薬でボロボロになった内臓と鈍り切った筋肉を健今やかにすることです。
確かに薬を飲まずに大声、暴力、問題行動を起こすのは嫌です。ひどかったのは100円ショップで買ったものを近所に転売しようとしていさめられたのを逆恨みして、夜中にその人の家に大声を出して「殺すぞ、出て来い」と脅したことです。これを考えると一見断薬は危険でしょう。しかし2度目の入院前とは状況が違います。1つ目は安定就労の経験があることで自身が付き、不安を訴えることが少なくなったこと、もう1つは、かつてのような「国公立大学に入る」「大企業に入って、仕事と女と金の日々を送る」などという非現実的な目標を忘れ、生活費を稼げればいいやと足るを知るようになったことです。社会経験を積んだこともそうですが、私は社会の荒波に揉まれて理性を手に入れました。
これからは誇大性や活動性、激しい性欲を理性と同居させ、破滅しない範囲で好き勝手やりたいと思います。
因みに私は安定剤は薬で活動性を抑制してあたかも沈静したかのように見せかけるものであるとして、全く賛同していません。常習性もひどく、私の非行の多くが離脱症状によるものであると言えるかもしれません。睡眠が安定せず興奮しており、両親からは「目つきがおかしい」と言われていますが、ここで薬を再開すると元の弱虫フリーターに逆戻りです。
鼻づまりで徹夜を余儀なくされて興奮していることもあってか、断薬してから抑えてきたものは少々戻ってきました。声を荒げることはありましたが、精いっぱいの大声というものは断薬開始から今のところ出していません(2度目の退院後、大声で叫んだことは3回ほどありますが、暴力や非行はありません)。射精もナイアガラの滝というほどではありませんが、生きている実感を覚えます。
つい先ほど、興奮した勢いに任せて極度の人手不足でサービス低下をしていることを張り紙で伝えているコンビニに応募しようとしました。そのコンビニの会社の公式サイトでは募集中とありましたが、なぜかオーナーは「業務形態を変えるので募集していません」と言っていました。私が興奮しているのが伝わっていたため、そのオーナーは門前払いしたのであるという可能性もなきにしもあらずですが、2度目の入院前はキレていたのがキレないので、理性と興奮を同時に発揮できたと感じています。これからは誰にもいい顔をせず、思ったことは口にして、要求は賢くそして厳しく主張して叶えたいと思います。そのコンビニに応募したのも、人手不足を盾にとって自分の好きなように仕事をしたかったからです(現実はそんなに甘くありませんが)。私は面接でそのコンビニのオーナーに対して「俺を雇った方がいいよ。この店(人手不足で)とっても危険な状態だから」「オーナー、俺を採用しなきゃ、アンタ過労死だよ。店閉店だよ」という殺し文句をポンと出すつもりでした。こんな言い回し、薬で脳が鈍っていた頃の私では1時間かけても思いつきませんでした。母親に対して私は今日、しつこくしゃべり続け、母は「今疲れているの」という趣旨の言葉を出しましたが、わたしは「疲れるお前が悪い」というお金になりそうなトラッシュトークをぶつけました。最悪、バイトを諦めてトラッシュトーク集を本にして稼ぐなど、断薬で再び息を吹き返したアイデア力で食える人間を目指そうと思います。この手のトラッシュトークは、薬で偽りの人格を与えられていた頃の私であれば確実に没にしていました。面白いと思う心の働きがまた活発化したので、こういうアイデアに注目することができるようになりました。以前の私はこうした面白さに気付けずにいたのでもったいないです。
最低限仕事が続くようにはなりましたが、履歴書は比較的汚れているので、その不利をガッツとハッタリで補いたいと思います。1ヶ月前から再就職活動を行っていますが、今まで事業所を13件回ってきたので正直に面接しては上辺だけの態度で迎えられます。たまに「1年以上頑張れるなら採用だよ」と言ってくる求人先もありますが、まともな精神状態で働いていたら1年以上自分を押し殺さなければならないので嫌です。アルバイトはワガママな人に有利に出来ています。私はこれから奪われる側ではなく奪う側になりたいと思います。
治療に関して言えば、誰の言うことも効かずバイトをやっつけ仕事でやって、帰ったら精根尽き果てるまで精液を出し、お腹いっぱい食べて寝たいだけ寝る。こんな健康的な生活はありません。
最後に、両親は私が薬を飲まないと「飲まないなら出て行け」「ご飯を食べないで」と脅しますが、結局食事は食べさせるし追い出すために実力行使に至るわけでもないので、その脅しは無視しています。
本当に最後ですが、こんな文章、薬で気持ちが抑えつけられている時なら没にします。
ごめんなさい。本当の本当に最後ですが、理性とその他のあれが両立できなくなったら服薬を再開します。数日そこらで離脱に負けて薬に逃げたら私は貧乏ふぬけフリーターで終わるので、その誘惑は断ち切ります。
林: 結論から言いますと、服薬を再開することをお勧めします。それもすぐに。
【3526】の質問者に、薬の副作用が出ていることは確かで(質問者が副作用だと認識されているもののうち、すべてが副作用ではないと思われますが、少なくとも一部は副作用だと思います。)、質問者の主観としてはそれが何よりつらいというのは理解できます。
しかしどんな薬にも効用と副作用があります。効用が副作用を上回れば薬を飲むべきで、逆に副作用が効用を上回れば薬は飲むべきではありません。
この【3526】は、客観的には、効用が副作用をはるかに上回っていると思います。(質問者が副作用であると認識されているもののうち、仮にすべてが副作用だとしても、それでもなおこのケースでは効用が副作用をはるかに上回っていると言えるでしょう)
もっとも、そのように判断できるのは、質問者がこれまでの経過を詳しく記してくださっているからで、このようなメールをお書きになれるということは、ご自分の状態をかなり客観的に見ることができているからであり、それはとても明るい材料です。つまり、今後、主治医の先生とよく相談しながら、薬をある程度までは減らしていくあるいは調整していくことができると期待できます。但しそれはあくまでも主治医の先生と相談ながらであり、また、減らせるといってもある程度までで、やめることはできないと思いますが、副作用を軽減することはできるでしょう。
今の状態、すなわち、薬をやめてまだ日が浅い段階の状態として質問者が記している内容は、薬をやめて悪化する人の言葉として非常に典型的です。つまり、「自分は薬をやめても自分の意思で自分をコントロールできる、その証拠に以前の自分とは違って現にコントロールできている」と主張されるのは、これから著しく悪化することを声高に宣言しているのと同じです。
そしてこの【3526】のケースは、悪化すれば刑事事件を起こし刑務所に服役することになる可能性も現実のものとして認識しなければなりません。もしそうなると、せっかくのここまでの努力が台無しになるでしょう。(精神障害者であるから刑務所に行かなくていいということには全くなりません。メールに書かれている「2代目」主治医の説明は明確な誤りです)
すぐに薬を再開してください。
(2017.9.5.)