【4699】思春期の頃から続いていた気分の激しい変動も疼痛も抗うつ薬で快癒しました。でも今後も抗うつ薬を飲み続けるのは正しいことなのでしょうか。

Q: 29歳女性です。
三年ほど前から子宮内膜症(直径4.2cmのチョコレート嚢胞)及び鼠径部異所性子宮内膜症からくる左鼠径部の月経周期性機能性慢性疼痛の治療を受けています。
ジェノゲストで月経を止めていますが疼痛にあまり効果がなく(嚢胞も微増)、痛み止めとしてトラマール、ツートラムの他に、所謂抗うつ薬・抗不安薬のサインバルタ、トラゾドン、アルプラゾラムを処方されています。

さて、思春期の頃から月経痛だけではなく、心理的症状(気分の落ち込み、他者への易攻撃性等)にも苦しんできました。不必要な攻撃的な言葉を投げかけ人間関係を何度も壊してきました。飛び降りようとしたこともあります。しかし、三年前、原因不明の鼠径部慢性疼痛の治療としてサインバルタを処方された時から、気分の上下動が著しく抑えられるようになりました。その後ジェノゲストのおかげもありますが、トラゾドン、アルプラゾラムと処方が増えていくにつれ、病的に気分が落ち込むことはほとんどなくなりました。数年前とは比べものにならないほど安寧な日々を得ています。周囲からはよく言えば笑顔が増えた、幸せそうだ、悪く言えば昔のようなキレがなくなった、頭の回転が鈍ったと言われています。

薬では抑えきれない痛みもあり、杖無しでは生活できません。激痛が嘔吐、迷走神経反射、過呼吸を引き起こし倒れたことも何度かあります。結局痛み止めという対症療法しかしておらず、一生このままなのかと思うときもあります。しかし、平癒し抗うつ剤を飲む必要がなくなったとき、私の精神はどうなってしまうのでしょう。恐ろしい。二度とPMSのあの最悪な気分にはなりたくない。人間関係を壊したくない。人に嫌われたくない。それなら一生痛いままでいいとすら思ってしまいます。
しかし、今の私は本当の自分ではないような気もするのです。全神経を張り詰めていたころは、生きている実感がありました。思考もずっと鮮明で緻密でした。「鮮明で緻密」という表現は適正ではないでしょう。でも、今の私には的確な言葉が出てこない。ずっと頭にベールがかかっているようで、こんなの私じゃないと叫びたい。幸いなことに昔から器用な方でしたから、今でも他人より少し優秀だと思われているようです。そのことに安穏としているけれども、もどかしい思いをしている自分も確かにいるのです。

慢性疼痛が快癒しても、抗うつ剤を続けることは可能なのでしょうか。それとも、薬物依存として治療しなければならないのだとしたら、薬をやめて精神状態が悪化し、改めて精神科にかかって初めて飲み続けられるとしたら、想像するだに恐ろしい。そして、今、抗うつ剤としての効果を期待してこれらを飲み続けているのは、正しいことなのでしょうか。

 

林: 長年の苦しみが、薬を飲んだら良くなった。薬を飲んでいれば良い状態が続いている。今の薬が自分に合っていることは間違いない。合っている薬に出逢えて本当に良かったと思う。しかしあるときふと考える。本当の自分は薬を飲んでいるときの自分なのか。それとも薬を飲んでいないときの自分なのか。
この【4699】のご質問はこのように要約することができ、それは【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある【4072】薬を飲んでいるときの私と飲んでいないときの私 と共通するものです。
薬物療法は医学のあらゆる分野で行われているものですが、このような悩みは精神科の薬に特有のものと言えます。すなわち、体の病気であれば、薬を飲み続けることで良い状態が維持できるのであれば、多くの場合、迷わず薬を飲み続けることを選択します。もちろんこのとき、できれば薬は飲みたくないという気持ちがあるにせよ、薬を飲まなければ身体的危機があるのであれば(その最大のものは生命への危機ですが、そこまでいかなくても、たとえばその身体的危機が痛みの場合でも)、飲み続けることを選択することに納得されるのが常です。
それに対し精神科の薬では、たとえ効果が鮮やかで、精神的危機が薬によって解消されることが明らかであっても(この【4699】のケースはその一つの典型例と言えるでしょう)、単純に喜べず、むしろ飲み続けるのは薬物依存ということになるのではないか等という苦悩が発生し得ます。これは、薬の効果が、他の臓器ではなく脳という臓器に作用する場合に発生し得る独特の悩みで、「こころ」という、不可侵のものを薬という化学物質で操作することに対する健全な苦悩であると言えます。薬の効果が鮮やかであればあるほど、その薬を飲み続けることは正しいことなのかという、他の薬ではまずあり得ない苦悩が、精神科の薬の場合には発生し得るのです。それは健全な苦悩ですから、

今、抗うつ剤としての効果を期待してこれらを飲み続けているのは、正しいことなのでしょうか。

正しいと考えるか正しくないと考えるかは、本人次第です。

但しここで発生する深刻な問題は、仮に正しくないと考え、薬を飲まないという選択をしたとき、本人はこころの不健康状態に陥ることになりますが(ここの健康・不健康とは何か、というのはまた別の深い問題ですが、ここではそこには踏み込みません)、するとそれは、人間として、社会の一員としての役割を十分に果たせないということになります。そうなりますと、「人は自分の健康維持に責任があるのか・ないのか」という問いを考える必要が発生します。そしてこのとき、病気の種類によっては、こころの不健康状態は、「社会の一員としての役割を十分に果たせない」を超え、「他人を傷つける」という事態に繋がる場合があり、話はさらに深刻になります。

(2023.7.5.)

05. 7月 2023 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A