ダンス・ダンス・ダンス
ふと思い立って、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』の英訳本を読んでみた。
Dance Dance Dance
Haruki Murakami
translated by
Alfred Birnbaum
Vintage eBooks
Kindle版
1
アメという名の女性カメラマンが登場する。こんな人物だ。
『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下) 村上春樹 講談社文庫 1991 より
上p.198
有名な女性カメラマンなんだけど、ちょっと変わった人なの。思いつくとどっかにさっと行っちゃうの。子供のことを忘れちゃって。ほら、芸術家だから、何かあるとそれが頭が一杯になっちゃうのね。あとで思い出してうちに電話をかけてきたの。子供をそこに置いてきちゃったんで、適当に飛行機に乗せて東京に帰してほしいって。
She’s an artist, a famous photographer, and she can be quite eccentric. An idea popped into her head, and she was off and running. She completely forgot about the child. Later on, we got this call from her, about her daughter being somewhere around the hotel, and could we please put her on a flight back to Tokyo. That was it.
これがホテルの従業員の言葉であるということ以外には、説明はほとんど不要であろう。アメは13歳の娘とホテルに泊まっていた。だが急に仕事のことを思いつくと、娘の存在を忘れて一人で出かけてしまう。行き先はなんとカトマンズだ。カトマンズに着いてから娘のことを思い出して、ホテルに電話をかけてきて、東京に帰すよう依頼したのである。それも「適当に飛行機に乗せて」だ。この「適当に」は、アメという人物描写において重要な語でありながら、英訳には反映されていないことが気になるところだが、ここは翻訳の限界と見るべきなのであろう。
そしてアメの娘本人は母のことをこう語っている。
上p.218
あの人、自分の写真のことですぐ頭がいっぱいになっちゃうの。悪気はないんだけど、そういう人なの。要するに自分のことしか考えてないの。私がいるってこと忘れちゃうの。傘と同じ。ただ単に忘れるのよ。
Work is the only thing Mama thinks of. She doesn’t mean to be mean or anything, that’s just how she is. She only thinks about herself. Sometimes she forgets I’m around. Like an umbrella, you know, I just slip her mind.
写真(仕事)のこととなると、自分の娘のことをまるで傘でも忘れるようにホテルに忘れてきてしまう。そういうアメの性質は「芸術家だから」と、先のホテル従業員は表現していた。
さらに、アメに心酔している詩人、ディック・ノースによる話はこうだ。
下p.75
「彼女は仕事に夢中になるといろんな現実的なことを忘れてしまうんです。御飯を食べたかどうかとか、今まで何処で何をしていたかとか、そういうことをさっぱりと。頭の中が真っ白になっちゃうんです。強烈な集中力です」
“When Ame gets wrapped up in her work, she loses all track of everything. She forgets whether she’s eaten or not, what she’d been doing where. Her mind goes blank from concentrating so intensely.”
この説明を聞いた主人公の「僕」(34歳男性)はこう考える。
上p.75
それはどちらかといえば集中力というよりは精神病の領域に属する事例ではないかと僕はふと思ったが、もちろんそんなことは口に出さなかった。僕はソファの上で黙って礼儀正しく微笑んでいた。
I smiled politely. But intense concentration? This seemed more in the realm of psychopathology.
アメが傑出した芸術家であることは万人が認めるところである。そして仕事以外のことをすっぽりと忘れてしまう人物であることは、彼女に接したすべての人が認めるところである。ディック・ノースはその理由をアメの「仕事への集中力」であると理解している。先のホテル従業員の「芸術家だから、何かあるとそれが頭が一杯になっちゃうのね」という理解も、アメの娘の「自分の写真のことですぐ頭がいっぱいになっちゃうの」という理解も、同様の文脈にある。だが「僕」はそんなアメは病的なのではないかと一人考えている。
病的か否かはともかく、アメが物事をすぐ忘れてしまうのは、彼女の仕事への集中力だけでは説明できないことは、次の描写からわかる。
下p.80
彼女はまた煙草を取り出して火をつけ、一口吸って灰皿に置いた。たぶんそのまま煙草のことを忘れてしまうんだろうと僕は想像したが、事実そのとおりになった。
She lit up another cigarette, took one puff, then set it down in the ashtray. I was sure she would forget about it too, and she did.
これは仕事とは何の関係もない。吸いかけた煙草のことをすぐ忘れてしまった。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。すると、アメが物事をすぐ忘れてしまうのは、「彼女が芸術家だから」でもなければ、「仕事への並外れた集中力があるから」でもない。
アメの娘による、こんな描写もある。
下p.99
あの人はきちんとものを考えるということができない人なの。その場の思いつきで何か言って、そのまま忘れちゃうの。言ってるときは本気なんだけど、何も覚えてないの。
But then Mama doesn’t think like normal people do. She says whatever comes into her head and then she forgets it right after she’s said it. She’s serious when she says it, but after that she might as well have never said a thing.
