【4956】病気か性格かわからない状況で薬を飲んで良いのでしょうか
Q: 20代女性です。無気力状態に伴う服薬について質問したくメールさせていただきます。
3年ほど前に激務により体調を崩して(毎日37.5度前後の熱が出る、背中の痛みなど)非常に打ち込んでいた仕事を泣く泣く退職し失意のなかで復帰を模索していたのですが、直後に大好きな父親の死亡、それに伴う母からの依存や親戚トラブル・借金問題や裁判沙汰などが重なって走り回る結果となり、一段落したあと燃え尽きて、布団から出られないような無気力状態になりました。この間に蕁麻疹や突発性難聴、性欲が異常に亢進するなどの身体的な変化がありました。性的逸脱行為に走ることを防ぎたいと思い心療内科を受診し、ジェイゾロフトを頓服でいただいたのですが、一錠飲んで無気力がもっとひどくなり悪夢を見たのですぐに服用は辞めました。このときその病院で、もっとテクニックのある男と付き合うべきだ、などと言われて嫌な思いをしました。 またこの時期に結婚しました。
このままではいけないと思い、少しずつ回復した結果新しい仕事を見つけ、まだ発熱などもあり自分にとっての全盛期ほどではない(元々の気力・体力の50%くらいの実感)にしろ、仕事以外の時間はしっかり休むなどバランスをとりながらそれなりに元気に、やりがいをもって1年ほど取り組んでいました。しかし残念ながら会社が倒産してしまい去年冬に仕事を失ってしまいました。直後、どうせ時間があるなら見た目を良くしたいと思い、脚の脂肪吸引手術をして貧血になり自己嫌悪に陥りました。
それから現在まで、約半年が経ちます。当初はしばらく休んだらまたがんばろう、がんばれる、と思っていたのですが、結局この半年間なにひとつ努力できず、貧血気味な程度で体が悪いわけでもないのに、いままでにないくらいの無気力状態に陥っています。新しい仕事を探すこともできず、家事もろくにできず、好きだった小説も読めなくなり、頭を使わなくてもいい漫画ばかり読んでいて、しかもそれも楽しくないです。常にだるくてずっと寝てばかりいて寝る前に化粧を落とすことすらできない日が多々あります。元々人一倍に旺盛なのではないかと自覚があった性欲も一切なくなってしまいました。また、SNS依存のような状態になってしまい、かつての仕事の業界仲間数名からTwitterでフォローを外されたなどの細かいことを一々気に病み、みんなに嫌われているのではないかという考えでくよくよ落ち込んでばかりいます。
また、小説家になるのが子供の頃からのひそかな夢で度々書いていたため、せっかく時間ができたのだからこれをメインにがんばろうと思っていたのに、全然書けなくなってしまいました。そもそも心があまり大きく動かないので書きようがないという感じです。今この文章を書いていても、頭が働いていないと感じます。
街を歩くと、みんなそれぞれがしっかりと社会で役割を果たしており、小学生ですらきちんと朝起きて学校に通っているのに私は何もせずに寝てばかりいて、本当に申し訳なく情けなくなり度々泣いてしまいます。
このように書くといかにも鬱病などの人のようですが、眠れるし、食欲もあるし、死にたいと思ったこともありません。また、以前専門的な仕事をしていた関係で月に1,2回テレビやイベントに出ることもあるのですが、そういった場では明るく元気に振る舞うことができます(昔の自分は普段からそうだったはずなのですが・・・)。人に会うのは億劫ですが会えばそれなりに楽しめるし社交的に話せます。
このように状況によっては元気にもなるし楽しめるので鬱病ではないと思います。
