【4750】統合失調症の幻覚が現れる感覚器の種類について
Q: 30代男性です。
しばしば貴サイトを拝見致しております。
当方新卒で企業に入社したものの人間関係等からうつ病と診断され退職し、治療中の身です。自身の罹患を切っ掛けに精神疾患について少しずつ興味を持ち、貴サイトにも辿り着いた、という次第です。
この度質問というのは、昨今俄かに話題にもなっている統合失調症の患者の幻覚についてです。
様々な記事や、貴サイトの投稿などを見ていると、様々な環境・状況での幻聴や妄想などが存在することが分かりましたが、ここでその幻覚の多くが聴覚である幻聴、ないしは触覚に因るものであって、ほかの感覚器からの幻覚はあまり無いように感じられました。
素人ながら、単純に考えて脳の異常となれば、聴覚(幻聴)や触覚(幻触?)のみならず視覚(幻視?)や嗅覚(幻臭)や味覚(幻味?)も同様に現れてくるのではないか、と思えるので
すが、そういった予想とは裏腹に幻覚の現れる感覚器には偏りがあるように感じます。
統合失調症の症状では、幻覚の現れる感覚器には偏りがあるのでしょうか?
あるとすれば、なぜそのような偏りがあるのでしょうか?
また、そのような偏りなどの特徴は、他の症状(妄想など)と何らかの関わりがあるのでしょうか?
単に私が浅学なだけで、臨床の症状では全ての幻覚がしばしば見られるのかもとも思いましたが、興味本位ながら質問させて頂きました。
御回答いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
林: これは統合失調症の症状の本質にかかわる重要なご質問です。
統合失調症ではなぜ幻聴が多いのか。そして他の妄想などの症状とはどのように関係しているのか。これはある意味ごく自然な疑問ですが、この疑問にたどり着く方は実際には少なく、【4750】の質問者には、この疑問をお持ちになったことに加え、質問文全体からも洞察力が感じ取れます。少し専門的な内容に踏み込んでお答えしたいと思います。
端的にお答えしますと、
統合失調症の幻覚は、知覚・感覚の症状ではない
というのがお答えになります。
「幻覚」は、文字通り、「幻の知覚・感覚」を指すものですので、
単純に考えて脳の異常となれば、聴覚(幻聴)や触覚(幻触?)のみならず視覚(幻視?)や嗅覚(幻臭)や味覚(幻味?)も同様に現れてくるのではないか、と思える
と思えるのは当然ですが、実際には統合失調症の幻覚には圧倒的に幻聴が多いことから(質問者は幻聴と幻触が多いと指摘しておられます。確かに二番目に多いのは幻触かもしれませんが、一番目との幻聴との頻度の差はとても大きく、「統合失調症の幻覚には圧倒的に幻聴が多い」ということができます)
統合失調症の症状では、幻覚の現れる感覚器には偏りがあるのでしょうか?
という疑問が発生するのはごく自然のことです。
ところが、統合失調症の幻覚は、本人の主観的には、知覚・感覚の領域に現れる症状であるものの、本質的には知覚・感覚の症状ではないのです。本質は、これも端的に言えばですが、
A 自分の内部に発生した思考の発生源を外部に定位する
という症状なのです。もう少し具体的に言いますと、
B 自分の脳内に発生した思考を、外部からのメッセージとして体験する
ということです。さらに具体的に言いますと、
C 自分の脳内に発生した、不安などネガティブな思考を、外部からのネガティブなメッセージとして体験する
ということです。さらに言えば
D 自分の脳内に発生した、不安などネガティブな思考を、外部からのネガティブな声として体験する
ということです。
上のAからDは、順に実際の臨床症状に近づけて説明していったもので、本質的にはAで、Aはすべての統合失調症に共通しているものですが(Aが「自我障害」です)、B, C, D と進んで行くのにしたがい、個別のケースで少しずつ違いが出てきます。つまりBについては例外があり、Cではさらに例外が多く、DはCよりさらに例外が多いということです。
統合失調症の症状はAが本質であることから、統合失調症の幻覚の種類として幻聴が多いことは自然に導くことができます。つまり、思考の内容を具体化し、かつ、外部の空間内に見出す場合には、「聞こえる」というのが最も自然であるとみなせるからです。統合失調症の前駆期や初期には、聞こえているのか聞こえていないのか本人もはっきりわからず、何となく聞こえているような気がする、という体験であることも、これを支持する事実であると言えるでしょう。
統合失調症の幻聴は、症状名としては幻聴であっても、「聴覚」の体験とは異なることは、昔からよく知られています。統合失調症についての最近の本やネットなどの解説には、このことはあまり書かれていませんが、古典的な本にはよく書かれています。たとえば次のような記載です(いずれも統合失調症が精神分裂病と呼ばれていた時代の本です):
“感覚性” そのものでいうと、これらは正常人の聴覚の具体性とは一種異なるものである。患者によっては、「聞こえるのではないがわかる」という。実際、患者は”聞こえる”言葉そのものを具体的に再生することがしばしば困難なことがあるが、その内容意味はとらえている。
(中略)
聴覚という “知覚”よりも、思念、言語イメージの性格に近づいている
(安永浩 分裂病の症状論 金剛出版 東京 1987 23頁)
分裂病者の幻聴は詳細に観察すると明確な感覚的性質を有しないことが多く、しばしば「耳へ聞こえるのではなく頭に響くのです」、「電波で考えが伝わるのです」などといい、実在の声とは区別されるのが普通であるが、時として実在の人声と全く同様の感覚性を有すると主張する場合もある。
(村上仁 精神病理学論集 みすず書房 東京 1971 42頁)
幻聴患者には、時おりふと声がきこえてくるものの、何ときこえるかその通りに申告することはできない。その意味は分かっていても、聞える言葉をその通りに具体的にいいあらわせない。意識の場の辺縁における意味がとつぜんふとわきだつたのでそれに気づくといつた方が、よい位である。
(中略)
辺縁意識の前景化のときには、聞えるというものの、普通の聴覚体験とは大分ちがうものである。患者は、ふと浮かびあがる思考なのか、声なのかわからくなつてしまう。ひとりでに浮かびあがる観念、思考吹入となることもあるし、半分は聞え、半分は考えであるとか、声ではないが言葉となつて感じるとか、頭の中に声になつてひびくなど、さまざまなことをいうが、辺縁意識の前景化の場合には、普通の知覚思考体験とちがうのであろう。
(西丸四方 ダーザインとゲシュタルト 精神医学1: 9-13, 1959)
最近の本では、『統合失調症当事者の症状論』に、詳細に説明されています。同書の中には統合失調症の方からのこうした言葉も紹介されています:
Case 「15年」 [前田] 幻聴ということばはおかしい。幻聴ということばは慣用で使っているだけ。どこかで覚えちゃっただけ・・・。実感とは違う。実際に聞こえてるわけじゃない。最初に言った人が悪いと思う。
そして、上の
A 自分の内部に発生した思考の発生源を外部に定位する
は、【4750】の質問者のさらなるご質問である、
また、そのような偏りなどの特徴は、他の症状(妄想など)と何らかの関わりがあるのでしょうか?
に対するお答えでもあります。すなわち、妄想、特に被害妄想は、自分の脳内に発生した不安や恐怖を、外部の空間に定位し、さらにはそれを不特定多数の人々からのものであると体験したり、あるいは特定の人物(単数のことも複数のこともあります)からのものであると体験するものとして理解することができます。
幻覚と妄想、さらに統合失調症の多彩に見える症状の統一的な理解・説明についても、『統合失調症当事者の症状論』に、詳細に論じられています。
(2023.11.5.)