色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ふと思い立って、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の英訳本を読んでみた。
 
Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage
Haruki Murakami
Translated by Philip Gabriel
Alfred A. Knopf
Kindle版

1   

一行目からこう始まっている。いきなり精神科的である。

p.3
大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹 文藝春秋 2013 より; 以下、日本語訳はこの本からの引用)

From July of his sophomore year in college until the following January, all Tuskuru Tazaki could think about was dying.

希死念慮が約半年持続。すると多崎つくるはうつ病だろうか。という精神科的な問いが一行目から発生するのだが、この小説を英訳で読む時にまず気になるのは、一行目よりさらに前の段階、すなわちタイトルをめぐる事項だ。色彩のない多崎つくるColorless Tsukuru Tazaki。そこまではいい。タイトルそのものの訳はやさしい。問題はこのタイトルに直接つながる本文の訳だ。「色彩のない多崎つくる」とは、彼の名前には色彩がないが、彼の友人達の名前にはみな色彩があることを意味している。これをどう訳すか。

p.8
また多崎つくる一人を別にして、他の四人はささやかな偶然の共通点を持っていた。名前に色が含まれていたことだ。二人の男子の姓は赤松と青海で、二人の女子の姓は白根と黒埜だった。多崎だけが色とは無縁だ。そのことでつくるは最初から微妙な疎外感を感じることになった。

And aside from Tsukuru Tazaki, they had another small, coincidental point in common: their last names all contained a color. The two boys’ last names were Akamatsu — which means “red pine”— and Oumi — “blue sea”; the girls’ family names were Shirane — “white root” — and Kurono — “black field.” Tazaki was the only last name that did not have a color in its meaning. From the very beginning this fact made him feel a little bit left out.

ここまでは名前の意味の説明であり、こう訳すしかないところであろう。そこには特に問題はない。
では彼らの呼び名についてはどうか。

p.8
他のみんなは当然のことのようにすぐ、お互いを色で呼び合うようになった。「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というように。彼はただそのまま「つくる」と呼ばれた。

Soon, the other four friends began to use nicknames: the boys were called Aka (red) and Ao (blue); and the girls were Shiro (white) and Kuro (black). But he just remained Tsukuru.

Aka (red) というように括弧を使うのは、たぶん翻訳者としては不本意であったのではないかと思うが、他にやりようもないところ。

さらに「多崎つくる」という名前について、後にこう書かれている。

p.59
本名は「多崎作」だが、それが公式な文書でない限り、普段は「多崎つくる」と書いたし、友だちも彼の名は平仮名の「つくる」だと思っていた。母と二人の姉だけが、彼のことを「さく」とか「さくちゃん」と呼んだ。その方が日常的に呼びやすいからだ。

The first name “Tsukuru” was officially written with a single Chinese character, though usually he spelled it out phonetically in hiragana, and his friends all thought that was how his name was written. His mother and two sisters used an alternate reading of the same character for Tsukuru, calling him Saku or Saku-chan, which they found easier.

この部分も訳しにくいのではないかと予想していたのだが、訳文を見ると、何のことはない、ただの説明文になっている。しかしこれもこう訳すしかないところなのであろう。日本語そのものの性質がストレートに出ている部分は、訳文を工夫する余地はほとんどなく、ただ日本語がわからない人にも理解できるような説明文にする以外にない。翻訳としてはかえってやさしいのかもしれない。

名前についてはさらにこう書かれている。

p.59
ただし「つくる」という名前にあてる漢字を「創」にするか「作」にするかでは、父親はずいぶん迷ったらしい。同じ読みでも、字によってそのたたずまいは大きく違ってくる。母親は「創」を推したが、何日もかけて熟考した末に、父親はより無骨な「作」を選択した。

When it came to which Chinese character he would choose to write out “Tsukuru,”however — the character that meant “create,” or the simpler one that meant “make” or “build” — his father couldn’t make up his mind for the longest time. The characters might read the same way, but the nuances were very different. His mother had assumed it would be written with the character that meant “create,” but in the end his father had opted for the more basic meaning.

