【4858】11歳のとき脳腫瘍の摘出手術をした私の現在の高次脳機能障害

Q: 23歳の女性です。
私は11歳の時に鶏卵サイズの良性の脳腫瘍が見つかり摘出手術を受けました。脳を開いてから判明した腫瘍のタイプ(?)により腫瘍摘出後これ以上腫瘍が大きくならないように血管を焼いたそうです。全摘出はしていないものの血管を焼いたことにより腫瘍はもう成長しないので大丈夫なんだそうです。手術は10時間かかり、最初にかけた麻酔もアレルギー反応が出たりようやく効いて手術が終わっても中々目覚めなかったりと大変だったようです。(当時まだ子供で手術については私本人が詳しく説明を受けて把握していたわけではないので全て後から親や医者からの話です)

その後身体は術前に比べて問題なく動かせたし視力や聴力に異常も見られず、箸で豆を運べるかみたいな検査も問題なくこなせたため発覚してから手術を含め2週間で無事退院できました。

しかしその後徐々に喜怒哀楽が激しくなりそれまでなんともなかったことにストレスを感じるようになり1年後不登校になってしまいました。こう文章にしてみると手術に思い当たりそうですが、本当に徐々に徐々にゆっくりとした変化でそれは「思春期、反抗期だから」とか「新しい担任が合わないから」とか他の理由を紐付けていました。
一度心配した母が手術をした大学病院の小児科に連れていかれましたが『脳手術をすると怒りっぽくなる』と言われただけで特に対処してくれなかったのもあるかもしれません。
その後高校を休学した16歳から21歳まで発達障害を疑い脳手術をした大学病院の精神科や地元の心療内科などに相談して通院したのですか『検査したが発達障害ではない』という結論止まりでどこも一向にそこから進展しませんでした。

当時から今にかけて私が困っていた症状は
・多動性とそれによる集中困難
脳: 過去の記憶や気になったテレビ番組や本やハマってる曲の再放送、空想が止まらない。能動的にやろうとしてやっておらず店内放送のように勝手に流れる。コンディションの酷いときは起きてから寝る直前まで。以前はまだ他のことに集中すべき時は抑えられていたものの最近バイトで指示が出されている時も一向に収まる気配がなく焦った。
身体: 常にどこか動かしている。部屋の中をウロウロ歩いたり深夜に飛び出して徘徊したりする。座って医者と話すときも指を常に動かしたりている。
ただ歩くと脳内の多動は少しマシになる上、苦ではない。
一度ヘトヘトになり考え事も徘徊も止めたいと思ってもやはり室内をウロウロしてしまう。頭の中でも曲が流れている。

・異様な疲れやすさ
徘徊癖により1日一万五千歩から二万歩近く歩く日もある上にハードなトレーニングをする格闘技も14歳の頃から習っており体力事態は充分あるが、1日6時間を週に5回といった持久的な取り組みが出来ない。
短期間ならと4日で1セットとなっている春期講習などに参加するも授業の難易度に関係なく3日目から脳内が強制シャットダウンされたようにまるで動かず欠席する。
1日5時間労働を週に2、3日といったアルバイトも3週間目あたりで疲労からか風邪を引きクビになる。
特別不眠や睡眠不足でないのに一晩の睡眠で前日の疲れが取れない

・やり始めることが苦手
中々取り組めずウロウロしたり後回し先延ばしにする。

・フラッシュバック
振り返った時に「私も反省するところがあるな」とか「すごくどうでもいいことだし、なぜ引きずるのか分からない」思うようなことでも鮮明に当時の感情が蘇り怒りがわいたり涙する。

また私自身困っていないものの実生活でなんとなくの自覚や周囲に言われている部分において
・人に干渉されるのを異様に嫌う、頼った方が早く済むようなものでも基本1人でやる、自分の好みや考えを安易に人に知られたくない、協力して何かをするのが苦手
・計画を立てられない(遂行機能障害)
後に診断されるものの現時点では自覚した程度
・癇癪を起こすときがある。物に当たる、暴力を振るうときもある(ろくに話が出来ない、目が違うと言われる)
・こだわりが強い(あまり自覚ないです)
などがあります。

