【3875】ADHDの再発に対し、薬で対処すべきか

Q: 20代男性です。
小学校4年生の頃、軽度のADHDと診断され、リタリンを服用していましたが、中学生の頃あたりに服用をやめて、その後は理性のブレーキが効き多動のような行動が出ずに日常生活を不自由なく暮らしております。
しかしながら、就職してから2年ばかり経ちましたが、
・会議が長引くと集中力が切れ、全く違う事を考え始め話が頭に入らなくなる。
・頭や足など体をあちこちぶつける。
・物を不注意で壊すことが度々ある。
などしばしばポカをやらかしてしまいます。
現状では若手でもありお調子者な性格をしていますので「ドジ」の範疇で周りが暖かい目で許して貰えております。
しかしながら5年後、10年後に責任を持った立場になった時に同じようなミスをして許されるはずがありません。
自分の都合ではありますが、人並みに出世欲はあり、仕事を円滑に行いたい気持ちはあります。
自分の性格は「本来の自分」なのか「治すべき病気」なのか悶々と考えてしまう日があります。

そこで、質問ですが、精神科医の先生に相談させていただき、特に注意の必要なタイミングだけでも薬を服用するような処置をとる事は可能でしょうか。
もしくは薬に頼らず個人の努力で治すべきことなのでしょうか。その場合にはセルフケアのような方法はありますでしょうか?
また、精神科医の先生の所にはもっと治療を必要とされている方がいらっしゃっていると思います。私のような者の相談はご迷惑ではないでしょうか。(言葉が適切ではないかと思いますが、指を切っただけで救急車を呼ぶような事になりかねないでしょうか)

私の意向としては極力薬を飲まずに自分の力で乗り切りたいと思っております。
しかしながら、私の性格や性分では一人の社会人として責任ある立場には登れないのではないかと思ってしまいます。
是非、忌憚なくご教授お願い致します。

以上、長文失礼しました。

 

林: ADHDや発達障害では、この【3875】のように、学生時代は適応できていても、社会に出てから問題が顕在化することがしばしばあります。その時点で初めて医療期間を受診して診断がつくことも多いものです。
この【3875】は、小学生時代にADHDと診断され薬物療法を受け、ある時点で薬をやめても適応できる状態になっていたところ、社会に出てからまた症状が問題になってきたというケースで、ご本人としては、いわば「卒業」したはずの薬を再開することに抵抗をお持ちになるのは理解できます。
そして

自分の性格は「本来の自分」なのか「治すべき病気」なのか悶々と考えてしまう日があります。

このお悩みは【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつあると同様で、特にADHDや発達障害で表面化しやすく、しかし本来はすべての精神疾患の薬物療法に内在する深い問題ですが、ここではそこには立ち入らず、ご質問に焦点を絞りますと、

質問ですが、精神科医の先生に相談させていただき、特に注意の必要なタイミングだけでも薬を服用するような処置をとる事は可能でしょうか。

それは試みる価値はあると思います。
「試みる価値はある」という曖昧な答え方になっているのは、ADHDの薬に関して、そのような飲み方が有効かどうかは明確な証拠がないからです。けれども薬についての一般論からいっても、たとえ有効という証拠がなくても(そのような「証拠」は、多数例を対象として統計的に導かれるものです)、ある個人にとっては有効ということは十分にあり得ますので、かつ、この【3875】のケースでは少なくとも過去においては薬が有効だったと思われますので、「試みる価値はある」と言えます。

もしくは薬に頼らず個人の努力で治すべきことなのでしょうか。その場合にはセルフケアのような方法はありますでしょうか?

それは認知行動療法ということになりますが、このメールから判断する限りでは、薬を全く使わずに解決するのは難しいという印象です。しかしここでも「認知行動療法を試みる価値はある」とまでは言えます。認知行動療法が奏功する現実的な可能性がどれだけあるかは、メールの記載だけからは判定困難ですので、主治医の先生に相談されることをお勧めします。

私の意向としては極力薬を飲まずに自分の力で乗り切りたいと思っております。

その基本姿勢を維持されることが望ましいと思います。
(但し、「極力薬を飲まずに自分の力で乗り切ることが望ましい」のは、この【3875】のケースが、「ADHDで、」かつ、「何年間も薬なしで特に問題はなかった」から言えることで、他のケースには必ずしも当てはまりません。たとえばADHDではない【3876】には「極力薬を飲まずに自分の力で乗り切ることが望ましい」は当てはまりません)

なお、【3875】のケースについては、「極力薬を飲まずに自分の力で乗り切りたい」の「極力」の程度を慎重かつ現実的に考える必要があります。
一般論からすれば、「極力薬には頼りたくない」という人は、必要なときになっても薬を使わず苦しみ、逆に「薬でなんとかしたい」という意向が強い人は、薬に頼りすぎる傾向があるものです。
この一般論からするとこの【3875】のケースは、薬を飲んだほうがいい状況になっても飲まないで苦しむおそれが大きいと言えます。「極力」を「極端」のレベルにしないようご注意ください。

(2019.9.5.)

05. 9月 2019 by Hayashi
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