物事を信じられないほどすぐ忘れる。その場その場の思いつきで何か言う。そのときは本気だが、その自分の言ったことさえすぐ忘れる。これがアメの特徴である。アメの仕事とは関係ない。
そしてこれはADHDの特徴に一致している。
2
ADHD (Attention-Deficit/ Hyperactivity Disorder) は注意欠如・多動症の略語である。症状はその名の通り、不注意と多動性・衝動性が中心である。不注意と多動性・衝動性の両方が目立つケースもあれば、どちらかだけが優勢なケースもある。ADHDの実例としては、たとえば
【1692】ADHD と診断されたが、薬を飲み続けるべきか の20代女性:
幼少期から、ADHD(注意欠如・多動症)の典型的な症状がありました。
ひどい忘れ物.遅刻癖、先延ばし、方向音痴、衝動性、計画性のなさ、時間の観念の希薄さ、金銭感覚の鈍さ、時に無気力、時に過集中などの症状です。
そのため学校生活や社会生活においてもしばしば問題を起こしてきました。
けれど、周りのサポートもあり、性格も明るく、「やる気のあるときには勉強も仕事も人一倍集中して行うことができる」ため、大学受験、就職、結婚、出産となんとか無事に過ごしてきました。
また、ケースによってはADHDとアスペルガー障害の両方の特徴をあわせ持っていることがある。
たとえば 【3129】人の話を聞けない・何でも簡単に信じてしまう・異様な緊張・顔が覚えられない・・などの29歳男性。このケースに見られるADHDの特徴は:
・人の話をきけない 日常会話でも理解できない部分が多く、わからない事だらけ。質問してしまうと話が進まないので理解できないまま話を進めてしまう。また、聞いていたはずなのに頭に入らず、すっぽり記憶から抜け落ちてしまう。(通院時の医者に対してもそう)
.
ADHDもアスペルガーも、発達障害の一種である。発達障害の中で、社会性やコミュニケーションの問題が目立つケースがアスペルガーと呼ばれ、注意散漫、多動が目立つケースがADHDと呼ばれている、というのが現状を最もよく映し出している説明ということになろう。実際の臨床例は、アスペルガーの特徴が目立つケースから、ADHDの特徴が目立つケースまで、広い幅がある。
おそらく今後、医学の世界では発達障害にかえて 自閉スペクトラム症 (Autism Spectrum Disorder; ASD) という語がよく使われるようになり、一般社会にもこの語が広がると思われるが、本稿では発達障害という語を使うことにする。
アメも発達障害であると見ることができる。そして彼女にも、ADHDの特徴に加えて、アスペルガーの特徴も認められる。アメに認められるアスペルガーの特徴とは、社会性の障害、コミュニケーションの障害である。
下p.89
「あなた良い人よね、私、それわかるの」と彼女は言った。「だからあなたにお願いがあるの。あの子をなるべくここに連れてきて。私、あの子のこと好きなのよ。あの子に会いたいのよ。わかる? 会って話をしたいの。そして友達になりたいの。私たち良い友達になれると思うのよ。親とか娘だとかいう以前にね。だからここにいる間に少しでも沢山ふたりで話をしたいの」
アメはそう言うとしばらくじっと僕の顔を見ていた。
“You’re a decent fellow, I can tell,” she began earnestly. “So I know I can ask a favor of you. I want you to bring the child here as often as you can. I don’t have to tell you that I love her. She’s my child. I want to see more of her. Understand? I want to talk with her. I want to become friends with her. I think we can become friends, good friends, even before being parent and child. So while she’s her, I want to talk with her a lot.”
Ame gave me a meaningful look.
I couldn’t think of an appropriate reply.
この引用部分だけで何か論ずるのは無理があるが、『ダンス・ダンス・ダンス』を通して読めば、アメの社会性の問題は明らかである。上記引用部分の前後も、このようにアメから言われて「僕」が何とも言えない気分になっていることが読み取れる記述になっている。そしてアメの独特さ・奇矯さは、発達障害にしばしば見られる社会性の障害に一致している。
ではアメはADHDとアスペルガーのどちらの特徴が優勢か。臨床で診断をつけるためにはその判断が必要だが、フィクションの中の人物であるアメに、そこまで厳密な診断を追究しても意味は乏しいであろう。「アメはADHDとアスペルガーの両方の特徴をあわせ持っている、発達障害の一型」までにとどめるのが適切な判断である。
3
そして発達障害の中には、特異で傑出した才能を持っている人がいる。アメの写真家としての才能がまさにそれである。アメと同居する詩人のディック・ノースは次のように言っている。
下p.84
「彼女に会ってから僕の中での詩に対する考え方自体が変わりました。彼女の写真は何というか、詩というものを裸にしてしまうんです。僕らが言葉を選びに選んで、身を切るようにして紡いだものが、彼女の写真においては一瞬にして具現されているんです。具現(エンバディメント)。彼女は空気の中から、光の中から、時間の隙間からそれをさっとつかみとり、人間のいちばん深い部分にある心的情景をエンバディーズするんです。僕の言ってることわかります?」
“Since meeting her, my own thinking about poetry has changed. Her photographs —– how can I put it? —– strip poetry bare. I mean, here we are, choosing our words, braiding strands to cut a figure. But with her photos it’s immediate, the embodiment. Out of thin air, out of light, in the gap between moments, she grabs things just like that. She gives physical presence to the depths of the human psyche. Do you know what I mean?”
