【4200】1年間のカウンセリングを通して、生きることが楽になってきました。(【3975】、【4188】のその後)

Q: 30代女性です。
【3975】高校生のとき教師から受け続けていた性的虐待と、自分の中のもう1人の自分 でご回答下さっただけでなく、【4188】解離性同一性障害と診断され、治療が始まりました でその後の経過を気にかけてくださり、ありがとうございます。長くなりますが、この1年間の取り組みと、現在の心境についてご報告させてください。

この1年、コロナでの外出自粛や、カウンセリングを回避しようとする心理状態から、途中間が空いた時期もありましたが、通算7回のカウンセリング(精神分析的心理療法)を受けることができました。

最初は、自分の中に複数の人格を感じることの何がおかしいのか理解できず、また、心理療法を受けることで、この人格が消滅してしまうのではないか、そうしたときに残る自分自身では日常生活を送ることができないのではないかという不安がありました。治療を受けることで、20 年間自分を支えてきてくれた4人の存在を取り上げられてしまうのではないかという猜疑心があったと思います。私には、解離性健忘の症状はなかったので(ただ、高校時代の経験で、自分がやった記憶が全くないものもいくつか発見したので、あの時期にはあったのかもしれません)、専門的な治療を受ける必要があるかどうか懐疑的でもありました。

最初の面談で、治療を受ける必要が本当にあるかどうか自分には判断できないと伝えたときに、カウンセラーの先生から「キャシー(怒り狂っている人格)がまた出てきたらどうするの?」と尋ねられました。そのとき、「私はキャシーのことをもうコントロールできます!」と憤慨して面談を終えたのですが、このことを後から見直したときに、自分が、キャシーという頭の中の存在は自分とは違う別の人間だという前提の元に、この問題に対処しようとしているんだということにハッと気が付いて、ある種の病識を持つことができました。当時は、頭の中の4人の人格がそれぞれ発話していて、脳内会議の声がうるさくて明け方に目が覚めてしまうことがあったり、それを止めることもできないので数時間涙が止まらなかったりと、今思うと、生きづらい状態だったなと思います。でも、そのときはそれが普通だと思い込んでいたので、自分が専門家の助けが必要な状況だと自覚していませんでした。

結論から言うと、カウンセリングを始めた頃にハッキリ明確な境界線を持っていた4人の人格は、トラウマケアの取り組みを通して、徐々に境界線が薄くなっていき、自然にすーっと自分自身に統合され、今では、自分の中に土台を感じながら日々過ごすことができるようになりました。

「キャシー」は、もともと爆発的な怒りのパワーを秘めてはいるものの、普段は息をひそめている小さな存在でした。ただ、前面に出てくると、自分の体を乗っ取られたかのように、どうにもこうにもコントロールがきかない存在でもありました。
(そのため、4人の人格のうち最も自分とは異質な存在として、その他の3人が相談した上で外国名を付けたという経緯があります)私自身は普段「怒ったことあるの?」と友達によく聞かれるくらい、温厚なタイプなのですが、キャシーが出てきたときは、舌打ちをしたり壁をバンバン叩いて威嚇したり、物に当たったり口汚く家族を罵ったりと、人が変わったように豹変してしまうので、子供達には随分怖い思いをさせてしまいましたし、母子関係夫婦関係に悩み自分を責めていた時期がありました。自分ですら、キャシーに恐怖心や嫌悪感を抱いていたと思います。(子供達に「私(キャシー)を怒らせないで、私も本当はこんな風に怒りたくないの、でも止め方が分からないから、私(キャシー)を怒らせるようなことは出来るだけ避けて」と懇願したことさえあります。未就学児の子供に、です。子供にどれだけの困惑を与えたかと思うと、今方向転換できて本当に良かったです)トラウマケアを続ける中で、キャシーだけに怒り役を任せるのはいびつだった、怒りが爆発するまで貯め込むのはもうやめよう、と思えてから、気が付くと、キャシーがいなくなっていた感じです。いなくなったといっても、どこか別の場所にいってしまったという感覚ではなくて、溶けて私自身に統合した感覚なのです。今後私は以前キャシーが怒っていたような方法で、怒りを表現し、家族を怖がらせることはもうないと自分で自分に安心感を抱いています。

「冷静で分析的な私」は、私が感情的になったり混乱している状況でも、事態を把握して何が起こっているか分析し説明することで私を落ち着かせてくれようとする存在でした。この私は、今では、単に知識を集積し分析的に事態を把握しようとする私の性格、という理解に収まりました。どうして、この性格的な傾向を「人格」だと理解していたのか、今となってはよく思い出せません。

