【4867】無意識領域と会話したと思います (【4386】のその後)

Q: 25歳女性です。過去に【4386】私は多重人格らしきものなのですが、精神科に通うべきでしょうか で回答をいただいたものです。

前回はご回答いただきありがとうございます。
あれから林先生のアドバイスに従い、オンラインのカウンセリングサービスを利用し始めました。時間が流れ、生活が安定したこともあり、人格たちにゆるやかな変化が起きました。
リセイ:酷使され疲弊し少しやさぐれる。感情が出せるようになったとも言える
アイダ:矯正され言葉遣いが丸くなる
ユージ:アイダの攻撃性が減った分攻撃的になった
モトノ:会話が可能になる、癇癪がちだが話は通じる
ただ、彼らの話は自力で、担当カウンセラーさんと一緒に折り合いがつけられそう、共存が可能そうなので、心配ご無用です。簡潔にこれのみ、経過報告としてお伝えさせていただきます。
今回の本題は彼らではありません。

今回は、別の人格たちの話がしたくご連絡させていただきました。
【4386】でご相談した際、以下のように書いた部分があります。

「この他にも何人かいて、リセイが理性的にあろうとするあまり切り離してしまった感情部分らしき人格などもいるようです。しかし、彼らは表に出てこない、主張しない、存在が漠然としている、機能としての側面が強すぎて人格としてキャラクター化されていないなどの理由から、詳しく文章でお伝えすることは出来そうにないです。漠然と存在は感じている、程度のものです。」

その彼らと思わしきものと接触でき、多重人格の発生プロセスについて仮説を組み立ててみたので、それについて誰かに共有したく、林先生が最も適切と思いましたので、ご連絡した次第です。
いずれもう少し整理して口頭でもお話しできるようになったら、同じ内容を担当カウンセラーさんにもお話ししたいと思います。今はなるべく慎重に正確な言い回しをしようとして文章が長くなってしまったのですが、乱文をお許しください。

きっかけは、ある物語に没頭し読み終わった後でした。
物語に没頭して『我を忘れる』という経験は、精神に特別な負荷のかかっていない方でも普遍的に体験することと思います。人格が半ば分裂している私にも、それはしばしば起きます。
その、物語に没頭している『我を忘れる』間の思考担当は、どうやら今まで観測した中のどの人格でもないようです。

【4386】の際、機能人格として「記憶担当がいます。女学生の姿をしており、いわゆるオタクです。 記憶と同時に、ワタシのオタク部分を担当しています。捏造癖、妄想癖があるので主人格たちからは信用されておらず、ないがしろにされています」と紹介したのですが、これは正確ではない認識だったようです。
記憶担当はあくまで書かれた記憶を保持しているに過ぎず、彼女自身がそれの書き手というわけではないようです。「オタク部分を担当する」……物語に没頭し『我を忘れる』の部分は、彼女の領域ではありませんでした。
ワタシはそれには薄ら気づいていましたが、どうも上手く言語化できてませんでした。他人格からの彼女への信用のなさも、今思えばその不透明さにあったと思います。

どのように不透明かと言うと、記憶担当の蓄積する記憶は、書き手が不明瞭なのです。
ワタシ総体としてはきちんと『その物語を読んだ』という記憶があり、物語に関する五感や思考過程の記憶を引き出すことが出来るのですが、『その分の記憶は私の担当の時だった』というような主観が、どの人格にもないのです。けれど書き手不明の記憶が、しかしそこに存在するため、今までは「記憶担当自身が書いているのだろう、多分」ということになっていました。
記憶は誰がどの記憶を書いたのかまでは記しません。「その記憶を書いたこと」という客観視の記憶にもまた書き手を書かなくてはならず、そのマトリョーシカ状の重複署名処理を行うにはワタシの脳のスペックでは足りず、不要な情報としてどうやってもこぼれ落ちます。また大抵の場合は本人が「それ僕の分」と名乗り出るか、書き手の癖、文体や情報の取捨選択の方法などで憶測がつく(アイダには罵倒語が多いなど)で不便しないためです。
しかし物語に没頭して『我を忘れる』間の記憶は、明らかに誰の筆致でもない記録の取り方であり、誰も「それ僕の分」と名乗り上げないまま記憶だけが蓄積されていくので、長年の謎でした。
ただ記憶担当の彼女自身は、機能人格と呼ぶように、彼女の主観や意志にワタシからアクセスできるわけでない一機能に過ぎないため、彼女はその仮定に対し「間違ってる」とも「そうだ」とも主張しませんでした(という比喩が擬人化という手法に最も近い表現になります)。