自分の分析としては・・・私は全力投球していた仕事を辞めてからのこの約3年という期間、がんばっていた頃にためた貯金や優しい夫の存在などの環境への甘え、また「あんなに辛いことがあったのだからがんばれなくても仕方がないよ」的な優しい言葉や思考への甘えがあり、漫然と過ごしてしまったせいで人としての本質的な、最低限の「努力する(眠くても朝ちゃんと起きて学校や会社に行く、家事をするなどの)力」を失っていってしまったのではないか、その結果、元々自他共に認める社交的な性格や仕事で成果をあげていた頃の前向きな野心・感受性などをことごとく失ってしまい、日々の生活に刺激がなさすぎるため過去の些細な出来事を思い出してくよくよ落ち込むという状況に陥っているのではないかと考えています。
さて、状況説明の前置きが非常に長くなり申し訳ありません。ここからが本題で、「果たしてそんな自分が精神的な薬を飲むのはどうなのか」ということです。
今の状況に対して私自身、気持ちとしては「本来の自分はこんなんじゃない。できることなら何らかの治療をして少しでも早く元に戻りたい。そういう意味では、治療が可能、という点ではむしろ病気であってほしい」と考えています。(本当に大変な状況の方もいる中、不謹慎ですみません。。)
しかしこれは私の願望であって、本当は、「明るい・努力家な性格や仕事の能力や感受性はここ数年の出来事と怠けた生活習慣で徐々に失われてしまい、ただシンプルに性格が暗くなり気力がなくなり能力が衰えた」というのが実際のところだと感じています。
少しでも改善できないかと思い、以前ジェイゾロフトをもらったのとは違う病院で相談した結果、エビリファイ3mgをいただきました。(ジェイゾロフトが合わなかったようだからエビリファイにしたとのことでした)しかし診察時間が短く先が高圧的で、10分くらいしか話を聞いてもらえなかったため、現状が辛いとい部分のみしか話せていません。
1週間程度飲んでみたら元気が出たような気がしたので、そのあとは気になるときに飲むように言われて頓服でまた処方していただきました。これはまだ飲んでいません。
今、毎日無気力で悲しいし辛いのですが、この頓服でいただいた薬を飲むことが正しいのかどうかと悩んでいます。
本当に明確に病気の方はもちろん治療するべきですが、私の場合なんだか「肌荒れが気になる」と言ってビタミン剤を飲むとか、やる気を出すために栄養ドリンクを飲むとか、そんな感じの使い方になってしまうのではないかと・・・
別に病気でもなんでもなく、この無気力な自分が今までの生き方の結果であって、単に性格や頭が悪くなったからといって薬で解決できるものでもないし、むしろ逆効果なのではないかと、悩んでいます。
解決したければさっさと生活環境を整えて、世の中の役に立つ仕事をして、人と交流していくしかないのではないか。しかしそれをする気力がない。そんな状態自堕落な生活を送っている「病気ではない」「単にそういう人」はたくさんいるはずで、私もただ、その一人になってしまったのだと感じます。別にそういう生き方をしている人を否定するつもりはありませんし人に迷惑をかけず本人が幸せならいいと思うのですが、私は現状が大嫌いで、昔の自分に戻りたいので、とても辛いです。
本来であれば病院でそのあたりも相談するべきなのですが、診察が短くあまり話を聞いてもらえない状況では合わないと判断・別の病院を探そうにもジェイゾロフトをいただいた際の嫌な経験もあり、なかなか行きたいと思えるところが見つからず。そして、もはやこれが性格や習慣の問題なのだとしても病院で相談したらきっと私はまた泣き出したりなどしてしまい、必要以上に深刻な印象を与えて薬をいただいくことになって、飲んで良いのか、と再度悩むことになるので、一度ぜひ林先生のご意見を伺えたらと思いメールさせていただきました。
何卒、よろしくお願いいたします。
林: 「病気なら薬を飲んで治すべき。性格なら薬など飲むべきできない。」一応前提としてこの考え方が正しいものとします。あくまで「一応」であって、この考え方が普遍的に正しいとは言えません。とは言え正しいと考える方が多いと思われ、この【4956】の質問者もそうお考えになっていることがメールの文面からは読み取れますし、また、医学的にも通常はこの考え方が正しいとされます。もちろん病気であっても薬以外の治療が適切な場合は多々ありますから、常に正しいとは言えませんが、少なくとも後半の「性格なら薬など飲むべきできない。」に反対する方は(つまり、性格の問題であっても薬で治すべきであると考える方は)かなり少ないでしょう。
