【3984】 「治りたくない」人はいるのですか?
Q: 20代男性です。いつも興味深くサイトを拝見しております。 林先生にお伺いしてみたいことがあり、メールいたしました。 それは、
「治りたくない」と思っている患者はいるのかどうか?
という疑問です。
ここでは、躁状態を経験した方が「躁のほうが調子が良いので、完全にフラットにはなりたくない」と言う事例は除いておきます。
例えば(実話ですが)ある大学生が、気分の落ち込みや意欲の低下といった症状があり、しばらく欠席しては復帰することを年に5~10回程度の頻度で繰り返しているとします。
このような状態では、もちろん順当に進級はできないでしょう。
そうすると、やっとのことで卒業する頃には、通常の学生より3年ほどブランクを抱えて就職活動をすることになります。これは現在の新卒採用制度の中では不利になるでしょう。また、上記のような体調の安定しない状況では、きちんと会社勤めができるのかどうかも大きな問題になります。
私がお聞きしたいのは、このような問題を先送りするために、あえて「積極的に治療を行わない」ことがあるのかどうかです。
周囲から見れば、生活に支障が出ている時点で治療の範囲内だと考えます。また、一刻も早く治療を行い、ブランクを少なくするなり会社勤め以外の道を考えるなりするのが最善のように思われます。
その一方で、本人は診察を受けることを嫌がり、特に対策をしないまま、欠席と復帰を繰り返してばかりいます。もう周囲はお手上げで、欠席のたびに「いつものが始まったね」といった様子です。
病院を嫌がる様子があまりに頑ななので、次第に「もしかしたら治したくないのでは?」と考えるようになりました(体調が悪いという自覚がないので治療を受ける必要がないと考えているわけではないようです)。
体調をよくして、知らない世界に出て、自立していくという様々なハードルを乗り越えるより、今のままでいる方が目先の苦労は少ないと考えている、ということはないでしょうか。
実際、学生でいるうちは生活の心配がそれほどない(もしくは危機感がない)わけですし、みんなが症状をある程度理解しており、受け入れてもらえるかどうかを心配する必要もなければ、欠席について責められることもないわけです(常態化していて、なあなあの内に受け入れられていると言いますか)。
長くなってしまったので、全体をまとめますと、
・寛解後に待つ現実的な問題が怖くて、治療を嫌がる場合はあるのか?
・その場合があるとするなら、周りのいかなる気遣いも無駄ではないのか?
ということをお聞きしたかったのです。
例で出した大学生のことに限ると、「本人に聞いてみなければ分からない」という回答になると思いますので、過去にこの場合に当てはまることがあったかどうか、もしくはあり得るとお思いになるかどうかをお答えいただければと思います。
寛解後を非常に恐れるというのであれば、それはそれでひとつ病的な何かのような気もしますが…。
最後に。本当に苦しくて、辛くて悲しくて、なんとしてでも治したい、治ってくれたらどれだけ幸せなことかと思って、長い期間にわたってトンネルのような治療の道を歩いている方もいらっしゃいます。そういった方々の努力を貶める意味で質問をしているわけではないことを、最後に述べておきます。気分を悪くされた方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ございませんでした。
林:
私がお聞きしたいのは、このような問題を先送りするために、あえて「積極的に治療を行わない」ことがあるのかどうかです。
そのような問題は、1970年代にすでに、精神科医の小此木啓吾先生が『モラトリアム人間の時代』という本の形で明快に解説しておられます。つまり昔からある問題だということです。もちろん現代にもあります。
ただし、1970年代と現代の大きな違いは、皮肉なことですが、偏見の解消に伴って(当時に比べればはるかに偏見は減ったという意味で、偏見が解消したという意味ではありません。)、問題は拡大しているということです。
「モラトリアム」とは、元々は「支払猶予」という意味で、ごく単純に言えば、社会に出ることを自ら遅らせることを支払猶予期間にたとえたのが「モラトリアム人間」という言葉です。この【3984】の大学生はまさにそれにあたると言えるでしょう。その意味では1970年代と同様の問題ですが、当時はそのような場合に本人は、自分が精神障害であると認めたりはせず、認めたとしても通院していることは極力隠しているケースが非常に多かった点が、現代と大きく違っていました。それに対して現代では、偏見の解消にも伴って、精神科に通院することは隠す必要性がなくなってきたため、「自分は(たとえば)うつ病だからこれこれはできない」と堂々と宣言することができるようになっています。このことは、この【3984】の質問者のおっしゃるように、
本当に苦しくて、辛くて悲しくて、なんとしてでも治したい、治ってくれたらどれだけ幸せなことかと思って、長い期間にわたってトンネルのような治療の道を歩いている方もいらっしゃいます。
という事実からすれば、大変に好ましいことです。病気であることを隠しながら治療している場合は、病気を開示して支援を受けている場合に比べて、苦しみは何倍も大きいと思われるからです。
しかし他方で、精神科で診断を受けたことを錦の御旗のようにしてふりかざし、周囲が大変困惑あるいは迷惑しているケースがあるのもまた事実です。【3983】内科でうつ病と診断された部下の対応に困っています、それから擬態うつ病のケースの数々をご参照ください。
(2020.2.5.)