精神科Q&A

【1945】カウンセリングの過程で、幼い日の記憶が蘇った


Q: 30代前半、女性です。准看護師です。今後の自分自身の治療をどのようにしていけば良いのかをご相談申し上げたくメールを送らせて頂きました。ご多忙とは重々承知しておりますが、ご一読頂ければ、と思います。現在は先月に勤務先の心療内科のクリニックを退職し、求職中です。また勤務先の院長が主治医であったため、その後は通院はしておらず、退職時に処方された薬を飲み続けている状態です。現在服用中の処方薬はパキシル10mg/day、デパケンR600mg/day、頓服としてワイパックス0.5mg、レスタス2mg、マイスリーです。また診断された病名は境界性パーソナリティ障害及び反社会性パーソナリティ障害です。

初めて精神科にお世話になったのが4年前です。通勤途中の電車内で、過換気発作を起こしました。またその日は、排卵日前後だったため、PMSではないか、と思い、まず婦人科にて女性外来を受診し、ホルモンバランスには異常がない、とのことから、精神科を紹介して頂きました。その精神科ではパニック障害との診断で、パキシル40mg/day、ドグマチール?mg/day、レキソタン5mg/day、入眠困難時のみアタラックスPカプセルとロヒプノール、ベゲタミンAを処方して頂きました。またそれまで勤務していた病院を退職し、約10ヶ月自宅にて療養しておりました。その療養と前後して、私自身が8歳の時から別居していた父が自己破産の準備に入り、私にお金を無心してきたり、母と二人で暮らす家を勝手に抵当に入れられたりして、混乱した私は自殺未遂を2回しました(いずれも投身。どちらも発見され未遂に終わりました)。

このころから、精神科でカウンセラーの先生とカウンセリングをするようになり、忘れていた幼い日の事を思い出しました。 父と別居を始めた、母の足手まといになるから、と母の姉の家に養子に入るとか、そんな話が出始めた頃から、私は抜毛を始め、500円玉大のハゲをいくつも作り、伯母や従姉妹たちが、そこを眉を描く鉛筆で埋めてくれたり、押し入れの中で、リボンで首を絞めたりするような事が度々あったそうです。ちょうど8歳頃の事です。 私の問題行動から母は逆に私から離れられなくなり、母は働く事もできず、付きっきりで私の様子をうかがっていたそうです。確かにどれほど母に重要な用事があっても、置いていかれる事が嫌で、止めようとした伯母や従姉妹に噛み付いたりするような子だった、とは聞いています。 
 中学時代は、自傷めいた事もせず、毎日楽しく登校していましたが、母に隠れるようにして、男の子と付き合い、かなり奔放な異性関係だったと思います。また中学卒業直前に容姿が気に食わない、と教師に執拗に体罰を受けたり(自毛の色が非常に淡かった為、とのこと)しましたが、あまり気にはしませんでした。
 高校時代も普通に楽しく過ごしていましたが、やはり男の子との交遊関係は派手だった上に、母が行かせたがる大学は、とても合格できるような学力がなく、少し精神的に不安定になり、足の脛をフォークでガリガリと傷付けたりする行為を隠れてしたり、学校でこっそり泣いたりしていました。大学は母の希望通りではありませんでしたが、自分ではカリキュラムが一番良い、と思っていた私大に合格し、3年次で留学も経験させてもらいました。その時海外で寮のルームメイトと話している時に、彼女からセラピーを受けてみたら、と勧められ、心理学専攻の大学院生が開いているセラピールームを訪ね、色々と過去の話をした所、境界性パーソナリティ障害の疑いがあるので、グループカウンセリングに参加するように言われたのですが、東欧やロシアから来ている人たちの話を聞いているうちに、自分が悩んでいること(家庭環境など)のちっぽけさに情けなくなり、一回参加して辞めてしまいました。

帰国して、半年遅れでしたが無事卒業し、日本国内の企業へ入社しましたが、そこで外見や性別、学歴に関する不快な苛めにあいましたが、これくらいは当たり前だ、と6年間、在籍しました。退職の理由は、婦人病の悪化で、頻繁な出張や激務に耐えられなくなったことでした。

