【4386】私は多重人格らしきものなのですが、精神科に通うべきでしょうか

Q: 22歳の女性です。
私は多重人格らしきものですが、どうも漠然としているので、精神科に通うべきか迷っています。通院が必要かアドバイスをください。

記憶は全て連続して整合性が取れていますが、私の頭の中には10人程の人格が住んでいます。雑に言えば、全員をひっくるめて「私」が形成されています。今文章を書いている自分を便宜上ワタシと呼ぶことにします。
人格たちはワタシが人為的に生み出したものです。記憶が曖昧で何故作ろうと思ったのかは定かでないのですが、ある日「この頭の中の声がうるさいから、彼らを人形に閉じ込めてしまおう」と思ったことは覚えています。
意思が強くはっきり声が聞こえる主人格と、意思の薄い機能人格に大別されます。

主人格は4人です。

リセイは、理性的な人格を自称しています。中性的な容姿ですが明確に男性です。主に身体の操作権を握っているのはリセイです。彼自身はなるべく理性的にあろうと努め、なるべく機械的な冷たい言動を取りますが、理性的な面も感情的な面もどちら持ち合わせており、声を荒げることもあります。基本的には後述するアイダとユージの仲裁をしながら、モトノの主張を汲み取って全人格を切り盛りし、ワタシ全体の意思を決める役割を担います。

アイダは、他人を愛する人格を自称しています。明確に女性です。全体主義的な側面を持ち「常に良い人でありなさい」「他人のために自分を犠牲にしなさい」と強くワタシに強制します。リセイがそれをいなしている感じです。アイダは他人を愛している素振りを見せますが、実際にはワタシを虐待することが目的であるように見えます。ワタシが苦しむ様を皆が見て楽しんでいるのだから、常にエンターテイメントを振り撒けとうるさいです。

ユージは、自分を優先する人格を自称します。明確に男性です。主な発言は「めんどくさい」「やめておこう」です。低俗な悪口を言うことも多く、よくアイダの怒りを買ってボコボコにされています。リセイは程々に仲裁し、二人の意見をバランスよく取り入れ納得させることに多大な労力を割いています。

モトノは本能に近いものです。幼児のような言動ですが、やつれた青年の姿をしています。「お腹すいた」「眠い」「しにたい」など感情的な要求を発しますが、リセイたちと会話が通じるわけではありません。賢い動物なら可能な程度の簡単な意思疎通しか出来ず、癇癪を起こすので言うことを聞かせるのは不可能です。アイダはモトノが気に入らないので、モトノを殺そうとしますが、リセイとユージは必死に止めています。理由は分かりません。

機能人格について説明します。

記憶担当がいます。女学生の姿をしており、いわゆるオタクです。記憶と同時に、ワタシのオタク部分を担当しています。捏造癖、妄想癖があるので主人格たちからは信用されておらず、ないがしろにされています。

音楽担当がいます。頭の中で何かの音楽、メロディーを流していないと落ち着かないです。ワタシの聴きたい曲と音楽担当が聴きたい曲が違う時があって、聴きたくない曲をずっと頭の中で流されると困ります。影響力の強い機能ですが流されやすい性格で、ワタシの外から音楽が聞こえてくると大抵ノッてきます。任意の曲を聴くことである程度コントロール出来ます。

医者担当がいます。リセイが本当に困った時に天啓を授けてくれますが、リセイが呼んでも出てきません。医者担当は直感的に正しい選択を理屈抜きで選ぶ力があるのですが、最後の切り札として秘めているらしく、普段は意図的にどこかに隠れています。

この他にも何人かいて、リセイが理性的にあろうとするあまり切り離してしまった感情部分らしき人格などもいるようです。しかし、彼らは表に出てこない、主張しない、存在が漠然としている、機能としての側面が強すぎて人格としてキャラクター化されていないなどの理由から、詳しく文章でお伝えすることは出来そうにないです。漠然と存在は感じている、程度のものです。

彼ら人格たちは「自分たちが一人の人間の中にいる一人格である」「ある地点で作られた人為的なもので、自然発生的なものではない」「各々が主導権を握りたがっているが、今のところリセイに委任している」「記憶担当が共有するのでワタシとして共通の連続した記憶を持つ」ことは同じです。
彼らのうち誰か一人が欠けてもワタシはワタシでなくなるし、誰か一人だけを抜き出して「これこそがワタシの元の人格である」と指すことは出来ません。元はと言えばワタシを切り分けて人為的に名づけ、キャラクターを与え、思考を主観から客観に切り替え、感情的になることを抑えるために作ったものです。なので全部合わせてワタシですし、彼らがいなければワタシは空っぽになります。

そして彼らは、とんでもなくうるさいです。1秒のうちにさまざまな会話をあちこちで交わし、記憶を再生し、音楽をかけ、議論して、好き勝手過ごしています。例えば中身のある財布を拾ったとします。

リセイ:重たいな。いくら入ってるだろう。
アイダ:一万円も入ってる!クレジットカードまで!大変だわ、今すぐ交番に届けてあげなきゃ!
ユージ:いや、クレカはめんどくさいけど一万円はくすねておこうぜ。落とした方がバカなんだから。
アイダ:あんたねえ!(ユージをタコ殴りにする)
リセイ:分かった分かった、交番に届けるから殴るのはやめよう。

