【3448】自分と自分の記憶がわからず混乱しています(【2906】、【2990】、【3074】のその後)
Q: 【2906】私は統合失調症と診断されましたが、それは誤診で、解離性障害なんじゃないかと思っています、【2990】薬をあまり飲んでいないことに気づいたかもしれません、【3074】私は私の中にいる誰かさんたちと暮らしたいですの20代女性です。
疑問にお答えいただき、本当にありがとうございました。
自分は本当に統合失調症なのか、解離性障害なのか、別のものか、そもそも本当に病気なのか。
自分が異常だという自覚はなんとなくありますが、どうしても自分が甘えていたり、怠けているように思えて仕方ありません。
林先生は、私の覚えてることを主治医にお話したほうがいいと仰ったので、できる限り覚えてることを、声では言えなかったので、紙に書いて渡しました。
それを、林先生にも見ていただいて、症状があるのか、あればどういった症状なのか、また、なんの病気が一番可能性があるのか、私が経験した人生は病気に関係するのかを教えていただきたいのです。
書いて渡した内容は、以下の通りです。(長すぎたり日本語が変でごめんなさい)
(主治医の方に数枚渡したままなので、すべてではありません。)
1. 物心つく頃には両親は離婚という言葉を出しながら喧嘩をしていました。喧嘩の際に母は家出をすることもあり、父はガラスのコップや大きな鉛筆削り機など、その場にあるものを手当り次第に私に思いきり投げてきました。不思議と痛みはまったく感じず、物が当たった感触だけして、私はただただ怒っている父と母がもう帰ってこないかもしれないのが怖くて黙って立って父の言葉を聞いてました。言葉が頭に入ってこず父が何を言っているのかわかりませんでした。
2. 私が小学生低学年のとき、母に友達(母の)のところに遊びに行くから一緒に行こうと言われましたが、私は行きたくないと駄々をこねました。いつもなら母は怒って一人で出掛けるのですが、その日は私の両足を掴んで引きずって暗くて汚いトイレに閉じ込められました。外から鍵をつけ、出られないようにしていました。今思うと父もいたかもしれません。母に足を引きずられてトイレに入れられた記憶ははっきりとあるのですが、鍵をしめたときは父だった気もします、記憶がぼやけています。私は怖くて出られなくてしばらく泣いていました。夜には何事もなく出してもらえました、言うことを聞けとだけ教えていただきました。誰だか覚えていません。どうしてかトイレから出た後のことが一番記憶が曖昧です。
3. 私は冬生まれで、寒さに強いから雪が降っていてもTシャツに薄手のパーカーでも大丈夫なのです。母が「(私の名前)ちゃんは寒さに強いから大丈夫だよね」って言います。だから私は、本当は寒いけど寒くないから、冬にも半袖や短パンでも、お布団が夏用の掛け布団だけでも大丈夫なのでした。学校に行くときは暖かい格好や綺麗な格好をさせられていました。けれどお箸にはいつも青緑っぽいカビが生えていました。
4. 私が小学生のとき、3つ上の兄に学校のプールに行こうと誘われたことがありました。私は行きたくなかったから、断ったら兄が突然包丁を持ってきて、私の左の掌を斜めに切りました。私はまったく痛くなかったけど、たくさん出てきた血に驚いて泣いて、兄は黙ってプールに出掛けてしまいました。そこから怪我が治るまでの数日間の記憶がありません。傷痕が白くなって完全に治った頃にふとそのことを思い出し、慰めてほしくて母に「前に(兄の名前)くんに包丁で手を切られたことあったよ」と告げ口したら「そう、大丈夫でしょ」と興味なさげだったので、私はこれは気にすることじゃないんだなと思いました。私がお風呂で右胸の下から血が出ていても、母はいつも大丈夫だと言って離れて行きます。兄は風邪をひいただけですごく心配されるのに、私は風邪をひいて吐いても汚い、寝てろと怒られるのでした。私はいつのまにか自分のも他人の怪我も気にならなくなっていました。痛いと訴える苦しそうな人を見ても「だからなんだろう?」としか思わなくなり、心配というものがわからなくなりました。元からわからなかったかもしれません。存在するのかすら疑問です。