漢字について語るこの部分も説明文にするしかないと言えるが、それでも翻訳者の苦心の跡が見られる。原文の無骨なbasicとしたことだ。漢字で書けば「作」は「創」より無骨と言えるが、makecreateより無骨とは言えまい。だがよりbasicとなら言える。そしてここは文脈上、「名前の漢字としてよりbasicなものを選んだ」と言い表しても、原文にかなり近いニュアンスを保つことができる。些細なことのようだが良訳と言えよう。

2

小説本文の冒頭に戻ろう。多崎つくるの希死念慮についてである。つくるは小説の語り手であるから、もちろん自殺を実行はしなかった。

p.3
それらの日々、自らの命を絶つことは彼にとって、何より自然で筋の通ったことに思えた。なぜそこで最後の一歩を踏み出さなかったのか、理由は今でもよくわからない。そのときなら生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵をひとつ呑むより簡単なことだったのに。

Taking his own life seemed the most natural solution, and even now he couldn’t say why he hadn’t taken this final step. Crossing that threshold between life and death would have been easier than swallowing down a slick, raw egg.

自殺という重大な行為をするからには、悩みに悩み抜いてのことと人は考えがちだが、確かにそういう自殺者も存在するものの、ある一群の人々は、いとも簡単に自らの命を絶ってしまうものだ。そこに至るまでは深く悩んでいたとしても、最後の一歩は実にあっさりと踏み出されることがある。「生卵をひとつ呑むより簡単」という表現が当を得ている簡単さである。ここで生卵の訳が a slick, raw egg となっていることが目を引く。slickという単語の付加はちょっと考えつかないが、呑み込むことの簡単さを強調するためには適切な付加だということなのであろう。

p.3
つくるが実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりにも純粋で強烈すぎて、それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。具体性はそこではむしろ副次的な問題だった。もしそのとき手の届くところに死につながる扉があったなら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。

Perhaps he didn’t commit suicide then because he couldn’t conceive of a method that fit the pure and intense feelings he had toward death. But method was beside the point. If there had been a door within reach that led straight to death, he wouldn’t have hesitated to push it open, without a second thought, as if it were just a part of ordinary life. For better or for worse, though, there was no such door nearby.

自殺防止は精神医療の重要な課題の1つである。有効な防止方法の1つは、「自殺の手段になり得るものを本人の周りから除去する」というものである。たとえば刃物や紐を隠す。その程度のことで自殺が防止できるのか、隠したって探せば見つかるに決まっているし、それに見つからなければ買ってくれば簡単に手に入るのだから無意味ではないか。理屈ではそう思いがちだが、現実は違うのだ。しばしばあっさりと踏み出される最後の一歩が、あっさりとは踏み出せないような環境を作ることで防止できる自殺はたくさんある。
だからここで、
もしそのとき手の届くところに死につながる扉があったなら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。
If there had been a door within reach that led straight to death, he wouldn’t have hesitated to push it open, without a second thought, as if it were just a part of ordinary life. 
というのは現実の自殺をかなり正確に反映した描写なのである。そして多崎つくるが自殺を実行しなかったのは、
しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。
For better or for worse, though, there was no such door nearby. 
ということが大きい。

なおここで、
それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。

he couldn’t conceive of a method that fit the pure and intense feelings he had toward death.
と訳されていることが目を引く。この原文でのポイントは「具体的な像」であるが、訳文は「具体的な像」に一対一で対応する単語を持って来るのではなく、一文としてのひとまとまりの中に「具体的な像」という意味を溶け込ませている。殊更に「具体的」という単語に拘泥するよりも、このような形の訳文のほうが原文を正確に反映しているし、おそらく英文としても自然なのであろう。
そして直後の文は、これを受ける形で
but method was beside the point. 
となっている。原文は
具体性はそこではむしろ副次的な問題だった。
と、「具体性」ということの重要さが維持される表現になっている。それに対して訳文は単にmethodだから、いわば文学的にはやや厚みが薄れていると言えるのかもしれないが、自殺という行為の実体とその防止という精神科的観点からは、単にmethodとなっても違和感はないところである。

 

p.4

彼はその時期を夢遊病者として、あるいは自分が死んでいることにまだ気づいていない死者として生きた。日が昇ると目覚め、歯を磨き、手近にある服を身につけ、電車に乗って大学に行き、クラスでノートを取った。強風に襲われた人が街灯にしがみつくみたいに、彼はただ目の前にあるタイムテーブルに従って動いた。用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯までまっすぐに通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった。

 

It was as if he were sleepwalking through life, as if he had already died but not yet notices it. When the sun rose, so would Tsukuru — he’d brush his teeth, throw on whatever clothes were at hand ride the train to college, and take notes in class. Like a person in a storm desperately grasping at a lamppost, he clung to this daily routine. He only spoke to people when necessary, and after school, he would return to his solitary apartment, sit on the floor, lean back against the wall and ponder death and the failures of his life. Before him lay a huge, dark abyss that ran straight through to the earth’s core. All he could see was a thick cloud of nothingness swirling around him; all he could hear was a profound silence squeezing his eardrums.

