【2943】私は一生薬を飲まなければいけないのでしょうか
Q: 30代女性です。
私は私がなんなのか分かりません。
一番小さいときの記憶は保育園で自分はなんでココにいるのか、大きくなればこのきついことはなくなるのかと思った事です。それ以降は小学5年生まで記憶がありません。なぜ記憶がないのか分かったかというと中学生のときに友人たちと集まり幼いころのアニメや思い出話をしているときに全く意味が分からず会話に入れませんでした。その時は不思議に思いながらも深くは考えていませんでした。単に私の頭が悪いのだと思っていました。しかし成長するにつれ覚えていないんだと自覚するようになり、なぜ小学校5年からあると分かったのはその頃に仲良くなった、お互い親友と呼べる女の子の記憶からは残っていたからです。
小学校中学年より学校に行くとお腹が痛いや頭が痛いと言いだし少々問題行動もあったようで母親がいろんな病院に連れていきました。小学校6年生の時に1か月ほど検査入院といって小児科に入院しました。男性医師が毎日病室に来て簡単な話をし何日かおきに女性の先生と個室でお話(今思えばカウンセリング)をしていました。女性の先生には色々聞かれたような気がしますが、どう答えていいか分かりませんでした。
中学生になりイジメを受けることで登校拒否になり、教育センターという所へ行くようになりました。たまに学校もいっていました。例の親友の子もいたし他にも仲良くしてくれる子もいたので休みの日には遊んでいました。
なんとか、私立の高校に受かり行きだしましたがまたイジメがあり卒業できるギリギリのところまでしか行きませんでした。中高共に女子にイジメられ先生たちには受けがよいという感じですが態度を変えたりということはありません。
中学校のころから自殺願望が強くなりリストカットもしていました。死にたいなんて誰にも言ってはいけないような気がして誰にも言いませんでした。でも高校に上がってから、苦しくて仕方がなくなり親友の女の子にそういう気持ちがあると伝えてみました。彼女は私が死ぬことは止められないけど私が死んだら自分は悲しいし両親も悲しむと思うよと言いました。
進路選択の時期、洋服が好きだった為、専門学校に行きたいと親に言いましたが学校に行かないからダメ!と言われました。絶対行くからと説得し入学できました。専門学校は誰がどんな格好をしてても、それぞれの個性を尊重しあっていて熱が出ても登校して卒業しました。学校に行って初めて良かったと思いました。この頃からまたお腹が痛くなるようになりました。
卒業後は服飾とは全く関係のない医療の分野に勤務しました。検査助手です。色々学ぶことが多く大変でしたがそれを楽しく感じ職場の人間関係なども良かったため続いていました。そこで働く半年くらい前に男性とお付き合いをはじめました。彼とは2年ほどで別れることになり、それから私の言動が変だと母が言いだし職場に連絡をいれ病院に連れていきたいので休ませたいと言ったようです。上司は私はいつも通り仕事をしていて変わりはないので必要がないのでは?といったようです。後から聞きましたが母が先に精神科に行って私の言動を相談していたようです。そして私は会社を無断欠勤してウィークリーマンションを借り他とは一切連絡を遮断しました。付き合っていた彼が母親から頼まれたようで家に帰るよう連絡してきました。
家に帰るとすぐに病院に連れていかれノイローゼと診断を受け薬がでました。上司には私と母から状況を説明し先輩方には上司から説明をしてくださり皆、無断欠勤の事を許してくれました。約2週間後急に何もやる気が起きず通院していた病院でうつ病と言われました。仕事は辞めたくなかったので薬を飲みながら行っていましたがリストカットの跡を先輩に見られ上司が無理しなくていいと言ってくれ、ホッとし辞めて療養することになりました。勤務は約3年でした。
それから1年ほどして担当医が開業して遠くに行くということで先生がかわりました。私がODしたことに激怒しその先生は私に病院にこなくていいと怒鳴りました。他の病院に行きましたが出してもらった薬を飲むと吐き気がするので変えてほしいといいましたが、もう少し続けてみてと言われましたが全く同じ症状で飲むのも病院に行くのもやめました。それから外に出ない生活が半年ほど続きだんだんこのままではいけないと思い就職活動を始めました。たまに面接に受かっても務めるのが怖くて他が受かったのでと嘘をつきを何度かくりかえしました。前と同じ職業がいいと思い探すとパートで募集がありました。母はパートでいい、勤務時間が短く日数も少ないほうがいいと言いましたがそこで働くようになり先輩方が若いのでもっと長く勤務してもらって私は早く退社したいと上司に申し出たようです。パートではありますが保険などもつけてもらい、そこそこ楽にできていました。それからまた男性に交際を申し込まれお付き合いを始めましたが不安が強く出だしました。また精神科に行き状況を話しデパスかパキシルか忘れましたがどちらかの一番軽い薬をもらいました。
事情があり他の病院に転院し24歳〜36歳の現在まで通っています。その間、薬が増えたり減ったりしながら先生は26歳の時にPTSDではないかと言いました。職場は病院が閉院することによって2年半ほどでやめることになりました。先生は出来るだけ仕事をせずに休むよう言われました。しかしちょこちょこバイトなどをしていました。
