【2896】はじめは適応障害、後にうつ病と診断されましたが、本当は甘えではないでしょうか

Q: 現在うつ病で通院中の30代女です。

現在はうつ病と診断されているのですが、治療が長期間にわたっている為、先生のご意見を伺いたくメールしました。うつ病なのか、それとも性格によるものなのか、だんだん解らなくなってきたのです。長文になりますがご容赦ください。
出来る限り客観的に記載したいのですが、どうしても主観が入ってしまいますので、その辺りご考慮いただければと存じます。薬についてはおくすり手帳から当時の処方を参照しています。

まず、精神科で治療を受けるようになったきっかけからお話したいと思います。

私は20歳で専門学校卒業後、就職のために実家(四国)から首都圏へ単身引越し、とある事業所で数年間IT関係の業務に従事しておりました。

その頃事業所移転の話が持ち上がり、そのまま移転先の事業所で勤務するものと異動する者に分かれることになったのですが、会社側の都合で誰がどこへ行くのかぎりぎりまではっきりしない状況になり、その頃から私の精神状態が不安定になってきました。

夜にとんでもなく不安になったり、のどに何か詰まったような感触が続きましたが、通常通り出勤し、業務は続けていました。

その後、私は別の部署へ異動することが決まり、そこから明らかにおかしい症状が出始めました。

まず、悲しい以外の感情がわかず、すぐに泣いてしまうようになりました。
何も無くても涙が出て、ずっと止まらなくなり、これはおかしいと当時の自宅近くにあった精神科クリニックを受診しました。

初診では殆ど私は泣きっぱなしでした。おそらく異動の話があったことからと思うのですが適応障害と診断されました。その際にジェイゾロフト25mgとメイラックス1mgを処方され、指示に従い服用しました。

受診後ほどなく異動の日になり、当時勤務先に近い場所に住んでいた私は、満員電車での長距離通勤を体験する事になりました。幸い最寄が始発駅であり、少し待てば座る事ができたため、苦痛でしたが少しの間異動先へ通勤していました。記憶ですと、この辺りから急激に食欲が落ちました。

異動初日、他の同じような社員と共に新しい仕事についての説明と、今後の意気込みや目標等を書くようにと言われたのですが、私は一文字も書けませんでした。今もまだありますが、将来について考えると何の希望もなくただ涙が出てきてしまいます。その日は私の様子がおかしいと判断した産業カウンセラー兼上司が面談、その際に自分の精神面が不安定である事、精神科を受診している事を説明しました。早退するよう促され、お昼過ぎ頃に帰宅しました。

翌日から通常通り出勤、勤務となりました。クリニックについては土曜日も診察していたため、週1回程度受診していたと記憶しています。薬は2回目からデプロメール50mgとレキソタン4mgになりました。

通勤は電車を何本か待って座り、ずっと俯いて、何度かは泣きながら出勤していたのは覚えています。

職場は異動したばかりですが、会社的には後輩もいるため心配はかけられないと無理をしていたのかもしれません。人と話すのは非常にエネルギーが必要で、昼食は一人でとるのが常でした。家に帰っても何もする気にならず、このまま消えてなくなりたいと泣きっぱなしでした。

少し経って、今はどういうきっかけだったかは忘れてしまいましたが、私に少し休職したらどうかとの話が出ました。私もこのままでは無理だと思い休職期間に入りました。

その頃は定期的にクリニックに行く以外はベッドで寝ているか泣いているかだった様に記憶しています。食欲は全くなく、出かける気力もないため、ネットスーパーで飲み物とゼリー飲料を購入し、それのみ摂取していました。

どうやったら死ねるかな、どうしたら迷惑かからないかな。そんな事ばかり考えていました。電車のホームに立っていて、吸い込まれそうになる、そんな気持ちも良くわかりました。

どん底だったころ、母から連絡がありました。今までは滅多に連絡していませんでしたが、殆ど話せない私の異常を察したのか、毎日連絡をくれ、辛い時にはいつでも連絡しなさい、何なら戻ってきてもいいと言ってくれました。