その後、私は医師会の開いている看護学校に通学し、准看護師として病院に勤務するようになりました。
こちらも激務でしたが、本来自分がしたかった仕事に就くことができ、毎日遣り甲斐も感じながら勤務していましたが、最初に戻りますが、通勤途中の電車内で、過換気発作を起こしました。 この後に精神科に通院しながら、度々大きく心が揺さぶられるような事があると、ストレス耐性が弱いのか、自殺未遂をしましたが、その度に思い直し、無事、心療内科での仕事に復帰しました。
そんなある日、院長から居残るように言われ、現在精神疾患があるのではないか、と問い詰められました。私は有り体に話しました。すると処方薬を変えましょう、とパキシルを断薬するよう指示されました。翌朝、まるで立ち上がる事ができなくなり、ものすごい嘔気でトイレまで這いずるのがやっと、という状態になり、院長に連絡すると、倒れても出勤しろ、との事でタクシーで出勤しましたが、手の震えから、採血はできない、呂律は回らない、顔面にチックが出る、という状態で仕方なく、患者さまから見えないベッドに寝かされていました。院長とカウンセラーには、完全な薬物依存、と言われ、どうしたら良いか質問すると、仕方ないのでまたパキシルを服用するように言われ、数ヵ月かけて徐々に減らす、と言われました。この時点で、かなり不信感を抱きましたが、毎日接する人だし、とそのまま勤務していました。1年間は時々、目眩や耳鳴りがあまりにも酷い時は遅刻や早退が何回かありましたが、スタッフにも恵まれていたせいか、順調にお仕事をしていました。 ただ、この期間も男性との関係は常に不安定で、何人かの男性と掛け持ちでお付き合いするような状態でした。 翌年、突然お酒を浴びるように飲むようになりました。毎日が二日酔いというような状態です。

このころ、母の過干渉ともいえる行動が気になり始めました。私宛の郵便物を勝手に開封する、留守中に部屋を物色する(物色した後はまるで泥棒でも入ったかのように荒らされたまま)、通帳やカードの類いを全て没収する、などでストレスはピークの状態でした。 
 そのうち私は、リストカットや、処方薬のODも始めました。そうかと思えば、友人たちと毎晩深酒をして遊び回ったり、買い物を異常にするようになったりして、自分は双極性障害ではないか…という不安にかられ始め、院長にデパケンRの処方を自らお願いしました。 また、ODで自殺未遂を繰り返したのもこの頃からです。 急に自分の視界に薄い膜がかかり、自分の体が15cmくらいズレた感じがし始めたのも、この頃からで、ある日私は自宅から歩いて数十メートルのコンビニまで行こうと歩き出したところ、なぜかコンビニを通り過ぎ、大きな森林公園まで歩いて行ってしまい、迷子になりました。 呆然としたまま、公園の遊具で一晩過ごしました。財布は持っていたのですが、自分が何をしたら良いのか、全くわからなくなってしまい、ただぼーっと座り込んでいたようなのです。 幸い早朝に犬の散歩に来たご婦人に、幹線道路までの行き方を教えてもらい、タクシーに乗って帰宅する事ができたのですが、正直なところ、記憶が曖昧であの時はなんだったのか、自分でも今でも説明がつきません。
 翌日、院長とカウンセラーに話すと、演技性パーソナリティ障害だ、と罵られて、解雇を仄めかされました。そんな行動から、上司兼主治医からはすっかり信用をなくしてしまい、元から自分は何もできない、世間のゴミみたいな存在である、と思う私はすっかり覇気が無くなってしまい、婚約をしていた方がいたのですが、こちらから破棄させて頂きました。なぜ、そこまで自分に価値を見出だせないか、と言えば、成人してから母に何度も「あなたは父からの性的暴行で、うっかりできた子だ」と聞かされた事も原因か、と思います。そんな状態で、半分主治医兼上司から見離され、混乱しながらも、患者さまには迷惑を掛けられない、と仕事だけは一生懸命続け、お酒を一切合切やめ、ODもやめていました。 

