【4503】過去の記憶に人の気配があまり無いのですが、これも健忘でしょうか?
Q: 27歳女です。
社会人になってから仕事と生活の両立がうまくいかず、帰宅してから何もできずに夜中までぼんやりしてしまったり、頭痛や吐き気や倦怠感が慢性的にあったり、食事できなくなったり、泣きながら休日を過ごしたり、突発的に車の前に飛び出したくなったりといったことが一年ほど続き、知人の勧めもあって心療内科を受診しました。はっきりとうつ病などとは診断されなかったのですが、カウンセリングと投薬治療によって、やはり一年半ほどで症状が落ち着いてきました。途中で一度病院を変わっているのですが、以前の病院の対応があまり誠実でなく、不信感もあったためにすっぽかしのように行くのをやめて、別の病院(現在の病院)にかかりなおす、ということをしました。カウンセリングを半年ほど受け、その後は医師との問診と薬の処方のみとなっています。現在は軽い躁状態との診断をうけております。
もともとが気分に波のある性格で、ヒステリックになることは少なかったのですが、自分の殻にこもってしまうようなことは多い子どもであったのではないかと思います。攻撃的な性格ですが、面倒ごとを避けたいのでなるべく外には出さないように気をつけています。
今回の質問とはあまり関係ないのかもしれませんが、一応現状は説明をしておいた方が良いのかと思い書きました。
先生のQ&Aを読んでいて、わたしのこれも解離性健忘なのだろうか?と疑問に思ったためにメールをお送りしました。重複した内容であると思います。申し訳ございません。
まず、わたしは過去の出来事を、あまり覚えていません。例えば同僚と学校の話になった時に、何という学校に通っていたのかということは思い出せるのですが、それ以外の同級生や教師の名前や顔、どういう人たちだったか、どんな行事があって、どういうことをしたか、何年何組に在籍していたか、修学旅行に行ったのはどこかなど、そういったことを全く思い出せません。思い出せる記憶も、それが小学校のものなのか、中学校のものなのか、高校のものなのか、はたまた大学での出来事なのか、混在してしまっていて、正しい時系列を思い出すこともできません。思い出せる風景も、まるで漫画のカット集のようなイメージで、人気の無い校舎のイメージばかりで、人間が全く出てきません。
同様に、自分自身のこともよく覚えていません。一番古い記憶は、おそらく7-8歳だったと思うのですが、両親の仕事の都合で海外に住んでいて、その時に住んでいた家の螺旋階段の記憶です。ここで盛大に転げ落ちて怪我をしたのですが、それ以外の記憶は曖昧であり、もしかしたらわたしの妄想かもしれません。この記憶にも人間の気配はあまりありません。庭が広く、芝生が青かったこと、雨の日にはとても鮮やかな緑色になって綺麗だったことを覚えています。これもわたしの妄想かもしれません。
ともかく、わたしの過去の記憶にはほとんど人間の気配がなく、設定資料集のように、風景や小物のたぐいのみが残されていて、そのために、あまり現実感のないもののように思えます。昔のことに現実感があまりないためか、現在のわたしもあまり現実感がなく、この世界はだれかの創作の一片で、わたしはそこにほんの少しだけ出てくるモブのひとりで、生きているというのはわたしの思い込みで、実はそもそも存在すらしてないのではないか、というような妄想をすることがあります。自分の年齢もわからなくなることが多いので、歳を聞かれた時は西暦を引き算しています。今本当に27歳なのか、実際のところわたしにもよくわかりません。
勉強についても同様に、興味がある分野の話であっても、なかなか覚えることができません。昔からそれで成績は悪く、両親からはやる気がないとか努力が足りないとか言われました。その通りだと思いますが、覚えられないことは事実で、わたしは所謂オタクと呼ばれる種類の人間なのですが、どれだけ好きな作品でも時系列を覚えるのも登場人物の名前や顔を覚えるのも苦手です。最近は調べればすぐにわかるからいいやと開き直ってはいるものの、自分の中にはなんにもないのだなあと思って悲しくなります。
