【2577】うつ病、被害妄想、覚せい剤、そして死。そんな母に私は一体、母に何をしてあげられたでしょうか?
Q: 私は20代女性です。亡くなった母について、色々とお伺いしたい事があります。どうぞ、お知恵を貸して下さい。母は十年ほど昔に父との離婚をきっかけにうつ病になり心療内科に通院していました。薬などは詳しくはわかりませんが、当時はアナフラニールとレキソタンを処方してされていたようです。当時自分は、中学生であり母の病気に向き合う事ができず、曖昧な情報しかないです。申し訳ありません。母は、最初は一日を布団で過ごすような病態でした。何もしたくない。楽しくない。頭が痛い。などと言っていた気がします。そのうちに、リストカットをするようになりました。浅い傷をわざわざ見せ付けてきては不気味に笑うので、私は苛立ったように記憶しております。 その頃から母は、仕事を辞め、パチンコに行くようになりました。この頃、遠隔操作で私の台だけ当たらなくしているんだ、などと毎日パチンコ仲間に何時間も電話したりしていました。恋人ができたようで家に帰らなくなったのもこの時期です。私が16歳になった時に、同居先の男のもとでオーバードーズやリストカット(かなり深く抉るようになり、何針も縫う怪我)で、救急車に運ばれ私が病院にお金を払いに行く事が繰り返しありました。母は、皆が自分を呪っているからこうなったんだ、とか、皆が死ねと思っているから私が不幸になる!とか、喚くようになり、不特定多数の男性と関係を持ったり、会うたびに少しずつおかしくなっているようでしたが、男のもとで暮らす母に私は何もできる事はなく、薄情ながら何もしたくないと思っていました。高校を中退しバイトをして稼いだ金が自分の生活費を削っても母の病院代やパチンコで作った借金に消えていくのだから、確かに母の言う通りに死ねと思っていた節があります。また、父は新しい家庭を持っていたので頼れなく母の両親は病気で入院していたので母の事は私のみが事情を把握しておりました。そんなひどい状態の母を私は放置して数年、私が18になった時には、母は覚せい剤にまで手を出してとうとう逮捕されてしまいました。母が入院中に一度だけ会いに行きました。奇声を上げたり、ガクガク震えたり、何かに怯えるように布団に包まっていたり、かと思いきや、昔のように優しい母に戻ったりを繰り返していました。母が出所してから、私は母の戸籍から抜け完全に連絡も切りました。
先日、母が大量の薬を飲んで一人で死にました。一週間、誰にも発見されず見つけた時には凍りきっていたようです。 私は一体、母に何をしてあげられたでしょうか? うつ病とゆうのは、どう接してあげる事が正解なのでしょうか。私は母を、母の病気を受け入れることができませんでした。亡くなったあとでは、遅いかもしれませんが、後悔が残ります。母の行動が全て病気のせいなら、憎むは病気で、母を憎むことはなかったのに。 もしもまた、大切に思う人が母のようになったら私は同じ過ちを繰り返したくはありません。どうぞ、助言をお願い致します。
林:
うつ病とゆうのは、どう接してあげる事が正解なのでしょうか。
おそらくお母様の本当の病名はうつ病ではなかったと思います。お母様の発症当時、
自分は、中学生であり母の病気に向き合う事ができず、曖昧な情報しかないです。
質問者は中学生であったわけですから、詳細が不明であるのは当然です。しかし、このメールに書かれている情報だけからみても、うつ病はないということはかなり確実に言えます。最も可能性が高い病名はパーソナリティ障害です。順に検討してみましょう。
母は十年ほど昔に父との離婚をきっかけにうつ病になり心療内科に通院していました。
と質問者は認識されていますが、このような場合、「離婚をきっかけにうつ病になった」のか、それとも、「何らかの精神的問題があって離婚になったのか」のか、の両方の可能性を考慮する必要があります。【2576】の回答にも記した通り、本人が認識している「原因」が、実際には病気の「結果」であることが、精神科ではしばしばあります。そしてこの【2577】のその後の経過は、むしろ、離婚の時点で何らかの精神的問題がお母様にあった、すなわち、離婚は原因ではなく結果であった可能性のほうが高いことを示唆するものです。