去年の春に脳手術の執刀医に改めて相談し、てんかんの可能性を指摘され別の大学病院の脳外科医を紹介してもらい脳波を取り直しましたがてんかんは異常無しだったためそこから同じ病院内の精神科を受診しました。そこで何度か診察を繰り返していく内に何かの書類に「遂行機能障害」 と書かれていたのを見かけて全くの初見だったため、ネットで検索した時「本人に自覚がない場合がある」だか「本人が自覚しづらい」といった記述にギョッとしました。
そこからようやく「高次脳機能障害」というものにも思い当たるようになりました。少しだけ有名なエッセイ本でなんとなく知ってはいましたが読んだその時は「ここまでではない」と自分も同じだなんて夢にも思っていませんでした。
遂行機能障害はそれから「そうなんだろうな」と思うようなことは経験はしても自覚はまだハッキリと出来ていない状態ですが、高次脳機能障害については逆になぜ今までその診断が下りなかったのか不思議なくらい当てはまっていることが自分でも分かりました。疲れやすさも易疲労性というものらしいです。(「器質性精神障害」という名前で障害者手帳と2級の年金が受け取れることになりました)
ただよく例に挙げられているものは成人後のもので、私の場合あくまで執刀医の推測によると5歳ごろから既に腫瘍があり11歳で摘出したものの脳の可塑性が上手く働き欠けた部分を他の部分が補っていたため重大な後遺症はなかったとのことで、腫瘍の影響でか人見知りで感情の起伏が殆どなかった手術前の性格を含めその後分かりづらく徐々に現れていった症状と共に性格やアイデンティティが形成されてきたのでこだわりの強さや人との関わり方などで、「それは症状だ」と言われても、そうでなかった状態では11年しか過ごしておらずしかもその11年も殆どが脳腫瘍と共だったので困らず治す気がしないものもあります。

【2766】遂行機能障害と脳腫瘍の摘出、精神症状の間に関係はありますか は先ほど述べたエッセイ本のモデルの人よりずっとパターンが私とそっくりです。
相関は分かりませんが彼が顎を外したように私も脳腫瘍が発覚する2年前に首の骨がズレたことがあり入院して退院してからもひと夏ずっと首にコルセットをはめていました。
また「始動の障害」の部分や人と上手くコミュニケーションがとれないというところも似ています。

それからどの記事かは忘れましたが「相貌失認」についてもいくつか思い当たる節があります。
物凄く人の顔と名前を覚えるのが苦手で自己紹介されても名前の部分だけすっぽぬけます。髪や髭などを変えられるともう区別がつかず、かろうじて聴覚的な特徴は覚えられるので声や話し方の特徴と向かい合ったときの体型、それから「看護師の制服を着て病院にいるから看護師の○○さん」「テレビに出ているから芸能人の○○」などの属性で判断しているという感じです。二重か一重か、鼻はどんな形かなどといった木ひとつひとつの特徴や形は分かりますがアップから引いて全体像になったとき上手くそれらの特徴を森として覚えられません。ついでにメイクもどんなに頑張って施しても色のついた顔があるだけでよく分かってない気がします。自分の顔すら鏡で見たときに上手く自分の顔だと把握出来ないときがあるのですがこれも関係あるのでしょうか。
(1)あまり意欲的に人の名前を覚えようとも思わないので今のところこの相貌失認疑惑については困ってはいませんが医者に話しておいた方がいいでしょうか?
(2)また最近になって地元の高次脳機能障害の支援センターと連絡を取ったのですが初回の面接後のやり取りの後少し誤解されていた部分があり揉めてしまいました。現在の医者からは「珍しいケースだから完全に理解してもらえるまで時間がかかる」と言われましたがまた1からかとウンザリもしています。通い続けるべきでしょうか?
(3)多動性と易疲労性に今も悩まされています。これらは支援センターやリハビリなどでマシになるものでしょうか?