5. 私が小学生の頃、兄の男友達(当時中学生)がお家に泊まりにきたことがありました。私が男友達が寝る場所にお布団をしきに行ったら、男友達がついてきて、私のお尻を触ってきたことがありました。笑っていてなにか言っていましたが、言葉が頭に入ってきませんでした。その日は私は急いで家族のもとに行って何事もなく終わりましたが、またその男友達と、もう一人(誰だか覚えてません)がお家に遊びにきたときがありました。私は古くて汚い綿がはみ出た布団の上でズボンと下着を脱がされ、性器を触られたり指を入れられたり、赤くて小さなビー玉のようなものやジュースのキャップや三角の白いサイコロや布団からはみ出た綿を中に入れられたりして遊び(?)ました。当時私は彼らがなにをしてるかわからず、キャップのギザギザした部分が痛いなとか綿がチクチクしてダニとかがいないか不安で、でも何か気持ちいいなとか考えてました。ただ、ビー玉が小さくてちゃんと全部出せたかがずっと不安でした。なんとなく誰にも言っちゃいけないことなんだと思い、黙って行為を受け入れていました。それらは兄が高校生になってその男友達と遊ばなくなるまで定期的に続きました。遊びに来なくなってから私はその記憶が頭から消えていましたが、私も兄も成人して、一人暮らしを始めた兄が久しぶりに実家に帰ってきて居間に入ってきたとき、そういえばこんなふうに入ってきたなと元々記憶があったかのように思い出しました。それから、寝るとき布団に入るとあのときの光景が見えたり臭いがして、胸がざわざわと苦しくなり、手や体が震え涙が出てくることが多くなりました。これを書いている現在でも、明確に思い出したり、誰かに教えようとすると体が震え動けなくなり涙が溢れてきますが、感情は不思議と冷めていて、震えて泣いてる自分を隣で座って見てる感じになることがあります。(主治医に「辛いことがあったんだね」と言われましたが、辛いというのがどういうものかわからなく、ただなんとなく体の中が空洞のような、臓器などが無いようなからっぽな感覚がありました。)
6. 私が小学生の頃、猫を3匹飼っていました。私も家族もみんな動物が大好きで、大切に大切に愛でていましたが、ある日父が飼い猫のうちの一匹に引っ掻かれたことに怒りハンガーで思い切りその猫を二回殴り、蹴りました。私はたまたまそれを見ていて、怖くて黙っていました。その後のことはまったく記憶にありません。
7. 私は小学生の頃、飼っていた大好きな猫の首を締めたことが何度かありました。ダメだとわかっているのに、何故か締めたくて仕方ありませんでした。首を締めた以外にも猫(オス)の性器を触ったりしてました。どうしてこんなことをするのかわからず、でもやめられず定期的に同じ猫(私が一番好きだった猫で、父が殴っていた猫です)にしていました。両親が離婚をして引っ越すとき、猫は放されどこかに行きました。
8. まっすぐ歩けず、ふらふらしてしまいます。また遠近感がおかしく、人や物が遠くにあるのか近くにあるのかわからないときが一日に五回以上はあります。
9. 突然、自分を斜め上から見てるような感覚になることがあります。体はたしかにまっすぐ立っていたり座っていたりするのに、視界が斜め上なのです。そうなっているときは、喋っているのが自分ではないような感じがします。とくに市役所の女性と話していたり、父が怒っていたり、母と連絡をとっているときになります。
10. 気づくと歯を食いしばっていたり、唇を噛んでいたりして、血だらけになっていることがあります。
11. 突然イライラしたり、不安で仕方なくなると腕や頭を血が出るくらい掻き毟ったり、カッターで腕を切ったり、頭を拳で何度も殴ったりしてしまいます。痛みはまったく感じず少し痒く感じる程度です。