母は、最初は一日を布団で過ごすような病態でした。何もしたくない。楽しくない。頭が痛い。などと言っていた気がします。
この症状は、うつ病でもあり得ることですが、他の精神疾患でもあり得るものです。
そのうちに、リストカットをするようになりました。浅い傷をわざわざ見せ付けてきては不気味に笑うので、
これはうつ病らしくない言動です。むしろ 境界性パーソナリティ障害 を窺わせます。
私は苛立ったように記憶しております。 その頃から母は、仕事を辞め、パチンコに行くようになりました。
これもうつ病らしくありません。パーソナリティ障害を窺わせます。
この頃、遠隔操作で私の台だけ当たらなくしているんだ、などと毎日パチンコ仲間に何時間も電話したりしていました。
被害妄想的言動。単なる勘繰りの激しいものか、被害妄想のレベルか、これだけでは何ともいえません。被害妄想レベルですと統合失調症の疑いが浮上しますが、お母様の全体像から見ると、むしろ単なる勘繰りの激しいものとみるべきでしょう。
恋人ができたようで家に帰らなくなったのもこの時期です。私が16歳になった時に、同居先の男のもとでオーバードーズやリストカット(かなり深く抉るようになり、何針も縫う怪我)で、救急車に運ばれ私が病院にお金を払いに行く事が繰り返しありました。
いかにも境界性パーソナリティらしいエピソードです。
母は、皆が自分を呪っているからこうなったんだ、とか、皆が死ねと思っているから私が不幸になる!とか、喚くようになり、
勘繰りか、妄想か、これもこれだけでは判断困難ですが、全体像からみれば妄想ではなく勘繰りレベルと見るべきでしょう。
不特定多数の男性と関係を持ったり、会うたびに少しずつおかしくなっているようでした
ここまでの経過は、境界性パーソナリティの可能性濃厚といえます。
母は覚せい剤にまで手を出してとうとう逮捕されてしまいました。
境界性パーソナリティ障害では、薬物乱用や依存を伴うことが少なくありません。
母が入院中に一度だけ会いに行きました。奇声を上げたり、ガクガク震えたり、何かに怯えるように布団に包まっていたり、かと思いきや、昔のように優しい母に戻ったりを繰り返していました。
この段階になると、覚醒剤の影響を考えなければなりませんので、症状は複雑化し、どれが何よるものかの判断は困難です。
先日、母が大量の薬を飲んで一人で死にました。
境界性パーソナリティ障害 ~ 薬物依存 ~ 自殺。残念ながらひとつの典型的な経過であると指摘せざるを得ません。
私は一体、母に何をしてあげられたでしょうか?
お母様の精神状態が著しく悪化に向かった時期に、質問者は中学生から高校生。その年齢では、できることは少なかったと考えていいと思います。
うつ病とゆうのは、どう接してあげる事が正解なのでしょうか。
冒頭に述べたとおり、お母様はうつ病ではありません。是非うつ病についての正しい知識をお持ちください。
私は母を、母の病気を受け入れることができませんでした。亡くなったあとでは、遅いかもしれませんが、後悔が残ります。母の行動が全て病気のせいなら、憎むは病気で、母を憎むことはなかったのに。 もしもまた、大切に思う人が母のようになったら私は同じ過ちを繰り返したくはありません。
お母様に対して、当時未成年であった質問者がどうすべきであったか、それはとても難しい問いです。今から振り返ってみれば、「どうすべきであったか」という視点になるのが自然ですが、当時のその時点では、質問者が未成年であった以上、「どうされるべきだったか」、すなわち、親からは数々の点をサポートされるのが当然であり、親からそのサポートが得られない状況であれば、社会に代替的役割があると見るべきだったとも言えるでしょう。「どうすべきであったか」だけを考えるのは一面的であると言わざるを得ません。
したがって、当時どうすべきであったかは時間をかけて考えることとし、今のことを優先すべきでしょう。今は、精神の病についての正しい知識を得るよう努めることが、お母様のためにも、今後のためにも、最も有意義だと思います。
(2014.3.5.)