そんな時に、急にコンプライアンスに関する書類を渡され、何の説明もなくサインと捺印を要求されたので、説明を求めると、ある患者さまからクレームがあった、それはあなたに対してのクレームで、あなたが個人情報を売っている、という内容だった、と言われまた自分が知らないうちに何かしてしまったのか、と呆然としてしまいました。 始末書の提出も求められましたが、どのように書いてよいかわからず、また相談に行くと、頭がおかしい、とはっきりと言われました。その夜に、私は手元にあった安定剤や、睡眠導入剤、あとは鎮咳剤のシロップ(コデインにアレルギーがあるため、アナフィラキシーショックを起こさせようと思ったのでしょう)をウォッカで流し込み、口と鼻をガムテープで塞ぎ、手首の付け根の動脈をキリで刺し、自殺を図りました。 結局、薬疹だらけになり、あまりの嘔気にガムテープを外してトイレで嘔吐する、という間抜けな結果に終わりましたが、発見した母が勤務先に連絡し、その日のうちに自主退職勧告をされ、退職しました。言語で訴える限界がくると、私はストレスから騒ぎを起こすようです。
 今後、まだ断薬しきれていないパキシルなどの薬の飲み方の指導や、認知行動療法などを続けていきたい、と私は考えておりますが、退職の手続きについて来た母は、院長とカウンセラーから「あなたの育て方が悪かったせいで、お嬢さんは人格がおかしくなった」と罵倒されたらしく、二度と精神科には頼らず、自らを律して治すように言われました。 律する事が難しく、認知が歪んでいるが故に苦しいのだから、オブザーバーが必要だ、と私が訴えても、聞く耳は一切持っていただけません。母自身が一時期、軽度の抑うつ状態を「根性」で治した、という自負があるようで、私の申し出は「ただの甘え」と受け取られているようです。 現在、薬や刃物、その他の危険な物、通帳やカード、保険証など全て母が管理しており、こっそりと受診するのは困難な状態です。私自身がいくら説明をしても、母はもう精神科アレルギーを起こしているようです。また、医療現場への復帰も大反対されており、来年から正看護師を目指して学校へ通う予定でしたが、それも反対されています。やはり境界性パーソナリティ障害で医療職に携わるのは、限界があるのでしょうか。そして、最後は自分自身の力で乗り越えなくてはいけない、と承知しておりますが、現在通院しなくても、状態は快方に向かうものなのでしょうか。母の過干渉なのでしょうか。わからなくなってしまいました。混乱しているせいか、現在はかなり情緒不安定な状態で、一日中躁と鬱を繰り返し、自分でも持て余しているような状態です。ご面倒なお話なうえ、長文失礼致しました。何卒宜しくお願い致します。


林: 【1944】に続き、幼少時の記憶がよみがえったというケースです。ただし【1944】との大きな違いは、【1944】ではある日突然自然に記憶がよみがえったのに対し、この【1945】では

精神科でカウンセラーの先生とカウンセリングをするようになり、忘れていた幼い日の事を思い出しました。

とのことですので、【1944】で解説した通り、カウンセラーからの暗示によって、実際にはなかった出来事の記憶が作られた可能性を考えなければならないところです。
 しかしこの【1945】では、そのよみがえった記憶の具体的内容が何なのかがはっきりしませんので、それ以上の検討は困難です。幼い頃の出来事についての記述はありますが、「・・・だそうです」という文章表現からは、思い出したのではなく聞かされたと判断できますので、よみがえった記憶が何だったのか、わかりません。(質問者が、よみがえった記憶と聞かされた内容を混同してお書きになっている可能性もあると思います)

それはさておくとして、この【1945】の質問者には境界性パーソナリティ障害の特徴は顕著に見られており、その診断は間違いないと思われます。

また、

演技性パーソナリティ障害だ、と罵られて

という表現などからは、境界性パーソナリティ障害特有の他罰傾向も読み取れます。これは認知のゆがみとみることもできます。

境界性パーソナリティ障害一般にこのような他罰傾向が見られることから、「よみがえった記憶」も、現在の自分の状態の原因を他人に帰する(幼少時に受けた虐待のせいであるとする) ことの一つの表れではないかという推定が生まれているという現状があります。

なお、このケースには解離も認められます。

ある日私は自宅から歩いて数十メートルのコンビニまで行こうと歩き出したところ、なぜかコンビニを通り過ぎ、大きな森林公園まで歩いて行ってしまい、迷子になりました。 呆然としたまま、公園の遊具で一晩過ごしました。財布は持っていたのですが、自分が何をしたら良いのか、全くわからなくなってしまい、ただぼーっと座り込んでいたようなのです。

そんな時に、急にコンプライアンスに関する書類を渡され、何の説明もなくサインと捺印を要求されたので、説明を求めると、ある患者さまから、クレームがあった、それはあなたに対してのクレームで、あなたが個人情報を売っている、という内容だった、と言われまた自分が知らないうちに何かしてしまったのか、と呆然としてしまいました。

これらは解離と判断できます。解離は境界性パーソナリティ障害の一症状として現れることもあるのは【1901】以下にもいくつも実例がある通りです。

ところでご質問の件ですが、

現在通院しなくても、状態は快方に向かうものなのでしょうか。

通院して治療を受けることをお勧めします。
この【1945】は、境界性パーソナリティ障害の中では、治療の効果が比較的期待できるほうのタイプだと思います。そう判断する根拠は、たとえば