ですが先日、物語に没頭して『我を忘れた』直後に、リセイがその、誰とも分からない書き手に遭遇しました。
その瞬間は、物語に没頭し過ぎて寝食を忘れ、医者担当(普段どこかに隠れている)が出現するほど肉体が疲弊していて、動けずに脳内会話の物理的な速記ができなかったのですが、後で可能な限り思い出して復元しました(多分、仮に肉体が動いたとしても、この会話を速記できるとは思えませんが…)。
復元を抜粋したものが以下になります。

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(真っ黒の空に3,4つの、赤や緑などの色合いを帯びた光の弾が浮かんでいる。彼らは人の形ではない)

リセイ:君たちが、漠然と見えない人格たちの正体か?

?1:私たちは擬人化に興味がない、それでは形に引きずられる、遅すぎる

リセイ:少し待って。しばらく休ませてくれないか?今は疲れているんだ。このことは後で記憶を掘り返して記録する。

?2:(『今は記録ができない』に対して)忘れることの何がいけない?撹拌する思考はより遠くまで届く。記録に意味はない

リセイ:僕の記憶は長く持たないんだ、君たちとの会話を忘れてしまう。『今は記録ができない』、この貴重な機会を逃したくない…待て!こちらが発話する前に返答するな!

?3:(『記憶が正常に保たれなければそれが崩壊する』に対して)記憶はこちらの世界のルールだろう

?4:なぜ従わなくちゃいけない?

リセイ:肉体には時間が必要なんだ、現実の時間の速度で進まなくちゃいけない。腹が減ったら飯を食い、眠くなったら眠る、そういう秩序で動いてる。『記憶が正常に保たれなければそれが崩壊する。』

?1:(『肉体が死ねば君らも死ぬ』に対して)違う、私たちはどこまでも行ける

リセイ:肉体が持続しなければ、つまり『肉体が死ねば君らも死ぬ』……どこまでも行ける?そんなわけない……僕たちは脳という物体に縛られてる。それは君たちも同じはずだ!それをどうしてそうやって、

?2:(『君たちの会話は早すぎる』に対して)私たちが早いんじゃない、君たちが遅すぎるんだ

リセイ:肉体の時間をおろそかにする!?『君たちの会話は早すぎる』!同じ速度で会話を……い、今だって、僕の言葉を待たないで返事をしただろう!会話の順番抜かしをするな!いいか、肉体には肉体の速度があるんだ!現実の物質としての速度が!コミュニケーションには時間が必要なんだ!

(???の一段が去り、光の弾が見えなくなる)

?3:遅い

?1:私たちはもう行く。それじゃあ

リセイ:順番、秩序!待って!…ああ、声だけ、遅れて聞こえる…僕の理解が遅れているんだ。もう去ってしまった。彼らにとっては、もう会話は済んだ後なんだ…なんだよ、あいつら…

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彼らは、どうもリセイが「言おうとしたその瞬間に」その意図を感じ取り、声にする前…つまりワタシの頭の中で言語化する前に、出力する前の固まり切っていない方向性、概念、思念のようなものに、反射的に返答して会話を進めているようなのです。

「リセイ:君たちが、漠然と見えない人格たちの正体か?
?1:私たちは擬人化に興味がない、それでは形に引きずられる、遅すぎる」
という最初のやり取りは「リセイ:(どうしてそうやって)肉体の時間をおろそかにする!?」に回答しているものと思われます。
この会話の圧縮を解凍すると、
「リセイ:君たちが、漠然と見えない人格たちの正体か?
【?1:そうだ
リセイ:なら聞きたい。今ワタシは大変疲弊している。それは君たちが肉体を疎かにして物語に没頭したからだ。疲れているから会話の記録もできない。どうして肉体の時間をおろそかにする?】
?1:私たちは擬人化に興味がない、それでは形に引きずられる、遅すぎる」
となります。これが『肉体の時間』での正しい会話順です。それを彼らは順番抜かししているのです。
つまり?1は、リセイが光の弾を見た時に浮かべた、(もしあなたたちが漠然と見えない人格たちの正体なら、なぜ)という疑問に、暗黙のうちに肯定した上で理由を答えているのです。それに対して、リセイは後追いで一生懸命言葉にしながら自分の速度で言語化していきます。