2週間ほど帰省し、実家で休養を取りました。父が出かけようと誘ってくるのには正直辟易しましたが、薬が効いた事もあるのか少し元気を取り戻し、自宅へ戻り療養を続ける事にしました。

休職して2ヶ月程で少しずつ楽な気分になりましたが、同時に休職中の会社とのやり取りで今までの不満と不信感がつのり、転職を決意しました。

会社規定で休職を満了した場合はそのまま元の部署に戻るか退職するかとなっていたため、休職期間満了までに転職先を決め、そのまま退職しました。

転職先で勤務しつつ、月1回程度通院をしていました。その年、私は職場で東日本大震災に遭遇しました。幸い勤務先の近くに公園があったため、皆でそこに避難し、余震に怯えていました。私も帰宅難民の一人になり、職場で夜を明かしました。東北の被災地の方々に比べれば微々たるものでしょうが、これは私の相当なストレスになったように思います。

それから少しして、症状のぶり返しと不眠が出るようになりました。不眠についてはエチカーム1mgとニトラゼパム5mgが処方されました。不安の症状についてはサインバルタ20mgが処方されましたが、1週間後に40mgへ増量されました。

うつ状態の時に大きな決断は避けた方がよい、とは知っていましたが、両親の心配もあり、私はその年の8月に再び退職、実家で療養に専念する事になりました。

主治医の先生にお願いし、転院先は決っていないのですが紹介状?を書いていただきました。幸い実家からそう遠くないところに内科と精神科併設のクリニックがあり、受け入れていただく事ができました。ただ、こちらの先生にはうつ病と診断されました(自立支援医療の対象であるとの事で手続き方法を教えていただきました。助かっています)。処方はサインバルタ40mg、マイスリー10mg、チスボン10mg、フルニトラゼパム1mgでした。

しばらくはほぼ寝たきり、体重は当初からトータルで10kg以上落ちました(悲しい事にそれでも肥満の部類なのですが)。

寝る前に薬を服用すると、すぐに眠ってしまうくらいだったのですが、それでも午前2時頃に目が覚め、それから2時間ほど眠れないという症状にも悩まされましたが、誰かがそばにいてくれるというだけで安心できるのか、少しずつ良くなり、食欲も出てきました。

ただ、良くなってくるとまた別の問題が発生してきました。無職のため収入が無いのです。一人暮らしをして、生きるにはお金が不可欠であると知った私は、どうにかして収入を得なければと焦るようになりました。医療費も必要です。幸いそれなりの勤務期間がありましたので失業手当は出ますが、それも期間限定です。両親はそんなに気にしなくていいと言ってくれましたが、我が家はそもそも裕福でもなんでもないのです。

そこそこの体力と気力を取り戻してから、短期間のアルバイトを始め、少しの休養期間を置いてからまた短期のアルバイトという事を2年程していました。

そして今から約半年前、当時の主治医だった先生が高齢で引退したため、再度転院する事になりました。転院先はデイケア、入院施設もある精神科の専門病院で、現在の主治医はこちらの先生です。

アルバイトをしつつ、月1回程度通院していました。不眠症状はなくなり薬の量も減っていき、サインバルタ20mgになりました。

その頃は大分寛解したと感じ、短期ではなく長期のアルバイトへ応募、採用されました。

念のため月1回通院しつつ服薬は続けていました。しかし、今年のお盆明けから業務量が急増し、定時に帰れる事が稀になってきました。職場の皆は口々に人が足りていないと言うのですが、改善される気配は全くありませんでした。特に私のシフトは一番遅いため、当日分の業務を全て終わらせてからでないと帰宅できないような状況になっていました。人手に比べて業務量が多いから遅延する、遅延するから苦情が来る、その苦情が更に遅延を呼ぶという悪循環に陥っていました。職場の皆が疲弊していました。