「高校時代からいるもう一人の自分(のちにスーパー○○(本名)と名付けました)」は、最初の内は、「私が全部かわりにやってきてあげたのに」と泣いたり、困ったことが起きると「本当に大丈夫?私がかわってあげようか?」と語りかけてきたりしていました。基本的にはずっと、「あなたが安心して生きていけることが私の願い」と私を見守り、いざとなれば前面に出てすごい能力を発揮し困った状況に対処してくれる頼れる存在でした。(その間私は自分の体の外から自分を見ていて体を自動操縦している感じでした。ある意味、意図的に人格交代ができたので、そのときの記憶があり、解離性健忘の症状はなかったです)私が、周りの人への信頼感を回復し、頼ることができ始めてから、「高校時代からいるもう一人の自分」は、私と対面して私を見守る存在ではなく、私と同じ方角を見て隣にいてくれる存在に変わり始めました。あるとき、あれだけ明確な境界線を感じ、憧れすら抱いていた存在だった「高校時代からいるもう一人の自分」が同化し、私自身となっていることに気がつきました。

「ずっと寝ている自分」は、最初5歳くらいの女の子でした。私はこの子供が自分の主人格ではないか、この子供を起こしてあげたい、という気持ちでいましたが、今では、私自身の感性や感情、私という人格の核にある価値観という理解になっています。「ずっと寝ている自分」は、高校時代に憑依型解離性同一症の症状が出たときに、主に「高校時代からいるもう一人の自分」から、「この子は純粋過ぎて、この世界に起きる暴力的な出来事を理解することがまだできない、性的虐待という体験に耐えられない、生きることが難しくなる」という判断で、眠らされ、仮死状態に置いて守られたという認識の存在です。トラウマケアを始めた頃は、ずっとあくびをして「先生(相手)は良い人なの?悪い人なの?よく分からない、私まだ眠たいの、、、」と眠りに戻ったりしていましたが、フラッシュバックが起きるたびに、びっくり仰天して目を覚ます感じでした。この子にとっては自分が眠っている間に起きた知らない出来事なので、フラッシュバックで出てくる記憶の断片に触れ、心底驚き悲しみ混乱するのです。「どうしてこの人(相手)は先生なのに、私にこんなことするの?」「どうして両親やほかの先生は気づいてくれないの?」「どうして誰も私を守ってくれないの?」と、なぜなぜ期の子供のように、どうして?どうして?と疑問をもち、私自身を憐れみ、涙を流していました。でも、カウンセラーの先生のおかげで、トラウマやフラッシュバック、解離について理解が深まる内に、過去の体験を自分のこととして受け入れることができ、また、トラウマへの対処を自分で模索することができるようになる内に、どんどん起きている時間の方が長くなり年齢があがって成長し、今では自分の実年齢に近づいて私自身になりつつある感覚があります。きっとこの子供も他の人格と同じように、直に私自身に統合されていることに気がつく日がくると予感しています。今後、困難な場面に直面した時は、私は自分自身の感性を眠らせて耐えるのではなく、自分自身の感覚を一番大切にした生き方を模索したいと思っています。

私の中にいると感じていた4人の人格は、トラウマの症状で他人を信じることが困難になり、自分しか頼れなかった私自身が、それでも生き抜いていくために作り出した、私を守ってくれる存在だったと思います。そして、その人格のおかげで、実際に死なずに生きてこれました。トラウマケアを通して、周りの人達が、私に、他人は信じ頼るに値することを根気強く示してくれたおかげで、私は再度他人を信じ頼ることができるようになり、この4人の人格は、役目を終えて、自然に統合されていったと感じています。それぞれの人格の境界線が薄れ統合されていくとき、今までありがとう、とお礼を言うような心持ちでいました。

私は高校時代、教員からの性的虐待を受けた被害者ではあるけれど、人生の被害者ではない、と、今では自分に対する悲観的な印象を払拭しています。カミングアウトできるまでの20年間の沈黙と、この1年間の取り組みを通して体験した意識変容や人間関係の劇的な変化、自己認識の捉え直しや生き方の転換には、私の人間的な成熟において深い意味がありました。

トラウマケアに取り組めたこの一年間は、毎日毎日「自分自身のままで今を生きる」ことに必死に取り組んだ一年でした。フラッシュバックで数時間涙が止まらなくなったり、感情的にパニックになって寝込んだり、過換気呼吸で倒れて救急車のお世話になったり、仕事を一時休業状態にして1日10~12時間の過眠症状を基本にした日常生活のサイクルに切り替えたり、希死念慮に対処したり、本当にたくさんのドラマがありました。私にとってだけでなく、家族にとってこそ大変な一年でしたが、主人や実家家族、友人、カウンセラーの先生、周りの人達からの心あるサポートを受けることができたから、多くの壁を乗り越えることができ、強くなれ、今の心の平安につながっているので、感謝の気持ちしかないです。羞恥心や罪悪感、孤立無援感、孤独感、共犯意識など、自分を苦しめてきたものがトラウマの症状だったことを知り、そこから解放されて、フラッシュバックへの対処も練習し、20年間自分の中に封印し隠し耐えてきた大きな重荷を降ろすことができて、生きやすさを感じています。日常的に性被害に遭っていた高校時代の出来事を時系列順に並べたり、感情を揺さぶられたり息切れしたりすることなく言語化するのはまだ難しい現状ですが、カウンセリングを続けて、あの時自分の身に起きたことと、あの時は知覚できていなかった自分の感情、今の私が感じる感情を整理しながら、心静かに記憶を見つめてみたいと思っています。

