【2800】精神科医が騙されるなんて思わなかったのですが
Q: 20代の大学院生です。10代の大学生の頃の話です。 当時仲良くしていた友だちが、とあるクリニックでうつ病と診断されました。その友だちによると、事情があってうつ病の診断書が必要になったため、実際にはないうつ病の症状を、辛そうな表情を浮かべながらため息まじりに話したら、診断されたとのことでした。その友だちは、とても明るく日々をエンジョイしているタイプなのですが、診察室では真逆を演じ、医師はその主張を鵜呑みにして、薬まで出したそうです。 にわかに信じ難かったのですが、この話を聞いて、一緒に聞いていた友だちのいたずら心に火がついてしまいました。以下は彼女の「実験」です。 ちょうどそのころ長期休暇だったのですが、本当に精神科医が騙されてしまうのか実験してみようと、図書館やネットで精神疾患の症状や診断基準について調べ、自分の中で予行練習を何度も繰り返したあとで、彼女は大学の保健管理センターの精神科を訪れました。ここでは大学の付属病院の精神科の医師が診察を担当していました。 彼女の目標は、統合失調症の症状を演じて、その診断をもらうこと、でした。 診察室で、彼女が硬い表情で話した内容を、医師がどんどんカルテに書いていくのを確認しながら、「ええ?本当に信じてる・・・」と内心動揺したそうです。しかし一回目では診断名を教えてもらえなかったので、通い続けました。そしてある日、彼女がしつこく病名を聞くと、「統合失調症ですね。」と。うわぁ!まじか!と望んだ結果を手に入れて嬉しい気分と精神科医への残念な気持ちでとても複雑な思いを味わったそうです。そのころには薬の量も増え、多剤を大量に処方されていました。もちろん一度も服用していません。即処分しています。 この一件で、彼女には失礼ですが、素人に毛が生えたような知識と大根役者級の演技力に騙されて安易に重大な診断をしてしまう精神科医は一体何を診ているのだろうと、私は不信感が芽生えてしまいました。
そして、この話には続きがあります。診断名をいただいた次の診察日に、彼女は素のまま診察室に入り、種明かしをしました。すると、医師は一瞬「うっ」という表情をしましたが、即座に「いいえ、なんと弁解しようとあなたは統合失調症です。そしてあなたには病識がありません。薬を飲んでください。」とおっしゃったそうです。 凄い・・と私は唖然としてしまいました。それらしい症状を訴えると疑いの心もなく食いついてくるのに、本当のことを言っても信じてもらえないとは・・。 その後彼女は通院はしていません。薬の入った袋は見せてもらったことがありますが、飲まずに全部捨てていました。 林先生に質問なのですが、こういうことは日常茶飯事なのでしょうか? 医師のさじ加減1つで、人は精神病患者に仕立て上げられてしまうものなのですか? 地味に怖い思いをしました。若気のいたりとはいえ、こんな話を聞いて後悔しています。長文失礼致しました。お答えいただけると幸いです。以上です。
林: 「続き」の部分、すなわち、
種明かしをしました。すると、医師は一瞬「うっ」という表情をしましたが、即座に「いいえ、なんと弁解しようとあなたは統合失調症です。そしてあなたには病識がありません。薬を飲んでください。」とおっしゃったそうです。
↑この部分に関しては、その医師がどういうお考えであったかは私にはわかりません。
したがって、この部分以外についてお答えします。
最初に回答を要約しますと、
人がつくあらゆる嘘のうちで、医師に対する嘘、すなわち、「詐病(や仮病)で医師を騙す」のは、最も成功率が高い嘘であるということです。このことは、嘘つき、虚言癖は病気か でも解説しました。その本から引用します。Case32 ミュンヒハウゼン症候群 の解説からです:
患者を装うというのは、虚言で欺く相手は医師などの医療従事者限定であるという点で、特殊な虚言であると言える。病院は、受診してきた患者がどんな人であれ、診断・治療するのが社会的義務であるから、どんな患者に対しても、最初から詐病を疑うことは決してしない。(中略) 逆説的だが、本来は病気の専門家である医師を詐病で欺くのは、最も成功しやすい虚言であると言うことができる。
これはそのままこの【2800】の
素人に毛が生えたような知識と大根役者級の演技力に騙されて安易に重大な診断をしてしまう精神科医は一体何を診ているのだろうと、私は不信感が芽生えてしまいました。
に対する回答になります。
つまり、医師という職業の倫理からすれば、患者(として目の前に現れた人物)の語る症状の訴えを、「もしかすると嘘ではないか」と疑うことは本来許されないということです。
そして、
医師のさじ加減1つで、人は精神病患者に仕立て上げられてしまうものなのですか?
