【2987】境界性パーソナリティ障害の人でも他人を殺してしまうことがありますか
Q: 20歳、女性、大学生、そして私は境界性パーソナリティ障害患者です。私は学校で看護学を勉強しています。疑問に思ったことがあるので質問させて下さい。
一つ目は逗子ストーカー殺人事件の特集を見て思ったことについてです。犯人は被害者の女性と出会い、交際を始めるときまでは魅力のあるいい人だったみたいですが、交際し始めてしばらく経つと被害者の女性に激しい怒りをぶつけたり、「死にたい」と口にするようになりました。そして、被害者の女性は初めは「私がなんとかしてあげなくちゃ」と思っていましたが、だんだん取り合えなくなり別れを告げました。その時被害者は彼を傷つけないために「嫌いになった訳ではない」と言ったそうです。
別れてしばらくすると、犯人から被害者へストーカーのように大量のメールが届いたり嫌がらせを受けたりするようになりました。そして、インターネットや探偵を使い、被害者の居場所を突き止めてあの事件は起こりました。そして犯人もその場で自殺をしました。
この特集を見たときに、私はもしかして犯人は境界性パーソナリティ障害だったのではないか?と思いました。インターネットで検索してみると、私の他にも彼は境界性パーソナリティ障害だったのでは…?と思った方が沢山いました。
そして、疑問に思ったことは、テレビでは別れを告げたときに被害者が「嫌いになった訳ではない」と言ったことをわざわざ放送していましたが、この「嫌いになった訳ではない」という一言がどのように殺害に関係しているのかが知りたいです。
もう一つの質問は、90年代にメンタルヘルスブログで有名になって、今はもう亡くなってしまいましたが死後にも沢山のファンがいるAさんというネットアイドルについてです。
Aさんは、リストカットを繰り返し向精神薬を乱用していることを、素晴らしい文才でブログにアップしていました。私もブログはすべて読ませて頂いたのですが、すごく辛い内容なのに非常に明るくポップに書かれています。Aさんは最終的には向精神薬の大量服薬で亡くなったのですが、入院中のブログで大学病院の医師から「パーソナリティの障害」と言われたことを明らかにしています。
もし仮に、Aさんも、逗子ストーカー殺人事件の犯人も境界性パーソナリティ障害だったとしたときに、境界性パーソナリティ障害は矛先が自分に向くだけではなく、他人を殺してしまうこともあるということですか?
学校では、他人に矛先が向いてしまう疾患として反社会性パーソナリティ障害を学んだのですが、境界性パーソナリティ障害でも他人を殺してしまうことがあるのか気になりましたので教えて下さい。
乱文失礼しました。
林: この質問メールは論理がやや混乱していますが、おそらく、
1. 「Aさん」が境界性パーソナリティ障害だったとすると、「Aさん」が自殺していることから、境界性パーソナリティ障害は「矛先が自分に向く」ことがあるといえる。
2. 逗子ストーカー殺人事件の犯人が境界性パーソナリティ障害だったとすると、この犯人が他人を殺していることから、境界性パーソナリティ障害は「矛先が他人に向く」ことがあるといえる。
3. すると境界性パーソナリティ障害は、「矛先が自分に向くことも他人に向くこともある」ということになる。
上記1,2,3が、今回の質問に至った論理だと思います。
そして最終的な質問が
境界性パーソナリティ障害でも他人を殺してしまうことがあるのか気になりました
になっています。
この質問の流れは、論理が大きく乱れていますが、質問のポイントと思われる部分について、順に回答します。
まず最終的なこの質問ですが、
境界性パーソナリティ障害でも他人を殺してしまうことがあるのか気になりました
この質問には何の意味もありません。境界性パーソナリティ障害であっても、そうでなくても、他人を殺すことはあります。したがって「境界性パーソナリティ障害でも他人を殺してしまうことがあるのか」という質問には全く意味がありません。この質問への答えは「イエス」ですが、「○○は他人を殺してしまうことがあるか」という質問の答えは常に「イエス」ですので、この質問は境界性パーソナリティ障害についての質問とは言えません。