しばらく無かったのどに何か詰まった感じが復活し、先生に仕事が忙しく疲れていることを伝えると、サインバルタ40mg、エチゾラム0.5mgが処方されました。

人手が足りない事は承知していたので、出来るだけ休まずに出勤していました。ですが、今から約1ヶ月半前、布団から出る事ができなくなり無断欠勤をしてしまいました。母が代わりに連絡を入れてくれ、今はゆっくり休んで、良くなったらまた出てきて欲しいという話になったと教えてくれました。

また何も出来ない状態になり、このまま消えたい、この時期なら市販の睡眠薬とお酒を飲んで山で一晩過ごせば死ねるかな、でもその前に色々片付けしなきゃといった事ばかり考えていました。不眠も再発しました。食欲は全くなくなり、牛乳しか飲まない状態になりました。

母と共に受診したところ、この状態が続くなら入院も考えた方がよいと言われました。処方はレクサプロ20mg、サインバルタ20mg、フルニトラゼパム2mg、ゾルピデム10mg、ニトラゼパム10mgになりました。

現在は少し落ち着きましたが、気分に波があり、どこかへ行きたいなと思う日もあれば、死にたいと思う日もあります。短期的な記憶力は低下しているように感じます。

ただ、思い返せば私はかなり昔からそういう傾向の性格だったように思うのです。

小学生の頃はこのまま大人になる前に人生が終わるものと漠然と思っていましたし、中学1年の秋には何もかもが嫌になり不登校となりました(そういった生徒向けに市で支援学級があり、そちらへ通っていました)。

ここまでお書きしてきた20歳を過ぎてからのことも、実は病気ではなく甘えで、嫌な事を避けるために無意識に「うつ状態」を演じているのではないか、という疑問が浮かんでくるのです。今までの文章も林先生から「そんなことはありません」という回答を引き出す書き方をしている、と言われたら、私は否定できないでしょう。今の頭の中には鬱々とした自分と、妙に冷静な自分がいる、そんな感じがしています。

林: あなたはうつ病だと思います。それもかなり典型的です。治療の効果は出ていますがまだ不十分です。今の主治医の先生から示唆されているように、入院も考えてよい状態と言えます。

経過を振り返ってみましょう:

その頃事業所移転の話が持ち上がり、そのまま移転先の事業所で勤務するものと異動する者に分かれることになったのですが、会社側の都合で誰がどこへ行くのかぎりぎりまではっきりしない状況になり、その頃から私の精神状態が不安定になってきました。

このころがうつ病の発症です。異動先が決まらずに時が過ぎるというのは、確かに誰にとっても不安を感じる状況ではありますが、特に過大なストレスであるとは言えず、少なくともこの後の経過にみられるような、死まで考えなければならないような精神状態に繋がるものではありません。したがってこの時の「会社側の都合で誰がどこへ行くのかぎりぎりまではっきりしない状況」は、「誘因」であって、「原因」とは言えません(林の奥: うつ病の聖杯42 を参照)。

夜にとんでもなく不安になったり、のどに何か詰まったような感触が続きましたが、通常通り出勤し、業務は続けていました。

うつ病の初発症状として矛盾はありません。このような症状のほか、原因のはっきりしない身体症状から始まることもよくあります。

その後、私は別の部署へ異動することが決まり、そこから明らかにおかしい症状が出始めました。

まず、悲しい以外の感情がわかず、すぐに泣いてしまうようになりました。

うつ病の発症はここに来て明らかです。うつ病の聖杯24 の通り、「何の感情もわかない。悲しいという感情さえわかない」というのが、うつ病の決定的特徴ですが、そこまで「決定的」なのはむしろ稀で、この【2896】のように悲しい以外の感情がわかない、というケースのほうが実際には多いものです。

初診では殆ど私は泣きっぱなしでした。おそらく異動の話があったことからと思うのですが適応障害と診断されました。その際にジェイゾロフト25mgとメイラックス1mgを処方され、指示に従い服用しました。

