【4914】パーソナリティ障害の診断基準は国によって違うのか
Q: 私は20代の女子学生です。
同じ人物でも、国によってパーソナリティ障害の診断がつくかどうか変わるのか?という疑問を持っています。
疑問のきっかけになったのは、以前関わりがあった留学生のA(アメリカ人男性、当時25歳)です。
言動が自己愛性パーソナリティ障害のほとんど全項目に当てはまるような強烈な人物でした。
Aは自分が誰よりも正しくて優れており、周りの人間が間違っているという考え方で、とても傲慢な自信家でした。
例えば、フィールドワークやグループワークの時が顕著でした。
絶対に自分がリーダーでなくては気が済まないし、ほぼ強引にリーダーに就任すると、権限にないことまで何もかも独断で決め、メンバーの意見を全く聞きません。
自分の決断のせいでメンバーに迷惑をかけることがあっても、絶対に自分の非を認めないし、「絶対に間違わない完璧な人間がいると思っているなら、お前はおかしい、病的だ」と言って逆に周りを悪者にします。言っている内容は意味不明なのですが、話し方はとても上手く、演説ように堂々としています。
Aの自分勝手さに耐えかねて別の人がリーダーになったことがありますが、Sは大きな音を立てて机に脚を乗せ、頭の後ろで腕を組んでのけぞり、目を閉じて全身で不服を表現していました。リーダーが発言するたびに「ふあぁ~!」と大げさにあくびをして執拗に妨害していましたが、ここでSに構うとさらに無駄な時間を食うので誰も反応しませんでした。
日常でも、時と場を問わず、自分がいかに優秀で特別かという話しかしません。その中にはヒーローのようにドラマチックに誰かを救った経験が何度もあるというような、嘘っぽい話もかなり多いです。チームで話し合う時も、Aが重要な意見を発表するかのように話し始めたが、その内容は議題と全く関係ない自慢話で、しかもそのせいで話し合いの時間がほぼ終わってしまうということも何度かありました。
留学中、訪れた飲食店で日本人の店員同士が裏でAをこういう風に賞賛していたのを聞いた、という話を店員の会話の内容まで細かく報告してくることもしょっちゅうありましたが、そもそもAがそんな複雑な日本語を理解できないことを全員が知っています。明らかに嘘だと分かるような話なのに、本人は真剣だし、嘘の内容がとても具体的なのが不気味でした。
根は卑屈なのか、Aの前で英語以外の言語で話していると、自分の悪口を言っていると考えて激怒します。
他にも、Aの話を真剣に聞いていないとか些細なことで機嫌が悪くなり、椅子を蹴ったり大声で怒鳴ることもありました。そういう態度について反省を示したことは一度もありません。自分を怒らせた周りが悪いという考えでした。
このAに対しての周りの反応を見ていると、文化圏ごとにAへの評価に違いがあることに気づきました。
日本人メンバーを始めとするアジア圏の学生のほぼ全員がAを嫌っており、到底まともではない、傍迷惑な人物とみなしていました。
逆に、アメリカ出身の学生は、Aを嫌っている人はいてもアジア圏の学生ほどではなく、むしろAはリーダーシップがある、自信があって堂々としているといって高く評価する人も何割かいたのです。
パーソナリティ障害というのは、米国精神医学会が発行しているDSMに基づいて診断が下される=診断基準は世界共通であると解釈しているのですが、実際は国や文化により「どれくらい重ければ診断がつくか」という点が異なるのでしょうか。
例えばAであれば、日本で生活していればパーソナリティ障害だけど、アメリカでは違う、といったことが起こりえるのですか?
もしよろしければ、ご教示いただけますと幸いです。
林: 診断基準はDSMだけではありませんが、現代において広く用いられているのはDSMで、この【4914】の質問者もDSMを診断基準の代表としておられますので、以下、この回答で「診断基準」というときはDSMを指すこととします。
診断基準そのものは国によって違うということはありません。ただし、その診断基準をある任意の人物に適用したとき、その精神障害と診断されるか否かは国によって違います。これはパーソナリティ障害に限ったことではなく、およそすべての精神障害について言えることです。なぜなら診断基準では、何らかの機能障害があることが診断の必要条件となっているからです。ですから、たとえ幻覚と妄想があって、行動が著しく逸脱していても、それを受け入れる国・文化圏においては、その人は統合失調症とは診断されないことになります。
もっとも、これはあまりに極端な例で、「幻覚と妄想があって、行動が著しく逸脱」している人を、職業的にも社会的にも全く機能障害のない人として扱う国や文化圏はなかなか存在しないでしょう。他の精神障害でもそれはおおむね同じで、診断基準に記されているような精神症状があれば、大部分の国・文化圏で、機能障害ありとみなされるのが普通です。もちろんその程度には温度差がありますが。
そんな中にあって、パーソナリティ障害の一部は、その温度差がかなり大きいものの一つです。この【4914】がまさにその実例と言えるでしょう。
診断基準は世界共通であると解釈しているのですが、実際は国や文化により「どれくらい重ければ診断がつくか」という点が異なるのでしょうか。
その通りです。その「どれくらい重ければ診断がつくか」がまさに、その国・文化圏における機能障害と相関します。
例えばAであれば、日本で生活していればパーソナリティ障害だけど、アメリカでは違う、といったことが起こりえるのですか?
当然に起こり得ます。
そして繰り返しになりますが、パーソナリティ障害以外の精神障害でもそのようなことは当然に起こり得ます。日本は精神障害と診断する閾値が低く、他の文化圏であれば精神障害とは診断されない多くのケースが精神障害と診断されていると考えられます。
(2025.1.5.)