言語で訴える限界がくると、私はストレスから騒ぎを起こすようです。

というように、すでにご自分の状態や問題点をかなり客観的に認識できていることです。そうしますと、

認知行動療法などを続けていきたい、と私は考えておりますが、

その効果は期待できますし、

パキシルなどの薬の飲み方の指導や、

というふうに、とりあえず今の症状を薬である程度抑えつつ、精神療法(認知行動療法も精神療法の一つです)を続けるという方針が推奨されます。


なお、この【1945】の質問者は医療者であり、

自分は双極性障害ではないか…という不安にかられ始め、

という記載もあることから、ひとつだけ補足します。
確かに厳密にはこのケースは双極性障害(躁うつ病)や、それからてんかんの診断も検討する必要があります。特に、双極性U型障害は、境界性パーソナリティ障害と似ていることがありますので、区別するには直接の診断が必要で、メールの記載だけからは判断できないという結論が本当は正しいともいえます。
  その文脈でいえば【1901】からここまでの中にも同様の問題があるケースがいくつかあります。しかしながら、実際の臨床では可能性が低そうな病気についても慎重に考慮していく必要があるものの、精神科Q&Aでそこまで検討すると混乱を招くだけですので、可能性が低い診断名についての検討は省いてあります。
とはいえ、この【1945】で双極性障害の可能性までを考える必要は実際にはないと思います。このメールには症状がかなり具体的に書かれていますので、この情報だけで、境界性パーソナリティ障害と判断するには十分と考えられます。

それからてんかんの可能性についてですが、

ある日私は自宅から歩いて数十メートルのコンビニまで行こうと歩き出したところ、なぜかコンビニを通り過ぎ、大きな森林公園まで歩いて行ってしまい、迷子になりました。 呆然としたまま、公園の遊具で一晩過ごしました。財布は持っていたのですが、自分が何をしたら良いのか、全くわからなくなってしまい、ただぼーっと座り込んでいたようなのです。

このエピソードだけを取り出せば、てんかん発作は否定できません。
しかし、

そんな時に、急にコンプライアンスに関する書類を渡され、何の説明もなくサインと捺印を要求されたので、説明を求めると、ある患者さまから、クレームがあった、それはあなたに対してのクレームで、あなたが個人情報を売っている、という内容だった、と言われまた自分が知らないうちに何かしてしまったのか、と呆然としてしまいました。

これは解離にまず間違いないと思われますので、すると上記の森林公園のエピソードも、解離と考えるのが妥当です。(ここでも、コンプライアンス書類の件は解離で、森林公園の件はてんかん発作という可能性も厳密にはあるわけですが、前記の通りの理由で、そのような可能性まではここでは検討しません)


◇ ◇ ◇

【1901】から【1948】までの回答は一連の流れになっています。【1901】、【1902】・・・【1948】という順にお読みください。


以下、【1945】の診断についての解説を補足します。ただし今度は【1901】からの流れを受けた解説です。この【1945】の冒頭近くには

診断された病名は境界性パーソナリティ障害及び反社会性パーソナリティ障害です。

と書かれています。
【1903】でも少し触れましたが、境界性パーソナリティ障害と反社会性パーソナリティ障害は現代の診断基準であるDSM-W-TRでは「B群パーソナリティ障害」としてまとめられており、近縁のものであると考えられています。B群には演技性パーソナリティ障害も含まれ、この【1945】ではそのように言われたという記述もあります。B群にもうひとつ含まれるのは自己愛パーソナリティ障害で、自己愛パーソナリティ障害と境界性パーソナリティ障害は、時に区別がつきにくいことは【1490】パワハラだという事実無根の密告 などでもご説明したとおりです。

なお、この【1945】でも認められる解離はB群のパーソナリティ障害には含まれていませんが、【1901】からの解説の中で度々触れてきたように、近縁の状態と考えられます。

さらにこの【1945】では、一時はパニック障害という診断も下されています。境界性パーソナリティ障害では、パニック障害という診断が下されることがあるのは【1906】でご説明した通りです。

以上のように、この【1945】では
境界性パーソナリティ障害
反社会性パーソナリティ障害
演技性パーソナリティ障害
パニック障害
解離

などの診断名がついている、ないしは状態が認められますが、これらは別々のものではなく、すべて近縁のものとみなすことができます。
さらに【1901】からここまでのケースにつけられていた
PTSD
うつ病
摂食障害

などの診断名、さらには
自己愛性パーソナリティ障害
なども同様に近縁の関係にあります。

但しこれは近縁の場合があるということであって、これらの診断名が常に近縁というわけではありません。たとえば真のうつ病はこれらとは全く関係ありません。PTSDについても、【1901】からここまでのケースにつけられていたPTSDは、厳密には誤診というべきで、真のPTSDはたとえば【0952】のようなケースに限られます。