以上を前提にお答えします。
すると、まず、質問者が病気かどうかが問題になります。
このように書くといかにも鬱病などの人のようですが、
「このように書くと」の具体的内容をあらためて転記すると長くなるので避けますが、質問文の「このように書くと」の前に記されている内容が「このように」にあたります。その内容は質問者がうつ病である可能性を示唆するものです。「いかにも鬱病などの人のようですが」と質問者がお書きになっている通りです。
眠れるし、食欲もあるし、死にたいと思ったこともありません。
それでもうつ病ということはあり得ます。
また、以前専門的な仕事をしていた関係で月に1,2回テレビやイベントに出ることもあるのですが、そういった場では明るく元気に振る舞うことができます(昔の自分は普段からそうだったはずなのですが・・・)。人に会うのは億劫ですが会えばそれなりに楽しめるし社交的に話せます。
それでもうつ病ということはあり得ます。
このように状況によっては元気にもなるし楽しめるので鬱病ではないと思います。
確かに「状況によっては元気にもなるし楽しめる」ことは、うつ病を否定する一つの根拠になり得ます。しかし、うつ病でも一定以上に重症でなければ、状況によって、ある程度までは元気にもなるし楽しむこともできるものです。したがってこれだけでうつ病を否定することはできません。「状況によっては元気にもなるし楽しめる」ことを根拠にうつ病の診断を否定することができるのは、その「元気」「楽しめる」の程度にもよりますし、その他の全体像からみてもうつ病が否定する場合に限ります。
自分の分析としては・・・私は全力投球していた仕事を辞めてからのこの約3年という期間、がんばっていた頃にためた貯金や優しい夫の存在などの環境への甘え、また「あんなに辛いことがあったのだからがんばれなくても仕方がないよ」的な優しい言葉や思考への甘えがあり、漫然と過ごしてしまったせいで人としての本質的な、最低限の「努力する(眠くても朝ちゃんと起きて学校や会社に行く、家事をするなどの)力」を失っていってしまったのではないか、
その分析は正しいかもしれませんが、他方で、そのように自責的な分析をすること自体がうつ病の症状であるという解釈も可能です。
その結果、元々自他共に認める社交的な性格や仕事で成果をあげていた頃の前向きな野心・感受性などをことごとく失ってしまい、日々の生活に刺激がなさすぎるため過去の些細な出来事を思い出してくよくよ落ち込むという状況に陥っているのではないかと考えています。
このように自責的・悲観的な考え方は、うつ病らしい考え方であると言えます。
さて、状況説明の前置きが非常に長くなり申し訳ありません。ここからが本題で、「果たしてそんな自分が精神的な薬を飲むのはどうなのか」ということです。
ここまでの回答の通り、質問者はうつ病の可能性があります。したがって、前記「病気なら薬を飲んで治すべき。性格なら薬など飲むべきできない。」を前提とすれば、薬を飲むべきだということになるでしょう。
今の状況に対して私自身、気持ちとしては「本来の自分はこんなんじゃない。できることなら何らかの治療をして少しでも早く元に戻りたい。そういう意味では、治療が可能、という点ではむしろ病気であってほしい」と考えています。
そのようにお考えになるのは自然です。うつ病であっても、そうでなくても、そのようにお考えになることはありますので、これだけでは病気の可能性が高いとも低いとも言えませんが、
(本当に大変な状況の方もいる中、不謹慎ですみません。。)
このように直ちに反省・自責に傾くのは、うつ病らしいと言えます。
しかしこれは私の願望であって、本当は、「明るい・努力家な性格や仕事の能力や感受性はここ数年の出来事と怠けた生活習慣で徐々に失われてしまい、ただシンプルに性格が暗くなり気力がなくなり能力が衰えた」というのが実際のところだと感じています。