12. 小学生の頃、身に覚えのない痛くない怪我がよくありました。(一日に五個以上は当たり前だったと思います)隣の席の女の子が「それ痛くないの?これあげるよ」と絆創膏を渡してきて私は意味がわかりませんでしたが、指差されたところを見ると右の手の甲に爪で抉ったような5つの傷があり、血が出てなにか白いものが見えていました。痛くなかったどころか怪我をしていることすら知らなかった私はビックリしました。その女の子に怪我を指摘された日から、自分がよく怪我をしていることに気づけるようになりました。でも、足の皮がずるっと剥けて血だらけでも腕に無数の紫や青や黄色のあざがあってもどうしても怪我をした経緯が今でも思い出せないのでした。怪我をしていてもその女の子以外は何も言ってこなかったので、気にすることじゃないと思い怪我をしても放っておきました。
13.両親が離婚を決めたとき、私は始めて古いカッターで腕を切りました。錆びついたカッターでうまく切れなく、何度も何度も擦り付けるように同じ場所を切りました。私は当時身体的な痛みが欲しいと強く感じ、実際腕を何度も切ったり後はすっきりしていて、体の中でもやもやしていた苦しいなにかは無くなっていました。ダメなことだとはわかっていましたが、やめられず、カッターによる自傷は現在でも続いています。一度だけ、父と暮らし始めてから記憶のない自傷がありました。寝て起きたらいつも切っていたほうではない腕から血が出ていましたが、その前後の記憶がまったくありません。
14. 私が中学生の頃から私が隠し事(友達ができたとか、何を買っただとか、誰と何を話しただとか)をすると父は私を嘲笑いながら責め、家族を騙す最低な奴、人の気持ちがわからない機械、クズだなどと罵り、家族の縁を切るや追い出す、お前のことをもう愛さないなど言います。私はそれが一番の恐怖でした。父に捨てられるのがとてもとても怖くて、今でも毎日毎日父の顔色を窺っています。
15. 父に、人間じゃない、ペット、クズ、機械と言われているうちに、本当に自分は人間じゃない気がしてきました。腕を切っても痛くなくて、皮膚がゴムのように見え、血は色水かなにかなのかなと思います。
16. 昔母が父と喧嘩をしていつもより長く(二日)家出をしたとき、もう母が帰ってこないんじゃないかと心配になって、怖くなりました。母が帰ってこないことではなく、母がいなくなったら次は私の番だと思ったからです。ペットの猫が殴られたときも、母が家出をしたときも、みんながいなくなったら次は私がやられるんだと直感しました。私はただただそれが怖かったのでした。
17. 小学生の頃、頭の中になにかがいると感じたり、後ろに誰かがいる気がして何度も振り返ったりしていました。だんだんそれが会話だと気づきました。
気づいたときには私は誰かとお話していました。それは頭の中にいて、女の子や男の人いろいろいましたが、みんな私に優しくときには厳しく相談(家族への対応の仕方など)やお話を聞いてくれました。私は幻聴のみんなには素直にいられます。今でも名前は教えてくれないし見た目もわからないですが、優しく私を想ってくれていることはなんとなくわかります。あまりにも普通に会話できるので、みんなもそうなんだと思っていました。今では幻聴だとわかっていても彼らが居ることは事実(私にとっては)なので、今まで通りお話し
ています。
18. 父にいつも「(私の名前)の考えてることなんてわかるんだから隠しても無駄だぞ」と言われて私は自分の考えが父には筒抜けなんだと怯え、頭の中を極力なにも考えないようにするか、父を褒め称えるか、どうでもいい一人言をしていました。今思えばあれは嘘をつくな、隠し事をするなという脅しだったんだと思いますが、今でもふと気づくと無意識に父に自分の考え事がバレないように頭の中をからっぽにしようとしているときがあります。
