【3641】父は私が統合失調症なのではないかと言いますが、私としては疑問です

Q: 20代男性です。
私が遭った嫌がらせの被害を父に話したところ父は、私が統合失調症なのではないかと言い、私に精神科を受診することを求めてきました。
私は自分自身が精神障害者に対する差別的な感情は抱いていることはないと考えています。
統合失調症の罹患率は全人口の約1%と知っています。
学校で言えば学年の一人か二人がかかってもおかしくない病気ですし、その患者は社会福祉によって支えられるべきだとも考えています。
しかし、前科者を差別しない人でも刑務所にはなんとなく怖いイメージを抱くように、私には精神科に対して抵抗があります。
なので精神科の病院にはなかなか行きづらいですし行きたくありません。

また、統合失調症の症状についても少々の知識はあるつもりです。
ですので、もしも私自身が統合失調症なら、予備知識と照らし併せて病識を持つはずですが、私には病識はありません。
また、自分のあった被害を書き連ねた文章を読むと、それらが全て私の妄想であったとしても矛盾がないとも考えられます。
つまり私に病識はないが、仮定として私が統合失調症である可能性を考慮できる。
つまり統合失調症患者によくある病識の否定を否定することができると言う点でやはり私は統合失調症ではないと思います。

被害は以下のようなものです。
具体的には街中を歩いている際に人から私の口元を凝視される。
←このせいで自分の口元が気になるようになってしまいました。
私のファッションがダサいと言われる。
そのくせそう批判する人は決まってチェックの柄のシャツを着ています。
私と反対向きに歩いてきた人の集団が私を通り過ぎた少し後にいきなり笑い出す。
これは女子の中高生がよくします。
やかんの蓋を微妙に大きなサイズのものに入れ替えて強く力を込めないと開かないようにし勢いよくやかんを開いた反動で熱湯が溢れるような嫌がらせをする。

普段は私は温厚な性格なのですが、これらの嫌がらせに我慢が出来なくなり激昂しそうになることがあります。自分でもこの瞬間は危険だと思うのでもしも精神科に受診するとしたらそれは激昂する瞬間に対しての対処なりカウンセリングなりを求めるものになるだろうと思います。
ただし、嫌がらせさえされなければ自分自身がわざわざ病院に行かなくて済むのにと考えたらまた怒りが湧いてきました。

普段はこれらの嫌がらせに対する根本的で最終的な解決をする想像をして解消をします。

上記の文章を読み返しました。自分の書いた文章ですが、整然とされており統合失調症の人が書く文章とは一線を画していると思います。

質問は以下です。
私は自分が統合失調症である確率は低いと考えていますが、林先生はどう考えられますか。
また、精神科を受診する必要はあるでしょうか。

 

林: あなたは統合失調症だと思います。少なくとも統合失調症の疑いはきわめて濃厚ですので、精神科を受診する必要があります。

私は自分自身が精神障害者に対する差別的な感情は抱いていることはないと考えています。

精神障害者に対する差別的な感情」を抱いているかどうかはともかく、あなたは精神障害者に対する偏見を持っています。そう判断できる理由は後述します。

私には精神科に対して抵抗があります。
なので精神科の病院にはなかなか行きづらいですし行きたくありません。

その気持ちは理解できますが、統合失調症の疑いはきわめて濃厚ですから、気持ち的な抵抗があっても精神科を受診するべきです。

また、統合失調症の症状についても少々の知識はあるつもりです。

メールの内容からみて、その通り、統合失調症についてある程度の知識はお持ちだと思います。
けれども、非常に重要な点について誤解しておられます。それは次の部分です。

ですので、もしも私自身が統合失調症なら、予備知識と照らし併せて病識を持つはずですが、私には病識はありません。

重大な誤解です。病識とはそういうものではありません。すなわち「もしも私自身が統合失調症なら、予備知識と照らし併せて病識を持つはず」が重大な誤解で、知識がいくらあっても、自分が病気であることが理解できないというのが「病識欠如」という症状のポイントです。
したがって、皮肉な表現になって申し訳ないのですが、

私には病識はありません。

確かにあなたに病識はありません。それは「知識があるのに病識を持つに至らないから、【3641】は統合失調症ではない」ことを意味しているのではなく、「知識があるのに病識を持つに至らないことが病識の本質である。だから【3641】に病識がないことは、【3641】が統合失調症であることをむしろ積極的に示唆する」ということになります。

また、自分のあった被害を書き連ねた文章を読むと、それらが全て私の妄想であったとしても矛盾がないとも考えられます。
つまり私に病識はないが、仮定として私が統合失調症である可能性を考慮できる。
つまり統合失調症患者によくある病識の否定を否定することができると言う点でやはり私は統合失調症ではないと思います。

この部分の論理は部分的には正しいです。すなわち、「仮定として私が統合失調症である可能性を考慮できる」という点では、【3641】に完全に病識がないとは言えません。もっと重い統合失調症では病識は完全に失われ、自分が統合失調症である可能性を全く考慮できなくなりますから、その観点からすると【3641】はそこまで重症ではないと言えます。
けれども他方、【3641】は「仮定として私が統合失調症である可能性を考慮」してもなお、その仮定は棄却し、自分が統合失調症であることを否定していますから、結局は病識はないということになります。

被害は以下のようなものです。
具体的には街中を歩いている際に人から私の口元を凝視される。
←このせいで自分の口元が気になるようになってしまいました。
私のファッションがダサいと言われる。
そのくせそう批判する人は決まってチェックの柄のシャツを着ています。
私と反対向きに歩いてきた人の集団が私を通り過ぎた少し後にいきなり笑い出す。
これは女子の中高生がよくします。
やかんの蓋を微妙に大きなサイズのものに入れ替えて強く力を込めないと開かないようにし勢いよくやかんを開いた反動で熱湯が溢れるような嫌がらせをする。

これらはいずれも統合失調症に見られる被害妄想として典型的なものです。

嫌がらせさえされなければ自分自身がわざわざ病院に行かなくて済むのにと考えたらまた怒りが湧いてきました。

統合失調症の人が、被害妄想に基づいて他害行為をなすときの典型的な思考パターンです。つまり、自分はあくまでも被害者であり、自分の苦悩は自分を迫害する他人が原因と考え、ついにはその他人への攻撃につながるときの思考パターンです。

上記の文章を読み返しました。自分の書いた文章ですが、整然とされており統合失調症の人が書く文章とは一線を画していると思います。

回答の冒頭近くで「あなたは精神障害者に対する偏見を持っています」と指摘した理由はこれです。統合失調症の人でも整然とした文章を書ける人はたくさんいらしゃいますし、それなりに難しい仕事に就いている方もたくさんいらっしゃいます。「整然とされており統合失調症の人が書く文章とは一線を画していると思」う【3641】は、統合失調症への偏見を持っていると言えます。

私は自分が統合失調症である確率は低いと考えていますが、林先生はどう考えられますか。

あなたが統合失調症である確率は非常に高く、100%に近いです。

また、精神科を受診する必要はあるでしょうか。

あります。適切な診断と治療を受けてください。そうすれば今のあなたの苦しみは消えて行きます。

(2018.3.5.)

05. 3月 2018 by Hayashi
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