ディック・ノースは日本語がうまいアメリカ人だが、込み入った説明をする時には英語が出て来る。そういう話し方を全体として英訳するのは不可能といっていい作業である。上の訳文はそれなりに最善と言えるものであろう。
アメはその才能がそのまま職業になっているが、そこまではいかないまでも、人とは違った才能を持っている人は発達障害の中には少なくない。
【1773】幼少時のアスペルガー障害であるとの診断と現在抱える問題のケースの父がその実例である:
私の父親は驚異的な記憶力を持っており、母はそんな父を「サヴァン症候群」(注1)だとよく言っていました。
(注1)
父は変わり者で、自己中心的ですが、努力家での働き者です。コミュニュケーション能力は子供から見ても欠如しており、何を質問しようと会話が成り立たず滔々とうんちくを並べるだけです。子供騙しの変な造語でごまかされます奇異な行動が多く何年でもボロぞうきんのようになっても同じ物だけを着たがります。「勉強なんて教科書を丸暗記すれば良いじゃないか!」が口癖で、記憶力は良いです。現在父親は離婚、トラブルで親戚中との仲もこじらせ失踪中。
このケース (父) は、抜群の記憶力という才能は持っていたものの、社会性の障害があまりに大きく、結果としては生活が破綻している。
たとえ社会性の障害があっても、アメのように並外れた才能があれば、それだけでやっていくことは可能である。但しここでいう「並外れた才能」というのは、世界で指折りというレベルの才能である。普通の人から見て記憶力が抜群とか、学校の成績が抜群とか主席とか、そんなレベルの話ではない。そんな人は世の中に何万人もいる。社会性に著しい欠如があっても才能だけで生きて行くためには、その程度ではとても無理なのである。歴史に残る天才の中には、発達障害の人は多い。アインシュタイン、ニュートン、ダーウィン、モーツァルトなどがその例である。ここまでのレベルになると、社会性の障害など問題でない。いや問題でないわけではないが、「天才だから」とか「芸術家だから」などとして容認されている。アメもそうである。社会性の欠如が、むしろ独特の性格として逆に魅力になっているとさえ言えるであろう。
4
すると、アメを発達障害と呼ぶことがはたして適切かという問いが発生することになる。アメには才能がある。傑出した才能がある。その才能を賞賛しているのはディック・ノースだけではない。アメの才能は写真家としてのアメに昇華し、アメはそれを職業としている。それだけでも充分に社会適応していると言えるが、アメの写真家としての腕は超一流だから、単に職業として成り立っているというレベルをはるかに超えている。
するとアメの性格の独特さを、「障害」と呼ぶのは不適切なのではないか。むしろ「個性」と呼ぶべきなのではないか。
これが障害個性論と呼ばれる考え方である。
説明の順序として、まず【1712】私がアスペルガーだなんて、一生認めてやりませんのケースを紹介する。この【1712】の20代女性は次のように叫んでいる:
人と人は違うんだから、こういう性格もあって当たり前だと思います。大体アスペルガーだの障害者だの言われたくありません。一生認めてやりません。病院にもいかない。
2010年に出版したサイコバブル社会で、私はこのケースを引用し、障害個性論の解説につなげた。サイコバブル社会から少々引用する:
サイコバブル社会 p.92〜
「人はそれぞれ違うんだから、こういう性格もあって当たりの前だと思います。」
この叫びに沿う、というのは、決して本人の言うことだからそのまま受け入れましょうというような、一見ものわかりのいい、実は腰がひけた責任放棄的迎合論ではない。この人の叫びに沿った論もまた、障害論の一つである。それは障害個性論と呼ばれているものである。
障害個性論
ここで振り返ってみていただきたい。小学校のとき同じクラスにいた、あの変わった子。あの子はいま考えてみるとアスペルガー障害だったに違いない。あるいは他の発達障害か。当時は知らなかった。そんな病気があるなんて知らなかった。ただの変わった子、とても変わった子だと思っていた。運動は鈍かった。それも、明らかに他の子とは違う鈍さだった。運動会では目だっていた。笑われていた。私も笑っていた。からかったこともある。軽い気持ちだったが、いま考えてみるとあれはいじめていたことになるのかもしれない。悪いことをしたと思う。
発達障害は、百人に一人くらい存在すると多くの調査結果が示している。小学校に生徒が百人くらいれば、一人は発達障害の子がいたはずだ。そして発達障害は陰にあった。つまり、ほとんど知られていなかった。だから、何だかわからないけどすごく変わった子がいた、からかっていた、そういう記憶をお持ちの方は少なからずいらっしゃると思う。
ケース8の上司の方のように、この機会に発達障害について理解を深め、当時を反省していただきたい。
などということを言うのがこの本の目的ではない。
理解していたら、だったらどうなのかがここでのテーマである。
発達障害というものがある。アスペルガー障害というものがある。こういう特徴がある。このように対応するのが正しい。そういう知識を、当時持っていたとする。
そうしたら、もっと良い対応ができていただろうか。ただのちょっと変わった人だと思っていたほうが、まあ子どものすることだから、多少のいじめめいたことはあったかもしれないが、むしろ仲間としてやっていけたのではないか。障害を理解し、これは障害だと認めるのは本当にいいことなのか。そうしたら自然な対応ができなくなっていたのではないか。ちょっと変わった子だと思っていたほうがいいのではないか。
こうして生まれたのが障害個性論である。殊更に障害と考えずに、個性だと考えたほうがいい。ケース8の人の叫びは、まさに障害個性論の考え方である。するとそれが障害を持つ本人の希望だとすれば、障害個性論こそ障害者のための論ということになる。
そしてこれは、国の基本方針でもあった。障害者白書にも明記されていた。
そこにはまず、「障害者は障害のない人と同じ欲求・権利を持つ人間であり、社会の中で共に生きていく仲間である」という「共生の障害者観」が呈示され、それを一歩進めたものとして、「障害は個性」という障害者観が示されている。一部を引用してみよう。
