【4103】今の調子で社会復帰できるのでしょうか (【3526】、【3579】のその後)

Q: 【3526】薬を飲むのをやめて本来の自分を取り戻すつもりです【3579】あれから家族にしつこく言われながら服薬しています。実は私は統合失調症なのでしょうか。でお世話になった20代男性です。

あれから就労不可状態になってB型作業所に通っています。
現在飲んでいるのは朝がリスペリドン2.0mg、夕がリスペリドン2.0mgとプロプラノロール60mgです。週5日の作業所通いで毎日9時半から3時15分(コロナウイルス流行の影響で現在作業所は始業を1時間遅らせて終業を1時間早めていますが)まで作業所にいて規則正しい生活をしているおかげか薬の飲み忘れも無く概ね健全な状態です。

さて、ここで私が【3579】の後、症状が悪化して作業所に通うまでの経緯を伝えたいと思います。

X年12月初頭  (【3579】の質問をした年をX年としました)
夜勤続きで寝坊を恐れて朝の服薬を欠かすようになり(そもそも寝不足のせいか朝の薬を飲まなくとも眠れました)、そのせいか12月初頭になって特定の人と仕事で組むことに対する恐怖が限界に達して出勤拒否状態になって退職しました。このときは退職の申し出のために電話することができました。

X年12月下旬からX+1年2月上旬
しばらく仕事をしていないでゲーム三昧の生活をしていました。家族も「焦って次の仕事を探さなくてもいいんじゃない?」と話していたので仕事のことは置いておきました。50日間で600時間ゲームをプレイし、毎日の睡眠時間は6時間程度で、日常生活には問題がないということで朝の薬はパスしていました(ゲームのやりすぎで寝不足だったので朝の薬が無くとも眠れました)。

X+1年2月の終わり頃から3月中旬
自宅から歩いて通える距離のスーパーの精肉部でパート(週5回、8:00~12:00の仕事)を始めましたが、割り当ての作業が時間内に終わらないなど仕事について行けず、3週間程度で辞めることになりました。この時は薬はきちんと飲んでいましたが、薬が効いたおかげで却って作業能率が下がったのだと今では振り返ります。この時はパニックになったり怯えたりはせず、薬はきちんと効いていたのではないかと思います。

X+1年3月下旬から5月上旬
自転車で通えるスーパーで早朝庶務・寿司場のパート(週4回、6:30~12:00)を始め、朝の安定剤を止めて作業能率を上げることで何とか2週間ぐらいで仕事について行けるようになりましたが、眠れなくて情緒不安定だった時にパートの先輩にきつく言われたことに耐えられず作業場を飛び出してそのまま無断退職してしまいました。仕事を始めて6週間程度の頃の事であったと記憶します。
振り返れば、朝の安定剤を止めていた時は夕方6時ごろに寝てから午前2時ごろに起きて午前4時頃に始業前からサービス早出として勝手に掃除を始めることがままありましたが、自分で勝手に頑張り過ぎたのもいけなかったのではと思います。家族からもサービス早出に関しては「おかしい」と言われましたが、そうしないとリストラされるのではという不安(妄想?)から自分で勝手にやっていました。

X+1年5月下旬から6月末
自転車で通える和食店でアルバイトを始めましたが、洗い物が多すぎて調理に必要な食器が足りなくなるほどの忙しさに耐えられず1ヶ月で退職しました。前回のスーパーのパートで頑張り過ぎた反省から頑張らないようにしたのですが、却って周囲の足を引っ張る結果となってしまいました。
ある時仕事を終えて家から帰るとストレスで目付きがおかしくなったので危険だと思い頓服のリスペリドン2.0mg(液体)を服用したのですが、眠気で翌朝起きるのがやっとで仕事にならないと判断して欠勤の連絡を入れました。それとは別の日にも頓服を飲んだのですが、翌日仕事にならないほど作業が遅くなって責任者に注意されました。こうしたことから服薬(特に頓服)に対する苦手意識が強くなりました。

