代理拒食症
2014年5月、
【2677】「特に太っていないのに、“自分は太っている”と思い込み、強迫的に痩せる努力をしている状態」が拒食症だとして、「自分の娘が特に太っていないのに、”自分の娘は太っている”と思い込み、強迫的に痩せさせようとしている状態」は何かの病気ですか?
という長いタイトルの質問に対し、代理拒食症 anorexia nervosa by proxy という概念を説明した。これについて少々述べておこうと思う。
代理拒食症という言葉は精神医学用語として一般的とはいえない。代理ミュンヒハウゼン症候群 なら比較的よく知られている。ミュンヒハウゼン症候群は、自分の病気を捏造して(実際にはない自覚症状を訴えて)多くの病院に受診(入院)を繰り返すものを指す。「代理」ミュンヒハウゼン症候群 Munchhausen syndrome by proxyとは、自分ではなく自分の子ども(子どもとは限らないが、多くは子どもである)の病気を捏造して、多くの病院に受診(入院)を繰り返すものを指す。
代理拒食症anorexia nervosa by proxy は、この代理ミュンヒハウゼン症候群 Munchhausen syndrome by proxy から派生した言葉で、【2677】の回答に記したように、自分の娘が特に太っていないのに、”自分の娘は太っている”と思い込み、強迫的に痩せさせた場合を指す。私の知る限り、このようなケースが最初に論文として発表されたのは1985年である。
Anorexia nervosa by proxy.
Katz RL, Mazer C, Litt IF.
J Pediatr. 1985 Aug;107(2):247-8.
これは一例報告で、患者は17歳女。55歳の母親が、娘の体重減少を促進している。17歳の娘の症状だけを見ると、典型的な拒食症である。しかし診療が進むにつれて、母親が原因といえる状態であることが明らかになる。体重の回復を目指す医師の指示に、娘は従おうとするのだが、母親が反対し、治療が難航する様子が描写されている。このケースを “anorexia nervosa by proxy” と呼ぶことがこの論文で提唱されている。
日本からの論文もある。
Int J Eat Disord. 1996 Dec;20(4):433-37.
A mother’s complaints of overeating by her 25-month-old daughter: a proposal of anorexia nervosa by proxy.
Honjo S.
論文タイトルにあるとおり、患者はまだ2歳1ヵ月の女児である。この女児が、過食であるとして、母親が病院を受診させた。しかし実際には女児の食行動は正常で、母親のほうが拒食症といえる状態であった。また、女児についての母親の説明には嘘も多数含まれていた。
このケースはむしろ代理ミュンヒハウゼン症候群に近いといえる。おそらくそれを意識してこの論文の著者Honjoは、このケースを代理拒食症 anorexia nervosa by proxyと呼ぶことを提唱している。上記1985年の論文は引用されていないことから、Honjoはその論文を知らなかったと推定される。なお、同じケースが日本語の論文としても発表されている(本庄秀次、渡辺芳夫: 2歳1ヵ月で過食症状を訴えた女児例について. anorexia nervosa proxyの提唱 乳幼児医学・心理学研究 1巻1号 43-52, 1992.)。
母親が拒食症であることによって、その子どもが拒食症になりやすいと警鐘を鳴らしている論文もある。
Int J Eat Disord. 1995 Dec;18(4):371-4.
Anorexia by proxy: are the children of anorexic mothers an at-risk group?
Scourfield J.
ここでは3つのケースが紹介されており、それぞれ子どもの年齢は4歳10ヶ月、7歳、2歳である。
2011年にはフランス語の論文が発表されている。
Anorexie mentale par procuration : une présentation inhabituelle [Anorexia nervosa by proxy: An unusual case]
Sirois F.
Presse Med. 2011 May;40(5):547-50.
この論文のケースは、感応性精神障害(【1238】息子を同居させたところ、本人は良くなったのですが今度は息子が妄想を信じるようになってしまいました(【1207】のその後) 【1265】60代で統合失調症を発症した母が、電話診療と服薬だけを続けているのですが などを参照)の雰囲気を感じさせるものである。診断基準上は感応性精神障害にはあたらないであろうが(論文の著者もそのように述べている)、病態のメカニズムとしては共通するところがありそうなケースである。
ところで【2677】の質問は、
「特に太っていないのに、“自分は太っている”と思い込み、強迫的に痩せる努力をしている状態」が拒食症だとして、「自分の娘が特に太っていないのに、”自分の娘は太っている”と思い込み、強迫的に痩せさせようとしている状態」は何かの病気ですか?
であり、代理拒食症anorexia nervosa by proxy の親子の、子ではなく親のほうは病気か否かというものであった。
代理ミュンヒハウゼン症候群は、(親が子の病気を捏造した場合)、親につけられる病名であることからすると、代理拒食症という病名も親につけられてもいいとも言える。しかし【2677】は、子はそんな親の意向に抵抗して、病的な体重減少には至っていないのであるから、そもそも代理拒食症と診断することはできないことになる。するとこのケースはまさに質問文の通り、
「自分の娘が特に太っていないのに、”自分の娘は太っている”と思い込み、強迫的に痩せさせようとしている状態」
は病気か否かということが論点になる。
であれば、「そういう病気はない」と答えるしかない。
これが【2677】の回答の背景である。