はじめは適応障害との診断。うつ病の聖杯 37 の通りです。但しこの【2896】は、先にお書きしたように、異動の話を「原因」とみなすことには無理がありますし、不安や喉につまったような感じから始まり、悲しい以外の感情がわかず、すぐ泣いてしまうようになった、という経過もあわせて、初診の時点でうつ病という診断があり得たと思います。とはいえ、抗うつ薬のジェィゾロフトが直ちに処方されていますから、初診時の診断が適応障害であってもうつ病であってもこの場合は実質的な違いはないとは言えます。

受診後ほどなく異動の日になり、当時勤務先に近い場所に住んでいた私は、満員電車での長距離通勤を体験する事になりました。幸い最寄が始発駅であり、少し待てば座る事ができたため、苦痛でしたが少しの間異動先へ通勤していました。記憶ですと、この辺りから急激に食欲が落ちました。

このあたりで仕事を休んで治療をすることを考えてよかったと思います。

異動初日、他の同じような社員と共に新しい仕事についての説明と、今後の意気込みや目標等を書くようにと言われたのですが、私は一文字も書けませんでした。

このように、何か新しいことを始める、計画する、というのは、うつ病の症状がある時期には避けるべきであるというのは、うつ病治療の初歩とも言うべきものです。

今もまだありますが、将来について考えると何の希望もなくただ涙が出てきてしまいます。その日は私の様子がおかしいと判断した産業カウンセラー兼上司が面談、その際に自分の精神面が不安定である事、精神科を受診している事を説明しました。早退するよう促され、お昼過ぎ頃に帰宅しました。

この時点では仕事を休んでの治療に移行すべきでした。

翌日から通常通り出勤、勤務となりました。クリニックについては土曜日も診察していたため、週1回程度受診していたと記憶しています。薬は2回目からデプロメール50mgとレキソタン4mgになりました。

無理な治療方針です。この状態では仕事は無理です。仕事をしながらの治療では、うつ病が長引くばかりです。

通勤は電車を何本か待って座り、ずっと俯いて、何度かは泣きながら出勤していたのは覚えています。

休むべきでした。

職場は異動したばかりですが、会社的には後輩もいるため心配はかけられないと無理をしていたのかもしれません。人と話すのは非常にエネルギーが必要で、昼食は一人でとるのが常でした。家に帰っても何もする気にならず、このまま消えてなくなりたいと泣きっぱなしでした。

会社的には後輩もいるため心配はかけられない」というのは、うつ病の人が、本来は休んで治療をすべきなのにそれに踏み切れない場合の典型的な考え方です。このような場合は、周囲が(主治医や家族などが)強く休養を勧めることが望まれるところです。

少し経って、今はどういうきっかけだったかは忘れてしまいましたが、私に少し休職したらどうかとの話が出ました。私もこのままでは無理だと思い休職期間に入りました。

やや遅きに失した感はありますが、休職は適切でした。

その頃は定期的にクリニックに行く以外はベッドで寝ているか泣いているかだった様に記憶しています。食欲は全くなく、出かける気力もないため、ネットスーパーで飲み物とゼリー飲料を購入し、それのみ摂取していました。

どうやったら死ねるかな、どうしたら迷惑かからないかな。そんな事ばかり考えていました。電車のホームに立っていて、吸い込まれそうになる、そんな気持ちも良くわかりました。

危ないところでした。休職に入る前に自殺してしまう可能性がかなりあったと思われます。

どん底だったころ、母から連絡がありました。今までは滅多に連絡していませんでしたが、殆ど話せない私の異常を察したのか、毎日連絡をくれ、辛い時にはいつでも連絡しなさい、何なら戻ってきてもいいと言ってくれました。

2週間ほど帰省し、実家で休養を取りました。父が出かけようと誘ってくるのには正直辟易しましたが、薬が効いた事もあるのか少し元気を取り戻し、自宅へ戻り療養を続ける事にしました。