この間、記憶担当は過去財布を拾った時のことを再生し、音楽担当は特に関係のない音楽を流しています。モトノが時々「いやだ!」とか「帰る!」とか言うかもしれません。
アイダとユージの会話を抜き出せば、誰にでもある、普通の葛藤だと思います。人間、一つの価値観に染め上がってそれ以外のことが全く頭にないということはほぼありえず、誰だって「大変!財布を届けてあげなきゃ」という心と「しめしめ、くすねてやろう」という心など、複数持ち合わせているものだと思います。
しかしこういった脳内会話があまりに凄まじい速度で、意識のある間、おはようからおやすみまで常時繰り広げられ、それがうるさいために現実に向けるべき注意がおぼつかない、非現実感すら覚えるのは、どうも異常な気がしてなりません。葛藤中も「記憶の再生」や「音楽の再生」が止まらないのも、周囲にあまり共感してもらえません。彼らはワタシが身体的に眠るまで会話を続け、ずっとうるさく何かについて討論しています。
当然この人格たちの会話は、ワタシに負荷がかかります。注意散漫である、集中出来ない、眠れない、などのデメリットがあります。一つ一つに丁寧に対策することで今のところ日常生活は成り立っていますが、疲れた、もうやめたい、機能を停止したい、考えすぎなくて済むのなら死にたいまでとは言わないが死ぬまで続くのであれば耐え難い苦痛である、と感じます。

しかし、これはある程度、ワタシが望んだ結果でもあります。
そもそも、ワタシから切り分ける前は誰にも名前がついていなかったので、全てワタシの頭の中の独り言として処理していたのです。その頃は矛盾し相反し攻撃的で自罰的かつ怠惰で真面目な己の感情に振り回されて、少しの出来事にも疲れ果てて何事も億劫になっていました。どれが本当の自分の気持ちなのか見定めるために内側に意識を向けすぎて、先ほど述べたデメリット(注意散漫になって人の話を聞かない、道端でぼーっとする、訳もなく涙が出てくるなど)が生活に侵食し、困ったことになりました。自分は筋の通った思考が出来ないのだと落ち込みました。

ぐちゃぐちゃの思考になんとか名前をつけて「ワタシとは違う人たちの意見なんだ」と切り離す、距離を置くことで、なんか言ってるなぁくらいに捉え、深刻に考えすぎないことに成功しました。それで日常生活が上手く回るようになり、訳もなく涙を流す日が少しずつ減っていった、と思います。未だに意識は持っていかれますが、体感、これでも随分マシになったのです。記録をつけていない頃と比較して、なので正確ではなく、なんとも言い難いのですが。
しかし今となっては、それがかえって新しい問題を招くのではないかと考えています。本格的な解離性障害に足を突っ込み、自分から進んで障害になりに行ってしまっているのではないか。今はワタシとして統合されているけれど、何かの衝撃(災害や事故など)で亀裂が走り、完璧に分離して記憶も共有出来なくなるのではないか。あるいは暴力的な面が出るなど、生活に支障が出る可能性が高いと感じています。感じているだけですが。そういった漠然とした不安があります。
それでもやはり、今のところ生活に支障が出る、恐怖でしたいことが出来なくなる等といった困りごとはありません。多分、そういう個性として受け入れることも不可能ではないのでしょう。こういった逡巡も全て、彼らの会話を整え、まるでワタシが一人であるかのように振る舞ってるに過ぎないとしてもです。

私は精神科にかかりつけ医を作った方が良いのか、その際何を口実にすべきか(今困ってることがないのに医者に行くのか?)、はたまたその困った時が来るまで置いといて良いものか、参考になるような方針をいただけると嬉しいです。

 

林: この【4386】は、定義上は解離性同一性障害にはあてはまりませんが、解離性同一性障害で推定されている、交代人格が生まれてくるプロセスをはっきりと意識して実体験されている稀なケースです。
すなわち、

そもそも、ワタシから切り分ける前は誰にも名前がついていなかったので、全てワタシの頭の中の独り言として処理していたのです。その頃は矛盾し相反し攻撃的で自罰的かつ怠惰で真面目な己の感情に振り回されて、少しの出来事にも疲れ果てて何事も億劫になっていました。

このように、自分の中での相矛盾する思考の処理が困難になり、それを処理するために、

ぐちゃぐちゃの思考になんとか名前をつけて「ワタシとは違う人たちの意見なんだ」と切り離す、距離を置くことで、なんか言ってるなぁくらいに捉え、深刻に考えすぎないことに成功しました。

このようにそれぞれの思考を分離することで、

それで日常生活が上手く回るようになり、訳もなく涙を流す日が少しずつ減っていった、と思います。

このように安定した状態を得る。これが解離性同一性障害における交代人格発生の過程として推定されているメカニズムです。
ただし、解離性同一性障害では、この過程が無意識に進行するという点が、この【4386】とは大きく異なる点です。(無意識に進行するということは、本当にそのように進行しているかどうかは誰にもわからないことになりますから、この過程は仮説にすぎないということになります)

そして、現時点の【4386】は、葛藤に苦しみながらもそれなりに安定しておられますが、

しかし今となっては、それがかえって新しい問題を招くのではないかと考えています。本格的な解離性障害に足を突っ込み、自分から進んで障害になりに行ってしまっているのではないか。今はワタシとして統合されているけれど、何かの衝撃(災害や事故など)で亀裂が走り、完璧に分離して記憶も共有出来なくなるのではないか。あるいは暴力的な面が出るなど、生活に支障が出る可能性が高いと感じています。

その可能性は確かにあると思います。

私は精神科にかかりつけ医を作った方が良いのか、その際何を口実にすべきか(今困ってることがないのに医者に行くのか?)

作った方がいいと思います。それは医師である必要は必ずしもなく、カウンセラーでもいいと思います。すぐに治療をするというより、経過を報告し、必要な際にアドバイスをいただくこと、また、もし解離性同一性障害への発展が見られる状態になったときに早めに対処できる態勢を整えることが目的です。

(2021.9.5.)

その後の経過 (2024.8.5.)

05. 9月 2021 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A, 解離性障害