未来を読んでいるかのような順番抜かしの会話がなされて、ワタシはとても驚きました。これでは自覚…というか、まとまった表現、言語化?具現化?認知?が難しいのも当然だろう、と思います。
彼らが去った後、珍しく医者担当が残って、彼らについて解説してくれました。医者担当とリセイの会話は、肉体が回復してきたのと、順番抜かしは起きなかったのでその場で速記することができました。
が、長いので要約します。それが以下になります。

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リセイ:彼らは何か?
医者担当:おそらく無意識の領域。仮に無意識と名付けよう。

リセイ:自分たち人格と関係あるか?
医者担当:元はアイダやユージも無意識のうちの一つだった。あのスピードで思考が展開していた。
(【4386】「そもそも、ワタシから切り分ける前は誰にも名前がついていなかったので、全てワタシの頭の中の独り言として処理していたのです。その頃は矛盾し相反し攻撃的で自罰的かつ怠惰で真面目な己の感情に振り回されて、少しの出来事にも疲れ果てて何事も億劫になっていました。」の状態)
仮説として、アイダやユージは最も『捕まえやすい』無意識だったのではないか。声が大きく、現実の行動に干渉して、特定の価値観に従ったリアクションする。かつ思考が遠くまで飛んで行かず同じところでグルグル回っているため、何度も聞き取りを繰り返せばある程度理解出来た。
その行動への影響力と、読解に苦悩したリセイが、理解可能な形に限りなく整形したのが、今の会話可能なアイダやユージの姿ではないか?
今の無意識は、比較的現実に干渉しない代わり、物語を読むときなどに体を乗っ取る。

リセイ:無意識は何故体を乗っ取ろうとするのか?
医者担当:これは自分の考察だけれど、この無意識の喜びは「思考速度を早い状態で保つこと」にあるらしい。思考は撹拌し遠くまで行く(彼らの比喩表現?)が、いくら遠くまで行っても内側では新しい刺激は得られないため、定期的に外界の刺激を得なおす必要がある。そのために体を乗っ取るのではなか?
また、無意識は漠然とした不安を感じることもある。だがそれを一人では形にできない。
その喜び、あるいは不安に飛びつくと『我を忘れる』という状態、無意識領域に操縦されている状態、理性的なコントロールの…リセイの効かない状態、という形で現れるのではないか?

リセイ:逆に無意識は何故それ以外の時間、息を潜めるか?
医者担当:理由はいくつかある。
①肉体へかかる負荷が高い。思考に全てのリソースを持っていくと、食事や睡眠をおろそかにせざるを得ない。しかし肉体には肉体の時間があり、お腹が減って眠くなるため、ずっとはその思考速度を保てない。肉体感覚に邪魔をされて中断される。それが煩わしい。
②そもそも肉体を不要だと思っている。脳というハードは思考に必要不可欠だが、そもそもそんな不便なハードに関係なく思考の速度だけで存在できれば、その制限が取り払われて自由になれるのに…と不満を感じている。なので肉体維持に無関心。思考のために肉体維持を我慢してやってあげようという気はなさそう。だから普段は息を潜めている。
③リセイに観察され、アイダやユージのように擬人化されることで、思考速度を落としたくない。

リセイ:無意識が体験したこと(『我を忘れて』物語を読んでいたこと)を何故僕たちが朧げながら覚えているか?何故記憶を引き出せる?
医者担当:無意識はリセイたちよりもっと記憶が苦手。思考に必要なパーツ以外は邪魔だと感じている。そのため必要な情報以外は削ぎ落として使っている。『何故この情報を重要視するのか』『どこで手に入れたか』などの周辺情報は思考速度にとって邪魔な、重たいもの。しかしそれもまた思考の材料になることがある。彼らは彼ら自身のみでは記憶の形を保てないから、こっちの記憶領域を借りてメモ書き代わりに、外部記憶領域として使っているっぽい。
なのでワタシ総体として『たしかにやっていた』というメモ書きの記憶が残る。しかしどこか操り人形のようで『自分(ニアリーイコール、リセイ。自覚領域)の意思でやった』という実感は薄い。

