【2861】高圧的な上司の影響でダウンした私は擬態うつ病だったのでしょうか
Q: 40代の男性外科医です。いつもHPを拝見させて頂いております。今回私がご質問したいのは私の過去の「抑うつ状態」についてです。
10年近く前、私が中堅医師の時の話です。大学の医局人事で新たな病院に赴任しましたが、そこの上司は独断専行型で、治療方針に異を唱える部下は激しく叱責しやり込めるタイプの人間であり、私もそのターゲットにされました。
わざわざ時間外にやらなくてもいい手術や過剰な手術(私の感覚ですが)をやらないと上司にあとで叱責されるので、学会出張で不在時以外では土日も全く関係なく臨時手術の人手集めに呼ばれるような毎日で、残業は月100時間ほどでした。当初は私なりの意見をおずおずと伝え、コミュニケーションを試みましたがほぼ毎回頭ごなしに却下され、時には「お前は今まで何を学んできたんだ」「そろそろボロが出てきたか」などと叱責され馬鹿にされました。同僚は他に4人いましたが、その上司がトップなのでかばってくれる者もいない状況でした。
ですので私は悟り、過剰適応しようと自分の治療方針を押し殺し、自分の意見や治療方針を自分で抑圧していった結果、次第に外来で患者を診るのも手術をすることも「あとでまた上司に何を叱られるのだろう」と恐怖を感じるようになり、毎朝吐き気を催しながら仕事に行くのが苦痛で食欲もなくなり、体重も7kg痩せました。次第に以前の自分では考えられないような、オーダー漏れ等の単純なミスが次々出てくるようになり、看護師からも心配される有様でした。希死念慮とまでは行きませんでしたが、いま形容するとしたら「目の前すら見えない感覚」に陥っていました。
赴任して3か月後のある日、臨時手術後の患者の急変が心配で泊まり込みをした夜中、以前別の病院で一緒に働いたことのある他科の先生に「○○先生、前の病院の時と違ってずいぶん元気ないけど、大丈夫?」と声をかけられ、思わず今の仕事が辛い状況を打ち明けてしまいました。すると先生は「もうそれは先生限界だから、いっそプシになってしまったらいいよ。そういう先生たくさんいるし、恥ずかしいことじゃないよ」と言われました。予想もしなかったその言葉に、今まで張りつめていた緊張の糸がプッツリ切れた思いでした。その晩一睡もせず悶々と考え、結論を出しました。
その週明け、涙ながらに上司に「今の仕事はもう精神的に限界なので、明日精神科を受診させて下さい」と打ち明けたところ、上司は困惑しつつも許可してくれました。そしてその病院の精神科を受診し、これまでの経緯を精神科医に話したところ「すぐ休職しなさい」と言われ「抑うつ状態で3か月の休職が必要」という診断書をもらい、そのまま休職することになりました。
休職中、当初は自室にこもり、その後は図書館に行って本を借りてきて自室にこもってひたすら読んだり、時々近くを自転車で散歩して過ごしていました。そして夜中にこっそり病院の誰もいない医局に行き、ひとりで自分の荷物を片付けながら「もう医師としての表舞台は終わったな」と後悔ではないが、残念に思いました。
休職後の数か月は大学の医局長の指示で、各地の病院の短期アルバイトをして過ごしていました。私のように戦線離脱した医局員が今更医局人事に戻れるとも思えなかったため「もう医局を抜けてフリーとしてバイトして暮らすしかない」と考えていたところ、以前働いた別の病院の上司からメールがあり「体調を崩したと聞いて心配しています。よかったら来年はうちの病院に来ませんか」と思いがけなく誘って下さり、そこで理解ある上司の元、臨床医としての力と情熱を取り戻すことができました。
縁あってその数年後開業、幸か不幸か当時の苦い思い出のお蔭で、周囲の人達に敬意をもって接するようにしているせいか、職員や患者からも慕われ、今では幸せな生活を送っていると自負できるようになりました。
そして最近ようやく、当時の暗い思い出を過去のものとして振り返ることができるようになってきており、先生にご相談差し上げたい気持ちになりました。
1.林先生はこれまで抑うつエピソードのある患者についての相談には大うつ病か擬態うつ病の二択のいずれかのみで回答をされているというのが、私の印象です。間違っていたらご容赦ください。
私が相当精神的に追い詰められていたことは事実ですが、精神科の診断書のお蔭で休職し職場から離れられたことも事実です。すなわち診断書を「錦の御旗」として利用した、ということになり、他の同僚が適応しているなか、適応できなかった私は「甘え」と捉えられるべきかも知れません。休職期間に遊び歩いたりしてるわけではないにせよ、二択しかないとしたら私のケースはやはり擬態うつ病となるのでしょうか。
2.他科の生兵法ですが自らのケースは適応障害による抑うつ状態なのではと思っておりますが、林先生のHPには、適応障害や、より俗っぽい名称の燃え尽き症候群などは出てこないのですが、それらの疾患概念については否定的なご見解ということなのでしょうか?