長々と書きましたが林先生にお伺いしたいのは以上の3点になります
どうかよろしくお願い致します

(関係あるか分かりませんがミオクローヌスなどのてんかんが手術後あり、17歳ぐらいの時に甲状腺機能低下症との診断もいただいています。どちらも現在は薬で落ち着いています)

 

林:
私は11歳の時に鶏卵サイズの良性の脳腫瘍が見つかり摘出手術を受けました。

このようなケースで最も重要な情報の一つは、その脳腫瘍が脳のどの位置にあり、どのくらいの広がりを持っていたか、さらには摘出手術で脳のどの範囲までが摘出されたかということです。この【4858】のメールにはこの最も重要な情報が欠如していますので、回答には限界がありますが、その限界の範囲内でお答えしたいと思います。(【4858】のメールで引用されている【2766】遂行機能障害と脳腫瘍の摘出、精神症状の間に関係はありますか )ではかなり細かく回答していますが、それができたのは【4858】の質問メールに脳のMRIが添付されていたことも関係しています)

その後身体は術前に比べて問題なく動かせたし視力や聴力に異常も見られず、箸で豆を運べるかみたいな検査も問題なくこなせたため発覚してから手術を含め2週間で無事退院できました。

【4858】のケースでの脳腫瘍の位置が、運動野や、視覚野・聴覚野とその経路にはかかっていなかったこと、それからこのようにメールの文章が書かれていることから、言語野にもかかっていなかったことまでは推定できます。また、現在の症状からみて、最も可能性が高いのは右の前頭葉であると思われますが、推定にすぎません。

16歳から21歳まで発達障害を疑い脳手術をした大学病院の精神科や地元の心療内科などに相談して通院したのですか『検査したが発達障害ではない』という結論止まりでどこも一向にそこから進展しませんでした。

比較的大きな腫瘍を摘出する脳手術を小児期に受けた場合、その後に、発達障害の有無を正確に診断することは相当に困難です。不可能といっていい場合もあります。

【4858】のその後、現在までに見られている症状として記載されている内容の多くは、高次脳機能障害としての社会的行動障害(その一部は遂行機能障害と重なります)に一致しています。但し言えるのは「一致しています」までであって、高次脳機能障害であると確定することはできません。また、脳手術の結果として発生したと確定することもできません。

私の場合あくまで執刀医の推測によると5歳ごろから既に腫瘍があり11歳で摘出したものの脳の可塑性が上手く働き欠けた部分を他の部分が補っていたため重大な後遺症はなかったとのことで、

小児期に脳損傷(あらゆる原因によるものを含みます)を受けた場合は成人期に受けた場合と異なり、損傷された部位が担っていた機能が脳の可塑性によって他の部位で担う形に脳が成長しますので、重大な後遺症が残らない場合があります。但し、後遺症がゼロというわけではなく、脳損傷の部位や範囲、それから脳損傷を受けた年齢にもよりますので(一般論として若ければ若いほど後遺症は残りにくいと言えます)、上記の「執刀医の推測」はあくまで「推測」であると理解すべきです。

「相貌失認」についてもいくつか思い当たる節があります。

確かに記されているその内容は、相貌失認の症状にかなり一致しています。脳損傷による相貌失認は、脳の紡錘状回という部位が損傷された場合に発生するのが典型的で、前頭葉損傷で発生することはまずありません。その意味でも、質問者の脳腫瘍の位置についての情報が非常に重要です。つまり相貌失認を発生しうる位置であったか否かということが重要で、もしそのような位置でなかったとすれば、質問者の相貌失認は脳腫瘍や手術とは無関係ということになります。

(1)あまり意欲的に人の名前を覚えようとも思わないので今のところこの相貌失認疑惑については困ってはいませんが医者に話しておいた方がいいでしょうか?

話しておいた方がいいです。

(2)また最近になって地元の高次脳機能障害の支援センターと連絡を取ったのですが初回の面接後のやり取りの後少し誤解されていた部分があり揉めてしまいました。現在の医者からは「珍しいケースだから完全に理解してもらえるまで時間がかかる」と言われましたがまた1からかとウンザリもしています。通い続けるべきでしょうか?

一般論としては通い続けるべきです。ただし「初回の面接後のやり取りの後少し誤解されていた部分」の具体的内容が不明ですので、この一般論があてはまるかどうかはわかりません。 「珍しいケースだから完全に理解してもらえるまで時間がかかる」のは現実としてはある意味当然です。小児期の脳損傷による高次脳機能障害の診断は、その後の成長との関係で、非常に複雑で難しいからです。

(3)多動性と易疲労性に今も悩まされています。これらは支援センターやリハビリなどでマシになるものでしょうか?

これについては原因不明ですので回答不能です。(「多動性と易疲労性」が高次脳機能障害の症状か否かが、このメールの情報からは判断できません)

(2024.8.5.)

05. 8月 2024 by Hayashi
カテゴリー: 発達障害, 精神科Q&A タグ: , |