リセイ:医者担当は何故それらを知っているのか?
医者担当:本来は医者担当も無意識側の領域にいる。けれど擬人化に付き合って、リセイ向け、肉体向けにコミュニケーション速度を落としている。思考速度は無意識領域と同じに思われる。そのため頻繁な出現は負荷が高く、避けている。
リセイ:ならあなたもその気になればあの速度で会話ができる?
医者担当:できるけれど、君には正確な形で伝わらないと思うよ。置き去りにしてしまうと思う。

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以下は、速記の一部抜粋です。

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リセイ:あいつらに乗っ取られることで、肉体は損傷を受けてる!眠れてないし、飯も食えてない、気分が悪くて…今、すごく吐きそうだ…
こんな無茶苦茶な乗っ取りが何日も続いたら、生命活動を維持できないというハッキリとした危機感がある!あいつらの速度、情報の洪水に耐えられるように、肉体ができてない…

医者担当:あいつらがぞんざいに扱えるほど、肉体の方が頑丈じゃないんだ

リセイ:そ

医者担当:結果として私たちは決裂した、彼らは肉体に興味をなくし、運用は『理性的』に行われるようになった。本能に従えば彼らが権力を持って、肉体を死なせるほどぞんざいに扱う。
…ごめんね。私が話す速度を落とさないといけなかった。気を抜くとこうなってしまうんだ。今、何を言いかけたの?

リセイ:……うん。ありがとう。それって、僕たちアイダとユージとが分裂したことって関係あるかな?

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医者担当:これは仮説だけど、彼らは物語の中では『彼らの速度で』泳ぐことが出来るんじゃないかな?
現実のコミュニケーションでは、相手の考える速度、口に出すまでの時間、彼らは暇を持て余すんだ。
君との会話を切り上げたように、ゆったりしていてとても耐えられない。
けれど物語はそうじゃない。もう完成されたものを観測者として見るときは、いくらでも倍速が出来る。だから好きな速度で思考を泳がせて、彼らの言葉を引用すれば、撹拌し…多分これは、風船を内側から膨らますように、宇宙が押し広がるように、と言いたいんだと思う…そして、より自分から離れた新しい思考まで辿り着きたい。自分の領域を広げたい。
それが心地よいから、制限のある現実の時間を過ごすのは君たちに任せて、自分たちは好きな時だけ現れて、君たちを乗っ取るんだ

リセイ:身勝手な!その物語を『知る』『知覚する』ための五感と、脳の思考速度のコンディションを整えてるのは僕たち自覚側なんだぞ!勝手にフリーライドするな!

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リセイは「自分の制御下にない状態で、体を酷使して思考のためだけに使う」ことに強い不安を感じているようです。それを「人格が分裂したらどうしよう」という不安として表現し、懸念しているみたいです。
つまりこれは自覚側の不安であって、無意識の方はこの件に関して、不安に思っていないようです(当たり前ですが)。

逆に無意識は、肉体の時間速度…例えば物を食べた後に消化して満腹感を得て再び空腹になるまでの時間、強い衝撃を受けて痛みが取れるまでの時間など、継続性のある刺激の、ゆったりとした時間幅を、あまり好んでいないようです。リセイはむしろ好んでいるのですが…無意識にとっては思考速度を落とす、煩わしいノイズになるのだと思います。
また肉体に頓着がなく持続させようとしないので、記録は無意味だと感じているようです。記録分に割くリソースがあるくらいなら、より遠くへ行きたいと感じます。
記録とはあくまでこの先の未来のためのもの、過去を参照するためのものです。この思考体は(肉体への無頓着さから汲み取るに)未来を考慮しないので、記録の必要性が感じられないのだと思います。

以上がワタシの個人的な体験と自己分析になります。今後の自己分析と折り合いは、時間をかけて地道にやっていくことにします。
ここから多重人格の生まれるプロセスについて、素人なりに考えてみました。(専門書などを読んだわけではない素人考えで、ただ、聞いていただきたいだけです。)

【4386】にて、林先生に
「これが解離性同一性障害における交代人格発生の過程として推定されているメカニズムです。ただし、解離性同一性障害では、この過程が無意識に進行するという点が、この【4386】とは大きく異なる点です。(無意識に進行するということは、本当にそのように進行しているかどうかは誰にもわからないことになりますから、この過程は仮説にすぎないということになります)」とご回答いただきました。