また、私自身のメンタルが安定してきたことで、両親からの身体的精神的暴力やネグレクトという虐待を受けトラウマを抱えてきた、私の母のことを、ありのまま受け入れることができるようになりました。さらに、父が最近検査を受けて自閉症スペクトラム(53点)だと分かったり、IQは130~140と高く論理性に長けていること、愛着スタイル診断テストで回避型愛着障害(19点)の傾向があるとの結果が出たりしました。虐待サバイバーの母とASDの特徴を持つ父という両親の元で育った私自身の生育環境が私の人格形成に与えた影響についても、見直していきたいし、実家の家族関係を再構築していきたいと思っています。

自身のトラウマケアを通して、精神医学や心理学、カウンセリングや傾聴などに興味が湧いてきて、勉強を始めたいと思っています。今は、トラウマからの回復に社会のサポートを受けさせてもらい、自分が本当に安定したら、今度は周りの人をサポートできるような人間になりたいです。

最後に改めて、林先生の「Dr林のこころと脳の相談室」に感謝申し上げます。この1年間も、ずっと拝読させて頂き、そのたびに「事実」をそのまま見ようとする林先生の一貫した姿勢に励まされ、導かれました。解離性同一性障害という自分の症状を認めることや、フラッシュバックで垣間見る過去の記憶を自分自身の体験として見つめることは、苦しい作業でもありました。しかし、事実を事実としてただ見つめることができたときに、自分の心の重荷となっていたものを受け入れ、乗り越えることができ、心の平安や体なの症状の安静につながっていったと思っています。本当にありがとうございました。

 

林: 経過のご報告をいただきありがとうございました。
良い治療者に出会い、真摯に治療を受けておられる結果、とても良い経過をたどっておられるご様子、何よりと思います。
このような良い経過をたどっておられる以上、横から私が何かを申し上げる必要はなく、また、申し上げることはあまり適切でない可能性がありますので、最小限の回答を記すことにとどめたいと思います。

最初は、自分の中に複数の人格を感じることの何がおかしいのか理解できず、また、心理療法を受けることで、この人格が消滅してしまうのではないか、そうしたときに残る自分自身では日常生活を送ることができないのではないかという不安がありました。治療を受けることで、20 年間自分を支えてきてくれた4人の存在を取り上げられてしまうのではないかという猜疑心があったと思います。私には、解離性健忘の症状はなかったので(ただ、高校時代の経験で、自分がやった記憶が全くないものもいくつか発見したので、あの時期にはあったのかもしれません)、専門的な治療を受ける必要があるかどうか懐疑的でもありました。

解離は一つの防衛が具体化した症状なので、最初の段階ではこのように治療に懐疑的になられるのは自然と言うこともできます。

この1年、コロナでの外出自粛や、カウンセリングを回避しようとする心理状態から、途中間が空いた時期もありましたが、通算7回のカウンセリング(精神分析的心理療法)を受けることができました。

質問者にとってとても幸運であったと思います。現在わが国では精神分析的心理療法を真に行える治療者はとても少ないのが現状です。その理由の一つは、精神分析が治療に有効な対象疾患はかなり限られているということもありますが、そんな中で解離は精神分析の効果がかなり期待できるものの一つです。

結論から言うと、カウンセリングを始めた頃にハッキリ明確な境界線を持っていた4人の人格は、トラウマケアの取り組みを通して、徐々に境界線が薄くなっていき、自然にすーっと自分自身に統合され、今では、自分の中に土台を感じながら日々過ごすことができるようになりました。

「統合」は解離性同一性障害の治癒の一つの形です。

「キャシー」は、もともと爆発的な怒りのパワーを秘めてはいるものの、普段は息をひそめている小さな存在でした。ただ、前面に出てくると、自分の体を乗っ取られたかのように、どうにもこうにもコントロールがきかない存在でもありました。 (そのため、4人の人格のうち最も自分とは異質な存在として、その他の3人が相談した上で外国名を付けたという経緯があります)
私自身は普段「怒ったことあるの?」と友達によく聞かれるくらい、温厚なタイプなのですが、キャシーが出てきたときは、舌打ちをしたり壁をバンバン叩いて威嚇したり、物に当たったり口汚く家族を罵ったりと、人が変わったように豹変してしまうので、子供達には随分怖い思いをさせてしまいましたし、母子関係夫婦関係に悩み自分を責めていた時期がありました。

