【2887】コラム「うつ病の聖杯」と、ことばに関して
Q: 30代男性です。
先生のコラム「うつ病の聖杯」を拝読し、思うところがありましたのでメール致しました。
先生がおっしゃる「精神科診断学の堕落」とは、昨今の「ことば」を大事に扱わない風潮と関連しているのではないかと考えます。「ことば」とは本来一義的なものであり、使う人が勝手に意味を変えることができないからこそ、コミュニケーションの道具となり得るものです。「虎」ということばが指すものが、先生と読者の間で一義的であるからこそ話を理解できます。
「ことばの乱れ」とは輪郭不明瞭なことばの氾濫であり、「ことば」を大事に扱わないということは即ち論理の欠如であり思考の欠如です。
(「ことば」はある事柄の輪郭を指すので、「輪郭不明瞭なことば」という使い方は自己矛盾していますが。)
精神科医が「DSM」という他人が考えた論理を活用することは、自ら論理的に考えてひとりひとりの患者に向かうよりも圧倒的に効率的であり、良いことだと思います。一方で「DSM」に頼らず自ら考えて患者の症状を診断することは、それこそノーベル賞を授賞するような、論理的な分析と地道な検証を人生をかけて実行できるような人にしかできないはずです。安易に「私にも論理的に診断することができる」と言い張る人は、本物の天才か、そうでなければ論理が何かも分からない無知な人の何れかです。
私が精神科医に期待することは、「DSM」を学んで活用することだけでなく、少なくとも「DSM」の論理の成り立ちを理解する努力をして欲しいということです。特に若い医師や医学部の学生は、考える機会が少ないまま今に至っている人がほとんどだと思います。
先生には是非とも「DSM」を活用することの目的と、その手段を若い医師に伝えて頂きたいと思います。
また、著書などを通じた啓蒙も併せてお願いしたく存じます。
林:
「精神科診断学の堕落」とは、昨今の「ことば」を大事に扱わない風潮と関連しているのではないかと考えます。
をはじめとする、「ことば」を軸にしたご見解は、傾聴すべき貴重なご指摘であると思います。ありがとうございます。
DSMに関してもご指摘のとおりで、DSMはしばしば批判され、また、その批判の中には妥当なものも多々ありますが、もとより現代において精神医学の完璧な診断基準が作成できるはずはなく、DSMの限界は現代精神医学の限界であると私は考えています。
私が精神科医に期待することは、「DSM」を学んで活用することだけでなく、少なくとも「DSM」の論理の成り立ちを理解する努力をして欲しいということです。
これもご指摘のとおりで、しかし論理の成り立ちを理解するも何も、まずはDSMを読まなければ話になりません。読まずに批判している人があまりに多いというのが私の実感です。
診断基準の原文は1000ページの洋書である。めまいがする? そのくらいのものが読めないようでは、医者になってもらっては困る。
上記は 『「うつ」は病気か甘えか。』からの引用です。
必ずしも原書で1000ページすべてを読む必要はないかもしれませんが、診断基準のコンパクトな表だけでなく(表だけではDSMとは言えません)、原文を(大部の翻訳が出版されています)読むことが必須であると私は考えます。
(2015.1.5.)