無意識の領域は、誰もが持つものだと思います。
『言語や音声、視覚、あらゆるコミュニケーション手段よりもっと早く思考が行われる』領域のことです。無意識、無自覚、予感、直感、第六感、心、精神、性格、個性、本当の自分、ハイヤーセルフ、本能、衝動、反射…呼び方は様々あると思いますが、それはこの林先生の相談室で取り扱う内容の核そのもののように思います。
多分私たち人間は、私たちが自覚している以上にたくさんの刺激、知覚を世界から受け取り、考え続けているのでしょう。それは自覚の領域に収まらないほどの膨大、かつ高速な思考のため、無意識の中で行われているのだろうと思います。

ワタシの「思考を早い速度で泳がせていたい」「撹拌し、遠くまで行きたい」「肉体の時間速度に思考を煩わされなくない」「けれど思考を加速させうる材料になる刺激は欲しい」というような無意識の持つ苛烈な『欲求』あるいは『好み』は、食欲のように必ずしも誰もが共通で同程度持つ物ではないと思います(特別世界に何人というほど珍しいこともないでしょうけど)。
けれど誰もが、自分の持つ無意識領域の中に、自分の今まで受け取った五感や思考の情報が溢れているのなら、その無意識領域の中に、ある種の傾向、『好み』は、必ず存在しているように思います。
それが我々が日頃、性格とか、個性とか、心から求めている物とか呼んでいるものではないか、と思います。

しかしこれは無意識領域の話なので、自覚的な領域、自分が考えようと思って考えを巡らせることのできる領域とは異なります。得られる情報量が異なるので、当然情報の偏りも、少しずつ異なるでしょう。
その偏りの異なりが大きくなるほど、ワタシのようにリセイが極端に『無意識領域の好み』と乖離してしまい、二重人格…解離性同一性障害のようになるのではないか?
あるいはアイダとユージのように、無意識領域同士で複数の価値観が衝突を起こし激しい喧嘩をすると、普通は溢れないような膨大なはずの無意識領域のキャパティシーを超え、内面の矛盾の解消にメモリーを食われ、外界の刺激を処理しきれなくなってしまうのではないか?そこで無意識領域を切り分け、こちらはAの担当、こちらはBの担当と一人分ずつ処理を行うことで過負荷、すなわち苦痛を回避しようとするのではないか?
ワタシの中でも、昔に擬人化される前のアイダとユージが、おそらく順番抜かし会話を繰り返し、対立しあっていたのです。そんなものすごい速度で口喧嘩が行われていた、ような気がします。そしてそれは大変な苦痛だったとも。今の肉体時間の速度でも相当にしんどいので、それがあの速さで行われていたらと思うとゾッとします。

【4386】で林先生に
「このように、自分の中での相矛盾する思考の処理が困難になり、それを処理するために、このようにそれぞれの思考を分離することで、このように安定した状態を得る。」 と回答いただいた内容に合わせてみると、

外界の強い刺激(例えば幼少期の虐待経験や、戦争体験など)により、無意識領域が受け取ってしまう膨大な情報と、自覚領域が受入可能、認識可能な情報に極端な乖離が起こる。
するとその差異を埋める、矛盾を解消する、擦り合わせる処理が、余計に発生する。
負荷に耐えきれなくて、擦り合わせに失敗すると負荷を軽減しようと別個に処理しようとし、人格が別たれる。
また、各々が一度に処理可能な記憶領域を超えると、記憶の乖離が発生する。
…のではないでしょうか?もちろん、すべての解離性同一性障害、あるいはPTSDに当てはまるわけではないと思いますが。
そんな仮説を組み立ててみました。

この場合、つい考えてしまうのは『本当のその人本人』はどこにあるのか、です。自覚側か、無意識領域側か?
ワタシとしてはやはり「『総体』としてのワタシ」という表現が最もしっくり来ます。リセイもアイダもユージもモトノも機能人格も無意識たちも、全員分の機能が揃わなくてはワタシそのものだとは言えません(あくまで機能さえあれば良いので、それぞれが変化したり入れ替わったりは許容可能とも言えます)。
しかしリセイや無意識には、ワタシを乗っ取ろうと思えば乗っ取れるだけの、思考を一本に染め上げて再起不能にし、偏った判断で極端な行動をワタシに起こさせ破滅させるだけの力があることも確かです。すべての人格にその力があるわけではありませんが。
今は均衡を保っているだけなのだなとつくづく思います。