29歳ごろに早朝覚醒になり色んな薬を飲みましたが効果がなく眠りについては睡眠外来を受け睡眠薬+安定剤2種で眠れるようになりました。睡眠外来の先生も転院せず同じ薬を出してもらい他の病気の治療をした方がいいと提案されそうしています。その頃は28歳で知り合った男性と一緒に暮らしており、生活費は彼の収入で2人で暮らしていました。本当の意味で初めてゆっくりする環境になりました。
31歳で結婚し安定剤と睡眠薬を飲みながら生活していましたが昨年12月から外に出ることが怖くなり彼が代わりに病院にいって話をしお薬を出してもらっていました。年が明け3月にようやく病院に行くことができ先生に何を考えていたかと聞かれたので自分がどうやって死のうか両親が死んだらどうしようかそのことばかり考えていたと話すと、鬱状態になっていると言われ抗うつ剤が出ました。それから死という物を全く考えなくなり外に出ることも増えてきました。しかし突然鬱っぽくなったり一日の中で鬱になったかと思うとハイテンションになったりする状態が続きました。5月ごろから自律神経か更年期のような症状が出だしました。先生は季節のせいじゃないかと言っていました。6月に母が足の手術をしました。事前検査で心臓の詳しい検査をした方がいいということになり、その間の父の食事などに私たち夫婦で付き合っていました。検査の結果、手術をしないと3年ほどの寿命だったと言われ11月に心臓の手術をします。両親は自営業のためお店をどうするかなど話し合って大手の契約を主に店を開けず電話対応する方向になったようです。しかし、母の入院は1か月ほどあるので、その間の洗濯や食事の支度を誰かがしないといけないのですが義姉には小学生の子供が二人おり泊まり込んでは無理なようです。しかし、私も夏ごろからODをしだし飲み過ぎて入院などしていました。母からいろんなことを相談されるたび、どう答えていいかわからず本人に聞いたら? とか言い方も冷たかったような気がして行き場がなくなり死のうと思いました。色々検索していると賃貸などで自殺したりすると事故物件扱いになり両親などに損害賠償がいくというのを見つけますますどうしたらよいか分からなくなり義姉に無意識にメールを送っていて、それを知った兄が怒って電話してきました。義姉は何年か前に乳がんの手術をしており今も自己判断で治療をしているためです。兄は年が離れていて私の病気?を知りません。母が詳しく話したことによって理解したようで、でも私は昔から兄が怖いのでそれ以降連絡を取っていません。母は私が一度連絡を取りたくないといった事で気にしてたまにメールで調子を聞いてくる感じです。それまでは毎週末実家で夫と夕飯を食べていました。10月に入って何度か顔を見せて少し話をしました。死のうとしたことや兄とのことなどにはお互い触れずたわいない話をして帰る感じです。しかし、その後から私はとても苦しくなり勝手に涙がでます。これを書いてる今もです。
私は何の病気なのでしょうか?なんで薬がいるんでしょうか?一生このままなのでしょうか。飲んでいる薬は
朝晩ジェイゾロフト25mg・サインバルタカプセル20mgレキソタン2mg
寝る前にセロクエル25mg・ユーロジン2mg・レキソタン2mg
頓服はレボトミン5mgです。
林: おそらくパーソナリティ障害の一型だと思います。
私は一生薬を飲まなければいけないのでしょうか
そんなことはないと思います。但し、時々は薬の助けも借りながら生活していくことが必要になると思います。
もっとも、このメールからは不明の点が多々あります。一見すると淡々と事実が綴られているようですが、おそらく非常に重要な事項がいくつも省略されている(「隠蔽されている」と言ってもいいでしょう)と思われます。
たとえば、
彼とは2年ほどで別れることになり、それから私の言動が変だと母が言いだし職場に連絡をいれ病院に連れていきたいので休ませたいと言ったようです。上司は私はいつも通り仕事をしていて変わりはないので必要がないのでは?といったようです。後から聞きましたが母が先に精神科に行って私の言動を相談していたようです。そして私は会社を無断欠勤してウィークリーマンションを借り他とは一切連絡を遮断しました。付き合っていた彼が母親から頼まれたようで家に帰るよう連絡してきました。
家に帰るとすぐに病院に連れていかれノイローゼと診断を受け薬がでました。
このエピソードについて、「会社を無断欠勤してウィークリーマンションを借り他とは一切連絡を遮断しました」は、かなり重大な出来事で、周囲の方々のご心配も大変なものがあったと推定できます。しかしメールの描写はあくまでも淡々としており、過去のモノクロの映画を無音で見ているかのようです。
おそらく他の点についても、重大でご本人の心も大きく揺れた出来事が、一見するとたいしたことがなかったかの如く客観的に書かれているのだと思われます。したがって不明な点が多いと言わざるを得ませんが、それらすべてを総合して考えても、おそらくこの【2943】はパーソナリティ障害の一型だと思います。
(2015.4.5.)