【3527】リチウムの処方でかなり改善を感じています(【 3075 】、【 3248 】のその後)
Q: 【3075】うつ病受療歴7年半、最近頻発するようになった「病的な怒り」に困憊しています 、【3248】賦活症候群と判断されているようです でご回答を賜った40代男性です。
一度ならずお取り上げ下さり、詳細なご解説を下さったこと重ねて御礼申し上げます。
その後にまた動きがございましたので、乱文を恥じつつもご報告させていただきますと共に、一つ気になる過去についてご見解を賜れればと思い書かせていただきます。
先のご報告よりD医師による治療を受けておりましたが、この先生はご自身で行うカウンセリング(内容は認知行動療法)をいわば売りにしておられました。私は最初のクリニックでカウンセリングに随分と助けられた気がしておりましたので、このD医師を選んだのも保険適用でカウンセリングをしてもらえるというのが大きなポイントでした。
私が最初のクリニックで認知行動療法を受けていたことを話すと、D医師はご自身がちょうど今認知行動療法を学んでいること、日本での第一人者とされる大野 裕先生のメソッドに傾倒していて私にもそれに則った治療をして下さることをご説明くださいました。
最初のクリニックでのカウンセリングに比べるとD医師の「セッション」は随分と杓子定規で授業のような印象を受けましたし、時にはご自身の大野先生への傾倒の論説や知識のご開陳のように感じられる事もありましたが、治りたかったので新鮮な気分で懸命に拝聴しておりました。
ところが、1年2か月ほど前のある診療日に医療事務の方から電話がかかってきて、D医師の体調急変のために診療が当面できない旨を告げられました。
診療日当日で処方薬もなくなっていたためちょっとしたパニックに陥ってしまい(この辺りが自分で振り返っても不安の過剰さを感じます)、手当たり次第に電話をかけたところ幸いにも近傍のクリニックで初診を受け付けてもらえる事になりました。
新しい主治医となったE医師には、それまでの来歴と現在の気分・認識を書面にして渡し、初診の際に勝手ながら林先生のご意見(双極性障害の治療の検討)を希望として申し出ました。
E医師はお若くてお話しした印象もドライな感じでしたが、復職も含めて初診の際にはかなり綿密にお話を聞いてくださいました。
私ができるだけ希望していたカウンセリングも臨床心理士による別料金でしたが、それよりもリワーク・プログラムが設けられていましたので当面はカウンセリングを諦めてリワークに期待する事にしました。
薬の処方について初回は前院通りでしたが、初診の相談で双極性障害の投薬に関心があることを伝え、E医師についてもその蓋然性を感じられたようで、当初の3ヶ月を使ってパキシルを半減し、ついでリチウムの投薬へと移って行きました。
(当初E医師はパキシルをやめてしまう企図だったのかもしれませんが、詳しい経緯を覚えておりません。パキシルは現在も25mgで続いています。)
またこのE医師にお世話になってまもなく、勤めている会社について1年半の復職猶予(今からですとまだ1年弱ほどあります)まで)が明らかになりましたので(当初は今から約1年前に解雇と認識していました)、E医師との相談で必ずしも焦ることなく、失敗しないようにじっくり慎重に取り組みましょうという事になりました。
私の調子としては、E医師を訪ねた当時の不安・焦燥、易刺激性についてはほぼ払拭されたように感じています。その点において林先生の貴重なご助言と、それを聞いた上でも柔軟に対応してくださったE医師に感謝しております。
3か月ほど前から、主治医の勧めで体力回復と外出を兼ねた散歩をするようにしています。
はじめはその意欲を奮い立たせるのもひどく億劫で大変でしたが、今は可能なかぎり(概ね週に4日ほどは)1時間前後〜出先での読書を含めると3時間ほど散歩(外出)できています。
以前は難しかった読書も遅々ながら続けられるようになってきており、意欲の面でもある程度までは改善できてきたと思われます。