 

多崎つくるの暗黒の日々の描写が続く。訳文は原文を正確に反映している。

 ひとつだけ気になるのは、
堅い雲

thick cloud
となっていることだが、この訳語の適否は私の判定能力を超えている。

p.5
死について考えないときは、まったく何についても考えなかった。何についても考えないことは、さしてむずかしいことではなかった。新聞も読まず、音楽も聴かず、性欲さえ感じなかった。世間で起こっていることは、彼にとって何の意味も持たなかった。部屋に閉じこもっているのに疲れると、外に出てあてもなく近所を散歩した。あるいは駅に行ってベンチに座り、電車の発着をいつまでも眺めた。

When he wasn’t thinking about death, his mind was blank. It wasn’t hard to keep from thinking. He didn’t read any newspapers, didn’t listen to music, and had no sexual desire to speak of. Events occurring in the outside world were, to him, inconsequential When he grew tired of his room, he wandered aimlessly around the neighborhood or went to the station, where he sat on a bench and watched the trains arriving and departing, over and over again.

うつ病の診断基準(DSM-5, “Major Depressive Disorder” = 「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」)に、
・死についての反復思考
Recurrent thoughts of death 
があるが、まさにそれにあたる経験である。
さらに
・ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退
Markedly diminished interest or pleasure in all, or almost all, activities most of the day, nearly every day
もはっきりと認められる。
するとこの時期、多崎つくるはうつ病だったのか。もう少し見ていこう。

p.5
毎朝シャワーを浴び、丁寧に髪を洗い、週に二度洗濯をした。清潔さも彼がしがみついている柱のひとつだった。洗濯と入浴と歯磨き。食べることにはほとんど注意を払わなかった。昼食は大学の食堂で食べたが、あとはまともな食事はほとんど取らなかった。空腹を感じると、近所のスーパーマーケットで林檎や野菜を買ってきて囓った。あるいは食パンをそのまま食べ、牛乳を紙パックから飲んだ。

He took a shower every morning, shampooed his hair well, and did the laundry twice a week. Cleanliness was another one of his pillars: laundry, bathing, and teeth brushing. He barely noticed what he ate. He had lunch at the college cafeteria, but other than that, he hardly consumed a decent meal. When he felt hungry he stopped by the local supermarket and bought an apple or some vegetables. Sometimes he ate plain bread, washing it down with mild straight from the carton.

おそらく大学で彼を目にした人の目にも、彼には何らかの異変が起きているように見えたであろう。しかしそうはいっても彼は淡々と生活している。清潔は維持し、授業に出席している。「どこか変だな」と思いながらも、「たいしたことはないだろう」と人は結論しがちである。だがこうした表面的な平穏さの裏に、病が深く潜行していることがしばしばあるものだ。食事も大学で見る限りはきちんと取っているが、一日の食事全体を見れば全く不十分であることも象徴的である。

p.44
死の間際をさすらったその半年近くのあいだに、つくるは体重を七キロ落とした。まともな食事をとらなかったのだから、当然といえば当然のことだ。

In the half year when he wandered on the verge of death Tsukuru lost fifteen pounds. It was only to be expected, as he barely ate.

現に体重が落ちている。体重減少もうつ病の診断基準の項目にある。
・食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例: 1カ月で体重の5%以上の変化)
Significant weight loss when not dieting or weight gain (e.g., a change of more than 5% of body weight in a month)

p.5
眠るべき時間が来ると、ウィスキーをまるで薬のように、小さなグラスに一杯だけ飲んだ。ありがたいことにアルコールに強くなかったせいで、少量のウィスキーが彼を簡単に眠りの世界に運んでくれた。当時の彼は夢ひとつ見なかった。もし見たとしても、それらは浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて滑り落ちていった。

When it was time to sleep, he’d gulp down a glass of whiskey as if it were a dose of medicine. Luckily he wasn’t much of a drinker, and a small dose of alcohol was all it took to send him off to sleep. He never dreamed. But even if he had dreamed, even if dreamlike images arose from the edges of his mind, they would have found nowhere to perch on the slippery slopes of his consciousness, instead quickly sliding off, down into the void.

