精神科Q&A

【0276】私は本当に虐待されたのでしょうか


Q:  22歳、女性です。1年程前から精神科に通院してます。病名は知りませんが、鬱の一種かなあと思ってます。
 私には何となく、幼少の頃に虐待?された様な記憶があります。でも、もしかしたら自分で作りあげた妄想かなあ、と思ったりもします。
 その記憶のひとつというか発端は、18歳の時に北海道を旅行していて、ある港に着いたとたん、あっ!この場所だっつ!私はここで母親に髪をひきずられながら殴られ、細い路地に連れて行かれなぐられたっけ・・・・。その光景を船に乗るために並んでいる人が、見ていて恥ずかしかった事。母親が犬みたく「はっ、はっ、はっア」と苦しそうに呼吸しながら、私を殴り倒したこと。などを鮮明に思い出したのです。
 これを思い出した時は特に何とも思わず、「人間の記憶はすごいなあ」などと、のん気に思っただけでした。
 それから1年くらいの間に他の事をふと思い出すことが何回かありました。幼稚園の頃アイロンが頭に飛んできて病院に行った事や、小学校の頃、怪我した足があまりにも痛くて保健室で手当てしてもらった事。先生にどうしたか聞かれた時気まずくて、滑り台から落ちたと嘘をついた事などです。
 よーく考えたら私の額に3つの傷が残っているのですが、それも母親にひっかかれたものです。確か。
 新聞で児童虐待の記事を見かけると、心臓がドキドキします。その記事を読んでいる自分の姿を誰にも見られてはいけない様な気がして、こっそり部屋に持っていって読んだりします。
 20歳頃から、私ってもしかして虐待に遭ったと、自分で思ってんのかなあ。と漠然と思う様になりました。何となく、当時の恐怖や出来事は心にあるのですが、思い起こそうとしたり、考えたりすると全部自分の作った嘘の様な気もします。
 最近、自分と向き合う事ができる様に自然になり、何だかつらくて、真っ黒だった2年間がとても遠い事に感じる様になりました。自分にこういう平静な気持ちが取り戻せた、なんて今でも夢みたく感じ、それだけで幸せを感じます。
 そしたら、何だか人(主治医?第三者?)に幼少の頃の自分の事を話したい、話してみようかな。という衝動にかられます。何だか人に話したら、全部が解決して終わる様な気がするのです。 
 でも、私の記憶が真実であるのか、自分で作りあげた妄想なのかイマイチ微妙な気がします。もしかしたら忙しい先生の注意を引きたいが為に、自分で話を作ってんのかなあ。と思ったりします。それとも、今の自分を母親のせいにしたいが為に「私は虐待されました」、という物語を展開しているのか分からなくなります。
 以前は小さい時の事を考えると感情が爆発しそうで、どうしようもなくなったりしましたが、今はその事で不安定になったりはしません。でもやっぱり、たまに「どうして?どうして?どうして?」と心の中で思いっきり叫んでます。
 果たして私は本当に虐待にあったのでしょうか?それとも自分の芝居なのでしょうか?
 話を聞いた限り先生はどう思われますか?


: 非常に難しい問いです。しかしあえて二者択一の問いにお答えすると、本当にあった可能性の方が強いと思います。

 虐待に関しては、それが「蘇った記憶(つまり本当の記憶)」なのか、それとも「偽りの記憶」なのか、ということについては、数々の論争があり、論文もたくさん書かれています。ですから、あなたの疑問は、決してあなただけのものではありません。たくさんの人が同じような疑問を持っています。
 虐待の記憶が「本当」か「偽り」かという論争に火がついた原因として、歴史的に大きいのは、アメリカでこれに関する訴訟が頻発したことです。まず起きた訴訟は、自分の症状は幼児期に虐待されたためである、として、子供が親を訴えるというケースです。ここで子供が「虐待されたためである」と言い出した発端は、精神療法中に虐待の記憶が蘇ったという事実です。ところが実際にはこの虐待の記憶は「偽りの記憶」で、本当は虐待などなかったというケースも少なからずあることが明らかになり、訴訟された親が逆に「偽りの記憶症候群協会」という会を作り、ときには精神療法の治療者を訴える(つまり、治療と称して偽りの記憶を植え付けた)というような、ある意味では不毛な争いに発展しています。
 この争いの大きなポイントのひとつは、精神療法の場面で、治療者(医師やカウンセラー)が誘導尋問的に虐待のことを聞き出し(必ずしも治療者に悪意があったという意味ではありません。虐待があったはずだという思い込みはあったかもしれませんが)、本人もそれが本当であると信じ込んでしまったのではないか、という議論です。ここで、誘導されたのが「偽りの記憶」であると主張する側の有力な根拠は、精神療法の場面以外で、忘れていた虐待の記憶が「自然に」思い出されるということは無い、という事実です。

 ところで、あなたの場合には、特に治療を受けて誘導されたわけではないのに、虐待された記憶が急に蘇ったということのようですので、それを「偽りの記憶」だとする理由は無いことになります。したがいまして、一行目に書いた通り、虐待は本当であった可能性の方が高いと私は判断しました。ただしこれも一行目に書いたことですが、正直言って本当はわかりません。実際、虐待については、何が本当かということを明らかにするのは非常に難しいことが多いものです。

 最後に、過去の出来事については、真実を知るのが本当にいいことかどうかはわかりません。虐待が本当だったかどうか、気になるのはよく理解できますが、これ以上追究するべきかどうかは慎重に考えられたほうがいいでしょう。

 なお、「偽りの記憶」と「蘇った記憶」の概説としては、以下の論文が参考になります。(あなたの虐待の記憶が偽りか否かについては、この論文を読まれても決め手はつかめないと思いますが、一応ご紹介しておきます)

 飛鳥井望:
外傷理論をめぐる最近の論争 「蘇った記憶」と「偽りの記憶」について
精神療法 第24巻4号 p.324-331 (1998年8月)

 Loftus, E:
The reality of repressed memories. 
American Psychologist Vol. 48, p.518-537 (1993年)


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