【4574】人間の顔が苦手です

Q: 30代女性です。
最近ふと疑問に思うことがあり、ネットで検索してみてもあまり思い当たるものがなかったため、よければご回答いただけたらなと思います。
相談したいのは、人間の、特に生身の人間の顔が苦手ということです。

苦手とは言っても、では日常生活でどうなのか?といわれると、普通に過ごしています。
1対1で向かい合っての会話ができないとか、そういうこともありません。
ただ、状況からの推測でしかないのですが、多分私は人の顔をきちんと見ていません。
なぜかといえば、全く人の顔が覚えられないからです。
半年も同じ職場で過ごしても、この人はこの顔だっただろうか?別人ではないか?と思うことが非常によくあり、実際間違えます。どうやら顔そのものはわかっていなく、髪型や声、雰囲気で覚えているようで、声が聞けない場合などはほとんど見分けられていません。
昨日同じ人に声をかけられたのに、誰ですか?という態度で応対してしまい、失礼なことをしてしまった経験も多々あります。もちろん職場を異動された後などはほぼ覚えていないので、声をかけられても誰なのかわからないということがほとんどです。
ただ本当に狭い範囲の人(職場でも同じグループ内の人や、一年以上一緒にいたような人)の顔は分かるので、相貌失認とはまた違った症状かとも思っています。
実際の人の顔と写真を結びつけるようなことはできており、顔の造形もわかります。ただ覚えることができないのです。ドラマなども服装がわかるとわからなくなり、途中から犯人と私服の警察を間違えて見ていた…ということはよくあります。
それでも、好みだなと思う有名人や芸能人は一応いて、そういう人は顔を覚えています……が、やはり髪型など全体の雰囲気が変わるとわからなくなってしまいます。家族から言われて、前見ていたドラマの主役だったとわかることも昔からよくありました。
また、顔の美醜なども正直あまりよく解っていません。なんとなくかっこいいのだろう、かわいいのだろうということはわかっても、そのことに惹かれる…みたいなことがあまりないのです。
感覚的な物でうまく説明ができないのですが、基本的な感想は「人の顔だなあ」であって、かっこいいと感じる時は顔そのものではなく、スタイルや髪型などを見ているような感じです。そのため、いわゆる顔のアップや寄りのカットを見てもあまり他人の感想に共感できないというか、他人の感想のコピーみたいな感じになってしまいます(自分がかっこいい、可愛いと感じているというより、ほかの人がそう言っているので多分これはそういう物なんだろうと納得する感じ)
ごくまれにドラマや演劇の類を好きになることがあるのですが、そういう時もなんというか、「役柄のその人が好き」という感覚で、やはり造形自体はあまりよくわからないなと思うことが多いのです。
また、写真が非常に苦手で、自分が写っている写真はほとんど全て捨てるかデータを消しているのですが、最近、他人の写真を見るのも苦手になってしまい、他の人を撮った写真もあとからこっそり消してしまっています。
前述した、ドラマなどでお気に入りの俳優の写真ですら、自分の目に毎日入るのは苦手で、スマホでのライブ配信動画などもほとんど見られません(引きのショットで顔が遠いものは比較的大丈夫です)
うまく伝えられないのですが、生きている人間の顔自体があまり得意ではないようなのです。

ところが、これがいわゆる平面のキャラクターの絵だと全くそういうことがないのです。
部屋にはぬいぐるみやドールがずらりとこちらを見つめる構図で置いてありますがまったく苦ではありません。毎日見ていて嫌悪感を感じたこともありません。
見分けがつかないということもなく、はっきりと「こういう要素が好き、こういう造形がかわいい、こういう顔はかっこいい」と感じられ、それらが立体的に表現されるフィギュア・ドールなども大好きです。もちろん見分けはすぐにつきますし、顔だけで判別できます。

生きている人間の顔も、そういったキャラクター表現された顔も、どちらも認識上は人の顔のはずなのに、なぜここまで差異が出るのだろう?とずっと不思議に思っています。
こういうものも、相貌失認にあたるものなのでしょうか?
また、こういった症状は、いずれ緩和されるのでしょうか?
身内には広汎性発達障害のきょうだいがひとりおりますが、こちらは私とは全く真逆でどんなに髪や服装が変わっても一発で人を見分けられます。
母も同じく一度見た人の顔は忘れないタイプで、私だけが人の顔が極端に苦手な状態です。
もしこれらの記述からわかることがあれば、ご回答いただけたらと思います。よろしくお願い致します。