不眠をアルコールで解消。これは小説だから、アルコールはいわば不眠解消の手軽な手段としてだけ記されている。現実はそうとは限らない。不眠をアルコールで解消することは、アルコール依存症への道の第一歩ということもよくある。

冒頭一行目の

p.3
大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。

から始まり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最初の数ページは、このようにこの7ヶ月間の多崎つくるの苦悩が描写されている。あらためてうつ病の診断基準と照合してみると、

・死についての反復思考
Recurrent thoughts of death 
・ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味または喜びの著しい減退
Markedly diminished interest or pleasure in all, or almost all, activities most of the day, nearly every day
・食事療法をしていないのに、有意の体重減少、または体重増加(例: 1カ月で体重の5%以上の変化)
Significant weight loss when not dieting or weight gain (e.g., a change of more than 5% of body weight in a month)
・ほとんど毎日の不眠または過眠
Insomnia or hypersomnia nearly every day
さらに最初に引用した箇所は次の項目にあたる:
・その人自身の言葉(例: 悲しみ、空虚感、または絶望を感じる)か、他者の観察(例: 涙を流しているように見える)によって示される、ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分
Depressed mood most of the day, nearly every day, as indicated by either subjective report (e.g., feels sad, empty, hopeless) or observation made by others (e.g., appears tearful).
(ちなみに、上記「涙を流しているように見える」は公式の訳文であるが、誤訳である。appearという単語はこのようにしばしば誤訳されている)

この時期(7ヶ月間)の多崎つくるは、上記5項目を満たすから、診断基準上はうつ病と診断できることになる。
(もっとも診断基準のこのような使い方は本来は誤りである。診断基準とは、あくまでも精神科を専門とする医師が本人を直接診察したうえで、基準を満たすか否かを判定するものである。だが多崎つくるについてそれが実現できるはずはないから、「把握可能な情報に基づけばうつ病の診断基準を満たすと推定できる」というのが正確な言い方になる)

ただし、多崎つくるがこのような状態になったことには、明確なきっかけがあった。この小説の主題はここからである。

 

3

p.5
多崎つくるがそれほど強く死に引き寄せられるようになったきっかけははっきりしている。彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある日、我々はもうお前とは顔を合わせたくないし、口もききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に。そしてそのような厳しい通告を受けなくてはならない理由は、何ひとつ説明してもらえなかった。彼もあえて尋ねなかった。

The reason why death had such a hold on Tsukuru Tazaki was clear. One day his four closest friends, the friends he’d known for a long time, announced that they did not want to see him, or talk with him, ever again. It was a sudden decisive declaration, with no room for compromise. They gave no explanation, not a word, for this harsh pronouncement. And Tsukuru didn’t dare ask.  

多崎つくるの「うつ」には、はっきりしたきっかけがあった。そしてそのきっかけは、彼にとってこのうえなくつらい性質のものであった。多崎つくるに突然一方的に絶交を通告した4人が、彼にとって他の誰よりも大切な友人であったからである。多崎つくるがひどく落ち込むのは当然である。その落ち込みは、自殺の切迫した危険性が高いレベルにまで達していた。
ではこの場合、彼の診断はどうなるか。
明確な原因があれば人が落ち込むのは正常な心理的反応である。「うつ」になるのは正常な心理的反応である。したがって彼の「うつ」は病気ではない。うつ病ではない。これが1つの考え方だ。
他方、自殺のおそれがあるほどの「うつ」であれば、その「うつ」の強さ自体が病的なものであり、うつ病という診断になる。これもまた1つの考え方だ。
この2つは、どちらが正しいというのではなく、考え方の違いとしか言いようがないであろう。そして現実的には、このようなケースでは、うつ病かうつ病でないか、つまり、病気か病気でないかは問題でない。現に彼に自殺の危険性があるということが最大の問題である。それなら自殺を食い止めなければならない。だからもし多崎つくるが、「ほとんど死ぬことだけを考えて生きていた」という時期に精神科を受診したら、治療が開始されることは間違いない。「明確な原因があるからあなたの落ち込みは正常な心理的反応だから、病気とはいえない、だから治療の必要はない」とされることはない。もしそのようにされて彼が自殺してしまったら、精神科の存在意義など無いと言われることになろう。そして治療するためには診断をつけなければならないから、多崎つくるには病名がつけられることになる。
かくして、うつ病という診断が乱発されることになる。実際にはその多くは擬態うつ病である。多崎つくるも、もし精神科を受診してうつ病と診断されたとしても、実際は擬態うつ病である。明確な原因への正常な心理的反応としての落ち込みだからだ。正式な診断名をつけるとすれば、適応障害ということになる。

 

4

適応障害であれば、治療はどのようにすべきか。
この問いは、明確な原因に対する人間の正常な心理的反応にどう対処すべきか と言い換えることができる。
薬を第一に挙げるのは不適切であろう。なぜって、正常な心理的反応なのだ。喜怒哀楽を薬で治療するなど、どう考えても不合理なことだ。脳の病気である内因性のうつ病であれば、薬による治療はかなり正当化できるが、正常な心理的反応は薬で解決するものではない。自力で何とかするか、あるいは、原因となった外的因子に働きかける(取り除ける原因なら取り除く。たとえば過重な労働が原因なら労働を軽くする)のが正当というものであろう。

だが現代汎用されている診断基準であるDSM-5には次のように記されている。

DSM-5
p.166
Stressful life events are well recognized as precipitants of major depressive episodes, but the presence or absence of adverse life events near the onset of episodes does not appear to provide a useful guide to prognosis or treatment selection.