我々の中には気の強い人もいれば弱い人もいる。記憶力のいい人もいれば忘れっぽい人もいる、歌の上手な人もいれば下手な人もいる。これはそれぞれの人の個性、持ち味であって、それで世の中の人を二つに分けたりはしない。同じように障害も各人が持っている個性の一つと捉えると、障害のある人とない人といった一つの尺度で世の中の人を二分する必要はなくなる。そうなればことさらに社会への統合などと言わなくても、一緒に楽しんだり、喧嘩をしたり、困っているときには、お互いに助けあい、支えあう普通の人間関係を築ける社会になるであろうというものである。
ここに描かれているのは一つの理想的社会である。白書なので硬い文章になっているが、もしこれをポスターにでもするのであれば、「障害なんて、ほんとはこの世にないんだ」といようなキャッチコピーがつきそうである。そうなればさきほどのケース8の人も、「私がアスペルガーだなんて絶対認めてやりません」と悲痛に叫ぶ必要もなくなる。障害を障害と呼ぶことがそもそも間違いの始まりだった。ちょっと変わった人にすぎない。これまで障害と呼ばれていたものは、個性と呼ぶべきだ。それが障害個性論であり、ケース8の人のような当事者の気持ちにもぴったり合う。小学校にいる発達障害の生徒とも、みんな仲良くやっていける。誰も「障害の受容」などに悩まなくていい。理想の社会がそこには立ち現れる・・・。
少々引用のつもりが長くなってしまった。この後に、障害個性論が孕む問題についての記述が続くのだが、きりがないので引用はこのくらいにしておく。
発達障害は「障害」といっても、その「障害」は健常者と連続しているのだから、あえて「障害」というレッテルを貼る必要はないのではないか。「個性」と考えればいいのではないか。それが障害個性論のポイントである。
特に、アメのように、発達障害に特有の才能を十二分に開花させて生きている人を、「障害」と呼ぶことは不合理であるとも感じられよう。
もちろんアメは(そして、アインシュタインやモーツァルトは)、稀有な特殊例だが、傑出した才能の有無はともかく、障害そのものがそれほど重度でなければ、問題が顕在化しないケースもしばしばある。そのようなケースでは、「障害」と診断することがかえってマイナスになることもあり得る。たとえば
【1682】アスペルガー症候群の診断を受けることにはどんなメリットがあるでしょうかの31歳女性は次のように述べている:
そしてまた、病名が何と付こうと自分は「障害者」ではない、自分はただ他の人と違うというだけで、それは自分がおかしいということとは違うのだ、という思いもあります。
診断が降りたところで直接的なメリットはないような気がするのですが、
自分自身を勝手にアスペルガー症候群であると決めつけて生きるのは間違っているのかな、という不安もあります。
この問いに対して私は次のように回答した:
どちらももっともです。一般には、多くのアスペルガー障害の方にとって、診断を受け、支援を受けることは大きなメリットになりますが、この【1682】の質問者は、すでに自力で相当な対応をされているので、これ以上のメリットが得られるかどうかは判断が難しいです。
私は、これから先、生きて行くために、他人の支援を求めるべきでしょうか?
わかりません。支援がプラスになる面があることは確かでしょう。しかし、それがかえってご自分の努力を弱めることも考えられますし、自尊心を損なうことも考えられます。
すなわち、問題が顕在化しなければ、障害者というアイデンティティを持つ必要はない。当然といえば当然の回答である。
だが、問題が顕在化するかどうかは、その人のおかれている環境によっても違ってくる。そして対処法も違ってくる。対処法としてわかりやすいのは、「薬を飲むべきか飲むべきでないか」という点である。
【1692】ADHD と診断されたが、薬を飲み続けるべきか の20代女性の経過がそれを如実に示している:
現在、ADHDと診断され、何種類かの薬を処方されて服用しています。 薬を飲み始めてだいたい半年たち、今では、多動や注意欠陥の症状も落ち着いています。 幼少期から、ADHD(多動性注意欠陥障害)の典型的な症状がありました。 ひどい忘れ物.遅刻癖、先延ばし、方向音痴、衝動性、計画性のなさ、時間の観念の希薄さ、金銭感覚の鈍さ、時に無気力、時に過集中などの症状です。 そのため学校生活や社会生活においてもしばしば問題を起こしてきました。 けれど、周りのサポートもあり、性格も明るく、「やる気のあるときには勉強も仕事も人一倍集中して行うことができる」ため、大学受験、就職、結婚、出産となんとか無事に過ごしてきました。 けれど、決まりきった日常のルーティンワークを淡々とこなすことが苦手なADHDとしては、家事と育児と子供の受験、そして家計を助けるためのパートなど、やらねばならないことが増えてきた昨年から、だんだんとADHDの症状が悪化してきて、だんだん自分の中で混乱をきたし、ノイローゼ気味になり、頭が整理できず、あれもこれもやろうとしても、行動の優先順位がつけられずに、パニック気味にまでなり、病院を受診しました。
この【1692】は、当初は薬は必要なかったが、成長につれて自分の役割が増えてきた時点で問題が顕在化し、薬による治療が必要になっている。
ここで重要なのは、薬が必要になったのは、問題が顕在化し、薬以外の対処では限界に達したからだということである。逆に言えば、問題が顕在化していない段階、あるいは薬以外で対処できる段階では、発達障害では薬の治療を始めることは勧められない。(発達障害の中では、有効な治療薬があるのは現在のところADHDだけなので、「ADHDでは、問題が顕在化していない段階、あるいは薬以外で対処できる段階では、薬の治療を始めることは勧められない」という方がわかりやすい説明となろう)。にもかかわらず、ADHDと診断すると安易に薬を処方する医師が相当数存在するようである。この問題については林の奥のADHDの薬、それは治療か商売か、を参照していただきたい。
一方で、この【1692】のように薬を必要とするADHDのケースがあることも確かな事実である。このケースのように人生のある時点から問題が顕在化するというのは、発達障害では比較的よくある。
【1773】幼少時のアスペルガー障害であるとの診断と現在抱える問題 もそんな一例である。
そのまま成人し、さまざまな「生きにくさ」や生活をする上での「問題」を感じつつも、理由や対処方法が分らず、人間関係や、職場でのトラブルが絶えませんでした。その場しのぎの対処法で過ごし、人間関係が崩れれば放棄し、職場で技能面で上手く行かなければ排除されるまま次に流れるといった具合でした。自分に問題があると自覚しつつも、その一方「相手に問題がある」とも思っていました。