19. 両親が離婚してから、よく虫(黒い蜘蛛や蝶々)の幻覚と人の手や裸足(他の体は無くそれだけが見える)や、黒髪の小さな女の子と、お話してくれる声とは別に女性の悲鳴や自分のやめてと叫ぶ声や、父に名前を呼ばれる幻聴が聞こえます。幻覚は瞬きすると消えるのですが、一度だけ天井全体にいろいろな種類のカラフルな虫がびっしりと数十分はりついている幻覚を見て、あまりにビックリして(虫がとても苦手)叫んでしまい、父にうるさいと怒られてしまいました。父に怒られたら天井の虫は消えていました。右手の爪の間から白いウジ虫が這い出ようとしている幻覚も一度だけありました。幻覚だとわかっていましたが、ウジ虫を爪で潰そうと必死になりました。気づいたら皮が剥けて血がでていて、二時間くらいいじっていたようでした。ウジ虫は消えてました。
20. 床を歩いたときの木の軋む音と足の裏がこすれる音と、車が駐車するときの音、木製のドアが開く音を聞くと身構えてしまいます。父が帰ってきたときのすべての音なのでした。
21. 小学4年生(2年生かもしれません)の頃から現在まで気づくとガラス越しというか画面越しに見ているような感じになることが頻繁にあります。私の体を別の誰かが動かしているところを、操縦席のところで見ているような感覚がします。
22. 両親が離婚してから時間の感覚がありません。日が経っている感覚はあるのに、進んでいるとはどうしても思えないのです。東北大震災があったのは去年(これを書いていたのはX年1月1日)だと思っているし、自分は16歳だと思っています。中学生を同い年だと思ってしまいます。大人の自覚が持てず、家族や市役所の方々に「大人だから」と言われるとどうすればいいか混乱してしまいます。私は怠けているに違いないとわかっていても、どうしても自分がまだ中学生な気がしてなりません。15歳の頃から「大人だから大丈夫、大人だから責任を持て、しっかりしろ」と父に言われていました。
23. 目の焦点があわないことが頻繁にあります。視点ががくがくと上下左右に震えたり、ぼやけてしまったりします。
24. 悪夢をよく見ます。父に追われてトイレに閉じ込められたり、母が小さな蜘蛛を食べていたり、夕方に学校で知らない男の子に脳みそを食べさせられたり、知らない男の子をハサミで何度も刺したり、私が父と兄の顔を熱い鉄板に押し付けたり、兄にお腹を何度も蹴られたりする夢をみます。悪夢をみた後はよく蜘蛛か蝶々の幻覚を見ます。
25. 最近(これを書いてたのは2017年1月1日)物忘れが多い気がします。突然考えていたことを忘れてしまいます。そのせいでこの紙に書くのも苦労しています。書こうとした瞬間に忘れてしまうからです。すぐ思い出すときもあれば、そのまま忘れたままなこともあります。忘れたことも忘れてしまいます。
26. 髪を乾かすのも食事を摂るのもお風呂に入るのも許可と報告が必要です。怠ると「そうやって俺を騙してもなにも感じないんだろうな」と言ってきます。父に対してよくわからないイライラと自己嫌悪を感じてもう嫌だと全部投げ出したくなったり、従ってれば楽なのに、となにかを諦めたいような気持ちになります。
症状というよりただの思い出話ですみません。
私は本当に治療が必要なのでしょうか?
痛みを感じないときがあるのは病気のせいなのでしょうか?
記憶がぶつぶつと途切れたままなのは、どうしてなのでしょうか?
また、思い出せない記憶は今後戻ることはあるのでしょうか?
長いうえに意味不明で本当にごめんなさい。すみません。
家族には病気のことを「気持ちの問題だ、精神力でなんとかしろ」や「本当は病気ではなく怠けてるだけなんじゃないか」と言われます(主に言うのは父と叔母です)
なんとかしたいのですが、自分でも今の自分の状態がいまいち把握できていません。
私としては自分の状態を正確に把握し、病気ならちゃんと治して社会に出たいと思っています。
ちなみにこれらを書いた紙を主治医に見せたところ「これはありがたいので、またなにかあれば書いてきてください」と言われました。
統合失調症の治療で、現在服薬しているお薬はエビリファイOD錠24mgを一日一回と、イライラしたとき用にペロスピロン塩酸塩錠一回一個です。
診察は「最近の調子はどうですか?」という質問をされて、一言二言会話をして終わります。
仮に統合失調症ではなかった場合、主治医にはお話したほうがよいのでしょうか?