この記載は公式とされている日本語版では次のように訳されている。
p.166
ストレスの多い人生上の出来事は、よく知られた抑うつエピソードの発病促進因子であるが、エピソードの発症の前後での好ましくない人生上の出来事の存在の有無は、予後もしくは治療選択の有用な指標にはならないように見える。

上記、「エピソードの発症の前後での」は誤訳であろう。原文は near the onset of だから、「発症の前後」でもよさそうにも見えるが、直前に Stressful life events are well recognized as precipitants of major depressive episodes と明記されている以上、この near はエピソードの前を限定して指していると解されるし、現実の経過と文脈に即して考えてみても、ここで発症の「後」の出来事に言及されるのは不合理である。また、appearを「見える」と訳すのもここでは不適切である。「好ましくない人生上の出来事」も、直訳としては正しいが、かえって意味がわかりにくくなっている。適正な訳文は次のようになろう。

エピソードの発症前の頃に遭遇したネガティブな出来事の存在の有無が、予後もしくは治療選択の有用な指標になるという証拠はない。

つまり、ネガティブな出来事があってもなくても、治療選択の指標にはならないということである。治療選択とはたとえば薬を飲むべきかどうかということである。ということは、DSM-5によれば、ネガティブな出来事があったことに引き続いて現れたうつ状態すなわち適応障害であっても、内因性のうつ病であっても、それは薬を飲むべきかどうかの決定には無関係ということである。
すると、さっき私が書いた、適応障害では「薬を第一に挙げるのは不適切」「脳の病気である内因性のうつ病であれば、薬による治療はかなり正当化できる」という文章とは矛盾している。
だが、明らかな内因性うつ病には抗うつ薬が著効し、明らかな適応障害には抗うつ薬はあまり効かない(もしくは、全く効かない)というのは臨床的事実である。DSM-5の上記の記載は、ひとつにはDSM-5という診断基準そのものに内在する問題に起因すると思われる。すなわち、たとえ適応障害であっても、うつ状態が重篤であれば、DSM-5ではうつ病と診断される。逆に、たとえ内因性うつ病であっても、まだ軽い段階であれば、DSM-5ではうつ病とは診断されない。DSM-5の診断カテゴリーは、医学生物学的にはあまりに雑多なものが混在しているのである。
もう一つは、精神医学の臨床研究における宿命的な問題が関係している。それは、最も重篤なケースは研究対象にできないという事実である。すなわち、臨床研究のためには本人から研究参加の同意を得る必要があるが、最も重篤なケースは、研究の説明を受けても十分に理解できず、したがって同意を得ることは不可能である。また、仮に形式的にでも同意が得られたとしても、自殺の危険性が切迫しているようなケースに、研究目的で試験的な治療をすることは倫理的に許されることではない。したがって、最も治療が必要なケースは研究対象にはできず、より軽いケースだけをもとに研究が進められなければならないというのが現実なのである。(この問題は統合失調症の研究でも同様である。【1899】2010年のnature誌に、非定型抗精神病薬は古くからの抗精神病薬と効果も副作用も差がないという研究結果が出ていましたが本当でしょうかの 2. ケイティ・スタディの条件 の (3)インフォーム・ドコンセントのバイアス参照)

このような理由のため、医学的エビデンスとされているものは、現実世界とは乖離していることがしばしばある。人間の正常な心理的反応に対して薬で対処することには、多くの人々が抵抗感を持つが、その感覚は正しいのである。

 

5

多崎つくるの症状の描写を続けよう。

p.4
しかし同時に、なぜ自分がその時期、それほどぎりぎりのところまで死に近づかなくてはならなかったのか、その理由もつくるには本当には理解できていない。具体的なきっかけはあったにせよ、死への憧憬がなぜそこまで強力な力を持ち、自分を半年近く包み込めたのだろう? 包み込む —– そう、まさに的確な表現だ。巨大な鯨に呑まれ、その腹の中で生き延びた聖書中の人物のように、つくるは死の胃袋に落ち、暗く淀んだ空洞の中で日付を持たぬ日々を送ったのだ。

At the same time, Tsukuru couldn’t fathom why he had reached this point, where he was teetering over the precipice. There was an actual event that had led him to this place — this he knew all too well — but why should death have such a hold over him, enveloping him in its embrace for nearly half a year? Envelop — the word expressed it precisely. Like Jonah in the belly of the whale, Tsukuru had fallen into the bowels of death, one untold day after another, lose in a dark, stagnant void.

