【4335】 これは精神疾患か,ただの逃避か

Q: 私は20代の女性で,現在大学院に在籍しています.
もともと研究が大好きで,大学教員になることを志して博士課程に進学したのですが,新型コロナウイルスが蔓延し,重要な実験がいくつか中止になったため,当初の予定での修了が難しいと判断し,10ヶ月ほど前に休学を決めました.

ちょうどそのくらいの時期から,喪失感というか,虚無感のようなものがずっと離れなくなってしまい,うまく研究ができなくなってしまいました.研究に取り掛かろうとすると,頭が痺れるような感じがしたり,不安感が湧いてきて,目の前にある,明らかに簡単なタスクさえ上手くこなすことができなくなります.毎日研究室に来ているのに,置物のように座ってばかりいます.

現在の症状として
・現状について考えると不安感が湧き,のどのあたりが狭くなるような感じがして,うまく呼 吸できなくなる.
・知的活動ができなくなった.難しいことが考えられず,文章を読むと目が上滑りする感じがある.
・希死念慮.一度,大学の近くの山中に自死の準備を整えるところまで行ってしまい,最近はことあるごとにそこへ向かっては戻って来ています
食事や睡眠など,生理的活動に関しては特に問題がないです.少なくとも自覚はありません.

現在は一人暮らしをしており,周囲に同期もおらず,家族にも不信感があるため、特に誰にも相談せずにいます.「死んでしまったら指導教員が責任を問われてしまう」という気持ちだけで自死を思いとどまっている状況です.
これは何か精神的な病気なのでしょうか? それとも単に研究に対する情熱がなくなって,逃げているだけなのでしょうか.
兄弟が2人いるのですが,過去に2人とも適応障害や自律神経失調症と診断されています.仮にこれが病気だとすれば,私も2人と同じような病気を発症したのだろうと思うのですが,家族の落胆を想像すると気が重く,なによりもそれを絶対に認めたくない自分がおり,自ら精神科を受診する勇気が持てずにいます.

 

林: うつ病を発症している可能性が高いと思います。精神科の受診をお勧めします。

精神疾患か,ただの逃避か

これは本人からも、また周囲の方からも、しばしば聞かれる問いで、同時に非常に難しい問いです。なぜならこの問いに答えるためには、「精神疾患とは何か」という問いにまず答えなければならないからです。この問いに答えようとすれば長く複雑な説明に入ることになりますが、ここではこの【4335】の質問者への回答に直接つながる形に単純化してお答えしたいと思います。

「精神疾患とは何か」に対する答えの一つは、「一定以上の苦悩が自覚されるような状態であれば、精神疾患とする」というものです。うつ病についての現代の公式の診断基準はこの考え方に準拠しています。
これに従えば、【4335】は精神疾患です。病名はうつ病です。気分の落ち込みが強く、自殺を具体的に考えるレベルに至っているからです。

上の答えに関連しますが、「精神疾患とは何か」に対するもう一つの答えは、「生活機能に支障が出ていれば、精神疾患とする」というものです。これも、うつ病についての現代の公式の診断基準を構成する考え方です。
これに従えば、【4335】は精神疾患です。病名はうつ病です。現在の質問者にとって重要な、研究者という機能に支障が出ているからです。
なお、「生活機能に支障が出ていれば、精神疾患とする」と「一定以上の苦悩が自覚されるような状態であれば、精神疾患とする」はセットになっていると言えます。つまり、「一定以上の苦悩を自覚し、かつ、その苦悩のために生活に支障が出ている」ことが、精神疾患と診断するためには必要だということです。

「精神疾患とは何か」に対するもう一つの答えは、「原因なしに苦悩が発生していれば、精神疾患とする」というものです。もっと正確に言えば、「原因なしか、または、原因と思われる出来事からは説明できない苦悩が発生していれば、精神疾患とする」ということになります。記述の正確さを追求していくとさらに複雑な文章になりますが(たとえば、発生するのは「苦悩」とは限りません)、今回の回答ではこの記述で十分でしょう。
これに従えば、【4335】は精神疾患です。病名はうつ病です。特に原因なく、深い苦悩が発生しているからです。

そして、その苦悩の内容が、精神医学で知られている病気の症状に一致すれば、精神疾患であるという診断はより確実になります。
このような順序の説明はある意味奇妙に感じられるかもしれません。なぜなら、「医学で知られている病気の症状に一致する」ことを、「病気」と診断することの最大の根拠とするのが医学ではむしろ普通だからです。
精神疾患の中にもそういう病気はたくさんあります。たとえば統合失調症に特有の幻聴や被害妄想が見られれば、統合失調症と診断する最大の根拠になります。
けれども、たとえばうつ病では話が複雑になります。うつ病には「特有の症状」というものが存在しないからです。うつ病の症状とされるものは、気分の落ち込み、意欲の低下などたくさんありますが、どれも、ある程度までは誰でも経験するものですから、そうした症状があるというだけでは病気とは言えないのは当然です。すると症状とは別の基準が必要となり、上に「根拠」として挙げた内容がその基準ということになるのです。

単純化してお答えすると言っておきながらかなり長くなってしまいましたが、これでもうつ病の診断についての説明としてはまだまだ単純すぎるくらいです。
「精神疾患とは何か」と並んで、「うつ病とは何か」 という、うつ病の診断についての最も重要な問題があります。この問題に言及するとここまでの回答の何倍もの字数を要することになり、「単純化」とはほど遠い説明になりますのでここでは触れませんが、林の奥うつ病の聖杯にかなり詳しく記してありますのでそちらをご参照ください。
そして、これもうつ病の聖杯に記してあることですが、真のうつ病には、特異的な症状というものが存在します。先ほど「うつ病には「特有の症状」というものが存在しない」と言ったことと矛盾していると感じられると思いますが、これは、うつ病とは何か という問題、そして、症状を単語で描写した瞬間に症状の本質が失われることの問題と強く関連しています。これについてはうつ病の聖杯の23-27をご参照ください。そしてこの観点からも、【4335】はうつ病であるということがかなり確定的に言えます。

以上、どの観点から見ても、【4335】はうつ病を発症している可能性が非常に高いです。精神科を受診し、治療を受けてください。

(2021.6.5.)

05. 6月 2021 by Hayashi
カテゴリー: うつ病, 精神科Q&A, 自殺 タグ: |