【3164】【 1111 】訴訟になりそうなのですが、妹は本当に PTSD でしょうかのご回答に対する疑問

Q: 私は20代女性です。初めてメールをさせていただきます。
タイトル通り、以前林先生がご回答なさった【1111】訴訟になりそうなのですが、妹は本当にPTSDでしょうか
を読み、私はとても衝撃を受け、疑問を持ちました。この質問に対する林先生のご意見を今一度お聞かせ願えませんか。

(1)兄の行為を林先生は性的虐待と見なしているか否か

 年の離れた兄が、妹に対して性的行為を行ったのであれば、それは虐待に違いないではないか。そう思われる方もいらっしゃるでしょう。しかしそれは単純すぎる考え方です。

と【1111】の回答にはございますが、別の質問【1945】カウンセリングの過程で、幼い日の記憶が蘇ったでは

 そして、妹さんがそのようなパーソナリティになったのは、【1111】の質問者が認めている範囲の実際に行なった性的虐待が原因だともしするならば、問題はさらに複雑になります。

とあり、この兄の行為を『性的虐待』と先生は書いておられます。【1111】では性的虐待と呼べるか否かに疑問を持っておられるように見えますが、現在ではどちらのお考えですか。

(2)『近親姦に別れを』の一部を引用した理由について

PTSDの図書室 にも紹介した『近親姦に別れを』に、以下のような記述があります。

 「近親姦のうちいくつかに痛みは伴っていない。ほとんどの近親姦的状況には、楽しい面がある。愛と忠誠心が含まれていることがある・・・。近親姦には相互的満足がある場合すらある。」

この部分を引用した理由を教えてください。
加害者意識の薄い兄に、妹との過去において、たとえ楽しい面や相互的満足を見いだせたことがあったとしても、それを許される過去であると思うのは間違いである
と認識させるために引用したのでしょうか。それともほかの意図がございましたか。
また、私自身はこの引用文の例が実際にあることを知っています。(『9人の児童性虐待者』等、被害者自らが記した数冊の体験記等を読みました。)
ですので前後関係が無くてもこの引用部がおっしゃりたい意味はわかります。ですがよく知らない方にとって、前後関係無しにこの引用部のみを読むと、まるで近親姦にも肯定的な側面があると書かれているように受け取ってしまいませんか。

これは林先生の引用方法が適切ではないためであり、またそのせいでこの本の著者の信用を落とすことに繋がってしまっていると思われます。
林先生はいかがお考えですか。

(3)兄の話の信頼性が高いと思う理由について

 このような争いの場合、一方の当事者であるあなたのメールでは、事実が歪曲されている可能性があると考えるのが通常は妥当でしょう。けれども私は、あなたのメールの内容はきわめて信頼性が高いと判断しています。その理由は、以下の回答の中で適宜述べたいと思います。

回答全文を読みましたが、質問者の話がはきわめて信頼性が高いと断言する理由がわかりません。
妹さんが境界性人格障害だとすれば、妹さんの話の信頼性が低いというのは理解できます。ですが妹さんの話の信頼性が低いからといって兄の話の信頼性が高くなるわけではりません。被害者が被害当時の記憶を無意識に改変することはありますが、同時に加害者も自分の罪の意識から逃れるために、記憶を都合のいいように改変することだってあります。(ギッタ・セレニーの「人間の暗闇」等で見ることができます。)
直近の妹さんや父親の発言、メール内容に関することは事実を書いているかもしれませんが、『無論SEXは在りませんでしたが女性への興味から「見る」から「触る」に、徐々に性器を愛撫しあう関係に発展。』
『十代当時の私の性的行為についても、行為を強制したことは一切ありませんが』 等の話の信頼性は極めてあやしいところです。7〜11歳の妹に対して『愛撫しあう関係』という、まるでさも恋人同士のような関係であったかのような表現を無意識に使っていることからも、この兄は自分で虐待はしていないと無意識に思い込もうとしているという可能性は否定できません。
こうした点から、林先生がきわめて信頼性が高いと判断する理由がわかりません。
他の回答では非常に優れた観察力と冷静さを以て、質問者の話の信頼性を微に入り細を穿つほど検討して、慎重に判断を下している林先生が、なぜこの質問者の話の信頼性が高いと断言しておられるのでしょうか。
教えて頂けませんか。