きっかけは確かにあった。だがなぜそれがこうも彼を死に近づけたのか。その理由が彼自身にも理解できない。

先に(3)私は次のように書いた。
多崎つくるの「うつ」には、はっきりしたきっかけがあった。そしてそのきっかけは、彼にとってこのうえなくつらい性質のものであった。多崎つくるに突然一方的に絶交を通告した4人が、彼にとって他の誰よりも大切な友人であったからである。多崎つくるがひどく落ち込むのは当然である。
ここまでは異論のないところであろう。「当然である」は私の見解としての表現であるが、大多数の人々が「当然である」と了解されるものと思う。
だがそれが死への希求に直結することが了解できるかどうはまた別の話である。「ひどく落ち込む」と「自殺を考える」の間には大きなギャップがある。さらに言えば「自殺を考える」と「自殺を遂行する」の間にはさらに大きなギャップがある。自殺を遂行してしまった人を見た時、その人にひどく落ち込むだけの理由があることを見た時、その人が自殺した理由はそれに違いないと人はすぐに納得しがちだが、自殺の心理はそう簡単に了解できるものではないのである。
なぜ自分がその時期、それほどぎりぎりのところまで死に近づかなくてはならなかったのか、その理由もつくるには本当には理解できていない。
はまさにそのことを示している。

ここで、本当には理解できていない本当に を自然な英語に訳すのはかなり難しいと私には思われるところだが、Gabrielが出した答は couldn’t fathom であった。Fathomという単語が原文のニュアンスを正確に反映しているかどうか、判定できるだけの英語力を私は持たないが、原文を深く読んだうえでの単語の選択であることは感じられる訳である。

自分でも本当は理解できていないまま、多崎つくるは前記診断基準の死についての反復思考 Recurrent thoughts of death  にとり憑かれ続ける。

p.40
東京に戻ってからの五か月、つくるは死の入り口に生きていた。底なしの暗い穴の縁にささやかな居場所をこしらえ、そこで一人きりの生活を送った。寝返りを打ったら、そのまま虚無の深淵に転落してしまいそうなぎりぎりの危うい場所だ。しかし彼はまったく恐怖を感じなかった。落ちるというのはなんと容易いことか、そう思っただけだ。

For the five months after he returned to Tokyo, Tsukuru lived at death’s door. He set up a tiny place to dwell, all by himself, on the rim of a dark abyss. A perilous spot, teetering on the edge, where if he rolled over in his sleep, he might plunge into the depth of the void. Yet he wasn’t afraid. All he thought about was how easy it would be to fall in.

原文がそのまま浮かぶような、正確な訳文である。

p.41
まわりは見渡す限り、荒ぶれた岩だらけの土地だった。一滴の水もなく、一片の草も生えていない。色もなく、光らしい光もない。太陽もなければ、月も星もない。おそらく方向もない。得体の知れない薄暮と底のない闇が、一定の時間をおいて入れ替わるだけだ。意識あるものにとっての究極の辺境だ。しかし同時にそこは豊潤な場所でもあった。薄暮の時刻には、刃物のように尖った嘴をもった鳥たちがやってきて彼の肉を容赦なくえぐり取っていった。しかし闇が地表を覆い、鳥たちがどこかに去るとその場所は、彼の肉体に生じた空白を、無音のうちに代替物で満たしていった。

All around him, for as far as he could see, lay a rough land strewn with rocks, with not a drop of water, nor a blade of grass. Colorless, with no light to speak of. No sun, no moon or stars. No sense of direction, either. At a set time, a mysterious twilight and a bottomless darkness merely exchanged places. A remote border on the edges of consciousness. At the same time, it was a place of strange abundance. At twilight birds with razor-sharp beaks came to relentlessly scoop out his flesh. But as darkness covered the land, the birds would fly off somewhere, and that land would silently fill in the gaps in his flesh with something else, some other indeterminate material.

