【3288】自分の発達障害を受け容れ、何とか生きていこうとしています
Q: 20代後半の女性です。【3219】発達障害と診断された私の症状ですの方の投稿を拝見しメールをしたためました。現在通院はしていませんが、信頼のおける臨床心理士の先生に継続的にみていただいております。幼少時からしばしば不眠や激しい不安感、孤独感に襲われておりまして、数か月前に、自分は何らかの病気か、発達障害か、人格障害なのではないか、といよいよ思い始めていたのですが、前述の心理士の先生にそのことをお話したところ、それまでの長期的なやり取りを踏まえて自閉スペクトラム症であろうと告げられ、それを受け容れたうえで、何とか快適に生きていこうと努力しているところです。
日常生活において色々と苦手なこと、時には極めて辛く感じることがありますが、問題が起きるたびに心理士の先生ときめ細やかにお話し、いくつかは補填できており、いくつかはその状況をなるべく避けるという手だてをとりつつあります。【3219】の方の記載に関連したものを中心に少し例を挙げてみます。勿論課題として残っているものもたくさんありますし、また、自分では気がついていないものの、他人には迷惑をかけていたり、大変奇異に映っていたりする特性もあるかもしれません。
・(特に短期的な)記憶力が極めて低い
記憶していられる時間も、覚えられる量も少ないです。【3219】の方と同様に、三桁の数字を書き写す際なども、数字を覚えていられないことがあります。しかしそれを特段変なことと思わず、メモをとったり何度も何度も確認したりして何とかしのいできました。最近は携帯電話の写真機能を活用しています。
人の顔や道も覚えにくく、特徴を掴むのが困難ですが、人については髪の長さや眼鏡の有無などの特徴を記録したり、道については紙の地図を常に持ち歩いたり、何度も何度も行き来したりして少しずつ覚えています。どうしようもない時は、運転手に驚かれるほど近距離でもタクシーを使います。
また、運動能力とも関係していそうなのですが、不器用で動作を覚えるのに時間がかかります(ボール投げなどが極端に苦手)。ただ、仕事で使う、やや込み入った一連の作業工程・機械の操作や、日常の料理などは、繰り返しやっているからか、動作の中で比較的適性があったのか、支障ない程度に出来るようになっています。
・口頭コミュニケーション、とっさの判断が苦手
音楽をバックに話をされたり、複数テーブルで同時に会話が展開したりすると、全ての音に注意が行ってしまい混乱したり不愉快になったりします。また複数の人に独立に何度か「あなたの言っていることが分からない、論理がおかしい」と言われることがありました。しかし、大きな問題なく会話の出来る相手もいます。
また、予期しないことを聞かれたり、予期しないことが起きたりすると、いったいどうしたらいいのか分からず、パニックになってしまいます。後になって思い返せば、適切かは分からないのですが方策を考えることが出来ます。
・漠然とした問いに困惑する
私は現在外国におり、今の上司や同僚はみな外国人なのですが、上司の口癖が「調子はどう?」で、一体仕事のことを問うているのか、健康状態のことを問うているのか、私生活の最近の面白い出来事を答えなければいけないのか、などと、想定される文化の違いも相俟って当初大変困惑いたしました。ところが同僚が皆「上々」だと短く答えているのを聞き、決まり文句のようなやりとりなのだと解釈して、以降、真似をしてそう答えるようになりました。
・度を超えて他人と一緒にいるのが苦痛
結婚パーティなど、慣れないところで大勢の人がいるところや、飲み会の席などにぎやかなところが苦手です。一時間くらいするとどっと疲れてきて、無理に長居すると頭痛やめまい、吐き気に襲われます。長い飲み会、二次会三次会など、過度な協調行動を強いられると、苛立ちが限度を超え、叫んだり相手に暴力をふるったり、強制的に場を逃れて一人の場所に逃げ出したりしそうになることもあります。なるべくそのような状況を避けますが、どうしようもない時は自身を抑制しようとパニックになることがあります。
WAISの値は言語性136、動作性103、全体124で、記憶力の低さなどはこの試験を受けながら自覚にいたりました。とくに実感はありませんが、平均より秀でている能力もいくつかありました。また、試験を受けているときの態度から粘り強いと判断されたのですが、残念ながらこちらも、日常において自分の忍耐力の高さ、その利点を実感として感じたことはありません。実際は寧ろ自分は怠惰でこらえ性がない性格ではないかと思っています。
そして、【3219】の方が表明されていた憂鬱な気分、死んでしまいたい気持ち、自分の「規則」を守らないと気が済まない、現実感のない感じ、強い不安感、嫌われている感じ、根拠のない恐ろしい思い込みなどに対し、私自身もこれらのことを感じたことがあり、何かそれぞれ別の病気や障害などではないか、と、自分が発達障害だとわかる以前に疑っていました。しかし、心理士の先生も、発達障害の表れとしてこれらのものがでてくることもあるのだとおっしゃっていました。そのことが今回この【3219】の方と林先生のやり取りからも再確認されて、安心いたしました。この点と、【3219】の方が他の発達障害の方を思いやっている点に心動かされまして、今回メールをしたためました。
正直なところ、生きるのが大変つらいと感じるときも少なくありません。そのうちの何割かは発達障害に起因するのだろうと思います。しかし、喩えが適切か分かりませんが、色覚障害の人も、糖尿病の人も、皆それぞれに苦しみを背負っていると思います。軽減できる苦しみは軽減し、そうでない苦しみは何とか受け容れて、どうにか生きていけたらと思っています。
また、自分がどうもおかしいのではないかと思った時期(半年ほど前です)にこのサイトを見つけ、全ての質問を繰り返し読み、それから林先生のご本の幾つかを読み、先生がこのサイトで紹介されていた、精神病に関する幾つかの本、またその著者が書かれていたり編集されたりしていた別の本(笠原嘉先生が編集されたユキの日記など)を読み、更に発達障害であるとわかってからは、テンプル・グランディンやドナ・ウィリアムズなど当事者の自伝幾つかと、オリバー・サックスの著書、「自閉症スペクトラムの精神病理(内海健)
(門外漢ながら、これは大変分かりやすく面白かったです)」、「作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響(ジュリー・ブラウン)」、などを読みました。こうした信頼のおける良書は、もっともっと広く知られることを願っています。というのも、「メンヘラ」「新型うつ」の語が精神疾患や精神障害の実像をぼかしているように、発達障害が新たなスティグマになっている、たとえば「アスペ」などという語がインターネット上で俗な罵倒語として用いられているなど、発達障害者に対する不正確な知識や思い込みが蔓延して、その実像が分かりにくい状態になり、双方の不幸を呼んでいると感じるためです。
林: とても詳細に症状をご報告いただきありがとうございました。【3219】と同様、多くの読者にとって貴重な情報になると思います。ご指摘の通り、偏った、あるいは誤った情報が広がることは、当事者と周囲の双方にとって大変不幸なことです。ご自身の障害の実態を認識されてからまだ半年と日が浅いにもかかわらず、とても正確に把握しておられると思います。今後、さらに認識を深め、幸福に生きていかれることを願っています。
(2016.10.5.)