質問者のこの言葉は、質問者の無意識の中に精神疾患に対する根強い偏見があることを示しています。
もし医師への訴えが、統合失調症の症状でなく、「頭痛」や「腹痛」などであったとしたら、そして医師がその症状の訴えを聴いた結果、「その症状は医学的にみておかしいところがある。あなたは嘘をついているのではないか」と疑って来たとしたら、患者は憤慨するでしょう。「医師のさじ加減1つで、人は精神病患者に仕立て上げられてしまうものなのですか?」という質問者の非難は、この場合には「医師のさじ加減1つで、人は身体疾患なしと診断されてしまうものなのですか?」という非難になるのではないでしょうか。患者の訴えに基づく診断の誤りという意味では同じでも、「精神病である」という誤りは「精神病でない」という誤りよりも強く非難され、「体の病気でない(たとえば、腹痛の訴えに対して、実際には存在する病気を見過ごす)」という誤りは「体の病気である」という誤りよりも強く非難されるという、精神疾患と身体疾患の間の逆転現象は、精神疾患に対する強い偏見を反映していることにほかなりません。
それはそうと、「医師のさじ加減1つで、人は精神病患者に仕立て上げられてしまうものなのですか?」という問いの文章に含まれる感情的な要素を極力取り除き、「精神病の診断は医師のさじ加減で決まるのですか?」という問いに変換し、イエスかノーかの回答を迫られれば、答えは「イエス」です。
最近 うつ病 のページに紹介した 「うつ」は病気か甘えか。 の113ページ(第4章 どっちもカンタン、ニセ医者・ニセ患者)に、これに関連した次のような記載があります:
精神科のニセ患者の成功率が高いことは、歴史が証明している。日本でも外国でも実績がある。20世紀半ば頃、精神医療に対する批判が地球的に高まった時期があり、「患者を装って精神科に入院し、そこでの医療を糾弾する」という手法が定番になっていた。このときの記録を見ると、ニセ患者として精神科医を騙すのがいかに容易かということがよくわかる。症状を伝えればその場で病室に案内されてはい入院。用件を言えばその場で奥に通されていらっしゃいませという感じ。買い物に来たのと大差ない。ただ鍵をかけられ出られなくなるのは大きな違いだが。それはともかくとして、ニセ患者としての技術なんかいらないのは確かだ。
この「ニセ患者としての技術なんかいらない」という状況を見れば、【2800】の質問者の
素人に毛が生えたような知識と大根役者級の演技力に騙されて安易に重大な診断をしてしまう精神科医は一体何を診ているのだろう
という疑問が生まれるのは当然といえるでしょう。
但し上記の状況は、引用部分の冒頭にあるように、20世紀半ばの日本の、しかも一部の精神医療の描写であって(詳しくは大熊一夫 『ルポ・精神病棟』をご参照ください)、現代にそのまま当てはまるものではありません。現代では、別の問題が生まれ、しかもそれが限りなく膨張しつつあります。
この【2800】の回答で、先に私はこう書きました。
もし医師への訴えが、統合失調症の症状でなく、「頭痛」や「腹痛」などであったとしたら、そして医師がその症状の訴えを聴いた結果、「その症状は医学的にみておかしいところがある。あなたは嘘をついているのではないか」と疑って来たとしたら、患者は憤慨するでしょう。
では上記、「うつ」だったらどうでしょうか。すなわち、次の三つを比べたらどうでしょうか。
(1) 患者は幻聴や被害妄想を医師に語った。医師はそれをそのまま信用して、統合失調症と診断した。
(2) 患者は腹痛を医師に語った。医師はそれをそのまま信用して、腹の病気であると診断した。
(3) 患者はうつを医師に語った。医師はそれをそのまま信用して、うつ病であると診断した。
(1)は【2800】にあたります。【2800】の質問者は、医師の(1)のような姿勢を憤慨しています。
しかし(2)は医師の姿勢としてはむしろごく普通です。「お腹が痛いって、あなた、嘘をついているんじゃないですか?」と医師が疑って来たら、患者は憤慨するでしょう。
つまり、精神疾患と身体疾患については、医師の姿勢が批判されるケースは逆になる、精神疾患では患者の訴えをそのまま信用することが批判され、身体疾患では患者の訴えをそのまま信用しないことが批判される、そういう傾向が認められるということです。
では(3)はどうでしょうか。患者の訴えが「うつ」の時。「うつ」の訴えをそのまま信用する医師が批判される傾向が強いか、逆にそのまま信用しない医師が批判される傾向が強いか。
これはかなり微妙な問題で、患者は医師に助けを求めて受診する以上、自分の訴えに疑いを持つ医師には憤慨するでしょう(たとえば 【1250】うつ病かと思い受診したのですが、医師から「性格的なものだ」と言われました。納得できませんなど)。他方、【1217】夫がうつ病と診断されたが嘘としか思えない、【1749】夫はうつ病と診断されていますが、ほんとうにそうなのか疑問に思うところもあります
のように、「うつ」に関しては、患者の訴えをそのまま信用して診断する医師に対する批判もしばしば聞かれところです。【1962】自分勝手で被害者意識が強い部下を産業医はうつ病と診断したが・・・、 【2188】精神科の診断書は無敵のカード? などにも同様の問題が見えています。
大変皮肉なことですが、精神科に対する偏見が強く、自分が精神疾患であると診断されることは誰も望まなかった時代には表面化しなかった問題が、偏見が弱まり、精神疾患(中でも、うつ病)と診断されることをむしろ望む人さえ見られるようになったことで、大きく表面化してきたといえます。その問題とは、精神科の診断では、主観的訴えが非常に大きなウェイトを占める(しばしば主観的訴えだけをもとに診断が下される)という点です。
(これを 「うつ」は病気か甘えか。 では、主観至上主義 あるいは 精神科の間抜け診断と呼んでいます)
(2014.10.5.)