「キャシー」の存在はお子様に対して、またその他の対人関係においてもマイナスであったことはおそらく確実で、その意味でも治療によってキャシーが消えていったことは大きな意義があったと言えるでしょう。

最初の面談で、治療を受ける必要が本当にあるかどうか自分には判断できないと伝えたときに、カウンセラーの先生から「キャシー(怒り狂っている人格)がまた出てきたらどうするの?」と尋ねられました。そのとき、「私はキャシーのことをもうコントロールできます!」と憤慨して面談を終えたのですが、このことを後から見直したときに、自分が、キャシーという頭の中の存在は自分とは違う別の人間だという前提の元に、この問題に対処しようとしているんだということにハッと気が付いて、ある種の病識を持つことができました。

カウンセラーの先生から「キャシー(怒り狂っている人格)がまた出てきたらどうするの?」と尋ねられました。、これは、質問者に治療へのモチベーションを持たせるための発言で、治療のテクニックの一つであったとみることができます。何より子どものために統合が必要 という線を前面に出すというアプローチだったと思われます。

「冷静で分析的な私」は、私が感情的になったり混乱している状況でも、事態を把握して何が起こっているか分析し説明することで私を落ち着かせてくれようとする存在でした。この私は、今では、単に知識を集積し分析的に事態を把握しようとする私の性格、という理解に収まりました。どうして、この性格的な傾向を「人格」だと理解していたのか、今となってはよく思い出せません。

解離性同一性障害から「回復」したときに(人格が統合された状態をここでは「回復」と呼んでいます。回復は必ずしもそのような形を取るとは限りませんが)、このような気持ちになることは少なからずあるものです。すなわち、どの「人格」も、自分の中の(自分の性格の中の と言ってもいいでしょう)ひとつの傾向が表面化したものであるというのが事実ですが、まさに解離性同一性障害の只中にあるときは、それが自分とは別の「人格」と感じられる、だからこそ一種の「病気」と呼ばれているのであって、回復したときにはその「病気」であったときの自分の心理・思考が信じ難いものと感じることが少なからずあるものです。

「高校時代からいるもう一人の自分(のちにスーパー○○(本名)と名付けました)」は、最初の内は、「私が全部かわりにやってきてあげたのに」と泣いたり、困ったことが起きると「本当に大丈夫?私がかわってあげようか?」と語りかけてきたりしていました。基本的にはずっと、「あなたが安心して生きていけることが私の願い」と私を見守り、いざとなれば前面に出てすごい能力を発揮し困った状況に対処してくれる頼れる存在でした。(その間私は自分の体の外から自分を見ていて体を自動操縦している感じでした。ある意味、意図的に人格交代ができたので、そのときの記憶があり、解離性健忘の症状はなかったです)私が、周りの人への信頼感を回復し、頼ることができ始めてから、「高校時代からいるもう一人の自分」は、私と対面して私を見守る存在ではなく、私と同じ方角を見て隣にいてくれる存在に変わり始めました。あるとき、あれだけ明確な境界線を感じ、憧れすら抱いていた存在だった「高校時代からいるもう一人の自分」が同化し、私自身となっていることに気がつきました。

ある意味理想的な人格統一です。

「ずっと寝ている自分」は、・・・ どんどん起きている時間の方が長くなり年齢があがって成長し、今では自分の実年齢に近づいて私自身になりつつある感覚があります。きっとこの子供も他の人格と同じように、直に私自身に統合されていることに気がつく日がくると予感しています。

その通りになると思います。

私の中にいると感じていた4人の人格は、トラウマの症状で他人を信じることが困難になり、自分しか頼れなかった私自身が、それでも生き抜いていくために作り出した、私を守ってくれる存在だったと思います。そして、その人格のおかげで、実際に死なずに生きてこれました。
トラウマケアを通して、周りの人達が、私に、他人は信じ頼るに値することを根気強く示してくれたおかげで、私は再度他人を信じ頼ることができるようになり、この4人の人格は、役目を終えて、自然に統合されていったと感じています。それぞれの人格の境界線が薄れ統合されていくとき、今までありがとう、とお礼を言うような心持ちでいました。

解離性同一性障害の回復の、理想的な形の一つが実現しています。良い治療者に出会えたこと、そして質問者がその治療を真摯に受け続けたことが、この経過(まだ「結果」ではなく「経過」というべきでしょう。ゴールははっきりと見える位置に到達していますが。)に繋がったのだと思います。さらに改善、安定されることを願っています。

(2021.1.5.)

その後の経過 (2021.4.5.)

05. 1月 2021 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A, 虐待, 解離性障害