これもまた、村上春樹の日本語を読んでいるかのような見事な訳文である。

この後、原文は、死の間際をさすらう多崎つくるの心理を7ページにわたって描写し、次の文にたどり着く。

p.48
あとになって思い当たったことだが、多崎つくるが死を真剣に希求することをやめたのは、まさにその時点においてだった。彼は全身鏡に映った自らの裸の肉体を凝視し、そこに自分ではない自分の姿が映っていることを認めた。その夜、夢の中で嫉妬の感情(と思えるもの)を生まれて初めて体験した。そして夜が明けたとき、死の虚無と鼻先をつきあわせてきた五か月にわたる暗黒の日々を、彼は既にあとにしていた。

Tsukuru Tazaki only understood this later, but it was at this point that he stopped wanting to die. Having shared at his naked form in mirror, he now saw someone else reflected there. That same night was when, in his dreams, he experienced jealousy (or what he took for jealousy) for the first time in his life. And by the time dawn came, he’d put behind him the dark days of the previous five months, days spent face-to-face with the utter void of extinction.

多崎つくるは自らの内部にある自然治癒力により回復した。適応障害である以上、人間の正常な心理的反応である以上、人はこのように回復力を持っている。と考えるのは残念ながら感傷的な理想論である。人は正常な心理的反応の延長で自殺してしまうこともある。正常の心理的反応と見えたものが、実は脳の病気である内因性うつ病の発症だったということもある。多崎つくるが自力で危機を脱したのは、これが小説であり、彼がその主人公だったからにすぎない。彼がここで自殺してしまっては「彼の巡礼」は実現せず、小説は成立しない。

p.48
たぶんそのとき、夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだろう。強い西風が厚い雲を空から吹き払うみたいに。それがつくるの推測だ。

He speculated that, just as a powerful west wind blows away thick banks of clouds, the graphic, scorching emotion that passed through his soul in the form of a dream must have canceled and negated the longing for death, a longing that had reached out and grabbed him around the neck.

人は自分に生じた心理的変化の原因として納得できる理由を求める。だが本人が納得できる理由が、本当にその心理的変化を引き起こしたものであるとは限らない。むしろ本人の想像だにしないことが真の原因であることはしばしばある。だがそれでは小説は成立しないから、切迫した自殺の危機を脱した主人公に、何らかの洞察を持たせるのはある意味当然である。それは人間の心理学としては不正確だが、小説の価値を何ら落とすものではない。

p.49
あとに残ったのは諦観に似た静かな思いだけだった。それは色を欠いた、凪のように中立的な感情だった。空き家になった古い大きな家屋に彼は一人ぽつんと座り、巨大な古い大時計が時を刻む虚ろな音にじっと耳を澄ませていた。口を閉ざし、目を逸らすことなく、針が進んでいく様子をただ見つめていた。そして薄い膜のようなもので感情を幾重にも包み込み、心を空白に留めたまま、一時間ごとに着実に年老いていった。

All that remained now was a sort of quiet resignation. A colorless, neutral, empty feeling. He was sitting alone in a huge, old, vacant house, listening as a massive grandfather clock hollowly ticked away time. His mouth was closed, his eyes fixed on the clock as he watched the hands move forward. His feelings were wrapped in layer upon layer of thin membrane and his heart was still a blank, as he aged, one hour at a time.

この描写はおそらく多崎つくるの成長を暗示していると読むべきなのであろう。彼の巡礼の年の準備がこのとき整ったのだ。凪のように中立な感情が凪のように が訳出されず、neutral, empty feeling と原文にないemptyが挿入されているのがやや不満ではある。 (凪という単語をそのままは訳さないとしても、凪という比喩で示されている意味はemptyとは違うであろう。tranquilやsereneのほうが適切のように思うがどうか) これは些細なことにも思えるが、他の部分が完璧とも言える翻訳になっていることからすると、やはり気になるところである。

 

6

多崎つくるの「うつ」の症状についての小説内の描写 — それを「うつ病」と呼ぶかどうかはともかくとして — が優れていることは私が指摘するまでもなく当然だが、現実の「うつ」には、症状の描写では捉えきれない次元において、小説とは大きく異なる二つのポイントがある。それらはしばしば病と医療についての重大な誤解を生んでいる。そして時には大きな悲劇につながるという意味では、「大きく異なる」どころか「決定的に異なる」とさえ言えるものである。
第一。それは本稿2の冒頭に私が記したこの文章にかかわる点である。