いらないことを言って怒られないかと怖いです。
(【1901】と【1948】を読みましたが、申し訳ありません、あまりよくわかりませんでした。)
林: とても詳しいメールをありがとうございました。【2906】私は統合失調症と診断されましたが、それは誤診で、解離性障害なんじゃないかと思います。で私は
その通りです。統合失調症というのは誤診で、あなたは解離性障害だと思います。
と回答しましたが、今回の【3448】の内容はそれを強く裏づけるものです。すなわち、あなたは解離性障害に間違いありません。統合失調症というのは誤診です。
林先生にも見ていただいて、症状があるのか、あればどういった症状なのか、また、なんの病気が一番可能性があるのか、私が経験した人生は病気に関係するのかを教えていただきたいのです。
として書いていただいた1から26は、解離性障害という診断を強く支持する内容です。幼少時に受けた虐待と今の症状は因果関係があると考えていいでしょう。「私が経験した人生は病気に関係するのか」に関しては、1から26までのうちの幼少時についての記載はすべて関係しているとも言えますが、ひとつだけ顕著なものを挙げるとすれば、
12. 小学生の頃、身に覚えのない痛くない怪我がよくありました。
に書かれている内容は、おそらく家庭で酷い虐待を受け、その記憶がその時点で(12に記されている、友人に指摘された時点)すでに失われていた(抑圧されて思い出せなくなっていた というほうが正確でしょう)ことを強く推認させるものです(推認というより、間違いないと言っていいと思います)。
私は本当に治療が必要なのでしょうか?
必要です。解離性障害としての治療です。
痛みを感じないときがあるのは病気のせいなのでしょうか?
そうです。
記憶がぶつぶつと途切れたままなのは、どうしてなのでしょうか?
解離性障害の典型的な症状です。解離性健忘といいます。
また、思い出せない記憶は今後戻ることはあるのでしょうか?
戻るかもしれないし、戻らないかもしれません。戻ることがいいことであるとは限りません。【1944】ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました、【1948】7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえった、【3447】子どもの頃に親から受けていた暴力の事を、急に思い出しました 、【3449】婚約者の祖父母から彼女に幼少期の記憶がないと聞かされました などをご参照ください。
長いうえに意味不明で本当にごめんなさい。すみません。
いいえ、意味はとても明らかです。精神医学的な観点からは、今回のメールで、あなたの病気がとても明るい光で照らし出され、すべてとは言わないまでもほぼ全貌が見えたと言っていいと思います。
家族には病気のことを「気持ちの問題だ、精神力でなんとかしろ」や「本当は病気ではなく怠けてるだけなんじゃないか」と言われます(主に言うのは父と叔母です)
虐待によって病気を作った当事者が何ということを・・・と非難したいところですが、非難しても不毛かもしれません。
なんとかしたいのですが、自分でも今の自分の状態がいまいち把握できていません。
私としては自分の状態を正確に把握し、病気ならちゃんと治して社会に出たいと思っています。
その気持ちを大切にして、解離性障害の治療を受けてください。
ちなみにこれらを書いた紙を主治医に見せたところ「これはありがたいので、またなにかあれば書いてきてください」と言われました。
統合失調症の治療で、現在服薬しているお薬はエビリファイOD錠24mgを一日一回と、イライラしたとき用にペロスピロン塩酸塩錠一回一個です。
主治医の先生が本当はどう判断しておられるか不明です。
あなたが解離性障害であって統合失調症でないことは確かですので、統合失調症の治療をするのは不適切です。
けれども解離性障害にエビリファイやペロスピロンを処方することは必ずしも不適切とは言えません。解離性障害は統合失調症とは違い、薬物療法が必須ではありませんが、補助的には薬をのんだほうがいい場合もあるからです。
けれども
診察は「最近の調子はどうですか?」という質問をされて、一言二言会話をして終わります。
これでは治療にならないことは確かです。
しかしながら、解離性障害の治療は時間がかかるものですから、主治医の先生は、長期の治療計画を立て、今はあえて軽い診察にとどめ様子をみているのかもしれません。
仮に統合失調症ではなかった場合、主治医にはお話したほうがよいのでしょうか?
いらないことを言って怒られないかと怖いです。
主治医の先生に具体的にどのように言うのがいいかは、あなたと主治医の関係性にもよりますので何とも言えませんが、主治医の先生があなたの書かれた内容を見て「これはありがたいので、またなにかあれば書いてきてください」とおっしゃったとのことですので、それはどのように役に立つのか(「ありがたい」ということは、主治医にとって何かの役に立つということでしょう)、さらには診断や治療との関係はどうなのか、と質問してみては如何でしょうか。
(2017.6.5.)