次に「Aさん」についてですが、質問者は、境界性パーソナリティ障害は自傷や自殺の率が高いと認識しているのかしていないのかがこのメールからは不明です。
質問者自身が境界性パーソナリティ障害とのこと、そしてこのように質問メールを出しておられることからみても、境界性パーソナリティ障害について一定の知識と興味を持っておられると推定され、すると境界性パーソナリティ障害では自傷や自殺の率が高いという基本的知識も当然お持ちと思われます。
しかしそうだとすれば、なぜここで「Aさん」の例を持ち出す必要があるのかが不可解です。
そしてこのメールの文章からすれば、「Aさん」が境界性パーソナリティ障害であったかどうかは不明です。医師から下されたという診断を信用するとしても、それはパーソナリティ障害であって、境界性パーソナリティ障害ではありません。ブログの内容からは境界性パーソナリティ障害の可能性が高いといえそうですが、「可能性が高いといえそう」にとどまります。
すると「Aさん」についての内容からは、「境界性パーソナリティ障害かもしれない人が、自殺をしたということを知った」ことが書かれていることになり、すると質問者は、境界性パーソナリティ障害の人は自殺の率が高いのか、それについても知識がなく、質問しているようにも読めます。というより、メールに書かれている内容の論理からすれば、そのように解釈するのが正しいでしょう。
そうなると質問者は一体なにを聞きたいのかがわからないということになります。
しかしここは一応次のように推定することにします:
質問者は、境界性パーソナリティ障害の人の自傷や自殺の率が高いことは、基本知識として知っている。ここで「Aさん」のことを持ち出したのは、質問者にとって境界性パーソナリティ障害の実例として「Aさん」が鮮烈であったためであって、今回の質問の論理にはあまり関係ない。質問者が知りたいのは、「境界性パーソナリティ障害では自傷・自殺の率が高いが、では他人を攻撃する率も高いのか」ということである。
一応、上記が質問の趣旨であると推定することとします。
すると答えは「イエス」です。
(先に述べた、「境界性パーソナリティ障害でも他人を殺してしまうことがあるのか」に対する答えが「イエス」ということとは、全く意味が異なります。先の質問はあくまで「ことがあるか」であるのに対し、ここでは「率が高いか」という質問にお答えしています。答えは「イエス」です。もう一つ注意点は、これは「殺してしまう率が高いか」という質問に対する答えではなく、「攻撃する率は高いか」という質問に対する答えが「イエス」だということです)
但しここで、逗子ストーカー事件の例を出すのは不適切です。質問者は
私はもしかして犯人は境界性パーソナリティ障害だったのではないか?と思いました。インターネットで検索してみると、私の他にも彼は境界性パーソナリティ障害だったのでは…?と思った方が沢山いました。
と言っておられますが、ある人物の精神科的病状についてのマスコミの情報はほとんど常に偏ったものであり、それを基に診断名がどこまで特定できるかという根本的な問題に加え、世間の注目を浴びるような異様な事件の犯人は、当然に異様な部分を持っており、それは精神科の診断名に、表面上は(ここが重要なところです。「表面上は」です)あてまるように見えるものですから、マスコミの情報をもとに境界性パーソナリティ障害であったと推定して話を進めるのは危険です。
もっとも、マスコミの情報からかなりの程度まで診断名が推定できる場合もあります。林の奥 の 拡大自殺としてのドイツ機墜落事件 治療中断が招いた射殺 ワシントン海軍施設での乱射事件などはその例です。もちろんこれらは私がマスコミの情報を分析した結果、そのように推定しているということにすぎませんから、これらについても診断名の推定は不適切とする考え方もあるでしょう。適切か不適切かは、拡大自殺としてのドイツ機墜落事件 治療中断が招いた射殺 ワシントン海軍施設での乱射事件に記載した分析内容をお読みになって判断していただければと思います。
話がそれました。質問の回答に戻ります。
境界性パーソナリティ障害は他人を攻撃する率が高いか。その答えは明確なイエスです。