X+1年11月下旬
コンビニのアルバイト(夜勤中心の契約)を始め、週6回の勤務を視野に入れていましたが、当初から自分がその仕事をやっていけるかということで怯えており、3回目の勤務で接客のことで責任者に注意されて責任者に対する恐怖を覚え、そして「救急搬送されれば『絶対来いよ!』と言ってくる責任者も諦めてくれる」と思い救急車を呼んで、最後は自宅に責任者から電話がかかって家族が電話を受けて話がつけられて退職しました。救急車を呼ぶ前には喚いてパニックを起こしながらなんとか出勤しようと自転車を漕ぎましたが、とても仕事できるような精神状態ではありませんでした。

X+1年末からX+2年始
いままで自分はシフトの要になると面接で約束するとか、「時間帯や曜日はいつでも結構です!」とパート・バイトに採用されたいがために安請け合いするとかで失敗したので、今度は総合スーパーの品出しをひたすらするだけの短期アルバイトをすることにしました(8時~13時のシフト)。そこでは本職の人にはかなわなかったのですが難しい仕事も要求されず勤務時間もほどほどでノルマも無かったので落ち着いて仕事ができ、無事1週間の契約を終えました。

X+2年1月末から2月初頭
歩いて行ける酒屋のアルバイト(週15時間弱、夕勤中心)を始めました。シフトが少ない上に仕事も楽で、さらに職場の雰囲気も良いのでこれならできそうだと思いましたが、ある時に責任者と社員の人が仕事の話で席を外している時に、お客さんへの対応でどうしてもわからないことがあってレジが数分間停滞しました。接客対応が思うようにできない不安から店長に障害(正確には当時障害者手帳が失効していました)を明かしたら「ちゃんとできるなら病気でも関係ないけど、店に迷惑をかけるなら辞めた方がいい」と言われ、4回目の勤務にして退職に至りました。

X+2年3月末から4月初頭
地元の本屋が小中学校への教科書の納品補助(早い話が重い荷物を運ぶ仕事)の短期アルバイト(1日9:00~17:00の全5日間勤務)を募集していたため応募し、採用されました。採用された他のアルバイトが家庭の都合で初出勤日に辞退を申し出したため予定より1人少ない3人での作業となり、腕が筋肉痛になる、作業に追い付くために息を切らしながら走る必要があるなど体 力的には大変でしたが、5勤務日だけの我慢だと思うと不思議と頑張ることができ、移動する車の中での手待ち時間も多く余裕もそこそこあったので投げ出さずにできました。

X+2年4月中旬
駅前の直営店のコンビニで仕事を始めましたが、フルタイム(13:00~22:00)での勤務と接客のストレスに疲れ、仕事の細かいミスや能率が上がらないことに不安を覚え、些細なストレスの積み重ねから4、5回目の勤務を終えた後に駐輪場で大声を出し、こんな精神状態では仕事にならないと退職しました。退職を認めてもらえず責められるのではないかという恐怖、脱走した方が事務対応する手間が省けて店側としても助かるのではないかという思い(冗談抜きに事務対応要員が事務室に待機する余裕もないほどの激務の店でした)から退職の連絡もせず(できず)、店や関係者の電話番号を着信拒否リストに入れて無断退職しました。

X+2年4月下旬
その後、仕事を辞めても家でパニックを起こし続けるため、仕事を辞めて1週間後頃に危険だと思い精神科に駆け込みました。私はリスペリドンの耐性を疑いましたが、医師は「3年ぐらい前に朝のリスペリドンを2.0mgから1.5mgに減らしたけど、多分あれじゃ足りなくて緩やかに悪化したんじゃないの?」と耐性を否定しました。また、私は「ルーランの方が内分泌のリスクが低くてリスペリドンが効かない人に効果的だからそれに替えて下さい」と意見したのですが、医師は「リスペリドンは汎用性の高い良い薬だよ」「リスペリドンで耐性はつかない」「ルーランは微妙」と聞く耳を持ってくれませんでした。対人恐怖の薬が欲しいと言っても「対人恐怖に効く薬はない」と否定されました。