 

林: 質問者は相貌失認だと思います。
(developmental prosopagnosia。これは「発達性相貌失認」と訳されることも「先天性相貌失認」と訳されることもあります。最近ではむしろ単に「相貌失認」と呼ばれることが多くなっています。もともとは相貌失認は、脳血管障害などによる脳損傷の症状として発見されたもので、先天性のものがあることはあまり認識されていませんでしたが、近年ではかつて考えられていたよりはるかに高頻度に存在するという認識になっています)

どうやら顔そのものはわかっていなく、髪型や声、雰囲気で覚えているようで、声が聞けない場合などはほとんど見分けられていません。

それが相貌失認の典型的なパターンです。

ただ本当に狭い範囲の人(職場でも同じグループ内の人や、一年以上一緒にいたような人)の顔は分かる

これも相貌失認では比較的よくあることで、この点だけに着目すると、

相貌失認とはまた違った症状かとも思っています。

と思われるのは理解できるところですが、実はこのような場合、よく調べますと、その狭い範囲の人々についても、決して顔そのものがわかっているわけではなく、髪型、声、そのほか、顔以外の細かい要素をよく把握していてわかっていることが大部分です。

ですので、相貌失認かどうか を確認するためには、顔の認知に特化した検査を受けていただくことが必要です。が、この【4574】の質問者については、検査を受けるまでもなく、相貌失認であることはほぼ確実だと思います。

顔の美醜なども正直あまりよく解っていません。

それも相貌失認の特徴の一つです。

ただひとつやや気になるのは、ご質問のタイトルにもなっている、

人間の顔が苦手です

という点です。写真もみな捨ててしまうということは、「苦手」というより「嫌悪感」が顔に対してあるということでしょうか。私の知る限りでは、それは相貌失認に典型的にみられる特徴ではないように思います。私が知らないだけかもしれませんが。

ところが、これがいわゆる平面のキャラクターの絵だと全くそういうことがないのです。

これは相貌失認についてのひとつの研究テーマになっている点で、相貌失認という症状が存在することは、人間の脳内に、顔の認知に特化した機構が存在することの証明ということになりますが、そこから発展しての次の問いは、ではその「顔」とはどの範囲をカバーしているのか、ということです。上の文章は「平面の」と書かれていますが、その直後に 「ぬいぐるみやドール」と書かれていますので、この【4574】の質問者は、二次元の絵と、それから三次元でも人工的な顔ならわかるということでしょうか。細かいことのようですがこれは重要な点です。また「ぬいぐるみやドール」が、人間のものか、それとも動物を含むのか、さらには架空の生物も含むのか、というのも重要な点です。あるいは擬人化した動物はどうでしょうか。たとえばミッキーマウスとか。

生きている人間の顔も、そういったキャラクター表現された顔も、どちらも認識上は人の顔のはずなのに、なぜここまで差異が出るのだろう?とずっと不思議に思っています。

それは当然の疑問ですが、それに対する答えは、言葉によるカテゴリーと脳内の認識カテゴリーは異なる というものになります。「認識上は人の顔のはず」という考え方に、落とし穴があるのです。

身内には広汎性発達障害のきょうだいがひとりおりますが、こちらは私とは全く真逆でどんなに髪や服装が変わっても一発で人を見分けられます。

この事実は意味深長で、相貌失認と広汎性発達障害に遺伝的近縁性があることを示唆しています。相貌失認の方の中には広汎性発達障害を同時に持っている方もいらっしゃいますが、この【4574】のように、家系内に広汎性発達障害の方がいらっしゃるという事実は、やはり両者が遺伝的に近いものであることを示唆しています。

こういった症状は、いずれ緩和されるのでしょうか?

機能そのものは改善しません。したがって真の意味では緩和しません。
ただ、すでにこの【4574】の質問者が、狭い範囲の人の顔ならわかる という形で実体験されているように、顔以外の要素に着目することで、事実上は人の顔を(実際は「人の顔」ではなく「人」を)見分けられるという状態は獲得することができるでしょう。これを認知の代償と呼ぶこともあります。

(2022.11.5.)

その後の経過 (2024.4.5.)

05. 11月 2022 by Hayashi
カテゴリー: 発達障害, 精神科Q&A タグ: |