ところが、状況は一変しました。職場環境が変わり、新しい上司が放棄&排除だけではことを収めないタイプの人だったからです。私は、その上司の下、職場環境が安定し、今までより調子よく働いているつもりでしたがミスの多さや、極度の物忘れ、独り言、上の空、過度の緊張等を指摘され、精神科の受診を薦められました。上司は、目立った症状を見て、精神疾患ではないかと捉えたようです。わたしには精神的な問題であるとは思えませんでしたが、その提案を拒否する事は、相手との関係を放棄し、職場から排除されてしまう結果を招く事であり、現在はやっと手に入れた安定をもう手放したくないという考えから精神科を受診しました。
この【1773】は、元々ある程度の問題はあったものの何とか適応してきたが、ある職場環境におかれた時点でその問題が大きく顕在化したという例である。
このようなパターン、さらには、学校時代はそれなりにやってこれたが、社会に出た途端に問題が顕在化するというのも、発達障害では少なくない。
そうなると、子供のうちから発達障害という診断を受け、適切な支援を受ければよかった、とも言えることになる。
しかしそれは問題が顕在化してから振り返ればそう言えるということであって、一生顕在化しないこともあり得る以上、「子供のうちから発達障害という診断を受け、適切な支援を受けることがよい」とは決して言い切れない。話は先の【1712】私がアスペルガーだなんて、一生認めてやりませんのケースから始まる障害個性論に戻ることになる。
これは発達障害に限った話ではない。「いま顕在化していない問題を、将来のために予防する」ことは、常に慎重な熟慮が必要である。たとえば統合失調症の早期発見・早期介入にも同じ難しさがある。【2007】統合失調症らしい症状が私にはあるのですが、悪化のおそれがないのなら病院には行きたくありませんや【2072】小中学校時代の私は統合失調症だったのでしょうか。今も独り言だけはあります。などに、その難しさをありありと見ることができる。
5
アメについては、発達障害の問題が顕在化していないわけではないが、彼女には特異な才能があるので、いわば容認されている。「芸術家だから」として容認されている。さらには「天才の特性」として逆に魅力になっているとさえ言えよう。ディック・ノースはその虜になっている。傑出した才能があれば、社会性に多少の問題があっても周囲はそれを容認するものなのである。すると、発達障害としての治療を受ける必要があるか否かは、周囲がその人の言動を容認するか否かにかかっていると言うこともできる。
しかし「周囲」は一枚岩ではない。
職場では容認されても、家庭では容認されない、そういうケースは現実によくある。
さらには「職場」も複数の人間から成り立っているから、容認する人としない人がいてもおかしくない。「家庭」も同様である。
アメに関して言えば、ディック・ノースは彼女を容認どころか賞賛している。だがそれはディック・ノース自身が芸術家だからという要因も大きい。それに彼は家族ではない。
アメの娘のユキにとってはどうかといえば、問題は明らかである。
下p.72
彼女は何も言わずにまっすぐにユキのところに行って、彼女の髪の中に指を入れてばさばさになるまでかきまわし、それからこめかみのあたりに鼻をこすりつけた。
And without a word of greeting, she walked over to Yuki mussed her hair lovingly, then pressed the tip of her nose to the girl’s temple.
冒頭の「彼女」がアメである。アメは娘のユキを心から愛している。それは確かである。だが愛情表現がずれている。
上記、淡々とした描写であるが、文脈からは、不自然な愛情表現であると読み取れる。
発達障害にしばしば見られる、対人関係の適切な距離の障害がここに認められる。ユキは母親のアメについて、こう言っている。
下p.101
そしてそのことで私がどれほど傷ついたかというのもよく理解できないの。
<この一文の訳語はBirnbaumの翻訳書には存在しない>
娘のユキは、アメに傷つけられている。だがアメはそれに気づかない。「僕」がそのことをストレートに指摘する。
下p.90
「・・・そして彼女はまだ十三なんです。そしてまだ母親というものを必要としている。暗くて辛い夜に無条件で抱き締めてくれるような存在を必要としているんです。ねえいいですか、僕はまったくの他人だからこんなことを言うのは見当違いかもしれない。でもね、彼女に必要なのは中途半端な友達じゃなくて、まず自分を全的に受け入れてくれる世界なんです。まずそこをはっきりさせなくちゃならない」
「あなたにはわかってないのよ」とアメは言った。
「そのとおりです。僕にはわかってない」と僕は言った。「でもいいですか、彼女はまだ子供だし、傷ついている。誰かが守ってやらなくちゃならないんです。手間のかかることだけれど、誰かがやらなくちゃならない。それは責任なんです。わかりますか?」
でももちろん彼女にはわからなかった。
「毎日連れてきてくれと言ってるわけじゃないのよ」と彼女は言った。
Yuki’s thirteen. She needs a mother. She needs someone who will love her and hold her and be with her. I know I’m way out of line shooting my mouth off like this. But Yuki doesn’t need a part-time friend; she needs a situation that accepts her one hundred percent. That’s what she needs first.”
“You don’t understand,” said Ame.
“Exactly. I don’t understand,” I said. “But let’s get this straight. Yuki’s still a child and she’s been hurt. Someone needs to protect her. It’s a lot of trouble, but somebody’s got to do it. That’s responsibility. Can’t you understand that?”
“I’m not asking you to bring her every day,” she said.