(4)この回答はもしや裁判を通して、虐待の事実を客観的に明らかにするための善意の誘導ではないか

境界性人格障害の方とトラブルになれば、もはや法廷で決着をつける以外に解決方法がないという林先生の意見は理解できます。
ですがもしや林先生個人が、この極端に加害者意識のない質問者を法廷に引きづりだしたいという気持ちで、あえて質問者に対して理解を示しているかのような書き方をし、そして裁判を受けてたたせようという意図もあったのではないかと推測しておりますが、いかがでしょうか。

大きな興味を以てこちらのQ&Aを読ませていただいておりますが、これほど違和感と疑問の沸いた回答はこの一件だけです。
お忙しいとは存じますがご回答頂けましたら幸いです。

 

林: 非常に綿密に精神科Q&Aをお読みいただきありがとうございました。ここまで深くお読みいただき、また、ご考察いただけると、回答したことに意味があったと実感することができ、大変嬉しく思います。
以下、ご質問にお答えいたします。

(1)兄の行為を林先生は性的虐待と見なしているか否か

兄の行為がどのようなものであったかはもはやわからない。これが(1)への答です。【1111】の回答に

性的虐待があったかなかったかというのが当然ながら重要な点です。
 あなたと妹さんの間にどのような行為があったのか、これを検証することはもはや不可能であるのは言うまでもありません。

と記した通りです。

【1111】では性的虐待と呼べるか否かに疑問を持っておられるように見えますが、現在ではどちらのお考えですか。

【1111】の回答時も今も、考えは変わりません。

 

(2)『近親姦に別れを』の一部を引用した理由について

理由は【1111】の当該引用部分に記した通りです。
すなわち、

年の離れた兄が、妹に対して性的行為を行ったのであれば、それは虐待に違いないではないか。そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
 しかしそれは単純すぎる考え方です。

ということを示すことが、引用の理由です。

質問者は、この引用の仕方は不適切であり、その不適切さが誤解を生んでいる、と指摘しておられます。
私はこの指摘は誤りだと考えます。
質問者の指摘のうち、この引用を誤解した人物が存在する という点はおそら事実だと思います。しかしながら、いかなる文章を示した場合でも、誤解する読者は一定の数存在します。では誤解されたとき、それは誤解した読者の問題なのか、あるいは誤解されるような文章を書いた筆者の問題なのか、という問いが生まれます。この問いに対する答は「ケースバイケース」です。そしてこの【1111】の当該部分は、筆者の側(つまり林の側)には問題がないケースだと思います。
今回、この【3164】の質問者のご指摘を受け、私は【1111】の回答を読み直してみました。その結果、修正すべき点は無いと結論しました(これまで、読者からの指摘を受けて回答を小修正したことは何回もあります。しかしこの【1111】には修正すべき点はありません)。
『近親姦に別れを』の引用部分についても、【3164】の質問者のご指摘のような誤読がなされる余地はあると思います。しかし引用部分とその前後を正確に読めば、それが誤読であることは明らかです。いかなる文章についても、誤解する読者をゼロにすることは不可能です。ご指摘の部分の誤読は、誤読した側の問題であると私は考えます。

ですがよく知らない方にとって、前後関係無しにこの引用部のみを読むと、まるで近親姦にも肯定的な側面があると書かれているように受け取ってしまいませんか。

それはその通りでしょう。しかしそれは「前後関係無しにこの引用部のみを読む」という読み方に問題があるということです。文章は前後関係があってはじめて成立するものです。前後関係無しに読んだときに問題である、という指摘は、文章中のある1つの単語だけを取り出して、その単語が不適切だから文章全体が不適切であると指摘することと同値の不合理な指摘で、到底受け入れることはできません。