おかげさまで普段のほとんどは極めて穏やかな日常を過ごさせていただいておりますが、「急ぎの用事」「未決事項の留保」などがあるとすぐにそわそわ、またはイライラしてしまいます。
当初に林先生にご相談した際のような「病的な怒り」はもうありませんが、急ぎたい時にうまく捗らないとカチンときたり、そうした時の気持ちの沸点は(以前のように一瞬で沸点に達してしまうような事はほぼないにせよ)やはり低めな感じがします。
また、出社をシミュレートして毎朝7時前には必ず目覚めるものの、妻が出社し一人になってしばらくするとしばしばだるさと眠気に襲われます。その場合、よほど無理やり動けた時以外の多くは再び眠ってしまい、夜分以外の睡眠が累計で5〜7時間に及ぶ日もあります。そのため主治医の勧める「午前中の散歩」が叶わず、夕方になってのそのそと散歩に出る場合もあります。
これをいわゆる日内変動と捉えればいいものか、単なる私の怠惰に過ぎないのか判らず、先のストレス耐性の低さと相まって自己肯定感を毀損し続けております。(午前に寝てしまい動けなかった事を伝えた時の、主治医のいかにも残念そうな表情が辛いです)
いずれにせよ、今は毎日の活動時間を増やす事と1日も早いリワーク・プログラムの開始を目指して過ごしております。
まずはここまでのご報告につきまして、お気付きの点やご助言などございましたらご教示ください。
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ご報告とは別で恐れ入りますが、ここ最近で思い出し気づいた事についてお尋ねさせてください。
私が16歳の時、もともと酒好きであった父が交通事故に遭い、それまでの条件の良い仕事を失ってから決定的に「たちの悪い酒飲み」になってしまいました。
夜勤の父は深夜に帰宅しては私と姉を無理やり起こして正座させ、説教の形を借りて朝まで酒の肴にするという生活が何年か続きました。その生活がつらいので翌日(?)話してもほぼ全く覚えておらず、開き直るだけでした。
そんな中で母や姉が堪えかねて酔った父に反論すると、間違いなく暴力沙汰になりました。私が救急車を呼んだ事1度や2度ではありません。
そのお陰で私は通学も寝坊する事がままありましたが、17歳頃からは父の叩き起こしがなくともコンスタントに朝が起きられなくなり、遅刻の常習犯となってしまいました。目覚ましで意識は覚めるのですが、どうにも体が動かずうずくまっていました。
勉強は好きだったのと、幸いにも登校後はほぼ元気に過ごせていたので成績で苦労はしませんでしたが、何せ欠席や遅刻が圧倒的に多いため学校や両親との関係も悪化してゆきました。
高校3年でクラブ活動を引退すると糸の切れた凧のようになって、無理やり登校する踏ん張りもなくなりほぼ寝たきり、出席日数が足らずに担任と喧嘩のすえ中退しました。
それから約3年、遊びには喜んで行けましたがどうにも拗ねてしまって世捨て人のような生活を送り、自己肯定感も尽きた感じで「このまま野垂れ死ねばいいか」みたいな事ばかり思って過ごしてしました。
その頃の父親が口癖でとにかく「死にたい」を連呼していました(かといって自死を試すでもなく、生活苦からくる酔った上での愚痴だったと認識しています)ので、自分から死にたいと口にする事は決してありませんでしたが、その頃の私は私でいつ死んでもいいような気分ではあったように思われます。
以上の約5年ほどの間、私にとって非常に大切な期間でもあったと同時に極めてだらしない、大人げない時間だったと恥ずかしい思いで今まで生きていましたが、一昨秋に父が亡くなった際に姉2人が口を揃えて「あの時のあんたはおかしかった、病気だと思っていた」と言うのを初めて聞きました。
姉が体調不良で伏せるようになったのも同じような時期ですので、私や姉は父の酒乱や暴力のストレスで抑うつ状態になっていたのでしょうか?
食事や体重・睡眠も便通もかなり健康でしたが、私のあの自堕落な数年は自堕落ではなく健康を損ねていたのでしょうか?