X+2年6月
薬を増やしてから日常生活での大声はなくなりましたが、またしても反省を活かせずに調理に必要な食器が足りなくなるほど洗い場が忙しい飲食店での仕事を安請け合いしてしまいました。この職場は1週間ぐらいでストレスに耐え切れず無断退職していますが、退職の時にパニックになったり怯えたりはしませんでした。

X+2年9月
ドラッグストアでの勤務を開始しましたが、接客のことで責任者に注意されて20分説教されて恐怖を覚え、勤務開始から1週間で無断退職しました。退職を申し出る電話を行うことに対しても恐怖がありそれを実行できませんでした。

X+2年12月の前半
総合スーパーの鮮魚部の短期アルバイトを始めましたが、急に「交通事故で鮮魚部の従業員が休職中だから、君はその人と同じように仕事を行ってもらうことになったんだ」と説明会で説明され、責任の重さに怯えてしまいました。結局説明会と初日の勤務を行っただけで仕事のミスから売場で大声を出してパニックを起こしてしまい、2回目の勤務ではタイムカードだけ切ったものの対人恐怖で作業場に入ることができずにそのまま退職しました。

X+2年12月後半
家でもテーブルをどんどんと叩く、「薬が効かない」と騒ぐことが多くなりました。丁度この頃、予てより申請していた障害者手帳が届き、1度障害者手帳が失効していましたがまた障害認定を受けることになりました。医師からは診断書を書いてもらった際に「仕事が続かないから2級になるんじゃないの?」と言われ、その通り2級が等級として付きました。

X+3年1月上旬
年が明けた頃に障害者枠で働くことを考えましたが、ハローワークの障害者枠求人サービスの利用には医師の意見書が必要であり、医師の許可なしでは事実上職探しができない状況でした。精神科の診察でどうしたら意見書を書いてくれるか医師に質問すると「就労移行支援に半年通いなさい」と言われました。私は就労移行支援ですらパニックを起こして逃げ出す恐れがあったため、ハードルを下げてB型作業所に通うことにすると意見し、医師とも「半年作業所に通って実績を作ったら意見書を書いてもらう」と約束しました。

X+3年1月中旬から4月下旬現在
1月中旬、地元のB型作業所の体験プログラムを受けました。最初は「作業所に通うと却って社会復帰から遠ざかるのではないか」「精神障害の人と接していく内に自分のコミュニケーション能力も下がるんじゃないのか」と嫌がり、意見書を書いてもらいハローワークの障害者枠求人のサービスを利用できるようにするために通わざるを得ないと思っていたに過ぎません。それでも、2月の初めから体験を受けた作業所に通い始め、1ヶ月が経過すると段々と作業所の利用者とも馴染めて普通に会話できるようになりました。家族からも「通う前は怖い顔をしてたのに表情が柔和になった」と言われました。現在まで作業も普通にこなせていて週5回休まず通えていて問題の無い通所・利用状況です。

それにしても、これから私は社会復帰できるのでしょうか。
作業所は一般就労の訓練にはならないような甘い環境であることは否めないのですが、家族から「バイトも1週間以内で辞めることを何度も繰り返して、それで作業所すらも投げ出したら、もう行くところないよ!」と叱咤されています。
リスペリドンの副作用も作業能率が落ちる、太って体力が落ちるなど不満に思う点があるのです。正直、この点が仕事における障害になるからこそ服薬を怠る精神障害者もいるのではないのでしょうか。尤も、私の場合は治療前に大暴れだったので、それが副作用が正当化される理由にどうしてもなってしまうのですが。
作業所には一般人と同じようにコミュニケーションが取れて作業も一般人並のペースで出来るような、一般就労を目指す人の中にも1年以上通い続けている人がおり「この人達はいつまで作業所に通い続けているのだろう?」と疑問を抱かざるを得ません。それとも、作業所通いの精神障害者はそれぐらい就労に時間をかけても普通なのですか?私はそれを就労までにかかる所要期間の目安として通い続けるべきなのですか?
作業所には通えて日常生活には問題がないのに一般枠で一般就労することができない、一般の会社でちょっと注意されると怯える私は甘えているだけではないのでしょうか? 同じようにミスを繰り返して注意されても、作業所だと何とか平静を保てて後でパニックを起こすこともないのですが、ただハードルの低い作業所で自分を甘やかしているだけで根本的な精神修養になっていないのではないのでしょうか?