休養の効果が出ています。
なお、「父が出かけようと誘ってくる」も、ご家族がよく陥る誤りです。休養しているうつ病の人を励まそうとして、元気づけようとして、あるいは、ただ休んでいるだけでは回復しないだろうと考えて、活動を促すのは、うつ病の回復をかえって遅らせることになります。それどころか、「家族の期待にこたえられない」と本人が悲観して、自殺につながることさえあります。

休職して2ヶ月程で少しずつ楽な気分になりましたが、同時に休職中の会社とのやり取りで今までの不満と不信感がつのり、転職を決意しました。

本来はこのような時期に転職のような大きな決意をするべきではありません。うつ病が充分に治っていない時期には、判断力も落ちており、大きな決意をすると治ってから後悔することが多いからです。ただこのケースでは、「休職中の会社とのやり取りで今までの不満と不信感」の具体的内容が不明ですので何とも言えませんが。

転職先で勤務しつつ、月1回程度通院をしていました。その年、私は職場で東日本大震災に遭遇しました。幸い勤務先の近くに公園があったため、皆でそこに避難し、余震に怯えていました。私も帰宅難民の一人になり、職場で夜を明かしました。東北の被災地の方々に比べれば微々たるものでしょうが、これは私の相当なストレスになったように思います。

それから少しして、症状のぶり返しと不眠が出るようになりました。不眠についてはエチカーム1mgとニトラゼパム5mgが処方されました。不安の症状についてはサインバルタ20mgが処方されましたが、1週間後に40mgへ増量されました。

適切な治療を受けていても、ストレスによって症状が再燃することは、うつ病ではしばしばあります。
なお、「不安の症状についてはサインバルタ20mgが処方されました」という記載からは、これまでのデプロメールにサインバルタが追加されたのか、それともサインバルタだけが処方されたのかが不明ですが、この後の記載からみると、サインバルタだけが処方されたように解釈できます。だとするとこの処方はやや疑問です。デプロメールで改善が見られていた以上、デプロメールを増量するのが第一に試みるべき薬物療法であると考えるのが標準的です。

主治医の先生にお願いし、転院先は決っていないのですが紹介状?を書いていただきました。幸い実家からそう遠くないところに内科と精神科併設のクリニックがあり、受け入れていただく事ができました。ただ、こちらの先生にはうつ病と診断されました(自立支援医療の対象であるとの事で手続き方法を教えていただきました。助かっています)。処方はサインバルタ40mg、マイスリー10mg、チスボン10mg、フルニトラゼパム1mgでした。

うつ病の聖杯 42 に記した通り、当初は適応障害とみえていたものが、後にうつ病と診断変更になるパターンとしては、いったん症状がよくなった後に、たいしたストレスがないのに症状が再燃した場合が挙げられます。この【2896】はそれとは異なり、むしろ横断面の症状そのものがうつ病に一致することが、うつ病と診断された大きな根拠であると考えられます。もっとも、先にお書きしたとおり、このケースは発症の時点で適応障害でなくうつ病と診断することが可能だったと思われますが。

アルバイトをしつつ、月1回程度通院していました。不眠症状はなくなり薬の量も減っていき、サインバルタ20mgになりました。

その頃は大分寛解したと感じ、短期ではなく長期のアルバイトへ応募、採用されました。

サイハンバルタの減量までの時期が不明ですが、減量が早すぎたのではないかという疑問が残ります。その根拠の第一は、

大分寛解したと感じ、

とありますが、抗うつ薬の減量の時期は、「大分寛解したと感じ」ではまだまだ時期尚早で、症状がほぼゼロ、つまり、本人としては「完全に治った」「完全に寛解した」という感覚が得られてからにすべきというのがうつ病治療の原則だからです。
第二の根拠は、この後の経過です。(もっとも、後の経過からは結果論にすぎないとも言えますが)