この部分、でももちろん彼女にはわからなかった。が、アメという人物描写のうえでかなり重要な部分、というか最も重要な部分だが、それが訳出されていない。
それとも “I’m not asking you to bring her every day,” she said.と直ぐに続けることで、アメには「僕」の言うことがわかっていないことが読み取れると訳者は判断したのだろうか。それはちょっと無理があるのではないかと思うがどうか。。
アメは発達障害であり、かつ、傑出した写真家である。傑出した写真家であるゆえ、アメの発達障害に伴う社会性の問題はおおむね容認されている。だがおおむねだ。問題は一見した限りではあまり顕在化していない。だから治療は必要ないように見える。だがユキはアメに深く傷つけられている。一見すると問題は顕在化していないようでも、このようにすぐ近くにいる弱者が深く傷ついていることもある。家族だけが困っている。現実のケースでもそういうことは少なくない。
『ダンス・ダンス・ダンス』では、村上春樹によるいくつかの何気ないともいえるアメについての描写が、彼女の発達障害を(ここではあえて個性といってもよい)垣間見せてくれる。ところが訳文では、上記 でももちろん彼女にはわからなかった。の省略や、ユキの言葉「そしてそのことで私がどれほど傷ついたかというのもよく理解できないの。」の省略、そして本項冒頭1で指摘した「適当に」の省略などによって、アメという人間の実像が原文からは離れたものになっていることが否めない。
6
訳と言えば、村上春樹特有の比喩が、どのように英訳されているかも気になるところである。この点、Birnbaumの訳文は「わりといい」と思う。
上p.199
彼女は新月のように淡く物静かな微笑を浮かべた。
Soft and silent as a new moon, a smile drifted across her face.
「淡く」は “Soft” か・・・ やや気になるが、一文としての英文はよくできていると言えるのではないか。
下p.161
何ということもなく気持ちの良い春の宵だった。夕暮れの青が透明な刷毛でかさね塗りされるみたいに一段また一段と濃くなり、夜の闇に変わっていった。
It was a lovely uneventful spring evening. The sky grew darker, painted blue on blue, one stroke at a time, into deeper and deeper shades of night.
第一文の「何ということもなく」という日本語は、考えてみると難しい。 ”uneventful”という訳語を見た時の第一感は、「何ということもなく」を「これといって何も出来事がなく」と解釈したことによる誤訳かと思ったが、考え直してみるとこれでいいような気もする。
第二文、「透明な刷毛でかさね塗りされるみたいに」の「透明な刷毛」の部分は訳出されていないが、「夕暮れの青が・・・夜の闇に変わっていった」という、訳すにはかなり難解と思われる日本語は、見事な英文になっている。
下p.166
宇宙人は来なかったけれど、十時過ぎからしとしとと雨が降り始めた。柔らかくて静かな雨だった。軒先から落ちる雨音でようやくその存在がわかるようなタイプの雨だった。死者のように静かな雨。
No alien showed, but from ten o’clock it did start to rain. Softly, quietly, barely audible on the eaves. Almost silent as the dead.
この雨の降り方の描写も、見事な訳だ。
下p.248
ゆっくりと空を流れる雲のように、五月が窓の外を過ぎ去っていった。
May drifted past, slow as clouds.
「窓の外を」も訳出してほしかったが、やむを得ないか。
下p.253
灰皿の中で彼女のセイラムが静かに狼煙のような煙を上げていた。煙はずっと上にのぼって分解し、沈黙の塵と同化した。
A subtle shaft of smoke rose from her Salem in the ashtray, merging into a dust of silence.
「分解し、・・・同化した」はやはり訳出してほしかった。
下p.267
雨は静かに降り続いていた。はっきりと目には映らないくらいの細い雨だったが、それは少しずつアスファルトの路面を淡い墨色に染めていった。
Soft rain fell, undetectable to the eye, though the asphalt was slowly staining black.
「静か」にあたる単語がここでは “soft” だ。先の「淡く物静かな微笑」の「淡く」も、「柔らかくて静かな雨」の「柔らかくて」も “soft” だった。こうなるとちょっと気になる。英語の形容詞が日本語より極端に少ないなんていうことはないであろう。Soft以外に何か工夫はできなかったのだろうかと考えてしまう。
下p.289
音楽が消えると、人々の話し声が奇妙な硬質さを帯びたように感じられた。それは漠然とした硬質さだった。実体が柔らかいのに、存在の状況が硬質なのだ。そばに来るまではとても硬そうに見える。でも体に当たると柔らかく砕けてしまう。それは波のように僕の意識を打っていた。ゆっくりやってきて意識を打ち、そしてひいていった。それが何度も何度も繰り返された。僕はしばらくその波の音に耳を澄ませていた。僕の意識は僕自身から離れてひどく遠くにあった。遠い波が、遠い意識を打っていた。
Without the music, the voices in the crowd became plastic, almost palpable. Waves of sound solidifying as they pressed toward us, yet broke softly on contact. Rolling up slowly over and over again, striking my consciousness, then retreating. Farther and farther away. Distant waves, crashing against my mind in the distance.
原文には「硬質」という単語が3回現れている。「硬そうに」も同様の意味あいだから4回現れているということもできる。それを ”plastic” という単語一回で処理したのは苦心の翻訳作業であろう。「奇妙」「漠然」を “almost palpable” に含ませたのも、熟考の結果だと思われる。後半部分もやや要約的である。要約的だが、全体としては日本語の雰囲気がうまく英語で描写されていると思う。ただ一つ問題がある。”us” だ。” as they pressed toward us” の “us”. これは全く不可解な単語の選択である。ここは “me” でなければならない。これはピザ屋の喧噪の場面である。ステージの演奏が終わり、音は満員の客の話し声だけになる。だが「僕」の意識はその喧噪から離れて行く。自分ひとりの意識に収斂していく。冒頭の「人々の話し声が奇妙な硬質さを帯びたように感じられた」は、あくまでも「僕」一人の意識でそう感じられたという意味である。「波」が当たるのも「僕」一人である。それを “us” と訳したら、この部分の描写全体の意味が変わってしまう。なぜ “us” と訳したのか、全く不可解としか言いようがない。
このBirnbaum訳の “Dance Dance Dance”。本セクション6の冒頭に私は、比喩の訳し方は「わりといい」と思う と書いた。だが人物像や心理描写の訳には「問題アリ」だと思う。今のピザ屋の部分もそれに関連している。上の文章の直後、「僕」は唐突に、「どうしてキキを殺したの?」と訊く。この質問発生直前の「僕」の意識状態の描写として、上の文章は重要な位置づけになっている。ここは ”us” ではなく “me” でなければならないのだ。
7
人物像や心理描写の例を挙げよう。
まずアメの娘であるユキについての、「僕」の見解。
下p.8
そうするとみんなもにっこりとして楽しい気持ちになることができた。いい奴なんだ、とみんなは思った。それが —– たぶん本当に良い男なんだろう —– 五反田君だった。でもユキはそうではなかった。ユキは自分一人を抱えて生きていくだけで精一杯なのだ。
That way everyone around him could smile along and think, Now there’s one nice guy. And Gotanda really was a nice guy. But Yuki was different. Yuki was not nice.