林: 自ら経験された抑うつ状態について深い洞察をお持ちになられており、また、私のサイトも深く読んでいただいていることが読み取れるこのメールをいただいたことに感謝するとともに、まずはご質問に簡潔にお答えいたします。
1.林先生はこれまで抑うつエピソードのある患者についての相談には大うつ病か擬態うつ病の二択のいずれかのみで回答をされているというのが、私の印象です。
はい、おおむね二択で回答しています。
しかし「大うつ病か擬態うつ病」の二択ではありません。「うつ病か擬態うつ病」の二択です。大うつ病 Major Depressive Disorderは、質問者もおそらくご承知の通り、DSMに収載されている診断名です(但し2013年に改訂・出版されたDSM-5では「大うつ病」という訳語は廃止され、うつ病(DSM-5) / 大うつ病性障害が公式の診断名になりましたが、それは訳語が変更されたということであって、元々のMajor Depressive Disorderという概念はほぼ維持されています)。DSMの大うつ病 Major Depressive Disorderは、私がサイトで回答しているうつ病とかなり重なりますが、同一ではありません。
私が相当精神的に追い詰められていたことは事実ですが、精神科の診断書のお蔭で休職し職場から離れられたことも事実です。すなわち診断書を「錦の御旗」として利用した、ということになり、他の同僚が適応しているなか、適応できなかった私は「甘え」と捉えられるべきかも知れません。休職期間に遊び歩いたりしてるわけではないにせよ、二択しかないとしたら私のケースはやはり擬態うつ病となるのでしょうか。
「二択しかないとしたら」という条件のもとでは、擬態うつ病の可能性のほうが高いでしょう。
但し、
適応できなかった私は「甘え」と捉えられるべきかも知れません。
とありますが、擬態うつ病 = 甘え ではありません。
擬態うつ病は、甘えの場合もありますが、甘えでない場合もあります。どちらが多いということは言えません。
この【2861】のケースでは、うつ病か擬態うつ病かの二択はあまり問題でなく、「医学的な治療が必要な抑うつ状態(うつ状態)」であったということがポイントです。
2.他科の生兵法ですが自らのケースは「適応障害による抑うつ状態」なのではと思っておりますが、林先生のHPには、適応障害や、より俗っぽい名称の燃え尽き症候群などは出てこないのですが、それらの疾患概念については否定的なご見解ということなのでしょうか?
この【2861】のケースに正式に診断名をつけるとしたら、ICD-10であれば適応障害の下位分類である「遷延性抑うつ反応」(F43.21 prolonged depressive reaction)、DSM-5であれば「適応障害、抑うつ気分を伴う (309.0)」となるでしょう。質問者の述べている「適応障害による抑うつ状態」は、正式な診断名と言い回しはやや異なりますが、正しいと言えます。 (但し、【2861】の診断名として、ICD-10「うつ病エピソード」、DSM-5「うつ病(DSM-5) / 大うつ病性障害」の可能性は残ります)。
林先生のHPには、適応障害や、より俗っぽい名称の燃え尽き症候群などは出てこないのですが、それらの疾患概念については否定的なご見解ということなのでしょうか?
適応障害は、公式な診断基準に収載されている診断名ですから、当然認めています。いや認めるも認めないもなく、公式である以上は受け入れるのが当然です。「否定的な見解」というものはあり得ません。
燃え尽き症候群については、俗名ですから、別の意味で「否定的な見解」というものもあり得ません。しかし診断名として俗名を使えば、混乱が増すばかりでメリットはありませんので、特に理由がない限りは使わないのが当然です。
このように、異なる次元の病名が乱立しているのが現代の精神医学のかなり大きな、致命的ともいえる問題で、精神科の病名についてのわかりにくさの主たる原因になっています。医師である【2861】の質問者でさえ、乱立した病名を同じ平面で論じている(つまり誤用している)ことは明らかですから、医学の非専門家にとっては、精神科の病名についての理解が大混乱するのも無理のないことです。
この【2861】の回答の冒頭に私は、
まずはご質問に簡潔にお答えいたします。
とお書きました。簡潔でない回答、というよりこの【2861】から派生する事項については、林の奥の うつ病の聖杯 をご参照ください。
(2014.12.5.)