 

(3)兄の話の信頼性が高いと思う理由について

それも【1111】の回答中に示してあります。次の通りです。

【1111】のメールの内容は信頼できると判断していると書きました。その理由は、事実として書かれている内容が、臨床でよくある事例に一致しているからです。妹さんとの関係についても、上のような理由で、質問者の主張に矛盾はありません。

【3164】の質問者は

回答全文を読みましたが、質問者の話がはきわめて信頼性が高いと断言する理由がわかりません。

と書いておられます。すると上記【1111】回答部分も当然にお読みになったことと思います。そして【3164】の質問文全体からみて、【3164】の質問者は【1111】を綿密にお読みいただいていると推定でき、この部分だけ読み落としたとは考えられません。
すると、【3164】の質問者の、「(【1111】の) 質問者の話がはきわめて信頼性が高いと断言する理由がわかりません」 という疑問は、実は、「【1111】の林の説明からは、【1111】の質問者の話がきわめて信頼性が高いと断言することは納得できない」という意味であると解することができます。
【3164】の質問者がそのようにお考えになること自体は、【3164】の質問文全体からも理解できます。(理解できる理由については、さらにこの回答の最後の部分もご参照ください)
けれどもそれに対して私が言えることは、

【3164】の質問者個人が納得できないということはわかりました

にとどまります。なぜなら、そもそも【1111】の質問者の話が信頼できると私が判断した理由は、前述の通り、

事実として書かれている内容が、臨床でよくある事例に一致しているから

です。それ以上でもそれ以下でもありません。
【3164】の質問者は、私の回答(すなわち【1111】の質問者の話が信頼できるということ)に対する疑問の理由として、

被害者が被害当時の記憶を無意識に改変することはありますが、同時に加害者も自分の罪の意識から逃れるために、記憶を都合のいいように改変することだってあります。

この兄は自分で虐待はしていないと無意識に思い込もうとしているという可能性は否定できません。

として、その理由も挙げておられます。これらの記載(挙げられている理由も含め)に対して、私として異論はありません。ご指摘の可能性は否定はできないと思います。しかしそうしたことを承知のうえでなお私は、【1111】の質問者の話は信頼できると結論しているのです。その理由は、何度も繰り返している通り、「事実として書かれている内容が、臨床でよくある事例に一致しているから」です。それ以上でもそれ以下でもありません。そしてこれでは信頼できる理由としては弱いと【3164】の質問者がおっしゃるのであれば、それは【3164】の質問者の見解としては尊重しますが、それによって私の見解が変わることはありません。

 

(4)この回答はもしや裁判を通して、虐待の事実を客観的に明らかにするための善意の誘導ではないか

この(4)はとても興味深いご質問だと思います。答は「否」です。
もし質問文が

この回答はもしや裁判を通して、事実を客観的に明らかにするための誘導ではないか

であれば、答は「はい」です。
一目でおわかりいただける通り、2つの質問文の違いは、後者は前者の「虐待の」と「善意の」を削除したものだということです。
「善意の」については、私にはそういう意図は全くありませんので削除です。
「虐待の」については、【1111】においては、その回答内に記してある通り、虐待があったかどうかは不明ですので、「事実を明らかにする」という中立的な表現は適切であっても、「虐待の事実を明らかにする」という、すでに結論を含んだ表現は不適切です。
以上の理由により、(4)へのお答えは「否」になります。

さきほど私が 「この(4)はとても興味深いご質問だと思います」と言ったのは、この(4)は【3164】の質問者の基本姿勢を鮮やかに反映していると思われることに起因します。
(4)の文中の「善意」という言葉は、

ですがもしや林先生個人が、この極端に加害者意識のない質問者を法廷に引きづりだしたいという気持ちで、あえて質問者に対して理解を示しているかのような書き方をし、そして裁判を受けてたたせようという意図もあったのではないかと推測しておりますが、いかがでしょうか。