「ユキはそうではなかった」の訳が “Yuki was not nice” というのはないだろう。原文をそのまま読めば、「そうではなかった」の「そう」は「いい奴」と読めないこともないが、ここはユキが五反田君とは違ってハードな人生を送ってきたため、自分のことだけで精一杯、周囲のみんなにいい顔をする余裕なんかないということを指している。そのようなユキと五反田君の違いが「ユキはそうではなかった」と表現されているのである。それを “Yuki was not nice” と訳されては、ユキがあまりにかわいそうだ。
ユキの母、アメについての描写の訳文にいくつもの問題があることはすでに指摘した。さらにこんな訳文もある:
下p.76
「・・・ だって私たち朝御飯だって食べなかったし」と彼女は言った。
“After all, we didn’t eat any breakfast,” she said. “Or did we?”
違う違う。原文にない “Or did we?” をここに挿入したらぶち壊しだ。ここはアメが普通なら到底考えられないほどに物事を忘れてしまうことの描写で、彼女は自分が食べた朝御飯のことを完全に忘れてしまっているのだ。食べていないことを信じて疑わない様子が描写されることではじめて、アメという人物がありありと見えてくる。”Or did we?” 「それとも、食べたっけ?」と、このアメが口にするはずがない。このセリフはアメの人物描写を大きく歪めている。原文にないこんな言葉が挿入されたら台無しである。
高級娼婦のメイと「僕」が情事を終えた後のベッドでの会話。
上p.280
物を書く仕事ってどんな物を書いているの、と彼女は訊いた。僕は仕事の内容をおおまかに説明した。面白そうな仕事じゃないと彼女は言った。書くものによる、と僕は言った。僕がやっているのはいわば文化的雪かきなんだ、と僕は言った。私のやっているのは官能的雪かき、と彼女は言った。そして笑った。
She asked me about my work, what kind of things I wrote. I explained briefly and she said, how uninteresting. Well, it depends, I told her. What I did was shovel cultural snow. To which she responded that her work was to shovel sensual snow. I had to laugh.
ここには重大な問題が二つある。
第一は、「面白そうな仕事じゃないと彼女は言った」が “she said, how uninteresting” と訳されていること。この英訳文は原文の正反対だ。訳者は日本語を誤読したのであろう。確かにこの日本語は外国人には難しそうである。日本語の「じゃない」は、そのままとれば否定文の「ではない」の砕けた表現だが、文脈によっては「だね」という肯定の意味になることもある。「じゃないの」と書かれていれば誤読されなかったであろう。「面白そうな仕事じゃないのと彼女は言った」と書かれていれば「面白そうな仕事じゃないの」は「面白そうな仕事(だ)ね」という意味であることがより鮮明になったであろう。
だが、この文章が日本語として難しいのは事実だとしても、文脈を考えればここで “how uninteresting” というセリフが来るのはおかしいとわかるはずではないか。メイは高級娼婦である。情事の後のベッドでの会話である。客が自分の仕事を語っている。それに対して高級娼婦が「面白くなさそうな仕事ね」と言うはずがない。その後に続く会話からみても、ここは彼女が客に話を合わせる場面であることは明白である。
第二の問題。「そして笑った」が “I had to laugh” と訳されていること。これはすごく誤訳だ。笑ったのは「僕」ではない。メイだ。いくら主語がなくても、笑ったのがメイであることはあまりに明白だ。これも日本語の難しさの問題として片付けることはできない。「僕」が物を書く仕事を「文化的雪かき」と自嘲したのに対し、知的な高級娼婦のメイが売春という仕事を即座に「官能的雪かき」と表現して笑ったのは、文脈からみても明らかである。
「僕」が、かつて同棲していた女性キキについて回想する。
上p.291
僕と暮らしている時、キキはセックスに対してはどちらかといえば受動的だった。僕が抱くと彼女はそれに温かく応えてはくれたけど、決して自分の方から要求したり、積極的に何かをしたりということはなかった。僕に抱かれている時、キキは体の力を抜いて、とてもリラックスしてそれを楽しんでいるように僕には思えた。そして僕はそういうセックスに対して不満を抱いたことは一度もなかった。リラックスした彼女を抱いているのは素敵なことだったからだ。柔らかな体と、安らかな息づかいと、温かい性器と。僕にはそれで充分だった。だから彼女が誰かに —– たとえば五反田君に —– 積極的なプロフェッショナルな性的サービスをするなんてことは、僕にはどうもうまく想像できなかった。でもあるいはそれは単に、僕に想像力が不足しているせいなのだろうか?
All the time Kiki was living with me, she was, if anything, rather passive about sex. Sure, she warmed up and responded, but she never made the first move, never had demands of her own. Not that I ever had any complaints. She was wonderful when she relaxed. Her soft invited body, quiet easy breath, hot vagina. No, I had no complaints. I just couldn’t picture her delivering professional favors to anyone — to Gotanda, for instance. Maybe I lacked the imagination.