病気であって欲しいというのは願望にすぎない。本当は自分の性格の問題であって病気なんかじゃない。そのようにお考えになるのはうつ病らしいと言えます。
別に病気でもなんでもなく、この無気力な自分が今までの生き方の結果であって、
もちろんその可能性がないとは言えませんが、
単に性格や頭が悪くなったからといって薬で解決できるものでもないし、むしろ逆効果なのではないかと、悩んでいます。
「単に性格や頭が悪くなった」のであれば「薬で解決できるものでもない」と言えますが、【4956】の質問者の状態が「単に性格や頭が悪くなった」のかどうかはわかりません。うつ病の可能性もあります。ですので「単に性格や頭が悪くなった」のかどうかはわからない段階で「単に性格や頭が悪くなったからといって薬で解決できるものでもない」という一般論をご自分にあてはめるのは論理的に誤っています。にもかかわらずその考え方に傾くのはうつ病らしいと言えますし、「むしろ逆効果なのではないか」と考えるに至っては根拠がなく、これもまたうつ病らしいと言えます。
解決したければさっさと生活環境を整えて、世の中の役に立つ仕事をして、人と交流していくしかないのではないか。しかしそれをする気力がない。そんな状態自堕落な生活を送っている「病気ではない」「単にそういう人」はたくさんいるはずで、
そこまでは一般論として正しいでしょう。
しかし、
私もただ、その一人になってしまった
一般論をご自分にあてはめてそう結論するだけの根拠はありません。
私もただ、その一人になってしまったのだと感じます。
そう感じておられるのは事実でしょう。しかし「そう感じる」ことと「そうである」ことは全く別です。そして自責的に感じ、それが事実であるかどうかがわからない段階で、そう感じることを強い根拠にそう感じた内容が客観的な事実であると確信するのはうつ病らしいと言えます。
別にそういう生き方をしている人を否定するつもりはありませんし人に迷惑をかけず本人が幸せならいいと思うのですが、私は現状が大嫌いで、昔の自分に戻りたいので、とても辛いです。
そうであれば、うつ病である可能性があることもあわせて、薬を飲むことを否定する理由はありません。
但し、
今、毎日無気力で悲しいし辛いのですが、この頓服でいただいた薬を飲むことが正しいのかどうかと悩んでいます。
今の質問者の状態は、頓服という形の薬物療法は適切ではないと思います。そもそもエビリファイにしても、以前に処方されたジェイゾロフトにしても、頓服という使用法が推奨できる種類の薬ではありません。今の質問者が薬による治療を試みるのであれば、抗うつ薬を定期的に飲むのが最も推奨できる治療法です。
以上がこの回答の冒頭の「病気なら薬を飲んで治すべき。性格なら薬など飲むべきできない。」という考え方を一応正しいと前提とした場合の回答です。
「一応」とまわりくどいことを言いましたが、正しいことは正しいと思います。但し問題は、病気と性格をどう区別するかという点です。「明確に病気」というケースはもちろん多数ありますが、中には病気か性格か区別しにくいケースが存在します。さらに言えば、病気の定義は実のところは曖昧で、そうなりますと、「明確に病気」というとき、その「病気」とは一体何か、という問いも発生します。
そのような問題がありますので、「病気なら薬を飲んで治すべき。性格なら薬など飲むべきできない。」は、一応正しいとまでしか言えないということになります。
そうしますと、
本当に明確に病気の方はもちろん治療するべきですが、私の場合なんだか「肌荒れが気になる」と言ってビタミン剤を飲むとか、やる気を出すために栄養ドリンクを飲むとか、そんな感じの使い方になってしまうのではないかと・・・
そういう使い方が誤りであると言い切れるかどうかということも問題ということになるでしょう。
(2025.5.5.)