精神障害は明確な線引きがなく、グラデーションの生きづらさには「日常生活に支障があるかないか」 で判断するしかないと思います。その「日常生活に支障のある」と感じる程度の精神障害とは、無意識と自覚の戦いなのではないか?と思うのです。
あらゆる依存症や鬱、妄想、洗脳…ある程度は化学物質の力で、薬物療法で無意識領域をコントロールする対処療法は、現状可能ですし、これから未来もっと研究され、有効な手は増えるでしょう。
しかし最終的には、『無意識』と『自覚』が「和解しよう」「折り合いをつけてこの一つの肉体を運営して行こう」と決意しない限り両者は決して和解せず、また障害…本人の抱える苦痛、息苦しさ、困難な『感じ』は、根本的に取り除かれないのではないか?と強く思います。
『無意識』に目を向けずに封殺する、『自覚』を失って本能のままに生きるという手もあるかもしれませんが…それは『自分』の一部を押さえ込んでいる状態なので、どちらを封じるにせよ喧嘩別れをしたままでは、苦痛となっていつか表に現れたがるようになるのだろうと思います。 本人が困り感を抱えているのに治療を拒否するのは、この無意識と自覚の戦いによって表出する反応なのではないかと思うのです。無意識は困ってないから改善しなくて良い、自覚はなんとかできているつもりだから改善の必要を感じていない、など。

自覚側であるワタシは今、「肉体などどうでもいい」といって思考を優先する無意識領域と、どうにか共存しています。お互い分かり合えていない部分は多いですが、事実ワタシはまだ一人分の記憶を分裂させずに、適切に管理し保っています。
これからどうなるかは分かりませんが、少なくとも自分でコントロール可能な自覚側くらいは、誰の手も届かない、自分だけの無意識領域に歩み寄ってあげてみたいと思います。結局のところ、無意識領域はワタシという肉体を介してしか世界とは繋がれません。無意識領域の考えていることや、生きた証、そこにいることの証明は、唯一の隣人であるワタシにしか出来ないことなのです。確かにそこに存在しているはずの彼らを、唯一観測可能なワタシが理解してやらないのは、孤独で寂しく、可哀想だと思うのです。
その歩み寄りをやめない限り、ワタシは一つの私のままでいられる…と信じたいです。

長々とすみません。あまりご相談らしいご相談ではなくなってしまいました。経過報告ということでお許しください。
お時間をいただきありがとうございました。

 

林: その後の経過をご報告いただきありがとうございました。

経過の記述自体が大変貴重な記録ですが、加えて、多重人格についての発生プロセス仮説として示していただいた内容も、当事者によって立てられた非常に貴重なものだと思います。

外界の強い刺激(例えば幼少期の虐待経験や、戦争体験など)により、無意識領域が受け取ってしまう膨大な情報と、自覚領域が受入可能、認識可能な情報に極端な乖離が起こる。
するとその差異を埋める、矛盾を解消する、擦り合わせる処理が、余計に発生する。
負荷に耐えきれなくて、擦り合わせに失敗すると負荷を軽減しようと別個に処理しようとし、人格が別たれる。
また、各々が一度に処理可能な記憶領域を超えると、記憶の乖離が発生する。
…のではないでしょうか?もちろん、すべての解離性同一性障害、あるいはPTSDに当てはまるわけではないと思いますが。

そして、

この場合、つい考えてしまうのは『本当のその人本人』はどこにあるのか、です。

この問いが発生することも自然ですが、同時に、『本当のその人本人』とはそもそも何か、そんなものが存在するのか、という問いも発生すると思います。

また、

しかし最終的には、『無意識』と『自覚』が「和解しよう」「折り合いをつけてこの一つの肉体を運営して行こう」と決意しない限り両者は決して和解せず、また障害…本人の抱える苦痛、息苦しさ、困難な『感じ』は、根本的に取り除かれないのではないか?と強く思います。

につきましては、そもそもそうした「和解」が必要なのかということも問われなければならないでしょう。但しこのとき、

また障害…本人の抱える苦痛、息苦しさ、困難な『感じ』は、根本的に取り除かれないのではないか?

これが当事者の思いであるとすれば、「和解」の要不要は、当事者以外には述べる権利はないとも言えるでしょう。但しさらにはここでいう「根本的」とは何か、という問題も発生しますが。

今回いただいた【4867】は、事実の記述としても、また、当事者による仮説としても、そして未来の向けての当事者の思いとしても、大変貴重な内容だと思います。ご報告いただきましたことに重ねて感謝いたします。

(2024.8.5.)

05. 8月 2024 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A, 解離性障害