念のため月1回通院しつつ服薬は続けていました。しかし、今年のお盆明けから業務量が急増し、定時に帰れる事が稀になってきました。職場の皆は口々に人が足りていないと言うのですが、改善される気配は全くありませんでした。特に私のシフトは一番遅いため、当日分の業務を全て終わらせてからでないと帰宅できないような状況になっていました。人手に比べて業務量が多いから遅延する、遅延するから苦情が来る、その苦情が更に遅延を呼ぶという悪循環に陥っていました。職場の皆が疲弊していました。

完全に治っていない時期に、薬を減らし、職場のストレスが高まる。この三つが重なれば、うつ病が再燃することはほぼ不可避です。

しばらく無かったのどに何か詰まった感じが復活し、先生に仕事が忙しく疲れていることを伝えると、サインバルタ40mg、エチゾラム0.5mgが処方されました。

いちばん最初の症状である「のどに何か詰まった感じが復活」は、うつ病再燃のサインです。最初の症状は人によって異なりますが、その人なりの初発症状はある程度決まっているものです。

人手が足りない事は承知していたので、出来るだけ休まずに出勤していました。ですが、今から約1ヶ月半前、布団から出る事ができなくなり無断欠勤をしてしまいました。母が代わりに連絡を入れてくれ、今はゆっくり休んで、良くなったらまた出てきて欲しいという話になったと教えてくれました。

休みに入ったのは適切です。但し、先にお書きしたとおり、この再燃は避けられた可能性もあります。

また何も出来ない状態になり、このまま消えたい、この時期なら市販の睡眠薬とお酒を飲んで山で一晩過ごせば死ねるかな、でもその前に色々片付けしなきゃといった事ばかり考えていました。不眠も再発しました。食欲は全くなくなり、牛乳しか飲まない状態になりました。

休養しているにもかかわらず悪化傾向が見られています。したがって、薬の増量、さらには入院治療の考慮は適切です。

母と共に受診したところ、この状態が続くなら入院も考えた方がよいと言われました。処方はレクサプロ20mg、サインバルタ20mg、フルニトラゼパム2mg、ゾルピデム10mg、ニトラゼパム10mgになりました。

レクサプロの追加は、このケースでは適切かどうかわかりません。サインバルタの増量や、以前に効果があったデプロメールの追加から始めるのが正当でしょう。

現在は少し落ち着きましたが、気分に波があり、どこかへ行きたいなと思う日もあれば、死にたいと思う日もあります。短期的な記憶力は低下しているように感じます。

改善傾向は見られてきていますが、まだまだ予断を許さない状況といえます。

以上の通り、この【2896】のケースは症状・経過ともに、典型的なうつ病です。
うつ病の聖杯 34 の通り、うつ病と診断するためには、その人の元々の状態からは明らかに悪化した状態になっていることが必要ですが、【2896】のようにここまで典型的ですと、元々の状態までは確認せずともうつ病の診断はほぼ確実です。
もっとも、この【2896】のメールには発症前のことも書かれていますので、検討してみましょう:

ただ、思い返せば私はかなり昔からそういう傾向の性格だったように思うのです。

小学生の頃はこのまま大人になる前に人生が終わるものと漠然と思っていましたし、中学1年の秋には何もかもが嫌になり不登校となりました(そういった生徒向けに市で支援学級があり、そちらへ通っていました)。

本人の記載の通り、「かなり昔からそういう傾向の性格」とは言えそうです。けれどもうつ病の聖杯34に記したような、
うつ病の診断基準にあるような項目をもともと満たすような「暗い」人
にあたるとまでは言えません。したがって、うつ病の診断は揺るぎません。

ここまでお書きしてきた20歳を過ぎてからのことも、実は病気ではなく甘えで、嫌な事を避けるために無意識に「うつ状態」を演じているのではないか、という疑問が浮かんでくるのです。

その疑問は杞憂です。あなたはうつ病だと思います。それもかなり典型的です。治療の効果は出ていますがまだ不十分です。今の主治医の先生から示唆されているように、入院も考えてよい状態と言えます。

(2015.2.5.)

05. 2月 2015 by Hayashi
カテゴリー: うつ病, 精神科Q&A, 自殺