そもそも境界性パーソナリティ障害の特徴として、衝動性の高さや激しい怒りが明記されていることからもそれは明らかです。
精神科Q&Aの境界性パーソナリティ障害の実例からも明らかといえるでしょう。
あるいはこの【2987】の質問者は、境界性パーソナリティ障害の人が他人を攻撃する率が高いことは百も承知で、「では、殺人の率も高いのか」とお聞きになりたいのかもしれません。
すると、「殺人」が「他人への攻撃」の延長線上にある行為か、それとも「殺人」と「他人への攻撃」は一線を画する行為か、ということが問題になります。前者であれば、「境界性パーソナリティ障害の人は殺人の率が高い」という答えになるでしょう。後者であれば「境界性パーソナリティ障害の人は、他人を攻撃する率は高いが、殺人の率は高いとはいえない」という答えになるでしょう。
どちらが正しいかは、わかりません。おそらくそこまでの統計的データは存在しないと思います。
以下、ややまとまりのない書き方になりますが、この件に関連すると思われることです。
現代のパーソナリティ障害の分類は、正式なものであっても、あくまで仮のものです。
厳密にいえば、精神疾患の分類はすべてが仮のものですが、パーソナリティ障害については、特に「仮のもの」という性質が強いといえます。
そしてこの「仮」の中に、パーソナリティ障害についての本質(「本質」というものがあるとすれば、ですが)見え隠れしています。
その一つが、「境界性パーソナリティ障害」「反社会性パーソナリティ障害」「演技性パーソナリティ障害」「自己愛性パーソナリティ障害」が、一つの群(「B群」とするのが、DSM-5の分類です)にまとめられていることです。これら四つのパーソナリティ障害は、実際には区別がつきにくいことがしばしばあり、おそらくは深いところに共通の基盤があると思われます。
そして、この中で、反社会性パーソナリティ障害は、明らかに犯罪との密接な関連があります。殺人の率も高いです。
ここで急に話が変わりますが、境界性パーソナリティ障害は、なぜ女性に多いのか?
患者数にはっきりした男女差がある精神疾患はあまりありません。境界性パーソナリティ障害はその一つです。女性のほうがはっきりと患者数が多いのは、境界性パーソナリティ障害と摂食障害くらいしかありません。
そして逆に、男性のほうがはっきりと患者数が多いものの一つが、反社会性パーソナリティ障害です。
こうした統計的事実と、臨床像とをあわせると、「男性の境界性パーソナリティ障害は、反社会性パーソナリティ障害と診断されているのではないか」という仮説が成立します。さらにいえば、「女性の境界性パーソナリティ障害は病院に行くが、男性のパーソナリティ障害は刑務所に行く」という図式を描くことができます。
境界性パーソナリティ障害の特徴として、たとえば性的逸脱行動があります。これは、女性が行った場合は「問題行動」のレベルにとどまっても、男性が同じことを行えば即「犯罪」です。
攻撃行動も同様です。男性による暴力は即「犯罪」になりがちですが、女性による暴力は「犯罪」とはみなされない傾向が相対的には強いです。
DVにしても、男性から女性に対するものが顕在化しがちですが、実際には女性から男性に対するものも相当な実数が存在します。しかしそれは、たとえば刃物などを使うような生命に危険があるものを別にすれば、事例化はしにくいものです。
このように、他人に対する攻撃行動についての扱われ方は、それが男性によって行われた場合と、女性によって行われた場合とでは、かなりの温度差があります。
境界性パーソナリティ障害が女性に多いのは、これが理由だというのが、男女差を説明する一つの仮説です。
この仮説は、一時かなり有力とされましたが、現在では否定されています。私もこの仮説は誤りだと思っています。
しかし、境界性パーソナリティ障害の女性による暴力などの逸脱行動が、もしその人が男性だったら即「犯罪」で警察沙汰となるところ、女性であったためにそうはならなかった、というケースが存在すること自体は否めません。
これが【2987】の質問にどこまで関連するか。それはわかりません。ただ、境界性パーソナリティ障害を、ひいてはパーソナリティ障害全般を、考えるうえで無視できない事実であることは確かです。
(2015.6.5.)