【4706】「もう少し早期に精神科医療に繋げてあげられるような仕組み・枠組みを構築できないか」という想い(【1082】、【4684】のその後)
Q: 【4684】未治療、あるいは治療からドロップアウトしてしまった統合失調症や妄想性障害の患者さんたちに、なぜ医療は介入できないのか のご回答有難うございました。
確かに、
> 何か実害がない限りは、本人の希望に反しての介入は決してしてはならない
というスタンスは、
> 少なくとも表面的には、本人の人権を最大限に尊重した美しい掟
と言えるかもしれません。
しかし、統合失調症という、「病識を失うことそのものが一症状である」ような疾患については、 そもそもこの「掟」が成立しているのかどうか、すなわち、 「本人の希望」が本当に「『本人』の希望」たり得ているのか、 その「希望」自体が既に疾患により「病識」を損なうことで影響を受け、捻じ曲げられてしまっているものなのではないか、 という点が私の違和感の本質だと考えています。
例えば胃癌の患者さんが、自分が胃癌であることはしっかりと認識していながらも、 自分の「意思」で治療を「希望」しない、という場合とは、 「希望」の「位置付け」「尊重可能性」のようなものが異なるのではないか、 と考えています(もちろん身体疾患であっても精神的な側面が影響する、 ということについては話が複雑になり過ぎるのでここでは置いておきます)。
「自傷他害」というのが、物理的な損傷を基準にしないと実際問題として判断が難しい、ということは頭では理解できるのですが、 「本来既に治療介入を開始した方が良い状態の患者さんが、そもそも原疾患の一症状としてあるべき判断ができず、治療の機会を逃すこと」自体も、 私には既に立派な「自傷」の始まりではないかと感じられてしまいます。
何か、この私の違和感や「もったいない感」を解消するような取り組み・活動ができないものでしょうか。
もちろん、林先生の仰る、(統合失調症の患者さんを未介入のまま放置した先には)
> そういう実害が起こりうるという認識がまず一般的にならなければ、 質問者ご指摘の
「過介入」や「不要な介入」とのバランスの問題
は解決不能、 それどころかスタートラインとしての解決が必要であるという認識さえ生まれないことになります。 そしてこの認識は、専門家だけが持っていても何もならず、 一般の多くの人々がお持ちにならなければ、そもそも話が始まりません。
という部分につき私も全く同意見で、 それこそ先生の精神科 Q & A 自体もその認識を広めるということも目的の大きな一つとして継続されているのだと考えております。
何か、さらにもう一歩踏み込んで、非医療従事者であっても「怖い」「何だこいつ、おかしい」で終わってしまうのではなく、
「ん?何かこの人、何とかして精神科医療に繋げてあげられたら、(周囲の人々だけでなく)まず本人が楽になれるような気がする…」
と気付くことができる方の数を増やす、そして、それを感じ取ることができた場合に相談をすれば、 (現状のように)「自傷他害のおそれ」や「実害」の発生を(みすみす)待たずとも、 もう少し早期に精神科医療に繋げてあげられるような仕組み・枠組みを構築できるのではないか (もちろんとても難しく丁寧な議論が必要であることは言うまでもありませんが)、 実現できた暁には本人にとっても、周囲にとっても、社会(資源)にとっても、「三方よし」とできるのではないか、 という想いが常にあり、政策案など書いてみようかとも考えております。
林:
しかし、統合失調症という、「病識を失うことそのものが一症状である」ような疾患については、 そもそもこの「掟」が成立しているのかどうか、すなわち、 「本人の希望」が本当に「『本人』の希望」たり得ているのか、 その「希望」自体が既に疾患により「病識」を損なうことで影響を受け、捻じ曲げられてしまっているものなのではないか、 という点が私の違和感の本質だと考えています。
その通りだと思います。そしてここでの最大の問題は、質問者が『』をつけておられることからみて、質問者自身も十分に認識しておられると思いますが、
『本人』とは何か
という点だと思います。
精神そのものが障害されていくとき、どの段階でその人の希望が「本人の希望」ではなくなるのでしょうか。もしどこかの時点でその人の希望が「本人の希望」でなくなるとすれば、その時にはその人は『本人』ではないということでしょうか。
「本来既に治療介入を開始した方が良い状態の患者さんが、そもそも原疾患の一症状としてあるべき判断ができず、治療の機会を逃すこと」自体も、 私には既に立派な「自傷」の始まりではないかと感じられてしまいます。
その通りだと思います。しかしこの「その通り」を具体的な解決法に移すにあたってはクリアしなければならない困難な問題があります。それは、【4684】の回答と重複しますが、「既に治療介入を開始した方が良い状態」という判断の基準をどうするかという問題です。これがもし身体の病気であれば、治療介入は早ければ早いほどよく、さらにいえば未病の段階で予防として介入すればさらによいという考え方も十分にあり得ます。しかしながら病識が欠如している精神病の場合には『本人』の意志に反して介入することになるわけですから、「早ければ早いほどよい」とは言えないことは明らかです。ではいつならよいのか。どのような状態ならよいのか。それには人々が納得する何らかの基準が必要でしょう。しかしその基準を定めることは、少なくとも現代の日本においては不可能です。
何か、さらにもう一歩踏み込んで、非医療従事者であっても「怖い」「何だこいつ、おかしい」で終わってしまうのではなく、
そこで終わる人が多いという事実もあれば、そこで終わらず【4705】赤ちゃんポストのように、おかしい人の回収ダイヤルがあると便利だと思う のようにお考えになる人も一定数存在するという現実の認識も必要だと思います。【2522】もはたして例外と言えますでしょうか。
もう少し早期に精神科医療に繋げてあげられるような仕組み・枠組みを構築できるのではないか (もちろんとても難しく丁寧な議論が必要であることは言うまでもありませんが)、実現できた暁には本人にとっても、周囲にとっても、社会(資源)にとっても、「三方よし」とできるのではないか、 という想いが常にあり、政策案など書いてみようかとも考えております。
実現できれば「三方よし」になるというのはご指摘の通りだと思います。質問者の「政策案」に期待しております。
なお
現代においてご指摘のことが「実現していない」のは事実ですが、歴史を振り返ってみれば、実現に向けて前進が続いているというのもまた事実だと思います。その「前進」はたくさんの人々の地道な努力に支えられています。その「前進」は遅々たるものではありますが、その背景にはこれもご指摘の通り 「とても難しく丁寧な議論が必要」 という事実があると言えるでしょう。
(2023.8.5.)