結局、今の通院・服薬と作業所への通所が社会復帰への道筋となり得るのかが私は知りたいです。

 

林: 十分になり得ます。また、質問者は現に、社会復帰への道を歩み続けていると思います。但しその歩みは本来期待されるスピードに比べると遅くなっています。その理由としていくつかのポイントが指摘できます。

第一は、医師のアドバイスを十分に受けているかどうかが不明です。
【3579】の直後と思われるX年12月以後、「精神科」が初めて出てくるのが

X+2年4月下旬
その後、仕事を辞めても家でパニックを起こし続けるため、仕事を辞めて1週間後頃に危険だと思い精神科に駆け込みました。

駆け込みました」という表現からは、それまでは定期的に通院していたが、このときだけは予約日でない日に緊急で受診したという解釈も可能ですが、X年12月からX+2年4月までの間には診察や医師との相談についての記載が一切ないことからは、この期間には自己判断で方針を決めることが主になっていて、医師からのアドバイスを受けていないか受け入れていないことも窺われます。統合失調症では、急性期の治療が一段落し、社会復帰に向かう段階がむしろ本当の治療ですから、もし医師のアドバイスを十分に受けずに方針を決めたり変えたりしていたとすれば、社会復帰を自ら遅らせているということになります。

第二は、上とも関係しますが、提供された薬物療法を十分に受け入れていないことです。

社会復帰に向けてのごく初期の大切な段階であるX年12月初頭に、

夜勤続きで寝坊を恐れて朝の服薬を欠かすようになり

とのこと、これでは良い経過が望めないことは自明です。

第三に、能力につりあわない仕事へのチャレンジを繰り返していることです。
これは、作業所通所開始前の就職と退職の状況を見れば明らかです。
そしてここでいう「能力」とは、そのときの病気からの回復のレベルにも関係するものですから、十分に回復していないのに無理をしている、と言い換えることができます。このようなやり方では、いくら本人に意欲や努力の意志があっても社会復帰には結びつかず、むしろ社会復帰への道を後退していることになります。

けれども、このように回り道はしたものの、X+3年2月に作業所通所を開始されたことは、社会復帰に向けての大きな一歩であったと言えます。X+3年1月に作業所を勧められてから実際に通所を開始するまで、そしてその後も、質問者は作業所が社会復帰に繋がるものであることに懐疑的な気持ちであることがメールから読み取れますが、そのような気持ちを抱くのはむしろ普通のことで、ぜひ結果を急がず、あせらずに通所を続けてください。
作業所についての質問者の懐疑は、どれも部分的には正しい面があります。しかし部分的にすぎません。あるいはある一方向からしか物事を見ていないと指摘することもできます。たとえば

ただハードルの低い作業所で自分を甘やかしているだけで根本的な精神修養になっていないのではないのでしょうか?

という疑問については、作業所が一般就労に比べてハードルが低いという点は正確な評価と言えますが、この【4103】のケースでは一般就労での不適応を繰り返してきているわけですから、低いハードルから始める必要があることは明白です。質問者はもっと高いハードルを自らに課すことこそが「根本的な精神修養」になると考えておられることが窺われ、それも部分的には正しい考え方であると言えますが、現時点では届かない高いレベルを一足飛びに目指した精神修養は、失敗することがあまりに確実ですので不合理な計画ということになります。

今の通院・服薬と作業所への通所が社会復帰への道筋となり得るのかが私は知りたいです。

この回答の冒頭の通り、なり得ます。この【4103】の質問者は、主治医の先生をはじめ、作業所のスタッフ、ご家族など、多くのサポートが受けられる環境にあります。この環境は誰にでも得られるものではなく、その意味で非常に幸運なことです。この恵まれた環境を最大限に生かし、社会復帰に向けての歩みを続けてください。

(2020.9.5.)

その後の経過 (2023.9.5.)

05. 9月 2020 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A