【4339】 こんな母と父に育てられた私の幼少期はごく普通でしょうか
Q: 私は20歳女性です。うちの家は3歳の頃母の不倫&アルコール依存症で離婚し、母と暮らす事になりますがお父さんっ子だったので週末は父の家に遊びに行きました。ここから唐突にはなるのですが、私の幼少期はごく「普通」で「一般的」ですか?
・父と離れてすぐ、離婚の原因となった不倫相手と母の3人で暮らす事になる。私と母はダブルベッドで寝ていたので、夜寝ていると隣で性行為を致す声が聞こえ毎晩目が覚める。私が直接性的な事をされる事はないがラブホテルに一緒に連れていかれたり、前戯に参加させられた。
・母は浮気性なのか家の目の前を警備してるおじさんや、自分の妹の旦那など色んな人達と体の関係を持っており行為を隣で致されるので嫌で仕方なかった。だが、興味もありわざと起きてトイレに行って気を引いた。
・上記の影響を受けてか、性の目覚めがとても早かった。6歳の頃自慰に目覚め、未だに酷い日は10回ほど。人形同士を性行為させる真似事をして遊んでいた。
・幼稚園の頃にADHDと診断されたが両親とも「私の子が障害など持っているはずなど無い!」といって治療?を拒む。その結果小学校生活で苦労し、みんなと馴染めず行くのが嫌になる。書き忘れていたが、母はアルコール依存症だけでなくうつ病と統合失調症を患っており、そんな母と家で二人きりで私も双極性障害となる。ずっと家にいる私を疎ましく思い、叩いたり包丁を持って追いかけ回されたりの虐待が始まる。何かあるとすぐ「今から目の前で死ぬから!見とけよ!」と自殺しようとしてどんどん悪化。
・家も学校も苦痛で小学六年生で出会い系サイトを利用。カラオケに行ったり繁華街を出歩くようになる。性行為までは至らなかったものの、胸を触られたりして変な風に自分の価値を知るようになる。 最近ふと気づいた、これってもしかして普通の人は経験しないのか?と思うことです。その後、中学二年生の時にいよいよ母が家のことをなにも出来なくなり私も全く学校に行けなくなったので、父と2人で住むことになります。母は若年性アルツハイマーも発症してしまい療養施設での生活となりました。父は虐待や性的行為など一切せず、元々本職の人間なのでとても律儀で真面目に向き合って育ててくれました。結局中学は途切れ途切れでしか通えず高校もガールズバーで働きながら通信制に通いました。ガールズバーなんて言うと父に叱られるので内緒でしたが、不登校も「死にたくなるくらいなら行くな。学校だけが人生じゃない。通信制に通って卒業できるなら行け。私立でも金はいくらでも払ってやる。気晴らしに習い事でも何でもならえ。よく遊べ。」と、良いのか悪いのか分かりませんが私はその言葉に助けられ、友達も人並みにできて沢山遊び、習い事にも通い、高校も卒業出来ました。ですが、就職は2ヶ月で辞めてしまいました。父のことは好きなので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そこで、18歳で風俗のお仕事をしました。もちろん父には「コンセプトカフェの店員」と嘘をついて。結局、そこの店の方と駆け落ちしたので3ヶ月ほどですが、結局その方ともお別れし、生活できずにパパ活や援助交際に手を染めましたが…書き損ねました、もちろん私の恋愛遍歴はぐちゃぐちゃです。付き合った人数は恐らく20人を超えていてろくな人はいません。経験人数は100超えてると思います。何が言いたいのか分からなくなってきてしまったのでいよいよ話を戻します。私は、幼少期からの家の問題に少しは疑問を抱いていたのですがそこまで重く受け止めていませんでした。でも年々、歳を重ねる事に異常さに気づき辛さが増していきます。父がまともに育ててくれ、他の子達よりもよっぽど恵まれていたので「私なんかが異常なわけない。私が辛いわけない。この世にはもっと不幸な人がいる。自分の事を不幸だと思うなんて甘えだ。私は普通だ」と思い込むようにしていたのです。私だけは、私のことを可哀想だと慰めてやればいいのにそれも出来ないのです。腕には沢山のリストカットの跡があり、オーバードースも何回もしました。ADHDも双極性障害もとても生きづらいです。PTSDだって言いたい。でも、自分の中の自分が「ただの悲劇のヒロインだ」と言うので誰にも相談できませんでした。長々と、しかも質問では無いですね。申し訳ないです。知人に言うのは気が引け、精神科にも掛かっていないので話せる人が林先生しかいませんでした。回答が返ってくるとは思いませんが、最後にひとつ。わたしは「普通」ですか。この辛い人生を少し、被害者ぶってもいいですか。
林:
私の幼少期はごく「普通」で「一般的」ですか?
普通でもなければ一般的でもありません。
父がまともに育ててくれ、他の子達よりもよっぽど恵まれていたので「私なんかが異常なわけない。私が辛いわけない。この世にはもっと不幸な人がいる。自分の事を不幸だと思うなんて甘えだ。私は普通だ」と思い込むようにしていたのです。
このうち、 この世にはもっと不幸な人がいる。 という部分に関してはもちろんその通りです。けれどもそれはどんなケースについても「その通りです」というべき性質のものですから、実質的な意味はありません。すると他の部分の方に意味を求めなければなりません。
私は普通だ
「私は」といってしまうと広く様々な範囲を含みますので「普通」かどうかを言うのは容易ではありませんが、 「私の幼少期は」 に限定すれば、「普通ではありません」と明確に答えることができます。
したがって
自分の事を不幸だと思うなんて甘えだ。
甘えとは言えません。
私なんかが異常なわけない。
「異常」といってしまうと広く様々な範囲を含みますので、「異常」という言葉が適切かどうかを言うのは容易ではありませんが、
腕には沢山のリストカットの跡があり、オーバードースも何回もしました。ADHDも双極性障害もとても生きづらいです。
この状態は、病的であると明確に答えることができます。
(但し、ADHDと双極性障害 という診断が正しいかどうかはわかりません。どちらか一方、または両方が誤りである可能性は十分にあります。お母様の診断名についても同様で、少なくともすべての診断名が正しいということはあり得ません)
私が辛いわけない。
そのように強い心をお持ちになることで、過酷な過去を乗り越え、ここまで何とかやってこられたのだと思います。 といっても、多数の自傷行為歴がおありになるとのこと、文字通り 「何とか」やってこられた ということだと思います。このメールには 幼稚園の頃にADHDと診断された と記されているのみで治療歴のことに一切触れられていませんが、その後 双極性障害 と診断名がついているということは少なくとも受診歴はあり、そして通院されているとしてもこのメールに書かれているような過去を主治医には報告していないということだと思います。
今後もその方針を貫かれることがいいかどうかは何とも言えません。ただ少なくとも言えることは
私が辛いわけない。
その思いはこれまで質問者を支えてきた思いである一方で、助けを求めるタイミングを遅らせてしまうおそれもあります。自分が辛いという気持ちそのものは、お認めになった方がいいでしょう。そのうえでいつ誰に助けを求めるかは、また別の問題です。
(2021.7.5.)