それはともかくとして、近縁関係にあるこれらの疾患。この一群は、幼少期の虐待などのトラウマに関連しているというのが、一つの有力な説です。それは、【1901】からここまでのケースから読み取れることと思います。そして、この説の強力な提唱者が、度々ご紹介してきた『心的外傷と回復』の著者であるハーマンHerman です。ハーマンは複雑性PTSDという概念を提唱し、ほぼ上記のようなくくりにあたる一群の疾患の原因は慢性的なトラウマであると主張しています。
臨床の実例を見ると、確かにそのような説明がぴったりあてはまると思われるケースは多々あります。【1901】からここまでのケースからもそれはうなずけることと思います。

しかしながら、これも【1901】から繰り返してきたことですが、はたして本人の語る幼少時のトラウマが事実だったかどうかという重大な問題があります。

この点について、1980年代のアメリカでは激論が巻き起こりました。それは、「幼少時に虐待を受けた」として、親を訴えるという訴訟がいくつもなされたことがきっかけでした。当初は、「本人の記憶からも忘れ去れているために、表面化していない虐待が実はたくさんある。そしてそれが、大人になってからの色々な精神的問題の原因である」という考え方が優勢でしたが、まもなく、本人が思い出したという内容は事実ではないという反論が強くなってきました。この、事実でない記憶を「偽記憶」「過誤記憶」などと呼びます。この論争については【0276】にも解説しましたのでご参照ください。また、

ロバート・ローゼンタール (納米恵美子 訳)
虐待についての抑圧された記憶
アルコール依存とアディクション 第13巻4号 340-350 1996年


という論文にもかなり詳しく紹介されています。(上記は読みやすい翻訳文になっていますが、おそらく訳者は精神分析の専門家と思われ、精神分析についての訳語は正確なのですが、記憶についての認知心理学についての訳語には一部誤りがありますので注意して読むことが必要です)

その後、この論争は日本にも飛び火しました。論争とは、第三者から見ると、時に非常に醜いものです。その論争が激しければ激しいほど、それは罵りあいの様相を呈し、醜さを増すことになります。
虐待についての論争もそのような様相を呈していました。虐待を受けたと信じる被害者から見れば、虐待の事実はなかったのだという主張は卑怯な言い逃れと感じられるでしょうし、虐待していないと信じる側からすれば、虐待があったという主張は卑怯な言いがかりと感じられるでしょうから、この論争は相当な抑制力を持って冷静に行なわなければ、醜い争いになることは避けられません。
【1111】訴訟になりそうなのですが、妹は本当にPTSDでしょうか に、その一端を垣間見ることができます。【1111】の質問者は、妹さんが事実と異なることを主張し訴訟しようとしている、と言っておられます。しかしおそらく妹さんの側は、【1111】の質問者のほうが自分の罪を認めず言い逃れをしているのだと非難するでしょう。【1111】を読む限りにおいては、どちらかといえば妹さんの側に大きな問題があるように思えますが、一方の当事者の言い分だけをいくら聞いても事実に接近することはできません。また、【1111】の質問者の主張内容が事実だとしても、妹さんの側は、意識的に嘘をついているのではなく、自分の記憶内容が事実だと信じ込んでいることも十分に考えられます。そして、妹さんがそのようなパーソナリティになったのは、【1111】の質問者が認めている範囲の実際に行なった性的虐待が原因だともしするならば、問題はさらに複雑になります。

虐待などによる複雑性PTSDを提唱しているハーマンは、『心的外傷と回復』の中で自ら明言しているように、かなり強力なフェミニストで、その論調は時に攻撃的です。日本では、そんなハーマンを強烈に批判する本が2003年に出版され、その本の著者の批判は精神分析全体への口汚い言葉によるものにまで発展していたため、精神分析側はそれにまた強く反撃し、今から見れば不毛な争いが発生していました。このあたりの事情は

斎藤学: 日本で過誤記憶を語るということ
アディクションと家族 第22巻3号 212-222, 2005年

平川和子: 臨床現場における過誤記憶と回想
アディクションと家族 第22巻3号 223-231, 2005年


などに書かれています。(ただしこの二つの論文の著者はいずれも、精神分析を擁護する側の人物であることに留意して読む必要があります)

「今から見れば不毛な争いが発生していました」といま私は言いました。結局この論争はいまだに決着がついていないことが、不毛だったといえる一つの大きな理由です。



(2011.1.5.)


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