父もあまり記憶力の良い方ではなく、昔の話を尋ねても「忘れた」ということがほとんどなので、もしかしたらこの記憶力の悪さは遺伝なのかもしれない、と思います。(ただ、父はかなり有名な法人の上の方の役についている人間なので、思い出と呼ばれるものの記憶が苦手なだけで、それ以外のことを覚えるのは人一倍得意なように見受けられます)
乖離とはまた違いますが、会話している時にふと、目の前の人やまわりの風景が遠のいていって(映像でいうとズームアウトしていくイメージです)、声は聞こえているのに現実感がなく、口をぱくぱくさせているように見える、ということがおこります。最近は少なくなりましたが、以前はかなり頻繁に起きていて、そのたびになんと言っているのかわからなくなってしまうため、気をつけて声を聞いていました。
これらのことについてはカウンセリングで少し話をしたのですが、あまり真摯にきいてくれたという感じはなく、そういうこともありますね、といったような感じでした。
生活に不安があるとか、支障があるとかではないのですが、現実味があまりないので、生活することに対して積極的になれないというか、そもそも生きていないのではないかという気持ちもあり、仕事に行ったりご飯を食べたりといった基本的な生活の意味をいまいち理解できずにいます。理解するもなにも、しなければならないことなのだとは思うし、普通の人はたぶん、そんなことを考えなくてもできることなのだと思いますが…。
生きているのに精一杯だった受診前の方が生に対する執着というか、生きようという意思があったように思います。今はただなんとなく生きてるから仕方なく生活をしている、というかんじです。もう充分生きたなと思う気持ちもあって、30代で死にたいのですが、その話をしても笑い飛ばされてしまいます。そもそも大学卒業した後の展望が何もなかったので、今もなんで生きるために仕事をしているのかよくわかりません。よく就職できたなと思うし、贅沢な悩みなのだろうなという気もします。
なんの話かよくわからなくなってしまいましたが、質問としては以下の3点です。
(1) わたしのこの過去の記憶の現実感のなさ、人間の欠如は解離性健忘と呼ばれるものなのでしょうか?
(2) これが病気や障害だったとして、似たような症例はありますか?
(3) 心療内科に通っていますが、もし治療の必要があるものならば、精神科を受けた方が良いのでしょうか?
支離滅裂な文章でごめんなさい。発達障害、学習障害なのかと思った時期もあったのですが、著しく生活に支障があるわけではないので、やはりただの記憶力の欠如のような気がします。
お手間をかけてしまって申し訳ありません。切迫した内容ではありませんが、よければご回答いただけますと幸いです。
林:
(1) わたしのこの過去の記憶の現実感のなさ、人間の欠如は解離性健忘と呼ばれるものなのでしょうか?
そうです。解離性健忘には様々な形がありますが、この【4503】のように、記憶として回想されるシーンがいわば不均一になるというのも一つの形で、この形は解離性健忘以外の健忘(記憶障害)ではまず現れません。【4503】の質問者には、階段から落ちて怪我をしたという過去があり、そのときに頭部を強打したとすれば、それが原因で記憶障害が現れることはありますが、この【4503】のような不均一な形になるのは、頭部外傷による記憶障害ではまずあり得ません。
(ここで「記憶として回想されるシーンがいわば不均一になる」というのは、シーンの中の特定の系列に属する部分だけが記憶から失われていることを指しています。このような記憶障害を「系統的健忘」と呼ぶ場合もあります)
(2) これが病気や障害だったとして、似たような症例はありますか?
【1925】昔の記憶は「心の中の写真」としか説明できません。その中には「義父と私が裸」写真もあります 、【1937】一人の人間の存在だけが記憶にない 、【1938】彼の存在だけが記憶から消えた などが類似した症状です。(類似というより、同質といったほうが正確かもしれません)
(3) 心療内科に通っていますが、もし治療の必要があるものならば、精神科を受けた方が良いのでしょうか?
心療内科と精神科は実質的には同じものです。看板が違うだけです。
(2022.5.5.)