から読み取れるように、「極端に加害者意識のない質問者を法廷に引きづり出すことこそが善意である」と【3164】の質問者が考えておられる(おそらく確信しておられる)と私は推定しています。そしてさらには「法廷で【1111】の質問者の虐待の事実が明らかにされることこそが正義である」と考えておられる(おそらく確信しておられる)とも推定しています。推定の根拠は【3164】の質問文全体です。
【3164】の質問者のそのお考えは尊重いたしますが、賛同は決していたしません。「【1111】で、虐待があったかどうかはわからない」が私の確固不同の見解です。それに対し【3164】の質問者は、「虐待があった」という判断に大きく傾いています。その判断には根拠がありません。したがって決して賛同できるものではありません。

大きな興味を以てこちらのQ&Aを読ませていただいておりますが、これほど違和感と疑問の沸いた回答はこの一件だけです。

精神科Q&Aを非常に綿密にお読みいただき、また、率直な疑問をお伝えいただいたことに深く感謝申し上げます。

 

ご質問への回答は以上ですが、ひとつだけ追加しておきたいと思います。
いま引用した、

これほど違和感と疑問の沸いた回答はこの一件だけです。

この一文は、【3164】の質問者の何らかの個人的事情を強く反映していることは間違いないと私は考えています。
なぜなら、【3164】の質問者は、精神科Q&Aの私の回答について

非常に優れた観察力と冷静さを以て、質問者の話の信頼性を微に入り細を穿つほど検討して、慎重に判断を下している

と高く評価していただいていますが(そのことには感謝しております)、精神科Q&Aの他の回答が、【1111】の回答より「質問者の話の信頼性を微に入り細を穿つほど検討して、慎重に判断を下している」ということはないと確信を持って言えるからです。各回答の中にしばしば記している通り、メールの質問に対する回答には大きな限界があり、かなり強く推定を働かさなければ回答不能であることは少なくありません。質問文の信頼性に疑問があることもしばしばあります。そんな中で、【1111】の質問文が、特に際だって信頼性が低いということはありません。おそらく今回の【3164】の私の回答での、【1111】の質問者に信頼性ありとする理由の「事実として書かれている内容が、臨床でよくある事例に一致している」について、【3164】の質問者は「甘い」とおっしゃるでしょう。しかしそれなら、精神科Q&Aの他の質問の中に、もっと信頼性に疑問があるのに、私が信頼性ありと判定しているものは多数あります。もし【1111】の回答が甘いと評価されるのであれば、精神科Q&Aのその他の回答はとても「非常に優れた観察力と冷静さを以て、質問者の話の信頼性を微に入り細を穿つほど検討して、慎重に判断を下している」といえるようなレベルのものではありません。それらについては違和感や疑問がなく、【1111】にのみ「これほど違和感と疑問の沸いた回答はこの一件だけ」と感じられるのは、【3164】の質問者に何らかの個人的理由があると推定できます。その個人的理由は、あるいは質問者ご本人が虐待被害者であるという事情があるかもしれませんが、そこまで推定するのは推定のし過ぎでしょう。

 

虐待の問題は深刻です。その深刻さの大きな理由の1つは、何が真実かわからないということです。一方に虐待されたという人がいる。他方に虐待していないという人がいる。このとき、根拠なくどちらかが真実だと信ずることは、重大な悪の始まりになる危険性を孕んでいます。【1111】では虐待があったかどうかわからない。そして、虐待があったかどうかわからないのは【1111】に限りません。これが虐待についての私の不動の基本姿勢の1つです。もう1つの基本姿勢は【1948】7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえった の最後の一行の通りです。

(2016.3.5.)

05. 3月 2016 by Hayashi
カテゴリー: PTSD, サイトの方針, 性に関する問題, 精神科Q&A, 虐待, 虚言