「僕に抱かれている時、キキは体の力を抜いて、とてもリラックスしてそれを楽しんでいるように僕には思えた。」が訳出されていない。この一文がなくてもあまり問題でないようにも見えるが、そんなことはない。すぐ後の文、「リラックスした彼女を抱いているのは素敵なことだったからだ。」の前提として、「キキは体の力を抜いて、とてもリラックスしてそれを楽しんでいるように僕には思えた」が必要なのである。この一文なしに “She was wonderful when she relaxed” と書かれていても、それでは意味をなさない。”relax” という単語がどうしてここに出てきているのかが読者にはわからない。「僕に抱かれている時、キキは体の力を抜いて、とてもリラックスしてそれを楽しんでいるように僕には思えた。」は、省略してはならない一文なのだ。さして英訳が難しいとは思えないこの一文がなぜ訳出されていないのか、不可解である。まさか手抜きではないと思いたいが・・・。
「僕」とキキをめぐっては、他にも気になる描写がある。
キキが死んだと知った「僕」の思い。
下p.280
結局のところキキは死ぬべくして死んでしまったのだという気がした。不思議な感じ方だったが、僕にはそういう風にしか感じられなかった。僕が感じたのは諦めだった。広大な海面に降りしきる雨のような静かな諦めだった。僕は哀しみをさえ感じなかった。魂の表面にそっと指を走らせるとざらりとした奇妙な感触があった。すべては音もなく過ぎ去っていくのだ。砂の上に描かれたしるしを風が吹きとばしていくように。それは誰にも止めようがないことなのだ。
Ultimately, Kiki had to die. Strange how I couldn’t see things any other way. The skin of my soul was no longer tender. I tried not to feel anything at all. My resignation was a silent rain falling over a vast sea. Even loneliness was beyond me. Everything was taking leave of me, like ciphers in the sand, blown away on the wind.
キキの死に対する諦観にも似た思いが、この部分のテーマになっている。だが訳文にはその重要なテーマが反映されていないと思う。まず「僕が感じたのは諦めだった。」が訳出されていない。この文をスキップして “The skin of my soul was no longer tender” と言われても、読者にはどうしてこの文がここに出て来るのかわからない(“The skin of my soul was no longer tender” が「魂の表面にそっと指を走らせるとざらりとした奇妙な感触があった。」にあたる訳文というのも不満が残るが、その不満は「僕が感じたのは諦めだった。」のスキップに比べれば些細なことである)。次の” I tried not to feel anything at all.” もポイントを外している。原文には「感じないようにした」というような能動的なニュアンスのことは一切書かれていない。逆だ。自分では意図しないままに心が流れていくというのが、この部分のポイントになっている。「僕は哀しみをさえ感じなかった。」というのはまさにそうした表現である。”I tried … “ というように能動的な表現は、この場面には全くそぐわない。そして直後に “My resignation was a silent rain falling over a vast sea.” という文が来るのも不自然だ。「広大な海面に降りしきる雨のような静かな諦めだった。」にあたる訳文という点では部分的には異論はないが、ここでの “resignation” は、一つ前の文の「僕が感じたのは諦めだった。」を受けて初めて生きてくる単語であって、「僕が感じたのは諦めだった。」を訳出することなしにいきなり”My resignation was …”と書かれても、この部分の文章の意味からは逸脱した表現でしかない。さらに “Even loneliness was beyond me.” とは一体なにごとか。そんなことは原文にはどこにも書かれていない。
もはや、この部分の訳文は、訳文とは言えない。ほとんど翻訳者の創作である。そしてその創作は、原文のこの部分のテーマである「僕」の諦観からは逸脱している。これでは原文に映し出されている「僕」という人物も、そして「僕」のキキに対する思いも、翻訳書の読者には理解できないままである。
アメに心酔していた詩人のディック・ノースには日本人の妻と子があった。だが彼は妻子を捨ててアメと住んでいた。アメに仕えていたといったほうがいいかもしれない。そのディック・ノースは、不慮の事故で死亡する。通夜が行われる彼の自宅(妻子が住んでいる)に、「僕」は彼の荷物を届ける。そして思う。
下p.222
彼にも、少なくとも死んでからは帰る場所があったのだ、と僕は思った。
At least he had somewhere to come home to.
「死んでからは」が訳出されていない。これは手抜きと言われても仕方ない。この文では「死んでからは」はとても重要で、省略してはならない一語だ。なぜなら、ディック・ノースが生前に「僕」に話したこの言葉がこの文の伏線になっているからだ。
下p.86
僕にはもう帰る場所もない。日本の家にも帰れない。アメリカにも帰る場所はありません。
I have no place to go. I have no home in Japan anymore, I have no home in America.
そんなディック・ノースにも「少なくとも死んでからは帰る場所があった」のだ。原文に明記されているこの表現を削除した “At least he had somewhere to come home to” という訳文からは、原文にあったディック・ノースという人間の寂しさが消えている。
8
Birnbaum訳の Dance Dance Dance。 比喩についての訳は「わりといい」。だが人物をめぐる訳は「問題アリ」。小説で何より重要な人物描写に、上記7のように色々と気になる部分が目立つ。こうなると比喩についての訳も気になってくる。日本語と英語の言語の違いのため、どうしても訳しきれない部分があるのは仕方ない。しかし優れた翻訳はそういう難題に挑み、非凡な答えを出している。川端康成の『雪国』に散りばめられている独特の日本語が、サイデンステッカーのSnow Countryに実に見事に訳出されているのがその実例だ。ダンス・ダンス・ダンスに見られる比喩表現も、もっと良い訳ができるのではないか。川端文学が世界に認められたのは、サイデンステッカーの名訳による貢献が大きいことは間違いない。現代日本を代表する作家である村上春樹が世界で認められるためには、サイデンステッカーに匹敵する高品質の翻訳が必須であろう。こんな翻訳で大丈夫だろうかというのが、BirnbaumのDance Dance Danceを読んでの私の率直な思いである。