つくるは小説の語り手であるから、もちろん自殺を実行はしなかった。

多崎つくるは 死の入り口に生きていた lived at death’s door が、その入り口の向こう側に行くことはなかった。自殺は実行しなかった。だが実行しなかった最大の理由は、彼が小説の語り手=主人公だからである。これが小説でなければ、彼が死の扉を開き向こう側に行ってしまう=自殺に終わるという経過も十分に考えられたところである。言うまでもなく現実には、自殺するケースも自殺しないケースもある。そして自殺するケースは、日常感覚的に想像するよりははるかに多い。しかし小説の主人公は自殺しない。少なくとも物語の序盤では自殺しない。現実には物語が始まるか始まらないかのうちに自殺してしまう【0688】14歳のある日突然自殺してしまった息子のようなケースさえある。小説になるのは、物語になるのは、人々が聞きたがるのは、死の淵からの回復した実例である。一方、回復できずに自殺に終わった実例についての情報は、ひっそりと葬られがちである。葬られないとしても、少なくとも人を感動させる物語にはならない。自殺に限らない。病は様々な経過をたどる。良い経過も悪い経過もある。人は良い経過を聞きたがる。だが病は、治療を受けずに悪い結果になることがしばしばあり、それどころか、治療を受けても回復しないこともある。小説ならいい。死の淵から回復した例に限定して呈示してもいい。そこからの成長を語ってもいい。だが現実は違う。悪い結果となったケースを示さなければ、病についての事実を呈示したとは言えまい。

7

多崎つくるの「うつ」と現実との決定的な第二の違い。それは臨床医学的には第一よりはるかに深刻で、解消は不可能に近いものである。
第二。それは本稿3の終わり近くに私が記したこの点に関係している。

だからもし多崎つくるが、「ほとんど死ぬことだけを考えて生きていた」という時期に精神科を受診したら、治療が開始されることは間違いない。「明確な原因があるからあなたの落ち込みは正常な心理的反応だから、病気とはいえない、だから治療の必要はない」とされることはない。

上記の文は「明確な原因の有無により、それが病気か否かの判断が変わるか?」というテーマにかかわるものであるが、現実にはこのテーマに至る前に重大なポイントがある。それは、「そもそも明確な原因があったということが開示されるか否か」という問いである。これが小説と現実の決定的な違いの第二である。すなわち、小説では「読者にはすべてが開示されている」。
多崎つくるは親友から突然に絶交を宣告された。理由も教えられずに宣告された。このように、彼が「うつ」になるにあたって、それに先行してどういう出来事があったかは、読者にはすべて開示されている。開示されなければ小説の意味がわからないから当然である。しかし現実は違う。「うつ」になる前に起きた出来事のすべてを患者が医師に話すとは限らない。話すとしてもすべてを話すとは限らない。話したとしてもその患者にとってのその出来事の真の意味が医師に伝わるとは限らない。
多崎つくるが、自分がこんなに死のことばかり考えるのは病気に違いないと思うか、または病気とは思わないにしても、このままでは自分は自殺しそうだから何とかしたいと思い精神科を自ら受診したとする。そのとき彼は、友人から絶交されたことを医師に話すだろうか。話すかもしれないが、話さないかもしれない。話さなければ医師には明確な原因があったかどうかわからない。すると診断は適応障害ではなく、うつ病に傾く。
他方、多崎つくるが、友人から絶交されたことを医師に話したとする。そうすれば明確な原因ありと医師は認識することになる。すると第一に考えられる診断名は適応障害になる。(但し、【2861】高圧的な上司の影響でダウンした私は擬態うつ病だったのでしょうかうつ病の聖杯で述べた通り、当初は適応障害に見えても、実はうつ病だったということも現実の臨床ではしばしばある。)

「うつ」になる前にどんな出来事があったのか。その出来事は患者にとってどのような意味を持っていたのか。心の動きを考えるうえで、診断を考えるうえで、きわめて重要な情報である。だがその情報が十分に開示されるのは、小説の世界だけである。実際の患者はそれを話さないかもしれないし、話したとしても微妙な心理までは医師に伝わらないであろう。そういう不十分な情報に基づいて診断が下され、治療が始まるのが現実の臨床である。小説は、いくら優れていても現実とは違う。第一に、読者が読みたがる性質を持たされているという点で、情報が偏っている。第二に、読者にすべてが開示されているという点で、現実の虫食い状の情報に比べると非現実的に完璧すぎる情報になっている。第一の「情報の偏り」は情報不足、第二の「完璧すぎる情報」は情報過剰。要約してしまうと不足と過剰という相反する言葉になる。小説とは、偏った完璧さを備えた構造を有しているのである。そしてそこから逆に、現実の持つ広がりと深さが見えてくる。

 

 

05. 2月 2016 by Hayashi
カテゴリー: コラム