わがままかもしれませんが、30年経った今も恥ずかしく思われるあの数年の生活態様が健康上やむをえなかったものであるならば、幾分かでも自分が救われるような気がしております。
いつも長々と拙文乱文におつきあいくださいましてありがとうございます。ここ約1年の処方の変遷を以下にまとめてみました。蛇足ながら★が変更点になります。
X年/5/17
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg×2
毎 半夏厚朴湯顆粒
眠 クエチアピン 25mg
X年/5/31
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg+12.5mg★
毎 半夏厚朴湯顆粒
眠 クエチアピン 25mg
X年/6/14
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg+12.5mg
毎 半夏厚朴湯顆粒
眠 トラゾドン塩酸塩 25mg★
X年/7/12
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg★
毎 半夏厚朴湯顆粒
眠 (なし)★
X年/8/10
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg
朝夕 炭酸リチウム 各200mg★
X年/9/29
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg
夕のみ 炭酸リチウム 200mg★
X年/10/13
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg
朝夕 炭酸リチウム 各200mg★
X+1年/2/16
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg
夕・就寝前 炭酸リチウム 各200mg★
(服用タイミングのみ変更)
X+1年/3/30
朝 エビリファイ 6mg
夕 パキシルCR 25mg
夕・就寝前 炭酸リチウム 各200mg
眠 ゾルピデム酒石酸塩 5mg★(入眠困難時に頓服として)
林: 経過のご報告をいただきありがとうございました。私の見解は【3075】(2015.10.5.)の時から全く同じです。【3075】の回答のまとめとしてこうお書きした通りです。
いま受けておられる薬物療法は不適切です。リーマスまたはデパケン(バルプロ酸)またはテグレトール(カルバマゼピン)を直ちに開始し、 抗うつ薬のルボックスとリフレックスは徐々に減らし、できれば中止を目指すべきです。今の主治医の先生からは適切な薬物療法は期待できないと思います。別の病院にかかられたほうがいいでしょう。
そして現在、別の病院にかかり、ようやくリチウムによる治療が開始され、徐々に回復に向かっているご様子をお聞きし嬉しく思います。
現在の症状、すなわち
また、出社をシミュレートして毎朝7時前には必ず目覚めるものの、妻が出社し一人になってしばらくするとしばしばだるさと眠気に襲われます。その場合、よほど無理やり動けた時以外の多くは再び眠ってしまい、夜分以外の睡眠が累計で5〜7時間に及ぶ日もあります。そのため主治医の勧める「午前中の散歩」が叶わず、夕方になってのそのそと散歩に出る場合もあります。
これは決して怠惰ではなく、日内変動とみるのが妥当でしょう。
すなわち、徐々に回復に向かっているものの、復職にはまだあと一歩の段階だということです。ここで無理をすると逆に悪化に向かいかねませんので、あせらず治療を続けることが大切です。
また、過去のエピソード、すなわち、
姉が体調不良で伏せるようになったのも同じような時期ですので、私や姉は父の酒乱や暴力のストレスで抑うつ状態になっていたのでしょうか?
食事や体重・睡眠も便通もかなり健康でしたが、私のあの自堕落な数年は自堕落ではなく健康を損ねていたのでしょうか?
これはもうかなり以前のことであり、おそらく質問者の記憶に基づく描写の正確さにも限界があると思われますので、判定困難ではありますが、一般論としては、双極性障害の方に過去のことをよくお聞きすると、学生時代などに気分変調のエピソードがあったことが見出されることは少なからずあります。この【3527】のケースもそれにあてはまるとみることも可能でしょう。
なおこのような場合、お父様からのストレスとの関係を論ずるのはかなり難しいです。あれだけのストレスがあればうつ状態になるのは自然という解釈も可能ですし(この場合、双極性障害とは無関係と考えることもできます)、ストレスに対する反応としてのうつ状態としては重すぎるという解釈も可能です(この場合、双極性障害のうつ病相の一型とみることができるでしょう)。
いずれにせよ、
私のあの自堕落な数年は自堕落ではなく健康を損ねていたのでしょうか?
健康を損ねていたといえると思います。
(2017.9.5.)